○東京国立近代美術館『琳派 RIMPA』展
http://www.momat.go.jp/Honkan/honkan.html
琳派はわりと好きだ。早くから好きだったのは宗達である。今回は、墨のにじみを利用した「たらしこみ」技法の名品「牛図」(”ぶも~っ”とか、マンガ的な擬音を入れたくなる)と「狗子図」が見られて嬉しかった。
私のイメージでは、宗達は好きな絵を好きなように描いて「楽しんでいる天才」である。彼の作品は(たとえば舞楽図屏風は典型的だが)、よく分からないけど、ヘンだけど、眩暈のようにおもしろい、と感じることがある。
光琳に注目するようになったのは少し後のことだ。光琳には、クリエーターとしての強い自覚を感じる。彼の作品を見ると「どうだ」という声が聞こえ、「やられた!」という、一種すがすがしい気持ちになる。
この展示会は、特に光琳の作品が充実していた。ボストン美術館の「松島図屏風」は、すごいとしかいいようがない。色彩といい造型といい、国境とか時代を完全に超越したところにあると思う。この名作がふだん国外にあるのは惜しいが、世界の人々に愛でられるのは作品の幸せかもしれない。
小品だが「紅葉流水図(龍田川図)団扇」もいい。解説に「宗達は扇面図を得意とし、光琳は団扇図を得意とした」みたいなことが書いてあって、おもしろいと思った。緻密な計算によって求心的な画面を構成する光琳には、円形の団扇がいいのかもしれない。
「風神雷神図屏風」は、私は”宗達作品のほうがいい”という主義を譲りたくないのだが、今回、光琳作も”なかなか、いいかもしれない”と感じた。絵具の発色がきれいである。
展示会の後半には、日本と西洋の近代絵画で、琳派の系統に連なるものがセレクトされている。菱田春草とか神坂雪佳は分かりやすい。クリムトもよしとしよう。マティスとかアンディ・ウォーホルになると、ちょっとどうかな?と思う。横山大観とか川端龍子にも、なるほど琳派っぽい作品があることは分かるが...
結局、工芸デザインに傾いた美術品は全て「琳派」なのかなあ。
http://www.momat.go.jp/Honkan/honkan.html
琳派はわりと好きだ。早くから好きだったのは宗達である。今回は、墨のにじみを利用した「たらしこみ」技法の名品「牛図」(”ぶも~っ”とか、マンガ的な擬音を入れたくなる)と「狗子図」が見られて嬉しかった。
私のイメージでは、宗達は好きな絵を好きなように描いて「楽しんでいる天才」である。彼の作品は(たとえば舞楽図屏風は典型的だが)、よく分からないけど、ヘンだけど、眩暈のようにおもしろい、と感じることがある。
光琳に注目するようになったのは少し後のことだ。光琳には、クリエーターとしての強い自覚を感じる。彼の作品を見ると「どうだ」という声が聞こえ、「やられた!」という、一種すがすがしい気持ちになる。
この展示会は、特に光琳の作品が充実していた。ボストン美術館の「松島図屏風」は、すごいとしかいいようがない。色彩といい造型といい、国境とか時代を完全に超越したところにあると思う。この名作がふだん国外にあるのは惜しいが、世界の人々に愛でられるのは作品の幸せかもしれない。
小品だが「紅葉流水図(龍田川図)団扇」もいい。解説に「宗達は扇面図を得意とし、光琳は団扇図を得意とした」みたいなことが書いてあって、おもしろいと思った。緻密な計算によって求心的な画面を構成する光琳には、円形の団扇がいいのかもしれない。
「風神雷神図屏風」は、私は”宗達作品のほうがいい”という主義を譲りたくないのだが、今回、光琳作も”なかなか、いいかもしれない”と感じた。絵具の発色がきれいである。
展示会の後半には、日本と西洋の近代絵画で、琳派の系統に連なるものがセレクトされている。菱田春草とか神坂雪佳は分かりやすい。クリムトもよしとしよう。マティスとかアンディ・ウォーホルになると、ちょっとどうかな?と思う。横山大観とか川端龍子にも、なるほど琳派っぽい作品があることは分かるが...
結局、工芸デザインに傾いた美術品は全て「琳派」なのかなあ。