goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
【はてなブログサービスへ移行準備中】

天平の仮面劇/特別企画公演・伎楽(国立劇場)

2012-06-04 00:37:45 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 第34回特別企画公演『伎楽-日本伝来1400年』(2012年6月2日)

・午後2時開演「薬師寺の玄奘三蔵会-伎楽法要-」

 伎楽は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、寺院の法会でさかんに上演された芸能である。正倉院や法隆寺の宝物の中には、奇ッ怪で滑稽な「伎楽面」が多数伝わっている。しかし、平安時代を経て鎌倉時代になると、次第に上演されなくなってしまった。それを、1980年代以降、関西の大きな寺院で、復興の試みが行われてきたことは聞いていたが、東京では、なかなか実際に見聞する機会がなかった。

 今回の公演は二部構成。2時の部は、幕が開くと、舞台は薬師寺玄奘三蔵院の前庭という設定になっている。薬師寺管主(住職)の山田法胤氏が登場し、玄奘三蔵会の由来について、お話になった。

 玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たる。昭和17年(1942)に南京で玄奘三蔵のご頂骨が発見され、その7分の1が、蒋介石の判断で(とおっしゃっていた)日本にもたらされた。当初、埼玉県の慈恩寺に奉安されたが、昭和56年(1981)に、玄奘三蔵と縁の深い薬師寺に分骨された。毎年5月5日に玄奘三蔵会を開催することになり、昭和55年(1980)東大寺大仏殿昭和大修理の落慶法要のため復元された伎楽が演じられることになった。

 お話のあと、客席後方の扉が開き、楽の音とともに、奏者・演者・僧侶が二列になって登場し、舞台にあがった。奏者・演者は退出。しばらく舞台上は僧侶のみになり、法要が始まる。薬師寺のお坊さんは、みんな声がいいなあ、と感心する。詞章は舞台左右の電子掲示板に映し出されていたが、現代の一般的な音読みで、特に変わった読み方はしていなかった。最後は、久しぶりに見た大般若転読と般若心経。

 休憩のあとが、新伎楽「三蔵法師求法の旅」。玄奘三蔵院の前に作られた(欄干で仕切られた)四角形が舞台だが、けっこう自由に舞台をはみ出しても演じる。舞台の上手に、講釈師みたいにお坊さんが座して物語を読む。「玄奘は聡明なる児童にして、幼くして仏門に入りたり」みたいな、平易な文語調。

 舞台下手には演奏者(立ったまま)。5時の部の解説によれば、笛(龍笛)×2人、三ノ鼓(さんのつづみ。腰に下げ、撥で打つ)、腰鼓(ようこ。同じく腰に下げる)×3人、銅拍子(小型のシンバル)、銅鑼、という構成である。

 演者は頭巾で頭頂から後頭部をすっぽり覆い、髪の毛が完全に見えないようにした上に仮面をかぶる。ただし、この新作伎楽では、主人公の玄奘三蔵だけは素面(仮面なし)で演じる。今回は狂言師の茂山良暢氏だったが、薬師寺の法会では、毎年、歌舞伎や芸能界のスターをゲストに招いているようだ。商売うまいなー薬師寺。でも頭巾姿で仮面なしだと、ニンジャみたいで、ちょっと笑ってしまう。

 これも、あとで5時の部を見て分かったことだが、新作伎楽は復元伎楽の面(登場人物)と所作を巧く再利用して作られている。それにしても、いろいろツッコミたいところがあって、面白かった。高昌国の王様、尊大に構えすぎじゃないか? 確か『玄奘三蔵絵』では、逆に玄奘を礼拝してたぞ、とか。

 玄奘は、めでたく唐に経巻を持ち帰って、皇帝に拝謁する。その玄奘に師事して法相教学を学び、日本に伝えたのが道昭である。最後に講釈師の坊さんが、ひときわ声を張り上げ「薬師寺は玄奘の学を伝える寺なり~」みたいなことを言って、幕。

・午後5時開演「伎楽-幻の天平芸能を知る-」

 幕が開くと、玄奘三蔵堂はなく、欄干に囲まれた四角い舞台と、背景には、中央の開いた寺院の塀が残されている。天理大学教授の佐藤浩司先生が背広姿で登場、伎楽の基礎知識について語る。関西人らしく、親しみやすい語り口で、伎楽は雅楽に押されて、宮中では次第に廃れたこと、しかし、獅子舞、天狗など、日本各地の芸能に姿を変えて受け継がれたことなど、興味深かった。

 「雅楽」に対する「伎楽」は、「能楽」に対する「狂言」みたいなもの、というのも分かりやすかった。5時の部は、興福寺の雅楽家狛近真(こまのちかざね、1177-1242)が撰述した楽書『教訓抄』の記述をもとに復元した伎楽を楽しむ。同書には、わずかながら、伎楽の演じ方についての記述が見られるのだという。

 楽曲の復元に努めたのは、演奏家の芝祐靖氏。平安・鎌倉時代の伎楽譜をいろいろ見たが、唐楽の影響を受けていて使えなかったので、結局、伎楽面の個性にマッチした旋律とリズムを作ることにしたという。これが、非常に平易で、覚えやすく忘れにくい、さすが天才、と佐藤先生はベタ褒めされていたが、聞いてみて、確かにそのとおりだと思った。

 5時の部も「行道」から始まった。伎楽は行道(パレード)に始まり行道に終わる仮面劇なのだそうだ。先頭(下手側)を歩くのが治道(じどう)。長い鼻の持ち主で、天狗や猿田彦を思わせる。コイツは、そのあとの演目に登場せず、行道だけが役割である。以下、佐藤先生から、楽器のひとつひとつ、登場人物の性格について解説があった。

 そして、いったん全ての演者が引っ込んだあと、公演が始まった。復元伎楽は、語りなし、音楽だけの無言劇である。プログラムの演目は、行道に続き、獅子、崑崙、呉公、金剛・力士、婆羅門、迦楼羅、太孤、酔胡という並びになっていたが、これらの演目が一続きで演じられた。5時の部は、お話とあわせて1時間程度で、もうちょっと長くてもいいのに、と思ったが、『教訓抄』から分かることが少なすぎて、これ以上は無理なのだろう。音楽にはメリハリがあって、佐藤先生のコメントの意味がよく分かった。

 芝祐靖さん、プログラムの寄稿に「雅楽演奏を生業として二十年ほど経ったころ、単調極まりない雅楽の堅苦しさにすっかりくたびれて、何かもっと楽しい雅楽はないものかと思い続けていました」って、書いちゃう率直さが好きだなー。

 終演後、5時の部につきあってくれた友人と、丸の内の沖縄料理「うりずん」で夕食。2月に沖縄で行ったお店の東京店である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清正スーパー伝奇/文楽・八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)

2012-05-12 22:59:46 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 5月文楽公演『八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)』『契情倭荘子(けいせいやまとぞうし)』(2012年5月12日)

 『八陣守護城』は全く知らない演目で、期待していなかったのだが、めちゃくちゃ面白かった。文化4年(1807)初演。中村魚眼(魚岸)、佐川藤太の合作による全十一段の時代物だという。この二人の作者の名前も初めて聞く。文楽では、2008年に国立文楽劇場(大阪)で、歌舞伎では、2011年初春に松竹座で上演されているが、国立劇場では昭和54年(1979)9月以来の上演。そうだよね、私、記憶にないもの。

 ポスターを見て、加藤清正の話らしいということは分かったが、ほかには一切、予備知識を仕入れる余裕なく、舞台の幕が上がってしまった。舞台は京都。小田家の若君・春若が将軍宣下の勅使を迎えることになり、その準備をととのえる加藤正清と森三左衛門。…加藤正清が加藤清正なのは分かる。小田家の若君は、織田ではなくて、豊臣秀頼のことか。で、森三左衛門って誰?(→姫路藩主として知られる池田三左衛門=池田輝政らしい)

 歌舞伎や文楽で、実在の武将の名前を少し変えて登場させるのは、よくあることだが、さらに実在の(もっと古い時代の)武将の名前に置き換えたキャラが混じっているので、ややこしい。北条時政を名乗って登場するのは、どうやら徳川家康のようだ。しかも、この時政、情のある大ボスかと思ったら、一転、とんでもない奸物だったことが分かる。古典芸能にしては、ええ~というくらい展開がスピーディで、意外性に富む。ま、今回は四段目と八段目の上演で、中抜きをしているからスピーディに感じるところもあるのだろうけど。

 若い男女の初々しい恋、横恋慕する邪魔者。大奸物の野望と、それを阻む忠義の臣。親子の情と君臣の忠義の葛藤。文楽にはめずらしい忍びの者(すぐやられていた)。妖術で登場する鼠、七星剣の霊験(今ならCGを使うところ)。大海原を行く船を、横→正面に向ける大胆な演出。最後は高楼(熊本城の天守閣か)で哄笑する清正公。とにかく見どころ豊富で飽きない。面白い!

 そうか、そもそも史実の加藤清正って、帰国途中の船内で発病し、熊本で死去したのか。そこを逆手にとって、こういう面白いフィクションを組み上げてしまうのだから、江戸時代の脚本ライターの発想力はすごい。公演パンフレットの解説によると、三段目には「日本征服を目論む南天竺の道士との戦い」もあるのだそうだ。うまく脚色したら、大河ドラマとはいわないが、BS時代劇くらいのネタになるんじゃないだろうか。

 5月公演、本当は重鎮の揃う午後の部(傾城反魂香・艶容女舞衣・壇浦兜軍記)が見たかったのである。最近、人気の演目は全くチケットが取れないので、とうとう「あぜくら会」に入会することにした。これで先行チケットが取れる、と思っていたら、週末の午後の部は、あっという間に完売。ああ、住大夫さんも源大夫さんも、久しく聴いてないなー(涙)。しぶしぶ、午前の部を取ったら、こんな面白い演目に当たってラッキーだった。玉女さんとか、まだお若いと思っていたが、ずいぶん頭髪が白くなられたなあ。でも、大夫さんも三味線も人形も次世代がちゃんと育ってきてることが感じられて、たのもしかった。

 折しも、大阪市から財団法人文楽協会への補助金カット問題、およびこれに反対する著名人のメッセージが話題になっている。産経ニュースの記事に「実は文楽、東京の国立劇場公演では22年度実績で8割の入りと、人気が高い。地元では厳しい状況ですが、振興してないとはいい難いです」という一文を見つけた。全くそのとおりで、東京の文楽ファンの実感では、こんなにチケットが取りにくい状況で、「なぜお客が来ないのか」を問われるのは、狐につままれた感がある。

 公演終了後、伝統芸能情報館に立ち寄って、企画展示『琉球王朝の華「組踊と琉球舞踊」~国立劇場おきなわ収蔵資料を中心に~』(2012年2月4日~5月28日)を見てきた(入場無料)。まさに、テンペストの世界! 悲しいほどに美しい色彩。演奏者の正装は、黒朝(クルチョウ/黒い薄手の着物)とハチマチで、琉球国の官人と同じなんだ。古典舞踊を大成した踊奉行の玉城朝薫(1684-1734)という人物がいたことも知る。ああ、組踊、見てみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮内庁楽部・舞楽公演『蘇合香』『納曾利』『仁和楽』(国立劇場)

2012-03-03 23:05:48 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 舞楽公演『蘇合香(そこう)』『納曾利(なそり)』『仁和楽(にんならく)』(2012年2月25日)

 昨年(2011年)の「前篇」(序一ノ帖・三ノ帖・四ノ帖・五ノ帖)に続く、破一帖、急三帖の「後篇」。このところ仕事が忙しくて、すっかり忘れていて、公演の5日ほど前に国立劇場のサイトを見たときは、まさかもうチケットは残っていないだろう、と思った。そうしたら、3階の最後列に残席があったので、思い切って取った。

 昨年も3階席だったが、そんなに舞台が遠い感じはしなかった。六人舞のフォーメーションと、特徴的な冠(菖蒲甲)が前後左右に揺れる様がよく分かって面白かった。高い天空から見下ろす神様の視点みたいである。天井に近いせいか(?)音響もよかったように思う。昨年、退屈した記憶があったので、今年も覚悟していたが、やっぱり40分の後半は目を閉じてしまった。

 今年は、本公演の前に、昨年の映像公演(一般:500円)をやっていたそうで、ありがたい配慮だと思うが、この大曲を一気に聴き通すのって、かなり体力が要ると思う。

 目で楽しめたのは『納曾利』。高麗楽、壱越調、二人舞。楽曲のことは全く分からないのだが、唐楽、盤渉調の『蘇合香』の印象が残っているうちに、この曲を聴くと、ああ違うなあ、ということだけは感じる。雌雄の龍が遊び戯れる様を描くというが、舞人の出で立ちが可愛い。どんぐり眼がゆらゆら動く面、童話の赤ずきんちゃんみたいに角の立った頭巾(牟子)、エプロンみたいな毛縁(けべり)の裲襠(りょうとう)。雌雄というより、二匹の龍の子どもが無邪気に遊んでいるように見える。向かい合わせになったり、対照的な動きを見せたり、小さく身をかがめたり、舞楽にしては動きが多様なので、見ていて楽しかった。そういえば、この曲、初めて見たのは辰年(12年前?)の正月のテレビ放送だったような気がする…。

 最後は『仁和楽』。高麗楽、壱越調、四人舞。仁和年間(885-89)に光孝天皇の勅を奉じ、百済貞雄という楽人が作ったのという。「日本で初めて作曲、作舞された高麗楽形式の楽曲」と書いてあるサイトもあったが、作曲者は百済姓だから、渡来人系なんだろうな。衣装は右方襲装束(うほうかさねしょうぞく)と呼ばれる形式で、鳥甲を被る。白と緑の対比が清々しく、個人的には、いちばん舞楽らしい装束だと思う。動きは、ゆったりして端正。最後はちょっと眠くなった。鼉太鼓(だだいこ)と大鉦鼓の掛け合いのリズムが気持ちよすぎて、夢心地になるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳宗悦展(そごう美術館)+対談・民藝の本質(山下裕二、尾久彰三)

2011-11-29 21:46:32 | 行ったもの2(講演・公演)
そごう美術館 山下裕二、尾久彰三『対談・民藝の本質』(2011年11月27日)

 没後50年・日本民藝館開館75周年を記念する『柳宗悦展-暮らしへの眼差し』。9月の東京展を見逃した!と思っていたら、引き続き、横浜展(2011年10月22日~12月4日)がそごう美術館で始まって、びっくりした。すぐに行きたかったのだが、このイベントを待って出かけた。何しろ、昨年の『観じる民藝』展では、展示品の酒杯やお銚子を使って、破天荒なトークショーを展開してくれた尾久さんなので。

 今年は、さすがに柳先生(と尾久さんはお呼びになる)に敬意を表してか、法事に行くような黒の背広で登場。パワーポイントで、柳宗悦の生涯を紹介する写真と、本展に出品されている日本民藝館コレクションの優品の写真を見ながら、主に山下先生が質問し、尾久さんが答えるかたちで進行した。

 尾久さん(1947年生)は、柳宗悦(1889-1961)に会った記憶はないという。ただ、幼稚園の頃、おめかしをして、当時まだ珍しかった自動車に乗せられたことがあり、あのときの人が柳先生だったのかもしれない…と話してくださった。尾久少年と「民藝」のかかわりについては、著書の『観じる民藝』で。

 柳宗悦(むねよし/そうえつ)は東京に生まれ、学習院高等科に学び、大学在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加する。日本の学校教育では、なぜか「国文学史」だけがカリキュラム化されているため、多くの日本人は「白樺」を文学雑誌として記憶しているのではないか。だが、実際は、"文芸思潮"全般(美術・文学・演劇など)に広い影響を持ったことが、けっこう見逃されているように思う。

 トークでは、柳をめぐる微妙な人間関係もずいぶん話題になった。朝鮮民族美術館や茶の湯をめぐる浅川伯教との「わだかまり」とか。柳は「血脈でつなぐ」という茶道の制度が嫌いだった、とか。それにしては、この会場にも柳宗理(むねみち、1915-)(宗悦の長男)コーナーなんてのがあるよね。あれ、よくないんじゃないの…なんて、そごう美術館の学芸員さんを尻目に、ちょっと意地悪な会話も交わされた。

 河井寛次郎(1890-1966)について、最晩年の作品がとてもいい、という話になったとき、尾久さんが「柳先生の呪縛が解けて…」と口にすると、山下先生がキラリと目を光らせるように「呪縛、と言っちゃいますか」と切り込んだ。やっぱり柳宗悦は、常人でない才能とエネルギーの持ち主だったんだろうなあ。最後の質疑でも、青年時代はデューラーやブレイクに関心を持っていたのに、その後は西洋美術にほとんどコミットしなかったのは何故?という客席からの質問に対し、時間がなかったんですよ、と(尾久さんが?)答えていた。柳は、誰も気づかなかったところに次々と「美」を発見し、猪突猛進で道を切り開いた。全て新しい仕事ばかりだった、という。うむ、本当にそうだな、と思った。

 そして、日用雑器の全てが美しいのではなくて、死屍累々たる工芸品の中から、「柳の眼」が選び出したごくわずかな上澄みが「民藝」なのだということも、少し分かるようになってきた。現代日本に定着した"民芸○○"のゆるい用法にもかかわらず、「民藝」って、骨董よりもずっと厳しい世界なのではないかと思う。尾久さんの〆めのキーワードは、前回と同じく「霊性」だったが、骨董に霊性って似つかわしくないし。

 朝鮮の美術品に関して、戦後、日本民藝館にも、朝鮮半島への返還を迫る人物が訪ねてきたことがあるそうだ。そのとき、正面の大階段を下りてきた柳宗悦は、これらの収蔵品を自分以上に愛せるというなら返そう、と一喝したという。ちょっと胸のすく話である。

 そっと書いておくけど、靴墨を塗って色味を変えた壺の話とか、これは買ったときは○○万円だったけど、今なら○○万円とか(上がったものあり、下がったものあり)、市場の裏話も面白かった。木喰仏は、あまりいいと思ったことがなかったが「民藝」の中に入るといいなあ。いや「柳の眼」で選ばれた木喰仏だからこそ、いいのかもしれない。

 対談を聴き終わって、展示会場を見てまわった。ほとんど日本民藝館で旧知の品だったが、ぐるりと四方をまわるような鑑賞をしたことがないものも多くて、あらためて楽しめた。あと、大きな展示ケースに、服飾、陶器、金属工芸、漆器工芸など、ノンジャンルの品々を並べたところも、色や形の美しさがストレートに伝わってくるようで面白かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対談・民衆革命の実状と未来(酒井啓子、吉見俊哉)

2011-11-28 01:18:24 | 行ったもの2(講演・公演)
ジュンク堂書店新宿店トークセッション 酒井啓子×吉見俊哉『民衆革命の実状と未来』(2011年11月25日)

 酒井啓子さんの著書『〈アラブ大変動〉を読む-民衆革命のゆくえ』(東京外国語大学出版会)の刊行記念イベント。外語大の図書館に勤める友人から情報をいただいた。感謝。

 中東政治を専門とされる酒井啓子さんのお名前は、イラク戦争以降、何度もメディアで拝見する機会があり、著書もずいぶん横目で見てきたのだが、中東って、よくわかんないんだよなーという引け目があって(地図を見ても国名を言い当てる自信さえない)なかなか手に取ることができなかった。それが今回、メディア研究、文化研究など、私にとっては比較的なじみのあるの吉見俊哉氏との対談ということで、少し不思議な組み合わせだと思った。そうしたら冒頭に、おふたりが見田宗介ゼミの先輩後輩だという話があった。へえー。酒井さんが社会学の見田宗介ゼミ出身というのは、かなり意外。

 そして、酒井さんが、2010年の年末から2011年の春にかけて、連鎖的に起きたアラブ世界の政治変動(まだ続いている?)を論じた新著について、先輩・吉見俊哉氏の感想を聴きたいとラブコールをおくったところから、この対談が実現した、という裏話をまず聞く。

 これに対し、吉見氏は、中東のことを全く知らない自分が読んでも非常に面白かったと述べ、遠いと思っていた中東とわれわれ日本の社会が「思いのほか似ている」と感じた点として、携帯やインターネットの普及、アメリカの影、の2つを指摘した。

 前者(アラブ大変動を引き起こしたネットメディアやソーシャルメディアの力)については、酒井さんから時系列順に整理したレビューがあって、ありがたかった。あらためて反省したのだが、3月11日の大震災以降、私の関心はすっかり「国内向き」になっていたと思う。酒井さん曰く、中東諸国において、これまでカメラは権力による監視、懲罰、恐怖を誘うものだったはずなのに、どこかでカメラの意味が反転し、人々は自分の行動が世界中から「見られている」ことに力を得て、行動するようになった。大集会の様子や独裁政権批判の歌が、どんどんYouTubeなどで発信されているそうだ。

 一方で、中東の人々は、非暴力的な民主革命なら「見ている」欧米諸国に受け入れられるということを、強く意識して行動しているフシがある。かように、中東におけるアメリカの政治的・文化的プレゼンスは大きいのであり、このことは日本と共通する。ただし、日本の社会意識は一貫して「親米7割」であるけれど、コーラを飲むよりお茶を好む人のほうが多かったり、さほど英語に固執していなかったりする。基本的な生活様式は、むしろ中東人のほうがずっとアメリカ寄りらしい。

 なぜ日本は、アメリカに対してもっと自己主張をしないのか、というのは、中東の人々が不思議に感じている点だという。これに対し、吉見氏は、戦後の日本では(沖縄を例外として)アメリカの暴力性が見えなかったこと、東アジア地域における「帝国」的な地位を、戦後もアメリカの後ろ盾によって、ある程度維持することができたこと、だから、アメリカに対してものをいう必要はなかったのではないか、という説明をされた。酒井さんが、ああそうか、日本は東アジアのイスラエルなのね、と(正確ではないけれど、そんな表現で)応じたのが印象的だった。

 日本でも1950-60年代には反基地闘争というものがあった。しかし、反基地闘争は反"岸"闘争に変質し、岸信介首相の退陣は実現させたが、そのあとは何も変わらなかった。エジプトにおいても、反米は反ムバラク運動に変わり、独裁政権は崩壊したが、その先は見えていない。そもそもこうした国の独裁政権は、民族解放の闘士だったはずなのに…とか、この偶然だか必然だかよく分からない、歴史の「ねじれ」って複雑だなあと思ってしまう。

 あと、吉見先生からの提言。酒井さんの著書は、そこに掲載されているFacebookやYoutubeのサイトを実際に訪ねてみることで、より深く理解できる。しかし、いつまでそれが可能であるか。図書館や文書館が、紙に書かれた記憶の収集と保存に責任を果たしたように、「デジタルでパブリックな記憶」を維持していくことは、非常に重要な課題である。たぶん吉見先生がコメンテーターをつとめる『デジタル化時代における知識基盤の構築と人文学の役割-デジタル・ヒューマニティーズを手がかりとして-』(11月29日)は、そのへんの問題も扱うんだろうな、と思い、来週のシンポが一気に聴きたくなった。

 酒井啓子さんの中東論というのが、中東のことをよく知らなくても共感できるものだということは分かったので、いずれ著書は読んでみたいと思う。ただ、本書は編著(アンソロジー)なので、まだちょっと迷っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィギュアスケート《カーニバル・オン・アイス2011》

2011-10-03 00:28:58 | 行ったもの2(講演・公演)
Carnival on Ice 2011(カーニバルオンアイス)(2011年10月1日、19:00~)

 さいたまスーパーアリーナで開催された「カーニバルオンアイス」を見てきた。7月初めに公開されたJO/CaOIのホームページにプルシェンコの名前があったのが、最大の理由。即座にチケットを取ろうとして、がーん、10月1日(土)は出勤だわ…と思い当たる。しかし、冷静に考えてみたら、昼のジャパンオープンは無理でも、夜のカーニバルオンアイスだけなら、仕事帰りになんとか間に合う。その時点で決まっていた出演者を見ても、カーニバルオンアイスのほうにだけ、エリザベータ・トクタムシュワちゃんがいたり、羽生結弦くんがいたりして、個人的にお得感がある、と思った(結果的には2人ともJOにも出演したのだが)。

 昨年はJOメイン+CaOIおまけの気持ちだったので、安めの席に抑えたが、今回は思い切って、SS席20,000円を購入。まあ上質なオペラ公演(最近見ていないが)などを考えると、そんなに高くないと思う。やっぱり(初心者は)見やすい席を取ったほうがよい。今回はジャッジ側で、選手の入場口に近かったので、入退場時の選手の表情がよく見えて、気分が昂揚した。

 プルシェンコは直前にOUTしてしまったが、それでも出演者が、てんこ盛りに多くて豪華。最初に登場したのは、直前に出場の決まった庄司理紗ちゃん。大人っぽい黒の衣装だったが、品がよくてかわいい。期待。いきなり2人目が羽生結弦。おおお「ロミオ」だ! 動画で競技プロを見ていたが、EXバージョンは、照明の効果もあってドラマチック感が倍増。でも、もう少し体調を整えて、丁寧に滑るところが見てみたい。3人目はトゥクタミシェワちゃん。蛍光色の赤の衣装。手の動きが美しくて、14歳にして、既に妖艶。途中を飛ばして、ガチンスキーは上下黒の衣装。このショーは、比較的、地味でシンプルな衣装の選手が多かったように思う(特に男子)。初めて見る高橋成美&マーヴィン・トランもよかった。Wikiを読んだら、ものすごくトランスナショナルな背景を持つペアで面白い。応援しよう。

 荒川静香も高橋大輔も第1部に登場してしまい、すでに十分な満腹感(満足感)だったが、でもまだ○○も出てないし、××もいるし、と出演者を思い返してみて、呆れる。第2部には、バトル、レオノワ、アモディオ、小塚崇彦などが登場。小塚よかったなー。そして、パトリック・チャン。今年4月の世界選手権の映像で魅せられて、うわーこのひと、ナマで見たい、と思ったのが、こんなに早く実現するとは。とんだり跳ねたりしなくても、ただツーと滑っていくのを見ているだけで、爽快感があるのだ。

 トリの安藤美姫は、激しい「ブラック・スワン」のあと、アンコールで「千の風」をフルバージョンのサービス。そして、フィナーレ、おまけのジャンプ大会、一芸大会は、楽しかったけど、目まぐるしく入れ替わって選手が登場するので、どこを見ていいか、泡を食ってしまった。というわけで、だんだん若い選手の魅力を発見することが多くなってきた。あと、ペアとかアイスダンスも面白い。今シーズンも、楽しみ、楽しみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

板橋区立美術館・粉本と写生(榊原悟)

2011-09-20 23:10:57 | 行ったもの2(講演・公演)
板橋区立美術館 『実況中継EDO』記念講演会「楽しい江戸絵」(講師:榊原悟)(2011年9月19日、14:00~15:30)

 展覧会『実況中継EDO』にあわせた連続講演会の1回目。榊原先生の講演は、2008年にも一度、同じ板橋区立美術館で聴いて面白かったので、ぜひまた聴きたいと思い、出かけた。

 今回は、展覧会のテーマが「江戸期の写生」であるのに対し、むしろ「粉本」(模本、お手本)を大事にした狩野派の絵画学習の立場から、「写生」の功罪を考えてみようという趣旨。

 狩野派の絵画学習の実態は、橋本雅邦の懐古談「木挽町画所」(国華3号)に詳しい。その「臨写の階梯」は、以下のようにまとめられる。七八歳で入門し、(1)瓜、茄子など「簡単ノ形状」を描く→(2)養川院惟信が初学者用に編纂した花鳥山水人物3巻36枚→(3)常信の山水人物5巻60枚:画所には3セット備付→(4)常信の花鳥12枚→(5)一枚もの:常信の福禄寿、雪舟の一幅もの等、和漢大家の名画。最後は探幽の聖賢障子(原文ママ)→卒業:師匠の一字を拝領して、郷里に帰り、一家を成す。

 ※この項、榊原先生のレジュメを丸写しするようで申し訳ないと思ったが、Google booksで、榊原先生の『日本絵画の見方』(角川選書、2004)の中身を一部見ることができ、ちょうど該当箇所が公開されているので、再録させていただいた。ご容赦を。

 面白かったのは、(5)の段階に進むと、師匠の制作を手伝いながら、彩色を学ぶという話。「形態を描く」ことに関しては、これほどがっちりプログラムが組まれているのに、彩色はオン・ザ・ジョブ・トレーニングで、習うより慣れろなんだなあ。いまのマンガプロダクションの分業体制にも似ている。じゃあ、狩野派や土佐派の画家について、色が云々という批評は、あまり意味がないということか。

 狩野安信の著作『画道要訣』には「画に質あり学あり」という記述があるそうだ。「質画」とは天性の素質、一方、「学画」とは「習ひ学びて其道を勤めて其術を得たる」ことだという。なかなか含蓄が深い。それから、一字拝領に至った弟子の誓約書の中で、具体的に、絵本(粉本)をみだりに他人に貸したり見せたりしないことや、廃業の際は絵本を返却することが定められているのも面白いと思った。

 今日でも能狂言や歌舞伎などの舞台芸能では、「型」の伝承が基本であり、「型」を失わないために、いろいろと独特のルールが設けられている。そもそも(江戸時代の)絵画を、芸能と別物と考えるのがおかしい、と榊原先生。

 半世紀くらい前まで、美術史家には「絵師は写生する」という刷り込み(!)があった。そのため、実際は粉本に基づく学習成果であるものを、写生と見誤るケースも多かった。ということで、さまざまな実例をスライドで紹介。一見、身近な動植物の生態観察に基づくような博物画も、実は粉本の丸写しであることを示す。これは、70~80年代の荒俣宏さんの西洋博物画の研究でも言及されていたこと。考えてみれば、デジカメも複写機もない時代なのだから、「模写」による情報収集が担った役割は、重大なのだ。

 サントリー本で有名な『桐鳳凰図屏風』には、実に多くの類似品があり、「コピー商品をよしとする土壌があり、絵師はそれに従った」という説明があった。いや、現代の消費者だって、いつも「オンリーワン」の商品が欲しいわけではない。他人の持っているスカーフや食器やベッドカバーの柄がいいなと思えば、同じものを求めるのは、普通の消費行動である。工業複製品が大量に存在する時代に生きていると、オンリーワンが特別に感じるけど、近代以前はむしろ「コピー商品」を入手する喜びこそ、特別であったのではないかと思う。

 『高雄観楓図屏風』に見る「胸をはだけて乳を飲ませる女」や、「井戸端で足踏み洗濯する女」の類例を、古い絵画資料に遡って探してみる話も面白かった。かなり古い時代から、図像の模倣や継承が認められることも分かった。ああいう先例探しは、自分でもやってみたい。そのためには、より多数・多様な絵画資料が、誰でも簡単にアクセス可能になってくれるといいな、と思う。

 展覧会の感想は、稿をあらためて。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスショー"Fantasy on Ice 2011 新潟"

2011-09-07 23:36:33 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2011 in Niigata(2011年9月3日、18:30~)

 あまり得意分野ではないので、こっそり書いておく。昨年、バンクーバーオリンピックの余波で、フィギュアスケートって面白いじゃん、と思うようになり、とうとう人生初のアイスショー観戦(鑑賞?)に出かけてしまったのが「FaOI(Fantasy on Ice 2010)in Niigata」だった。S席1,4000円+1泊ホテル代+東京からの往復交通費って、我ながら、正気?と思ったけど、行ってみたら、全然損ではなかった。

 で、今年も注目していたのだが、6月の金沢は都合がつかず、7月の福岡はさすがに遠いな~と思って遠慮した。新潟公演は、なかなか出演者が発表にならなかったので、サイトをチェックしながら様子をうかがっていた。8月初め、ガチンスキーとトゥクタミシェワ(リーザちゃん)がINしたところで、覚悟を決めて、初日夜公演のチケットを購入。まさかの高橋大輔の出演は、そのあと発表になった。高橋選手のファンは多いので、職場で話題にしたら、羨ましがられるだろうなあと思ったが、私自身はあまり関心がない。

 日本人スケーターで、いちばん見たかったのは羽生結弦くん。昨年7月のFaOI新潟でファンになったあと、昨シーズンは大活躍が嬉しかった。今年は黒のタンクトップで登場、曲は「Vertigo」。遠目にも、体つきや雰囲気が、ちょっと大人っぽくなった感じがした。町田樹くんは、ランビエール振り付けの「ドンキホーテ」。端正で、王子様っぽくて、なかなかいい。今シーズンは注目しよう。

 ランビエール、ジョニー・ウィアが2プロずつ見られたのは嬉しかった。この二人は、ほんとに大好きだ。楽しいプロからシリアスなプロまで、持ちプロの幅が広くて、だけど何を滑ってもゆるぎない個性を感じさせる。私は、競技会よりショーに興奮する性質で、決められた演技をきっちりこなして金メダルをとる選手よりも、我が道を行くスケーターに魅力を感じる。エアリアルやアクロバットやフープなど、一種の際物芸で会場を沸かせるスケーターも、同じ理由で好きだ。

 安藤美姫、荒川静香は、ともに東日本大震災を意識した、しっとりしたプロで、じんわり涙腺にきてしまった。特に安藤さんは、昨年からずっといいなあ。アクロバットやフープに大笑いし、アントニオ・ナハロ氏振付のフラメンコダンスから、同じナハロ氏振付のジェレミー・アボットの演技に移行する流れにうっとりして、あっという間に終演。「夢のよう」とは、こういうときに言うのだな。フィナーレは、観客総立ち。出演者はみんな笑顔で、一芸披露にはじけまくっていたように感じたが、他の人のレポートを読んだら、やっぱり二日目(千秋楽)のほうが、一層盛り上がったみたいだ。来年も新潟公演があったら(あるといいな)2公演行っちゃいたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅さに耐える/西大寺の声明(国立劇場)

2011-06-12 20:57:12 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 6月声明公演『真言律宗総本山 奈良 西大寺の声明』(2011年6月11日)

 久しぶりに国立劇場で声明公演があると知って、チケットを取ろうと決めていた。今回の公演は、毎年10月2~5日に西大寺で行われている「光明真言土砂加持大法会(こうみょうしんごんどしゃかじだいほうえ)」。真言の王者とも言われる光明真言を誦して土砂(砂)を加持し、その砂を亡者の遺骸(墓)に撒いて、迷える亡魂を極楽に導くためのものだそうだ。西大寺では文永2年(1265)に初めて修せられた記録があるとのこと。

 さて、プログラムは、

・午後1時の部:門徒規式、お話、開白・総番の作法(入堂~前讃~綱維問訊~光明真言行道~導師交替)

・午後4時の部:お話、総番・結願の作法(入堂~綱維問訊~光明真言行道~後讃~至心回向~退堂)

 両方聴きたいのはやまやまだが、セット券7,300円(各4,000円)は、ちょっとお高い。内容は分からないが、結願のほうが盛り上がりそうだと当たりをつけ、午後4時の部に友人を誘っていくことにした。そうしたら、直前になって、別の友人から、関係者ルートで格安チケットが入手できるというお誘いを受け、結局、第1部も聴きにいくことになった。

■第1部(午後1時の部)

 静かに幕が上がると、舞台上手には書見台を前にした老僧。下手には5、6人の僧侶。中央に掲げられた僧侶の肖像は、興正菩薩(叡尊)であろう、と想像する。老僧は、ぼそぼそした声で、何やら規則らしい漢文を読んでいく。いつ声明が始まるかと思っていたが、取り立てて音楽らしいものもなく、終了。幕が下りた。

 老僧が幕前に登場し、西大寺の歴史と光明真言について、しばらく語る。光明真言は、死者を回向するためのものだというお話だった。この日、舞台の上手隅には「東日本大震災犠牲者之霊」と書かれた卒塔婆が、静かなスポットライトを浴びて立てられていた。

 引き続き、幕が上がると、叡尊の肖像は片づけられ、中央には、舎利塔と密教法具を並べた壇。入堂した導師は、われわれ客席のほうを向いて座る。左右には、それぞれ10人ほどの僧侶が前後2列になって座る。いずれも黄土色の衣に同色の袈裟。入堂の際に雅楽が奏されたので、よく見ると、舞台の奥に楽師たちが並んで腰を下ろしている。

 それから、過去帳(読まない。卓上に置いた巻子をくるくると巻き進める間、真言らしきものを唱え続ける)、唱礼、前讃、光明真言と続くのだが、僧侶たちは座ったままで、ほとんど身体を動かさないし、鳴りものはないし、旋律は平板だし、正直いうと眠かった。これに比べると、東大寺の修二会の声明って「野蛮」なくらい派手だと思った。

 休憩のあと、後半へ。楽奏、振鈴のあと、少し変化のある真言(らしきもの)が始まる。ふと、上手後列のいちばん奥から、若い痩身の僧侶が立ちあがる。ひとりだけ灰色の衣と白い袈裟をまとい、異国人のように鼻筋の通った相貌で、はじめから目立っていた僧侶である。彼(綱維/こうい)は、上手前列いちばん手前の大柄な僧侶(一臈)の前に進み出ると、ぴたりと足を止める。そのまま、姿勢を固めたと思いきや、少し背中を丸めたような気がする。気のせいか、と思っていると、じりじりと姿勢が低くなっていく。やがて膝をつき、なおもじりじりと頭を下げて、ついに額を床につける。ほかの僧侶たちは、光明真言の一音一音を、これ以上ないほどゆっくり引き延ばしながら、唱え続ける。

 やがて、綱維役の僧侶の頭が上がり始める。先ほどの動きの逆再生のように、ゆっくりその身体が起きてゆく。その間、15分ほど。俗に「提灯たたみ」とも呼ばれるそうだ。この超スローモーション拝礼は、家に帰って、真似してみようと思ったが、インナーマッスルを鍛えていないと無理。

 続いて、式衆全員が立ち上がり、堂内を歩きめぐる光明真言行道。しかし、相変わらずゆっくりである。東大寺の修二会の行法には、仏の時間に追いつくために必死で走る「走りの行法」があるけれど、西大寺のこの加持修法では、逆にゆっくり進む時間に徹底して耐えることが要求されている気がする。現代生活との激しいズレに、はじめは悲鳴をあげそうになったが、だんだん性根が座ってきた。今や万能の「遅い」というクレームが、クレームとして成り立たない世界。こんな世界もあっていいのだ。第1部終了。

■第2部(午後4時の部)

 はじめに、第1部とは別のお坊さんから、光明真言土砂加持大法会についての法話。さきほどの「綱維問訊」が死と再生をあらわすという説などを聴く。幕が開くと、過去帳~綱維問訊~光明真言行道は、第1部をダイジェストで繰り返す感じだった。第2部は、前から3列目の中央付近という好ポジションだったので、所作もよく見え、声明もよく聴こえて、眠くならなかった。

 休憩のあとは、過去帳読(読み下し)、後讃は、独特な漢語読み(一切善生主=イッセイセンセイシュウ、とか読む)、真言、回向と続き、式衆が立ち上がって、その場で散華を撒く。立て膝をついた姿勢で和讃。それから舎利礼では、導師(?)が「一心(イッシン)!」と呼びかけると、全員が「頂命(チョウライ)!」と返すことを繰り返すなど、後半は変化があって面白かった。思ったとおり、結願は盛り上がるんだな。

↓出口で「おひとりさま1枚です~」と配っていた散華。全て玄武の図だった。
調べてみたら、西大寺は「平城京の北の守り神」として、近年、陶板画で「玄武」を制作したらしい。



※参考:個人ブログ「平城宮跡の散歩道」:平城京の守護を 西大寺が陶板画で「玄武」制作(2010/4/16)
あと三神はどうなってるんだろう?

※参考:真言宗豊山派金剛院(東京):「般若心経・光明真言 唱えてみよう!
光明真言、般若心経のFlashあり。私の実家も真言宗豊山派です。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贅沢企画/講座・三粋人饒舌(河野元昭、河合正朝、小林忠)

2011-06-06 23:45:04 | 行ったもの2(講演・公演)
○第64回学習院大学史料館講座『日本美術史 三粋人饒舌―水墨画・琳派・浮世絵の魅力-』(講師:河野元昭、河合正朝、小林忠)(2011年6月4日、15:00~17:00)

 学習院大学史料館のホームページに、地味にこの告知が載っているのを見つけたときはびっくりした。ホントに「日本美術史界きっての大御所」三講師がお揃いになるんだろうか。場末の演芸場みたいに、一文字違いの別人が出てきたりしないよね、なんて、余計な心配までしてしまった。

 会場は相当に大きなホール(1100名余を収容可能)だったが、1階部分に限っていえば、6~7割方埋まっていたのではないかと思う。学生さんと、史料館講座のリピーターらしいお年寄りが半々くらい。

 第1部は、河合正朝先生が「水墨画の魅力」を、河野元昭先生が「琳派の魅力」を、そして小林忠先生が「浮世絵の魅力」を、それぞれ20分ずつ語るという、あまりにも贅沢なプログラム。美味しいところをちょこっとずつ盛りつけた懐石料理みたいだった。

 河合先生は「墨は五彩を兼ねる」「湿気を含んだ大気を自然主義的な表現で描いたもの」「霧が晴れれば、有色の世界が見えてくる」など、水墨画のキーコンセプトを、限られた時間で、きっちり解説。河野先生は「琳派の本質は装飾的なシンプリシティである」(※装飾という語は、明治以降、オーナメントとかデコラティブの訳語として用いられるようになったが、河野先生の意図はどうも違うみたい)「(宗達は)近世的明朗さが強調されるが、実は室町の能楽(の象徴性)とも結びつく」など、気になる発言を残して、時間になったら、さっと演壇を下りてしまった。何たる天衣無縫ぶり。小林先生は、さまざまな主題の浮世絵のスライドを実地に見ながら、「演劇(役者)がこれほど多く描かれた国はない」「浮世絵の本質は懐かしさ(ノスタルジー)」などの指摘を訥々と開陳する。「浮世絵(版画)は、版元、絵師、彫師、摺師の共同制作である」というのも、あらためて腑に落ちた。

 後半は小林先生の司会で鼎談となったが、ほどよい距離感で並んだ3人の存在感は絶妙だった。小林先生によれば、美術業界では、この年齢も近い「3Ks(スリー・ケイズ)」は、国際的にも有名であるとのこと。禅画の三幅対みたいだ、と思った。

 はじめに河合先生が「琳派について、もう少し」と話題を振られて、「最近は、琳派を否定する人たちもいるんだけど…安村さん、来てないか? 議論したいんだけど」と会場を見まわして、大きな声を出されたのには噴き出してしまった。「出光美術館の琳派展は予想の3倍も観客が入ったそうですね」と言われて、同館理事の河合先生が「前にやったときは全然入らなかったんですよ」と、申し訳なさそうに告白。確かに今年2~3月の琳派展はよかったものなー。人が入らなかった琳派展ってどれだろう?と、いま過去ログを調べてしまった。

 琳派における「私淑」関係から抱一の蓮花図(細見美術館の白蓮図)の話になったところで、「山水の一部である”花鳥図”を主題に据えることで、日本に水墨画が定着した」という戸田禎佑氏の説につなぐ(小林先生の司会は巧いw)。中国と日本では、自然に対する人間の立ち向かい方が違う、という話になり、中国人は山水に「真」を見るが、日本人は「美」を見る、とおっしゃったのは、河野先生だったかしら。

 それから、世界の中の日本美術を考える上で、河合先生が、19世紀末(幕末~維新)はエキゾチシズム的受容であるのに対し、第二次大戦後は、もう少し日本美術の本質についての理解が深まったのではないか、と冷静なコメント。新たな話題に進むかと思ったら、時間切れになってしまった。そもそも無理なんだよ~、この話題豊富なメンツで40分の鼎談なんて。

 でも贅沢な企画で、楽しかった。肝腎の展示『明治の視覚革命!-工部美術学校と学習院-』は見る時間がなかったので、今週末、再訪の予定。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする