見もの・読みもの日記

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普遍国家?国民国家?/ベトナムの世界史(古田元夫)

2006-12-28 23:55:11 | 読んだもの(書籍)
○古田元夫『ベトナムの世界史:中華世界から東南アジア世界へ』 東京大学出版会 1995.9

 年末年始のベトナム旅行を控えて、もう1冊くらい、ベトナム本を読んでおこうと思った。本書は、ベトナムの近現代史を「普遍国家」「国民国家」「地域国家」という3つのキーワードで読み解くものだ。3つの国家形態は、何を統合原理の根底に据えるか、という違いを示している。

 近代以前の伝統世界において、国家とは普遍国家(普遍文明)に他ならなかった。19世紀初頭、ベトナムは、普遍文明である中華世界の辺境「南国」に自らを位置づけていた。このことは、ベトナムにおける「小中華思想」を育て、東南アジアでは例外的に早熟な国家意識が生まれていた。

 19世紀半ば、フランスの侵略が始まる。フランスの植民地支配は、清朝の宗主権を完全否定するともに、現在のベトナム、カンボジア、ラオスを包摂する「インドシナ」という枠組みを、この地域にもたらした。帝国列強は、植民地経営上の必要から、ある程度「土着民教育」に力を注がざるを得ない。しかし、植民地エリートは、決して本国人と同等になれないという限界に突き当たることで、次第に、自分たち自身の「国民国家」形成の要求を強めていく。つまり、ナショナリズムとは、本質的に「植民地帝国の産物である」と著者は言う――この説明は、意外なようで、スジが通っていて、面白い。

 そして、日本軍による仏印進駐→日仏共同統治(植民地政府が、親独ヴィシー政権の下にあったため)→仏印処分(日本軍によるクーデタ)を経て、第二次世界大戦終結後、ベトナム民主共和国が成立する。これは、東南アジア各地の民族独立運動と積極的に連携し、地域の中に自らを位置づけようとするという意味で、「地域国家」ベトナムの誕生と言ってよかった。

 だが、冷戦を背景としたアメリカの介入は、かえってベトナムを、社会主義という新しい「普遍原理」をまとった中国寄りに引き戻してしまう。長く厳しい戦時体制下のベトナムでは、「貧しさを分かち合う社会主義」という普遍的理念は、国民国家の統合原理としても作用していた。

 しかし、戦争が終結すると、「貧しさを分かち合う社会主義」は、一気にその欺瞞を露呈してしまった。ベトナムは、国家の統合原理を、社会主義という普遍的理念よりも、文化の地域的固有性に求めるようになる。やがて、ASEANに接近して、東南アジア世界の一員になるとともに、中国との関係も修復し、新たな「地域国家」として、歩み始めている。

 私は、東南アジアについては、地図を見て、全て国名が言えるかどうかあやしい程度の知識しかない。まして、その複雑な近現代史については(日本の関与を含め)、ほとんど何も知らなかったので、本書は非常に興味深かった。以前、ASEANについて調べたとき、東南アジアの大国(と思っていた)ベトナムの加盟が意外と遅い(1995年)ので、不思議に思った記憶があるが、本書を読んで、あらためて納得した。

 それにしても、いろいろ苦難の歴史はあっても、現在の「ASEAN」は、地域協力の枠組みとしては、上手くいっているほうなのではないか。ヨーロッパと同じで、強固な「普遍国家」が存在しなかったことが、最終的には幸いしたのかもしれない。やっぱり、東アジアは、中国が脱「普遍国家」してくれないとなあ。それから、「地域国家」というのは、いい用語だと思った。「普遍国家」と「国民国家」の間を行ったり来たりしている限りは、どうにもならない問題に、解決の糸口を与えてくれる概念ではないかと思う。

■参考:ASEANに関する基礎知識(日本アセアンセンター)
http://www.asean.or.jp/general/base/index.html
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