○田仲康博『風景の裂け目-沖縄、占領の今』 せりか書房 2010.4
先だって、ジュンク堂新宿店で行われた著者のトークセッション(2010年7月16日)を聴いた。私は、お相手の吉見俊哉氏のファンで聴きに行ったのだが、トークセッションの内容に非常に感銘を受けて、本書を買って帰った。読みにくい本ではない。必要以上にもってまわった言い方は、決してされてないと思う。けれど、「沖縄」を語るには、絡み合う糸を注意深くほぐしていくような、忍耐強い思考を要求される。こういう「しんどい」作業に付き合い切れない人々は、沢山いるだろうなと思いながら読んだ。
たとえば、沖縄上陸の1年前から米軍におかれた研究チームは、沖縄の歴史や文化を称揚することによって、「日本人」と「琉球島民」の間を乖離させ、沖縄統治を正当化することをねらっていた。その政策の行く末に(いまは国立大学法人の一である)琉球大学も生まれる。米軍占領下の1950年、第1回入学式で学生たちに配布された『大学便覧』の序文冒頭には、「本大学は、日本のものでもなく、米国のものでもない」と記されている。
ある研究者は、この序文に、文字どおり「日本のものでもなく、米国のものでもない」、ハイブリッドな大学の創造を見ようとする。しかし、著者は、この文章に政治的意味合いを認めない解釈こそが「極めて政治的なものと言わざるを得ない」と厳しく切って捨てる。日本にもアメリカにも属さない「宙吊り」の大学は、先の分断政策の装置として、占領軍の目的に奉仕することを運命づけられていたと見るべきだと本書は説く。
しかし、あからさまな「占領政策」の時代について考えるのは、むしろ易しいかもしれない。それは、後半の「メディアに表象される沖縄」を読みながら思ったことだ。いま、多くの日本人は、沖縄といえば、青い空と青い海、歌と踊りを好む陽気な人々、ノスタルジックな祝祭空間、「癒しの島」というイメージを想起し、消費し続けている。それは、アカデミックな場で生まれた南島論(日本の古層 etc.)が、メディアや観光という回路に乗って、行き着いた先でもある。そして、沖縄の住人自らが、外部からの視線に合わせた自分を演じ始めているという。
これは沖縄に限ったことではなく、「文化の差異の経験を求めて訪れる観光客のために地元の文化が展示される行為を通してその社会のメンバーにとっても『ナショナル・ヘリテージ』としての認識が定着していく」(吉野耕作、スコットランドの分析)と一般化することができる現象である。なんか、近年、中国の観光地で起きていることも、この理論で説明できるな、と思った。活気あふれる文化と芸能、うまくいけば刺激される消費→潤う地域経済、そこに生まれる誇り…。一見、何も悪いことはなさそうだが、「文化」の前景化によって、後景に退いていくのは「政治」なのだ。
今や「基地の街」さえも、「アメリカ気分を満喫できる」「エキゾチックな沖縄」として語られることが普通になっている。消費社会の暴力は、占領の暴力よりもたちが悪いかもしれない。私たちは、何をもってすれば、この新しい暴力に立ち向かうことができるのだろう。そのヒントになるかもしれないのは、著者が、自分の個人史を織り交ぜながら語ってくれたいくつかの章段である。「祖国復帰」とは、沖縄を船で引っ張っていって、本土にくっつけることじゃないかと考えた(友達がいた)小学生時代。2004年、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した際、「何の反応もできません。頭おかしいのかな、と思いながらも、まだ無関心のなかにいる自分がいます」と述べた学生。いずれも「型どおり」から外れた反応だが、だからこそ、そこに真実があるともいえる。批判的視点に立ち続けるために必要なのは、まず身体的経験と記憶を失わないこと(奪われないこと)ではないかと思った。