○国立劇場 第34回特別企画公演『伎楽-日本伝来1400年』(2012年6月2日)
・午後2時開演「薬師寺の玄奘三蔵会-伎楽法要-」
伎楽は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、寺院の法会でさかんに上演された芸能である。正倉院や法隆寺の宝物の中には、奇ッ怪で滑稽な「伎楽面」が多数伝わっている。しかし、平安時代を経て鎌倉時代になると、次第に上演されなくなってしまった。それを、1980年代以降、関西の大きな寺院で、復興の試みが行われてきたことは聞いていたが、東京では、なかなか実際に見聞する機会がなかった。
今回の公演は二部構成。2時の部は、幕が開くと、舞台は薬師寺玄奘三蔵院の前庭という設定になっている。薬師寺管主(住職)の山田法胤氏が登場し、玄奘三蔵会の由来について、お話になった。
玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たる。昭和17年(1942)に南京で玄奘三蔵のご頂骨が発見され、その7分の1が、蒋介石の判断で(とおっしゃっていた)日本にもたらされた。当初、埼玉県の慈恩寺に奉安されたが、昭和56年(1981)に、玄奘三蔵と縁の深い薬師寺に分骨された。毎年5月5日に玄奘三蔵会を開催することになり、昭和55年(1980)東大寺大仏殿昭和大修理の落慶法要のため復元された伎楽が演じられることになった。
お話のあと、客席後方の扉が開き、楽の音とともに、奏者・演者・僧侶が二列になって登場し、舞台にあがった。奏者・演者は退出。しばらく舞台上は僧侶のみになり、法要が始まる。薬師寺のお坊さんは、みんな声がいいなあ、と感心する。詞章は舞台左右の電子掲示板に映し出されていたが、現代の一般的な音読みで、特に変わった読み方はしていなかった。最後は、久しぶりに見た大般若転読と般若心経。
休憩のあとが、新伎楽「三蔵法師求法の旅」。玄奘三蔵院の前に作られた(欄干で仕切られた)四角形が舞台だが、けっこう自由に舞台をはみ出しても演じる。舞台の上手に、講釈師みたいにお坊さんが座して物語を読む。「玄奘は聡明なる児童にして、幼くして仏門に入りたり」みたいな、平易な文語調。
舞台下手には演奏者(立ったまま)。5時の部の解説によれば、笛(龍笛)×2人、三ノ鼓(さんのつづみ。腰に下げ、撥で打つ)、腰鼓(ようこ。同じく腰に下げる)×3人、銅拍子(小型のシンバル)、銅鑼、という構成である。
演者は頭巾で頭頂から後頭部をすっぽり覆い、髪の毛が完全に見えないようにした上に仮面をかぶる。ただし、この新作伎楽では、主人公の玄奘三蔵だけは素面(仮面なし)で演じる。今回は狂言師の茂山良暢氏だったが、薬師寺の法会では、毎年、歌舞伎や芸能界のスターをゲストに招いているようだ。商売うまいなー薬師寺。でも頭巾姿で仮面なしだと、ニンジャみたいで、ちょっと笑ってしまう。
これも、あとで5時の部を見て分かったことだが、新作伎楽は復元伎楽の面(登場人物)と所作を巧く再利用して作られている。それにしても、いろいろツッコミたいところがあって、面白かった。高昌国の王様、尊大に構えすぎじゃないか? 確か『玄奘三蔵絵』では、逆に玄奘を礼拝してたぞ、とか。
玄奘は、めでたく唐に経巻を持ち帰って、皇帝に拝謁する。その玄奘に師事して法相教学を学び、日本に伝えたのが道昭である。最後に講釈師の坊さんが、ひときわ声を張り上げ「薬師寺は玄奘の学を伝える寺なり~」みたいなことを言って、幕。
・午後5時開演「伎楽-幻の天平芸能を知る-」
幕が開くと、玄奘三蔵堂はなく、欄干に囲まれた四角い舞台と、背景には、中央の開いた寺院の塀が残されている。天理大学教授の佐藤浩司先生が背広姿で登場、伎楽の基礎知識について語る。関西人らしく、親しみやすい語り口で、伎楽は雅楽に押されて、宮中では次第に廃れたこと、しかし、獅子舞、天狗など、日本各地の芸能に姿を変えて受け継がれたことなど、興味深かった。
「雅楽」に対する「伎楽」は、「能楽」に対する「狂言」みたいなもの、というのも分かりやすかった。5時の部は、興福寺の雅楽家狛近真(こまのちかざね、1177-1242)が撰述した楽書『教訓抄』の記述をもとに復元した伎楽を楽しむ。同書には、わずかながら、伎楽の演じ方についての記述が見られるのだという。
楽曲の復元に努めたのは、演奏家の芝祐靖氏。平安・鎌倉時代の伎楽譜をいろいろ見たが、唐楽の影響を受けていて使えなかったので、結局、伎楽面の個性にマッチした旋律とリズムを作ることにしたという。これが、非常に平易で、覚えやすく忘れにくい、さすが天才、と佐藤先生はベタ褒めされていたが、聞いてみて、確かにそのとおりだと思った。
5時の部も「行道」から始まった。伎楽は行道(パレード)に始まり行道に終わる仮面劇なのだそうだ。先頭(下手側)を歩くのが治道(じどう)。長い鼻の持ち主で、天狗や猿田彦を思わせる。コイツは、そのあとの演目に登場せず、行道だけが役割である。以下、佐藤先生から、楽器のひとつひとつ、登場人物の性格について解説があった。
そして、いったん全ての演者が引っ込んだあと、公演が始まった。復元伎楽は、語りなし、音楽だけの無言劇である。プログラムの演目は、行道に続き、獅子、崑崙、呉公、金剛・力士、婆羅門、迦楼羅、太孤、酔胡という並びになっていたが、これらの演目が一続きで演じられた。5時の部は、お話とあわせて1時間程度で、もうちょっと長くてもいいのに、と思ったが、『教訓抄』から分かることが少なすぎて、これ以上は無理なのだろう。音楽にはメリハリがあって、佐藤先生のコメントの意味がよく分かった。
芝祐靖さん、プログラムの寄稿に「雅楽演奏を生業として二十年ほど経ったころ、単調極まりない雅楽の堅苦しさにすっかりくたびれて、何かもっと楽しい雅楽はないものかと思い続けていました」って、書いちゃう率直さが好きだなー。
終演後、5時の部につきあってくれた友人と、丸の内の沖縄料理「うりずん」で夕食。2月に沖縄で行ったお店の東京店である。
・午後2時開演「薬師寺の玄奘三蔵会-伎楽法要-」
伎楽は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、寺院の法会でさかんに上演された芸能である。正倉院や法隆寺の宝物の中には、奇ッ怪で滑稽な「伎楽面」が多数伝わっている。しかし、平安時代を経て鎌倉時代になると、次第に上演されなくなってしまった。それを、1980年代以降、関西の大きな寺院で、復興の試みが行われてきたことは聞いていたが、東京では、なかなか実際に見聞する機会がなかった。
今回の公演は二部構成。2時の部は、幕が開くと、舞台は薬師寺玄奘三蔵院の前庭という設定になっている。薬師寺管主(住職)の山田法胤氏が登場し、玄奘三蔵会の由来について、お話になった。
玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たる。昭和17年(1942)に南京で玄奘三蔵のご頂骨が発見され、その7分の1が、蒋介石の判断で(とおっしゃっていた)日本にもたらされた。当初、埼玉県の慈恩寺に奉安されたが、昭和56年(1981)に、玄奘三蔵と縁の深い薬師寺に分骨された。毎年5月5日に玄奘三蔵会を開催することになり、昭和55年(1980)東大寺大仏殿昭和大修理の落慶法要のため復元された伎楽が演じられることになった。
お話のあと、客席後方の扉が開き、楽の音とともに、奏者・演者・僧侶が二列になって登場し、舞台にあがった。奏者・演者は退出。しばらく舞台上は僧侶のみになり、法要が始まる。薬師寺のお坊さんは、みんな声がいいなあ、と感心する。詞章は舞台左右の電子掲示板に映し出されていたが、現代の一般的な音読みで、特に変わった読み方はしていなかった。最後は、久しぶりに見た大般若転読と般若心経。
休憩のあとが、新伎楽「三蔵法師求法の旅」。玄奘三蔵院の前に作られた(欄干で仕切られた)四角形が舞台だが、けっこう自由に舞台をはみ出しても演じる。舞台の上手に、講釈師みたいにお坊さんが座して物語を読む。「玄奘は聡明なる児童にして、幼くして仏門に入りたり」みたいな、平易な文語調。
舞台下手には演奏者(立ったまま)。5時の部の解説によれば、笛(龍笛)×2人、三ノ鼓(さんのつづみ。腰に下げ、撥で打つ)、腰鼓(ようこ。同じく腰に下げる)×3人、銅拍子(小型のシンバル)、銅鑼、という構成である。
演者は頭巾で頭頂から後頭部をすっぽり覆い、髪の毛が完全に見えないようにした上に仮面をかぶる。ただし、この新作伎楽では、主人公の玄奘三蔵だけは素面(仮面なし)で演じる。今回は狂言師の茂山良暢氏だったが、薬師寺の法会では、毎年、歌舞伎や芸能界のスターをゲストに招いているようだ。商売うまいなー薬師寺。でも頭巾姿で仮面なしだと、ニンジャみたいで、ちょっと笑ってしまう。
これも、あとで5時の部を見て分かったことだが、新作伎楽は復元伎楽の面(登場人物)と所作を巧く再利用して作られている。それにしても、いろいろツッコミたいところがあって、面白かった。高昌国の王様、尊大に構えすぎじゃないか? 確か『玄奘三蔵絵』では、逆に玄奘を礼拝してたぞ、とか。
玄奘は、めでたく唐に経巻を持ち帰って、皇帝に拝謁する。その玄奘に師事して法相教学を学び、日本に伝えたのが道昭である。最後に講釈師の坊さんが、ひときわ声を張り上げ「薬師寺は玄奘の学を伝える寺なり~」みたいなことを言って、幕。
・午後5時開演「伎楽-幻の天平芸能を知る-」
幕が開くと、玄奘三蔵堂はなく、欄干に囲まれた四角い舞台と、背景には、中央の開いた寺院の塀が残されている。天理大学教授の佐藤浩司先生が背広姿で登場、伎楽の基礎知識について語る。関西人らしく、親しみやすい語り口で、伎楽は雅楽に押されて、宮中では次第に廃れたこと、しかし、獅子舞、天狗など、日本各地の芸能に姿を変えて受け継がれたことなど、興味深かった。
「雅楽」に対する「伎楽」は、「能楽」に対する「狂言」みたいなもの、というのも分かりやすかった。5時の部は、興福寺の雅楽家狛近真(こまのちかざね、1177-1242)が撰述した楽書『教訓抄』の記述をもとに復元した伎楽を楽しむ。同書には、わずかながら、伎楽の演じ方についての記述が見られるのだという。
楽曲の復元に努めたのは、演奏家の芝祐靖氏。平安・鎌倉時代の伎楽譜をいろいろ見たが、唐楽の影響を受けていて使えなかったので、結局、伎楽面の個性にマッチした旋律とリズムを作ることにしたという。これが、非常に平易で、覚えやすく忘れにくい、さすが天才、と佐藤先生はベタ褒めされていたが、聞いてみて、確かにそのとおりだと思った。
5時の部も「行道」から始まった。伎楽は行道(パレード)に始まり行道に終わる仮面劇なのだそうだ。先頭(下手側)を歩くのが治道(じどう)。長い鼻の持ち主で、天狗や猿田彦を思わせる。コイツは、そのあとの演目に登場せず、行道だけが役割である。以下、佐藤先生から、楽器のひとつひとつ、登場人物の性格について解説があった。
そして、いったん全ての演者が引っ込んだあと、公演が始まった。復元伎楽は、語りなし、音楽だけの無言劇である。プログラムの演目は、行道に続き、獅子、崑崙、呉公、金剛・力士、婆羅門、迦楼羅、太孤、酔胡という並びになっていたが、これらの演目が一続きで演じられた。5時の部は、お話とあわせて1時間程度で、もうちょっと長くてもいいのに、と思ったが、『教訓抄』から分かることが少なすぎて、これ以上は無理なのだろう。音楽にはメリハリがあって、佐藤先生のコメントの意味がよく分かった。
芝祐靖さん、プログラムの寄稿に「雅楽演奏を生業として二十年ほど経ったころ、単調極まりない雅楽の堅苦しさにすっかりくたびれて、何かもっと楽しい雅楽はないものかと思い続けていました」って、書いちゃう率直さが好きだなー。
終演後、5時の部につきあってくれた友人と、丸の内の沖縄料理「うりずん」で夕食。2月に沖縄で行ったお店の東京店である。