○根津美術館 新創記念特別展 第7部『いのりのかたち 八十一尊曼荼羅と仏教美術の名品』(2010年7月10日~8月8日)
休日出勤の代休を木曜に貰った。暑い。外に出たくないけど、せっかくだから、あまり歩かないで見に行ける同館に出かけた。竹の生垣に縁取られた日陰のアプローチに達するとほっとする。水で満たされた岩船が涼を添える。館内は、採光がいい割には、きちんと断熱されていて、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」の美術館であることを実感する。
今回は仏教美術の名品展。冒頭は金銅仏。冷たい金属の質感に、少し汗が引く。中国・唐時代の『五尊仏坐像』がすごい。型に銅板を当てて像容を浮き出させるというが、完全に「レリーフの域を超えた立体的な仕上がり」である。あり得ないでしょ、これ!
仏画は、平安~鎌倉時代ばかり。むかし、改装前の根津美術館で、室町・南北朝の仏画勢揃いを見た記憶(記事あり:2005年)があって、面白かったけど、今回はさらに特別展の名に恥じないお蔵出し感あり。途中に高麗仏画が3点挟まれている。『阿弥陀三尊来迎図』は、脇侍のニ尊が宝冠から足元に垂らした、半透明のベールが、花嫁のようで美しい。
大徳10年(1306)の『阿弥陀如来像』には「伏為/皇帝万年三殿行李速還本国之願部画成弥陀一頓」云々(翻刻をメモ)という墨書があり、元の大都に滞在していた高麗忠烈王一行の帰還を祈願したもの、と説明されていた。高麗と元の関係も複雑だったなあと思って調べてみたら、忠烈王とは、クビライの公主を娶り、親元政策を貫いた人物。元に日本侵攻を執拗に進言したことが「高麗史」に記載されているそうだ。よく見ると、この像、胸に卍印がある。京都・安楽寿院のご本尊も胸に卍印があって「卍の阿弥陀」と呼ばれていたが、あれは高麗様式なのだろうか。
和ものでは、タイトルロールの『八十一尊曼荼羅』がやはり見もの。鎌倉時代とは思えない色彩の鮮やかさ。まわりの表具が、三鈷杵を十字に組み合わせた密教法具「十字羯磨」の文様なのもいい。曼荼羅の枠線が三鈷杵の連続なのと合っている。曼荼羅の四隅に半身をのぞかせ、両手を広げて円を支える4人の神人(?)は、緑・黒・白・赤の体色で、東・北・西・南に対応しているものと思われる。諸仏の間に配された、ダリアか、光琳菊みたいな赤い花が愛らしい。滋賀の金剛輪寺に伝来し、円仁が中国からもたらしたものを鎌倉時代に写したと伝えるそうだ。美術館TOPページに特大細画像を公開中。大サービスだな!(順次、変わります)
14世紀の『愛染明王像』もいいねえ。見開いた両目、口の中にのぞく鋭い犬歯と深紅の舌、「安定感のある姿に怒気がみなぎる優品」とは巧い表現である。上方左右の墨書は後醍醐天皇の宸筆と伝える。よく読めないが、梵字と漢字が見えた。これも迫力ある大画像を公開中。
13世紀の『大威徳明王像』もいい。水牛の背に法輪を載せて踏みつけ、片側の三本足で立ち上がり、六本の腕を翼のように広げて弓を引く姿。振り返った水牛の目線に緊迫感がある。同じく13世紀『五大尊像』の「降三世明王」は、なぜか踏みつけられた女神(大自在天の妃である烏摩)が、ハッシとその足を受け止めている。
展示室2は『絵過去現在因果経』(画像公開中)も可愛いが、『十二因縁絵巻』を取り上げたい。セッタ王という王様が、12の羅刹(鬼)を訪ね歩き、ついに苦悩の根本である無明羅刹を征服する物語だという。抜身の剣を構える王様に「セッタ王、○○羅刹を責める」という簡潔なキャプションの繰り返しが、緊迫した雰囲気を伝えているのだが、「セッタ王、速疾金翅鳥羅刹を責める」の図だけは、なぜか王様が、興味津々、金翅鳥のつばさと握手しているみたいで、思わず、おい、責めてないだろ!と吹き出したくなってしまった。飄々とした羅刹たち(大阪弁をしゃべりそうだ)が可愛いよ~。いよいよ無明羅刹登場!の前で終わっているので、あれっラスボスは?と思ったら、錯簡で、途中に登場していた。こういう絵巻資料を一気に見せてくれるのはめったにないことなので、必見。解説によれば、平安後期から、奈良の諸寺院で南都六宗の復興運動が活発化し、こうした模写が作られたそうである。
3階は、久しぶりに古代中国の青銅器を見て、やっぱり分かっている出土地って河南省だよね、ということを確認(東博の『誕生!中国文明』展を復習しつつ)。展示室5は、夏にふさわしく、涼を感じさせる大皿が集められていた。特に呉州赤絵と呉州青絵は童心にあふれ、自然と元気が湧いてくる。展示室6で「夕さりの茶」のしつらえを見終えた頃、すっかり汗もひいていたのは、冷房のせいだけではないと思う。
休日出勤の代休を木曜に貰った。暑い。外に出たくないけど、せっかくだから、あまり歩かないで見に行ける同館に出かけた。竹の生垣に縁取られた日陰のアプローチに達するとほっとする。水で満たされた岩船が涼を添える。館内は、採光がいい割には、きちんと断熱されていて、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」の美術館であることを実感する。
今回は仏教美術の名品展。冒頭は金銅仏。冷たい金属の質感に、少し汗が引く。中国・唐時代の『五尊仏坐像』がすごい。型に銅板を当てて像容を浮き出させるというが、完全に「レリーフの域を超えた立体的な仕上がり」である。あり得ないでしょ、これ!
仏画は、平安~鎌倉時代ばかり。むかし、改装前の根津美術館で、室町・南北朝の仏画勢揃いを見た記憶(記事あり:2005年)があって、面白かったけど、今回はさらに特別展の名に恥じないお蔵出し感あり。途中に高麗仏画が3点挟まれている。『阿弥陀三尊来迎図』は、脇侍のニ尊が宝冠から足元に垂らした、半透明のベールが、花嫁のようで美しい。
大徳10年(1306)の『阿弥陀如来像』には「伏為/皇帝万年三殿行李速還本国之願部画成弥陀一頓」云々(翻刻をメモ)という墨書があり、元の大都に滞在していた高麗忠烈王一行の帰還を祈願したもの、と説明されていた。高麗と元の関係も複雑だったなあと思って調べてみたら、忠烈王とは、クビライの公主を娶り、親元政策を貫いた人物。元に日本侵攻を執拗に進言したことが「高麗史」に記載されているそうだ。よく見ると、この像、胸に卍印がある。京都・安楽寿院のご本尊も胸に卍印があって「卍の阿弥陀」と呼ばれていたが、あれは高麗様式なのだろうか。
和ものでは、タイトルロールの『八十一尊曼荼羅』がやはり見もの。鎌倉時代とは思えない色彩の鮮やかさ。まわりの表具が、三鈷杵を十字に組み合わせた密教法具「十字羯磨」の文様なのもいい。曼荼羅の枠線が三鈷杵の連続なのと合っている。曼荼羅の四隅に半身をのぞかせ、両手を広げて円を支える4人の神人(?)は、緑・黒・白・赤の体色で、東・北・西・南に対応しているものと思われる。諸仏の間に配された、ダリアか、光琳菊みたいな赤い花が愛らしい。滋賀の金剛輪寺に伝来し、円仁が中国からもたらしたものを鎌倉時代に写したと伝えるそうだ。美術館TOPページに特大細画像を公開中。大サービスだな!(順次、変わります)
14世紀の『愛染明王像』もいいねえ。見開いた両目、口の中にのぞく鋭い犬歯と深紅の舌、「安定感のある姿に怒気がみなぎる優品」とは巧い表現である。上方左右の墨書は後醍醐天皇の宸筆と伝える。よく読めないが、梵字と漢字が見えた。これも迫力ある大画像を公開中。
13世紀の『大威徳明王像』もいい。水牛の背に法輪を載せて踏みつけ、片側の三本足で立ち上がり、六本の腕を翼のように広げて弓を引く姿。振り返った水牛の目線に緊迫感がある。同じく13世紀『五大尊像』の「降三世明王」は、なぜか踏みつけられた女神(大自在天の妃である烏摩)が、ハッシとその足を受け止めている。
展示室2は『絵過去現在因果経』(画像公開中)も可愛いが、『十二因縁絵巻』を取り上げたい。セッタ王という王様が、12の羅刹(鬼)を訪ね歩き、ついに苦悩の根本である無明羅刹を征服する物語だという。抜身の剣を構える王様に「セッタ王、○○羅刹を責める」という簡潔なキャプションの繰り返しが、緊迫した雰囲気を伝えているのだが、「セッタ王、速疾金翅鳥羅刹を責める」の図だけは、なぜか王様が、興味津々、金翅鳥のつばさと握手しているみたいで、思わず、おい、責めてないだろ!と吹き出したくなってしまった。飄々とした羅刹たち(大阪弁をしゃべりそうだ)が可愛いよ~。いよいよ無明羅刹登場!の前で終わっているので、あれっラスボスは?と思ったら、錯簡で、途中に登場していた。こういう絵巻資料を一気に見せてくれるのはめったにないことなので、必見。解説によれば、平安後期から、奈良の諸寺院で南都六宗の復興運動が活発化し、こうした模写が作られたそうである。
3階は、久しぶりに古代中国の青銅器を見て、やっぱり分かっている出土地って河南省だよね、ということを確認(東博の『誕生!中国文明』展を復習しつつ)。展示室5は、夏にふさわしく、涼を感じさせる大皿が集められていた。特に呉州赤絵と呉州青絵は童心にあふれ、自然と元気が湧いてくる。展示室6で「夕さりの茶」のしつらえを見終えた頃、すっかり汗もひいていたのは、冷房のせいだけではないと思う。