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見もの・読みもの日記

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歴史の共有に向けて/日本の200年(A・ゴードン)

2006-12-25 20:49:16 | 読んだもの(書籍)
○アンドルー・ゴードン著、森谷文昭訳『日本の200年:徳川時代から現代まで』上・下 みすず書房 2006.10

 近年、欧米人による日本近代史の好著が続いている。翻訳版における、今年の収穫は、イアン・ブルマの『近代日本の誕生』(ランダムハウス講談社)と本書だろう。ブルマ氏の著書は、ピリリと皮肉の効いたところがあって、面白く読んだ。本書は、英語圏の大学で、日本の歴史を履修している学生の教科書として書かれたものであり、記述はおおむね公正中立、表現は平明穏当である。そこが日本の読者には、やや物足りなく感じられるかもしれない。

 しかし、読み始めてすぐ、私は本書のあまりの「分かりやすさ」に唸ってしまった。どうして日本人の書く日本史には、この分かりやすさがないのだろう? 理由のひとつとして、日本の教科書や通史・概論は、テクニカル・タームの学習に重点を置きすぎなのではないかと思う。私の記憶する限り、高校の日本史の教科書は、「大政奉還」とか「廃藩置県」などの重要タームが(うんざりするほどたくさん)ゴチックで示され、それらを説明するかたちで記述が進む。教育現場では、これらのタームを理解し、覚えることに、多くの時間と労力が費やされていると思う。

 それに比べると、本書は、英語圏の読者を想定しているため、こうした特殊語彙の説明には、ほとんど意を用いていない。しかし、どんな理由で、誰によって、何が行われたか、という歴史のダイナミズムはきちんと記述されていて、よく頭に入るし、もしかしたらあり得た別の選択、あるいは別の時代・別の地域との比較について、しばしば考えさせられる。

 本書の魅力のひとつは、近代日本の多面性をとらえた懐(ふところ)の深さであろう。著者は、トップレベルの国政担当者の営為と判断について精力的に記述しながら、同時に、社会の中心から外れた人々――女性、在日外国人、被差別民、貧農、職工、炭鉱労働者などが行った異議申し立て(の痕跡)にも、周到な目配りを見せている。また、1920年代のモダン・ガールから、戦後の「自由恋愛」の謳歌、1990年代の「援交」女子高生まで、社会風俗への関心も一貫して高い。

 著者の専門である「労使関係史」については、初めて知る「意外な事実」が多かった。たとえば、近代初期の男子労働者は、ひとつの職場に固執しなかった。彼らは、多くの工場を渡り歩いて経験を積み、さまざまな技能を修得することが、身を立てる手段と考えていた。へえ~現代の「終身雇用」サラリーマンより、ずっと自立的だったのだな。アメリカ人みたいだ。

 この慣行が変化するのは、戦時中の総動員体制による。政府は、労働力の安定確保のため、就労者に職業の変更を禁じた。同時に、労働者の勤労意欲と生産性の向上をはかるため、全ての従業員に年2回のボーナス支給を義務づけ(!)、扶養者を抱える年齢の高い労働者のニーズに応えるかたちで、年功序列的な昇給を体系化した。うーむ。いまの私が年2回ボーナスを貰えるのは、国家総動員法のおかげだったのか...。

 最後になるが、著者は「日本語版へのまえがき」で、日本の歴史修正主義者たちが主張する「さまざまな国が歴史認識を共有することは不可能である」という認識に対して、「本書は、これとちがう精神に」立つ、と述べている。日本の近現代史は、特殊ユニークなものではなく、全世界に共通の近現代史のバリエーションとして理解可能だ、というのが本書の立場である。実際に、本書は、中国語、ハングル、スペイン語の翻訳も刊行予定だという。こうした良質の日本史が世界の読者に共有されるのは、とても嬉しいことだと思う。

 忘れてならないのは、原注に示された先行文献の厚みである。本書は、英語圏の読者が参照しやすいよう、引用は、なるべく英語文献から行う原則を取っているが、原注に引かれた膨大な先行研究文献は、英語圏における日本近現代史研究の豊かな蓄積を誇っているように感じられた。

■参考:Oxford University Press, "A Modern History of Japan" companion site
http://www.oup.com/us/companion.websites/0195110609/?view=usa
学術書の販売促進に、こういう専用サイトを設けるというのは面白い。アメリカでは一般的なのかな。
コメント (2)
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