見もの・読みもの日記

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国家と私(わたくし)と/洋行の時代(大久保喬樹)

2008-11-02 22:36:21 | 読んだもの(書籍)
○大久保喬樹『洋行の時代:岩倉使節団から横光利一まで』(中公新書) 中央公論新社 2008.10

 幕末以降、近代日本の国づくりに関わった人物は、一度は「洋行」している。政治、経済、文化、教育、科学技術、ジャーナリズムから娯楽興行まで、あらゆる分野において。少数ではあるが女性もだ。別に、見識のある人間なら洋行なんかしなくても、と思うのは、今日の感慨であって、当時、文明は欧米にしかなかったのだろう。

 本書は、洋行の第一世代として、福沢諭吉と森有礼を取り上げる。福沢が洋行で培った国際認識(西欧列強に侵食されるアジア)が、明治維新、文明開化の推進力となったのは、よく知られたところだが、森有礼の洋行体験がこんなにユニークとは知らなかった。イギリスで、共同生活による霊性の向上を掲げる特異な宗教家に共鳴し、そのコロニー運動に参加するため、アメリカに渡る。Wikipediaは「(留学時代)キリスト教に深い関心を示した」と、さらりと記しているが、カルト教団に飛び込んでいったようなものだ。派遣元の薩摩藩は慌てたことだろう。福沢の洋行は、徹底して「実学」的な成果を持ち帰ったものであり、維新以後は、この系譜を受けて国家的事業としての洋行が続くが、森有礼のような「霊性」的洋行者の例があったことも見逃してはならない。

 洋行の第二世代となるのが、鴎外、漱石である。明治10年代頃から、厳しい選抜を経て、欧米に送り込まれ、帰国後は近代国家の担い手となる、という「エリート新帰朝者」のイメージが確立する。にもかかわらず、内面的にはさまざまな屈折を抱いていた留学生も少なくなかった。この「屈折」は、むかし鴎外の『舞姫』を読んだときは、よく分からなかったなあ。本書が、『舞姫』の舞台となったベルリンの場末を、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』の世界に喩えているのは分かりやすい。当時、中央集権的な国家システムも、富国強兵の鍵を握る科学技術も、欧米にしかなかったが、国籍も民族もなく、個と個としての男女が愛し合える「私」の空間も、欧米の一部の都市にしかなかったのだ、と思う。

 鴎外が生涯封印した(かに見える)「私(わたくし)」の西欧文明に惑溺してしまうのが、次の世代の永井荷風や高村光太郎である。著者は「いやでもおうでも日本社会に定められた地位におさまらなければならなかった鴎外や漱石の世代」と対比して、「竜宮城から故郷に戻った浦島太郎のような孤立感、宙ぶらりんの感覚」という言葉で、荷風や光太郎の世代の特徴を表現している。

 明治末年以降になると、洋行の目的や影響は、いよいよ多様化する。与謝野鉄幹・晶子夫妻の場合、大杉栄の場合、島崎藤村、正宗白鳥、林芙美子の場合など。そして、昭和11年にヨーロッパを訪問した横光利一は、作中人物に「洋行というのはお父さん、あれは明治時代に云ったことですよ」と語らせて、幕末以来の「洋行の時代」の終焉を告げるのである。
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