見もの・読みもの日記

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遅さに耐える/西大寺の声明(国立劇場)

2011-06-12 20:57:12 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 6月声明公演『真言律宗総本山 奈良 西大寺の声明』(2011年6月11日)

 久しぶりに国立劇場で声明公演があると知って、チケットを取ろうと決めていた。今回の公演は、毎年10月2~5日に西大寺で行われている「光明真言土砂加持大法会(こうみょうしんごんどしゃかじだいほうえ)」。真言の王者とも言われる光明真言を誦して土砂(砂)を加持し、その砂を亡者の遺骸(墓)に撒いて、迷える亡魂を極楽に導くためのものだそうだ。西大寺では文永2年(1265)に初めて修せられた記録があるとのこと。

 さて、プログラムは、

・午後1時の部:門徒規式、お話、開白・総番の作法(入堂~前讃~綱維問訊~光明真言行道~導師交替)

・午後4時の部:お話、総番・結願の作法(入堂~綱維問訊~光明真言行道~後讃~至心回向~退堂)

 両方聴きたいのはやまやまだが、セット券7,300円(各4,000円)は、ちょっとお高い。内容は分からないが、結願のほうが盛り上がりそうだと当たりをつけ、午後4時の部に友人を誘っていくことにした。そうしたら、直前になって、別の友人から、関係者ルートで格安チケットが入手できるというお誘いを受け、結局、第1部も聴きにいくことになった。

■第1部(午後1時の部)

 静かに幕が上がると、舞台上手には書見台を前にした老僧。下手には5、6人の僧侶。中央に掲げられた僧侶の肖像は、興正菩薩(叡尊)であろう、と想像する。老僧は、ぼそぼそした声で、何やら規則らしい漢文を読んでいく。いつ声明が始まるかと思っていたが、取り立てて音楽らしいものもなく、終了。幕が下りた。

 老僧が幕前に登場し、西大寺の歴史と光明真言について、しばらく語る。光明真言は、死者を回向するためのものだというお話だった。この日、舞台の上手隅には「東日本大震災犠牲者之霊」と書かれた卒塔婆が、静かなスポットライトを浴びて立てられていた。

 引き続き、幕が上がると、叡尊の肖像は片づけられ、中央には、舎利塔と密教法具を並べた壇。入堂した導師は、われわれ客席のほうを向いて座る。左右には、それぞれ10人ほどの僧侶が前後2列になって座る。いずれも黄土色の衣に同色の袈裟。入堂の際に雅楽が奏されたので、よく見ると、舞台の奥に楽師たちが並んで腰を下ろしている。

 それから、過去帳(読まない。卓上に置いた巻子をくるくると巻き進める間、真言らしきものを唱え続ける)、唱礼、前讃、光明真言と続くのだが、僧侶たちは座ったままで、ほとんど身体を動かさないし、鳴りものはないし、旋律は平板だし、正直いうと眠かった。これに比べると、東大寺の修二会の声明って「野蛮」なくらい派手だと思った。

 休憩のあと、後半へ。楽奏、振鈴のあと、少し変化のある真言(らしきもの)が始まる。ふと、上手後列のいちばん奥から、若い痩身の僧侶が立ちあがる。ひとりだけ灰色の衣と白い袈裟をまとい、異国人のように鼻筋の通った相貌で、はじめから目立っていた僧侶である。彼(綱維/こうい)は、上手前列いちばん手前の大柄な僧侶(一臈)の前に進み出ると、ぴたりと足を止める。そのまま、姿勢を固めたと思いきや、少し背中を丸めたような気がする。気のせいか、と思っていると、じりじりと姿勢が低くなっていく。やがて膝をつき、なおもじりじりと頭を下げて、ついに額を床につける。ほかの僧侶たちは、光明真言の一音一音を、これ以上ないほどゆっくり引き延ばしながら、唱え続ける。

 やがて、綱維役の僧侶の頭が上がり始める。先ほどの動きの逆再生のように、ゆっくりその身体が起きてゆく。その間、15分ほど。俗に「提灯たたみ」とも呼ばれるそうだ。この超スローモーション拝礼は、家に帰って、真似してみようと思ったが、インナーマッスルを鍛えていないと無理。

 続いて、式衆全員が立ち上がり、堂内を歩きめぐる光明真言行道。しかし、相変わらずゆっくりである。東大寺の修二会の行法には、仏の時間に追いつくために必死で走る「走りの行法」があるけれど、西大寺のこの加持修法では、逆にゆっくり進む時間に徹底して耐えることが要求されている気がする。現代生活との激しいズレに、はじめは悲鳴をあげそうになったが、だんだん性根が座ってきた。今や万能の「遅い」というクレームが、クレームとして成り立たない世界。こんな世界もあっていいのだ。第1部終了。

■第2部(午後4時の部)

 はじめに、第1部とは別のお坊さんから、光明真言土砂加持大法会についての法話。さきほどの「綱維問訊」が死と再生をあらわすという説などを聴く。幕が開くと、過去帳~綱維問訊~光明真言行道は、第1部をダイジェストで繰り返す感じだった。第2部は、前から3列目の中央付近という好ポジションだったので、所作もよく見え、声明もよく聴こえて、眠くならなかった。

 休憩のあとは、過去帳読(読み下し)、後讃は、独特な漢語読み(一切善生主=イッセイセンセイシュウ、とか読む)、真言、回向と続き、式衆が立ち上がって、その場で散華を撒く。立て膝をついた姿勢で和讃。それから舎利礼では、導師(?)が「一心(イッシン)!」と呼びかけると、全員が「頂命(チョウライ)!」と返すことを繰り返すなど、後半は変化があって面白かった。思ったとおり、結願は盛り上がるんだな。

↓出口で「おひとりさま1枚です~」と配っていた散華。全て玄武の図だった。
調べてみたら、西大寺は「平城京の北の守り神」として、近年、陶板画で「玄武」を制作したらしい。



※参考:個人ブログ「平城宮跡の散歩道」:平城京の守護を 西大寺が陶板画で「玄武」制作(2010/4/16)
あと三神はどうなってるんだろう?

※参考:真言宗豊山派金剛院(東京):「般若心経・光明真言 唱えてみよう!
光明真言、般若心経のFlashあり。私の実家も真言宗豊山派です。
 

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