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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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ソクラテスのカフェでトーク:「原武史が語る生活の中の政治」

2014-08-10 21:16:59 | 行ったもの2(講演・公演)
 「ソクラテスのカフェ」というのは、札幌市西区琴似にある「古本と珈琲のブックカフェ」である。厚別区大谷地に移転してしまった「くすみ書房」という書店があったところ。いまもくすみ書房さんが運営していて、ときどき、イベントを開催している。

 8月9日(土)18:30から「原武史が語る生活の中の政治」というトークイベントがあったので聴きにいった。新刊『知の訓練:日本にとって政治とは何か』をもとに語るという案内だったが、主題を「女性と政治」それも皇室論にしぼった内容で、非常に面白かった。会場が狭いので、講師の顔の見えないテーブルで声だけを拝聴する2時間(ラジオ講座みたい)だったが飽きなかった。旧著『昭和天皇』や『松本清張の「遺言」』を思い出しながら聴いた。

 札幌に暮らし始めてから、何度かこうしたトークイベントに足を運んでいるが、いつも参加者の年齢層が高いという印象が強い。今回は、大学生くらいの若者の姿もあって、よかった。

耳より情報(だと私が思ったこと)を書きとめておく。

・来月、宮内庁から『昭和天皇実録』が公開される。(おお!)

・12月か1月に原先生の『皇后考』(雑誌「群像」連載)が講談社から刊行される。(わーい!)

・東大社会科学研究所の助手時代に、初めて大正天皇研究の報告をしたときの反応はボロクソだった。「なぜあんな馬鹿天皇を…」と言われた。(笑)

・(女性皇族に注目したきっかけは?と問われて)結婚して、うちの奥さんと一緒に暮らして、女性って分からない生き物だなあと思ったことから。ふだんは優しくても、突然、荒れ狂ったように攻撃的になるとか。失敗しても、ケロッと過去を忘れて立ち直るとか。(笑)

 包み隠さず、率直なお話(笑)をありがとうございました。

 参加費は、ドリンク(ソフトドリンクまたは缶ビール)とクッキーつきで2,000円。機会があれば、また行きたい。

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夏の夜の殺人劇/文楽・女殺油地獄

2014-07-23 22:25:30 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 夏休み文楽特別公演 第3部サマーレイトショー『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』(2014年7月19日、18:00)

 自分のブログ検索をかけたら、平成17年(2009)にもこの演目を見ていて、与兵衛を桐竹勘十郎、お吉を桐竹紋寿とメモしている。すっかり忘れていた。やっぱり初見の、与兵衛を吉田蓑助、お吉を吉田玉男という舞台の印象が強烈すぎるのである。蓑助さんの与兵衛は、愛情過多な両親に甘やかされて育ったダメ青年で、ギリギリまで人殺しなんて大それたことができる器に見えないのだが、覚悟を決めて、刀を抜いた瞬間に、別人のような凄みが備わった。その変貌ぶりが怖かった記憶がある。

 それに比べると、勘十郎さんの与兵衛は、登場した矢先から、今にも悪事をしでかしそうな、危ういオーラを感じた。配役するなら、妻夫木聡なんかどうだろう。ツイッターで「勘十郎さんの顔つきが剣呑すぎる」という評があって、苦笑してしまった。確かに。私は、出遣いは気にならないほうだが、人形遣いがあんまり役柄への感情移入を顔に出すのはよくないと思う。もっと飄々としていてほしい。

 吉田玉男さんのお吉は、死に瀕した悶え方が妙に色っぽかったと記憶する。本公演のお吉は吉田和生さんで、実直な酒屋の女房としては、こちらのほうがリアリティがあるかもしれない。

 初見のときは覚えていないが、平成17年(2009)も「豊島屋油店の段」の語りは咲大夫さんだった。咲大夫さんは「主人公、与兵衛にはみずみずしい若さが必要」という自説から、『女殺油地獄』は今回を「語り納め」にするという。御年70歳。ええ~何かもったいない感じがするが、少ない上演機会で後進を育成するには、こういう態度も必要なのだろうな。初日から三味線の鶴澤燕三さんが休演で、清志郎さんが代役だったので、えっと思ったが、特に問題はなかった。でも働き過ぎには注意してほしい。東京公演と大阪公演が4回ずつ、その合間に地方公演って、いまの文楽技芸員の小所帯には少しハードすぎないだろうか。

 この日は「徳庵堤の段」「河内屋内の段」「豊島屋油店の段」「同 逮夜の段」の構成。初見のときは「逮夜の段」がなくて、まるで『羅生門』の「下人の行方は誰も知らない」的な結末に唖然としたような記憶がある。他人のつぶやきによると、平成17年(2009)公演には「逮夜の段」があったようだ。与兵衛の袷に酒を吹きかけると血の跡が浮かび上がる演出で、あ、これ見た、と思い出した。ちょっと聴き逃しがちだが、与兵衛の独白に、放埓の限りを尽くしても盗みだけはしなかったが、「不孝の科、勿体なし」(支払いが遅れては両親に迷惑がかかる)という焦りから、殺人と盗みを犯してしまった、という悔恨が哀れを誘った。

 今回は床の真下、前から3列目の好ポジションで、目は舞台の人形を追いながら、耳は降り注ぐ音曲に全身全霊を集中。楽しかった。開演前、制服姿の高校生(?)の集団(女子率高し)を見たので、これはうるさいに違いない、と不運を恨んでいたが、思ったより熱心に観劇している様子だった。こんなムゴい芝居を見せていいのか?と思ったが、内容を分かった上での選択なら、先生を褒めたい。

 大夫と三味線奏者の方々は、そろって白いお着物で夏らしかった。これは大阪の夏休み公演でしか見られない風物詩だろう。開演前に、ずっと気になっていたお店でたこ焼きも食べたし、黒門市場も歩けたし、泊まりも徒歩圏のビジネスホテル。だんだん大阪になじんできた。
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アイスショー"Fantasy on Ice 2014 新潟"

2014-07-14 23:46:14 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2014 in Niigata(2014年7月12日、18:30~)

 相変わらず、あまり得意分野ではないのだが、アイスショーを見に行ってきた。初めて行ったアイスショーが2010年の"Fantasy on Ice 新潟"。国内では見る機会の少ない海外スケーターが多数出演、正統派フィギュアスケートだけでなく、アクロバットやエアリアルあり、ミュージシャンとのナマ歌コラボありで、大人が楽しめる演出だった。2011年にも東京から遠征。

 2012年、2013年は開催がなく、今年は久しぶりに開催されると知ったものの、自分が北海道に引っ越してしまったので、どうしようか少し悩んでいた。行く!と決めたのは、"レジェンド"キャンデロロの出演が決定した5月下旬。ところが、その10日前ほどに「チケット完売しました」宣言が公式サイトに掲載されていた。ショック! でも、そこはなんとかなるもので、チケット売買サイトを利用し、S席14,000円を定価の3割増しくらいで購入した。

 今年のゲストアーティストは、サラ・オレインというオーストラリア出身の歌手兼ヴァイオリニスト。ほんとにヴァイオリンを引きながら歌ってしまうのである。新潟に3回見に行った中で、今回がいちばん大人向けのショーの雰囲気を感じたのは、彼女の存在感のおかげだと思う。

 その一方で、観客はひどく「幼児化」しているように感じた。前の2回は、海外のスケート事情にも詳しそうな観客と、何の予備知識もない地元のおばあちゃん、おじいちゃんが平和的に混じった会場の印象だったが、今回は、日本人スケーターが登場するたび、悲鳴のような大歓声があがって、異様な雰囲気だった。演技よりも、テレビで人気の有名人を一目見ようと来ている感じ…。

 もちろん私も、個性と才能にあふれた日本人選手たちは大好きだ。2010年の"Fantasy on Ice 新潟"以来、いつも楽しみに見ている羽生結弦くんの新しいショートプログラム、ショパンのバラード1番が見られたのは眼福。ジャンプはちょっとふらついていたが、回転の見せ場が多く、ステップも複雑で、終盤の運動量が半端でない感じがした。今後の磨き込みが楽しみ。第2部では、サラ・オレインとのコラボ「The Final Time Traveler」。歌声もスケートも、静謐でのびやかで美しかった。ゲーム音楽なんだな。

 織田信成の演技は、昨シーズン限りで引退を表明した頃から、どんどん好きになっている。タンゴは色っぽかったなあ。惚れ惚れした。高橋大輔も同じく、競技会モードでなしに、肩の力を抜いて滑っているときのほうが私は好きだ。第1部の「ビートルズメドレー」、第2部の「kissing you」、どちらも心に沁みるような演技だったのに、「kissing you」でちょっとコケたのを気にして、あとで「ごめんなさい」する仕草が愛らしかった。みんな人がいいんだよなー。

 でも、この公演を見にきてよかった!と心から思ったのは、やっぱりステファン・ランビエールとジョニー・ウィアーの、それぞれ我が道を行く円熟の演技。ランビエールはグリークのピアノ協奏曲と、コラボで「ニューシネマパラダイス」。凄かった。特にグリークには魂を持って行かれた。ジョニーは、第1部がモノトーンの衣装で内省的な「シンドラー」、第2部はインド映画から、華やかでダンサブルな「ボリウッド」。インドの雰囲気が濃厚で、美しき孔雀明王みたい。

 今回は荒川静香さんがいなくて、女子がやや寂しかったかな。いや安藤美姫さんも鈴木明子さんもよかったけど。今井遥ちゃん、頑張れ。私は、2010年と2011年、このFaOIで羽生くんや町田樹くんの演技を見て「よーし、これから応援しよう!」と思ったので、すっかりショーを引っ張る「主役」となった彼らを見ると、感慨深いものがある。

 あと、アイスダンスのペシャラ&ブルザ、アンナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ、2組ともよかった。アイス・ダンス単独では、なかなか競技会を見ない(テレビ放映もない)ので、こういうショーで魅力に気づく機会があるとうれしい。さて、関連動画巡りをしてみるか。
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アイスショー「スーパースターズ・オン・アイス in 札幌」

2014-04-11 00:15:53 | 行ったもの2(講演・公演)
スーパースターズ・オン・アイス in 札幌/Superstars on Ice in Sapporo2012(2014年4月9日、19:00~)

 昨年、札幌に引っ越してくるにあたり、いろいろ不安を感じた一方で、フィギュアスケートを生観戦する機会は増えるに違いない、というのは楽しみのひとつだった。ところが、めぼしい機会もなくて1年間が過ぎてしまった。あれ~と思っていたら、ようやくめぐってきたチャンス。年度初めの月火水の、平日3日間限定ってひどいなあ、と思いながら、S席チケットを取った。会場は真駒内アイスアリーナ。地下鉄の終点駅から、さらにバスに乗るというので、仕事帰りに間に合うか気を揉んだが、シャトルバスがどんどん来てくれて、問題なかった。

 会場の第一印象は「思ったより狭い」。そのわりに客席は3階まであって、私は2階席だったが、リンクが遠い気がした。あと全体に作りが殺風景で、アイスショーの会場というより「体育館」の雰囲気だった。オープニングは、はっきり判別できなかったけど、海外スケーターたち(だけ)の群舞。日本人スケーターはいつ出てくるんだろう?と思っているうち、彼らがサッと捌けて、個人演技が始まる。

 最初は織田信成の「ラストサムライ」。心が晴れるような、のびやかな滑りが美しい。続いて、鈴木明子は今季のSP曲「愛の讃歌」。彼女は、ハードボイルドな曲も清楚で女性らしい曲もこなす、幅の広いパフォーマーだけど、私はこのプロで初めて好きになった。紫の衣装もよく似合っていて、堂々としていた。

 三番手はハビエル・フェルナンデスで、やはり今季のSP曲(Satan Takes a Holiday というのか)。しばらく海外スケーターが続く。アイスダンスのシブタニ兄弟、一見してファンになってしまった。マイアちゃんのツイッターの写真や動画がまた楽しい。フィギュアスケーターって、みんな可愛いなあ。それから、デニス・テン君の軽快な「雨に唄えば」、チン・パン&ジャン・トンのしっとりと情熱的な「ロミオとジュリエット」など。

 第1部の最後には日本人スケーターも登場。小塚崇彦の帽子プロ。村上佳菜子ちゃんは今季Ex(King of Anything)で、狭いリンクから飛び出すんじゃないかと思ったくらい、元気いっぱい。くるくる変わる顔の表情が遠目にもはっきり感じ取れて、こちらも楽しくなる。濃いピンクのドレスも素敵。

 休憩を挟んで、第2部オープニング。色ちがいの原色Tシャツで登場した男子スケーターの群舞。あれも海外組だったのかな? よく判別できなかった。第1部もかなり豪華メンバーだったが、第2部は、さらに近年のメダリスト、スーパースターが相次ぎ登場。町田樹のSP曲「エデンの東」で大歓声。町田くん、王子様路線で行くのかと思っていたのに、最近の変人キャラで固定していいのか…とちょっと思っている。ジェフリー・バトルは初めて見たけど、なるほどカッコよいわ~。そして、見れば見るほど、スルメを噛みしめるみたいに好きになっていくP.チャン。

 女性陣は、ジョアニー・ロシェット(ノートルダム・ド・パリ?)、カロリーナ・コストナー(シェヘラザード、青のキラキラ衣装)が登場。手足の長い西洋人の女子選手の美しさは、飛んだり跳ねたり、小回りの利く日本人選手とは全く「別物」という感じがする。ソトニコワは長い髪を振り乱しての「白鳥の湖」(文楽人形みたい)。

 そして、浅田真央登場(スマイル)。私は見ているだけでも競技会の緊張感が苦手なので、こういう笑顔の見えるショープログラムのほうが好きだ。そして、観客の異様な盛り上がりに驚いてしまった。トリは羽生結弦。名プロ「花になれ」は、ようやく初見で、嬉しかった。そしてフィナーレ。

 選手がリンク北側の入退場口に引っ込んだあとも、手拍子が鳴りやまず、暗転した照明がもう一度、明るくなると、入退場口に集まった選手たち(主に日本人選手)が何か話している様子。やがて羽生が、ほかの選手を煽るような仕草を見せながら、ひとりでリンクに進み出ていく。期待にどよめく客席(もちろんみんな、スタンディング状態)。すーっと南側に滑っていった羽生が、見事にジャンプを決める。よ、4回転だよね?とは思ったけど、4回転ループ(4Lo)だとは分からなかった。それであんなに、胸を撫ぜ下ろす仕草を見せたり、嬉しそうだったのか。

 そのあと、もっと誰か行けよーという煽りポーズを見せるのだが(女子にも)みんな引いていたら、織田信成くんが引っ張り出され(というか、搬入荷物みたいにリンクに押し出され)、果敢に挑戦するも、見事に失敗して、ごめんなさいポーズで戻ってきた。織田くん、いい人だなあ。社会(集団)には羽生くんも必要だが、織田くんみたいな人も必要だよ。こういうスケーターの一面を見られるのが、アイスショーの楽しさ。

 アリーナ席はずっと盛り上がっていたが、私のまわり(2階席)は、やや盛り上がりにかけた。アイスショーが初めてのお客さんが多かったのだろうか。拍手や手拍子を義務でする必要はないけど、もう少し乗ったほうが楽しいのに。そして、日本人選手にしか関心がない雰囲気のお客さんが多かったな。今回のショー観戦をきっかけに関心が広がってくれたらいいと思う。
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住大夫さんを送る/文楽・菅原伝授手習鑑(夜の部)

2014-04-07 22:56:09 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 4月文楽公演(2014年4月5日) 七世竹本住大夫引退公演『通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』第2部

 記憶が曖昧だったので、調べたら、住大夫さんが引退を発表したのは2月28日だった。この4月文楽公演の予約開始日は3月3日(月)なので、住大夫引退公演と分かった上で、私はチケットを購入したはずだ。そうだったかしら。まだ「引退公演」には実感がなくて、むしろ「菅原」は好きな狂言だから見たい、という気持ちだった。ほんとは4月第2週か第3週がよかったのに、第1週(公演初日)しか取れなくて、それでも取ってしまった。住大夫さんへのお別れは、5月東京公演であらためて、のつもりだった。

 それが直前に確認したら、5月東京公演のあぜくら会先行発売は4月5日(土)10:00だという。ええ~私は大阪公演を見るために、札幌を発って、ちょうど神戸空港に下り立った頃だ。到着ゲートを出てすぐ、スマホでチケット購入サイトにアクセスしたが、全くつながらない。電話もダメ。結局、何十回目かに国立文楽劇場のロビーからかけた電話がつながったときは「(第1部の)あぜくら会分は完売しました」とつれなく言い渡されてしまった。うむむ。今日4月7日(月)の一般発売もダメでしたよ、むろん。発売開始時は仕事時間中でしたし。

 しかし、大阪で最後の住大夫さんの舞台を聴けたことは良しとしよう。今回の通し狂言、第2部は三段目「車曳の段」「茶筅酒の段」「喧嘩の段」「訴訟の段」「桜丸切腹の段」、四段目「天拝山の段」「寺入りの段」「寺子屋の段」。16:00に始まり、21:00近くまでかかる(休憩は最低限)長丁場だが、物語が起伏に富んでいるので飽きない(冒頭でちょっとウトウトしました)。「車曳」は、車を蹴破って現れる藤原時平の「公家悪」っぷりがいいねえ。

 住大夫引退狂言は「桜丸切腹の段」。正直にいうと、語り始めの声の細さには、ああ、全盛期はこんなものじゃなかったのに、という悲しさがあった。ところどころ、凛とした声の張りとか、細やかな情が感じられるところもあったけれど。5月まで続く引退公演を完走してもらえるのか、とても心もとない。諸事情が無理を強いているのではないかと胸が痛む。

 最近の私は、舞台の人形をほとんど見ずに、床の大夫さんと三味線ばかり見ていることが多かったが、この日は逆に、耳だけ語りに傾けながら、視線は舞台に合わせていた。文雀さんの八重と蓑助さんの桜丸。住大夫さんとともに、長い年月、文楽の屋台骨を支えてきたお二人が舞台上にいることが感慨無量だった(つい吉田玉男さんのことも思い出して…)。

 休憩を挟んでの「天拝山」は面白かったな。梅の花を含んで火焔を吹く菅丞相って、ほんとに火花を吹くんだ! 崇徳院を彷彿とする怨霊いや御霊モード。「寺入り」から「寺子屋」は、小学生の頃「少年少女世界文学全集」で子供向けリライト版を読んだ記憶が残っている。なんという変な話!(子供の立場からは許せないオトナのご都合主義)と思っていいはずなのに、けっこう好きだったから不思議だ。語りは嶋大夫。ちょっと粗い感じがする。松王丸は桐竹勘十郎。涙もろくて、人のよさが感じられる松王丸だった。玉男さんの松王丸もこんなふうだったかなあ。

 蛇足をいくつか。私は文楽を見始めた超初心者の頃に、竹本越路大夫の引退公演(1989年)を聴いている。どうして今回の公演はこんなに満員で、補助椅子席しかないんだ?と訝しがりながら。それでも越路大夫の公演を「聴いた」ことを今では自慢に思っているので、私が住大夫の東京公演のチケットを取れなかった分は、若い文楽ファンに譲ったのだと思いたい。

 それから「杉本文楽」は、東京公演のチケットが手に入らず、あきらめた。斬新な手法を用いた新演出について、評価はいろいろあるようだが、私は、公演を成功に導いた最大の要因は、幅広い演出に対応できる技芸員の能力の高さだと思う。そして、日々の鍛練による基礎能力の育成を等閑視して、演出の新趣向だけをほめそやす風潮は、絶対に承服できないと思っている。
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フォーラムin札幌時計台(柄谷行人、佐藤優、山口二郎)

2014-03-08 21:30:37 | 行ったもの2(講演・公演)
○フォーラムin札幌時計台「グローバル化に抗する人間とコミュニティ」第31回(柄谷行人、佐藤優、司会・コーディネーター:山口二郎)(2014年3月7日、18:30~)

 ちょうど1年前、春から札幌暮らしを始めなければならないと分かったとき、私が最初にとった行動は、山口二郎先生のツイッターアカウントをフォローすることだった。そのツイッターで、先日、山口先生が「フォーラムin札幌時計台ファイナルシリーズ」の告知をされていたので、〆切迫る年度末の仕事を放り出して、聴きにいった。

 檀上に、山口先生、柄谷氏、佐藤氏が並んだ状態で、柄谷行人の講演から始まった。不勉強な私は、柄谷氏の著作は雑誌エッセイや対談くらいで単行本を読み通したことがない。ナマ声を聴くのもお姿を拝見するのも初めてなので、伸び上がって檀上を注視していた。お話は札幌の思い出から始まり、この「フォーラムin札幌時計台」(2008年/第2期)で「日本人はなぜデモをしないか」について話したこと、2011年2月、東日本大震災の直前に北大で「災害ユートピア」について話したことに触れられた。

 ソルニットの著書『災害ユートピア』について、私は荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書、2011)で知った。「不幸のどん底にある人々は、なぜか助け合う」という肯定的な側面でとらえていたのだが、柄谷先生の話を聞くと「国家の介入がない状態ではユートピアが生まれる。しかし、国家が介入したところでは暴動が起きる」という趣旨のことが書かれているらしい。これは読んでみたい。さて、東日本大震災でユートピアは出現しなかった。それは、あらかじめ原発という国家の暴力が存在していたからではないかという。ユートピアは起きなかったが、デモは起きた。日本は「デモをする社会」に変わった(変わりかけた)。

 ここから、丸山真男の「個人析出の4パターン」について説明があった。

2 自立化1 民主化
3 私化4 原子化

1 民主化:集団的政治に参加する個人
2 自立化:個人主義的であるが、政治参加を拒否しない個人
3 私化:政治参加に無関心な個人
4 原子化:「私」の核もなく、大衆社会の流れのままに動く個人。政治に無関心かと思えば、突如ファナティックな政治参加をする。権威に帰依しやすい。

 ひとつの社会が1~4タイプのいずれか単独で占められることはないし、ひとりの人間も1~4のタイプを変化する。ということを前提とした上で、西洋社会は1や2が多く、日本社会は3や4が圧倒的に多いという話をされ(ちなみに同じ東アジアでも韓国や中国の傾向は異なるとも)、背景として、日本に中間団体(アソシエーション)の伝統が希薄であることを指摘された。

 西洋では、ギルドに加えて、宗教(教会)が中間団体の役割を果たしてきた。近代日本では、大学が一種の中間団体(国家から独立したアソシエーション)だったという説は面白かったな。しかし民営化(法人化)とともに大学の自立性は奪われてしまった。90年代以降、日本社会の「原子化」は甚だしい。

 続いて佐藤優氏は、緊迫するウクライナ情勢について解説。正直、目を白黒させながら聴いていたのだが、16世紀までさかのぼらないと、民族および宗教の対立構図が分からないことだけは分かった。そして、ウクライナ/ロシアの複合的アイデンティティを持つ人々がどちらかの選択を迫られている状態から、沖縄に目を転じる。沖縄の米軍基地移設問題も、沖縄/日本の複合的アイデンティティを持つ人々に選択を迫っている側面がある。彼らは、究極のところ沖縄を選ぶのではないか。そして、そのことは必ず北海道に影響を及ぼす。

 このへんの緊張感を伴う議論は、不謹慎だけど非常に面白かった。世界はこんなふうに動いているのだ、ということを久しぶりに感じた。事務文書やマスコミの上を流れる「グローバル化」というお題目が、いかに空洞化しているかを痛感した。

 それから山口先生が入って、質疑のやりとり。原子化した大衆は、選挙とは「王様」を選ぶ手続きだと思っているのではないか、という趣旨の発言があった。なるほど。選ぶときだけ関わって、あとの仕事(統治)は王様任せ、というのは、本来の民主政治ではない。安倍政権については、そのヤンキー的「反知性主義」を笑いながら嘆く。佐藤優氏の「外務官僚的」という見立ても面白かった。国際法は当事者自治が原則で、上位の準拠枠がない。しかし、我々が18世紀に捨ててしまった「上位の準拠枠」、宗教とか理性とか啓蒙には、もう一度拾い上げるべきものがあるのではないか。

 日本の誇るべきものは憲法9条である、とおっしゃるとき、柄谷氏の声は自然と大きくなっていた。いまの日本社会の状況に対して、柄谷氏が感じている無念は察するに余りある。

 いまは1890年代だという発言もあった。帝国主義の時代だ。帝国主義というのは「覇権国家が弱体化し、次の覇権をめぐって複数の国家が争っている状態」をいう言葉なのだ。だから帝国主義時代は繰り返す。

 「尖閣」をめぐって、近い将来、本当に戦争は起きようとしているのか。愉快な知的興奮と、将来への苦く暗い見通しを混ぜこぜに抱えて、会場を出た。

 今年度で北海道大学を退職される山口二郎先生には、最後に佐藤優氏がおっしゃったように、北海道との縁を切らずにいていただくことを、暫定道民の私も願っている。
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異類憑き萌え/文楽・御所桜堀川夜討、本朝廿四孝

2014-02-27 23:00:43 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 2月文楽公演(2014年2月22日) 第3部『御所桜堀川夜討(ごしょざくらほりかわようち)』『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』

 同日の舞楽公演に続いて、文楽公演の第3部を見る。『御所桜堀川夜討』は弁慶上使の段。ずいぶん昔に一度見た記憶があるが、その頃は、近世演劇・文芸における弁慶の活躍ぶりがよく分かっていなくて、え?堀川?なぜ京都に弁慶がいるの?というのが不可思議だった。こうしてみると、平家物語に取材した歌舞伎・文楽作品って多いんだな。しかも原作を離れて、自由に二次創作の翼を広げているのが面白い。

 『本朝廿四孝』は「十種香の段」と「奥庭狐火の段」。この演目があるのを見て、何としても東京公演に行かねば!!と思い立ったのである。昨年1月、大阪の国立文楽劇場・新春公演で、初めてこの演目を見て、椅子にへたり込むような衝撃を受けた。「奥庭狐火の段」の桐竹勘十郎さんが、とにかく凄かったのである。まるで彼の熱演が霊狐を引き寄せたかのように。

 「十種香」は豊竹嶋大夫と豊澤冨助。嶋大夫さん、安定してるなー。八十翁に「安定している」って感想もないものだが。上手の一間の内では、亡き許婚の勝頼の絵像(いえぞう、と発音していた)の前で手を合わせる八重垣姫(蓑助さん)。下手の襖がするすると開くと、勝頼の位牌を前にした腰元の濡衣(ぬれぎぬ)(文雀さん)。八重垣姫は、ほとんど客席に顔を向けず、後ろ姿だけで、初々しくも艶なる嘆きを表現する。そこに現れる花作り蓑作こと武田勝頼(玉女さん)。三者が舞台に揃ったときは、うわーなんという贅沢な配役!と胸の内で唸った。恋の炎を燃え上がらせた八重垣姫は、腰元の濡衣に、必死で仲立ちを頼む。「勤めする身はいざしらず、姫御前のあられもない」と呆れる濡衣。この「姫御前にあるまじき大胆さ」という設定に萌えたんだろうなあ、当時の観客は。 

 場面変わって「奥庭狐火の段」。呂勢大夫、鶴澤清治、ツレの清志郎という顔ぶれは、大阪公演のときと同じだ。青い薄闇の舞台に狐火が飛び、白狐が登場する。出遣いの桐竹勘十郎さんも白地に狐火を描いた裃で飛び回る。と、舞台から引っ込んだと思いきや、フツーの裃になって、八重垣姫を遣って再登場。人形遣いの「早変わり」って、あまりない演出だと思う。

 恋人・勝頼の身を案じる八重垣姫の一念が、諏訪法性の兜に奇跡を呼び覚ます。霊狐と一体化した姫は、赤い振袖から、狐火柄の白い着物に変身。手足を縮め、宙に浮かんで、右へ左へ激しく踊り狂う。勘十郎さん、何度見てもカッコいい! そして、この「異類憑き萌え」は、「現実にはあり得ない女性が好き」という日本人の精神的伝統の一端だと思う。

 文楽協会さん、「奥庭狐火の段」をYouTubeかニコニコ動画にUPしないかなー。これを見たら、若い文楽ファンは確実に増えると思うのだけど。
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ザ・スタンダード/宮内庁式部職楽部・舞楽公演

2014-02-26 23:34:45 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 平成26年2月雅楽公演『舞楽』(2014年2月22日、14:00~)

 むかしからこの時期には、国立劇場で宮内庁楽部の公演があった気がする。2011年と2012年は大曲『蘇合香(そこう)』の復活公演だった。昨年は管弦だったみたいだ。今年は舞楽。そして、どれも比較的演じられる頻度の高いものではないかと思う。いま、自分のブログ検索をかけた限りでは『陪臚(ばいろ)』しか出てこなかったが、ほかの演目もどこかで見聞きしたことがあると思った。

 『甘州(かんしゅう)』は、左舞(唐楽)、四人舞。鳥甲を着け、オレンジ系の襲装束を諸肩袒(もろかたぬぎ)にして、ゆったりと舞う。いかにも舞楽らしい華やかな装束。

 『還城楽(げんじょうらく)』は「右舞」とプログラムにあったが、左方にも右方にもある。唐楽系、一人舞。オレンジ系の装束、裲襠(フサフサのついた長めのベストみたいなもの)。面は恐ろしげだが、牟子(むし)という、頭のとんがった三角頭巾がちょっと可愛い。片手に桴(ばち)。大きく伸びあがるような振りが多く、背の高い舞人が舞うとかなり威圧的。トグロを巻いた蛇(のおもちゃ)を見つけると、ぴょこぴょこと足を踏み上げて喜びを示す。今回の演目の中で一番好きなのはこれ。

 『胡飲酒(こんじゅ)』は左舞。林邑楽系の唐楽だそうだ。一人舞。白っぽい変わった装束。三角頭巾を被り、左右に垂らした前髪つきの面を着ける。桴(ばち)を持ちかえながら舞う。『還城楽』と対照的に小柄な舞人だった。鳥皮沓を穿くのが珍しいとプログラムにあったが、よく見えなかった。

 そして『陪臚(ばいろ)』。右舞だが唐楽。四人舞。槍、盾、剣と、持ちものが変化し、動きも早くて楽しい。今回のプログラムなら、初めて舞楽を見る人でも、難しい知識を抜きに楽しめる構成だと思った。でも、全部、唐楽だったんだな、気づかなかったけれど。
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音曲を愉しむ/文楽・近頃河原の達引、壇浦兜軍記、他

2014-01-16 23:28:32 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 新春文楽特別公演(2014年1月11日)

 大阪市から文楽協会への補助金をめぐるゴタゴタがあって、あれで技芸員のみなさんが本気になったと言われるのは心外だが、一文楽ファンである私の行動には、多少の影響を及ぼしている。東京で見られる文楽を、わざわざ大阪まで見に行こうとは思わなかったのだが、最近は積極的に大阪に遠征するようになった。大阪公演のほうがチケットが取りやすいのだ。

・第1部『二人禿(ににんかむろ)』『源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)・九郎助住家の段』『傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)・新口村の段』

 今回は、朝、札幌を出て、神戸空港着。国立文楽劇場に直行する。到着したのは12:00少し前で、上演中に客席に入れていただき、ほんとにすいません。ちょうど『源平布引滝』の山場で、瀬尾十郎と斎藤実盛が九郎助夫妻に詰め寄っているところだった。木曽義賢の愛妾・葵御前が生んだ赤子の詮議に訪れた二人。ところが、生まれたのは「女の片腕」だという。荒唐無稽な拵えごとを、故事を引いて「そういうこともあるだろう」と言い繕う実盛。瀬尾十郎が去ってのち、実は九郎助夫妻の娘・小まんの片腕であると語る実盛。みるみる御座船の情景が浮かぶような語りの至芸。咲大夫さん、いいわ~。

 湖で引き揚げられた小まんの死骸が運ばれてくるが、源氏の白旗をあてると一時蘇生するとか、いけすかないと見えた瀬尾十郎が小まんの実の父で、孫の太郎吉に手柄を立てさせ、駒王丸(生まれたばかりの赤子)の家来に取り立ててもらおうと、わざと命を捨てるドンデン返しとか、ありえないんだけど、理性の深層で感動してしまう。こういうのが「古典芸能」の力なんだろう。この作品、『平家物語』の登場人物が総登場するようなストーリーなんだな(→あらすじ)。通しで見てみたい。

 『傾城恋飛脚』は、近代に通じる抒情に満ちた作品(脚本)。そして、蓑助さんの操る梅川も、近代的な女性の個と内面美を感じさせる。

・第2部『面売り(めんうり)』『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)・四条河原の段/堀川猿廻しの段』『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)・阿古屋琴責の段』

 続けて、第2部も鑑賞。『近頃河原の達引』は、あ、猿まわしの出るヤツね、という知識があったくらいで、たぶん初見。玉女さんの猿廻し・与次郎がよかった。玉女さん、二枚目よりも、こういうコミカルな役に味わいがある。気性のまっすぐな伝兵衛、思慮深く誇り高い遊女のおしゅん。「人の落目を見捨てるを廓(さと)の恥辱とする」という科白は印象的だったけど、やっぱり有名なのか。笑わせながら泣かせる脚本が最高。三味線のツレ弾きはカッコよかった! 何より楽しませてくれたのは二匹の子猿を操っていた黒子さんなのだけど、プログラムには名前がないのね。

 ちょっと調べたら、おしゅん伝兵衛の恋情塚が、京都・聖護院塔頭の積善院準提堂にあると知って驚いた。もと崇徳天皇廟にあったために崇徳地蔵がなまって「人喰い地蔵」と呼ばれる石仏のあるお寺である(※訪問の記録)。『源平布引滝』と『壇浦兜軍記』に挟まれて、平家物語つながり?

 そして『壇浦兜軍記』の阿古屋琴責の段。これも内容は知っていたけど、面白いのかなあ、と疑問で見ようとしたことがなかった。結論をいうと、ストーリーよりも、とにかく耳に面白い。琴、三味線(ツレ弾き)、胡弓の演奏で、目まぐるしく(耳まぐるしく?)楽しませてくれる。特に胡弓は、ほかの演目で、物憂い雰囲気を醸し出すBGMとして(御簾の内で)使われるのは聴いたことがあったが、この作品では、床に出て顔を見せて演奏する。その音色の華やかでスピーディなこと。馬頭琴みたいだと思った。「三曲」は鶴澤寛太郎さん。脇役に徹し、無表情を通しているのがカッコいい! 第1部は下手の端(けっこう前方)で人形の所作がよく見え、第2部は上手の床に近い席だったのもラッキーだった。

 「阿古屋琴責め」は、為政者(人の上に立つ者)の良し悪しを、さりげなく示してもいる。文楽補助金は減額されるのかもしれないが、誰の汚点として歴史に書かれるかは明らかなことだと思う。
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忘れ去られるもの/田楽と猿楽(国立文楽劇場)

2013-10-01 23:59:22 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 第18回特別企画公演『田楽と猿楽-中世芸能をひもとく』(2013年9月23日、13:00~)

 もともと、この公演の情報を見つけて、行きたい!と思い、関西旅行が決まった。行くと決めておいて言うのもナンだが、そんなに需要があるのだろうかと思っていたら、満員御礼でびっくりした。

 第一部は、那智田楽保存会(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)による「那智の田楽」である。開演前に、芸能史研究家の山路興造さんが舞台に出て、わが国の芸能の歴史を簡単に紹介してくれた。田楽と猿楽は、鎌倉時代に大変人気を集めた芸能であり、その淵源は、大陸から伝来し、宮中や大社寺の儀式に用いられた「舞楽」である。平安時代後半になると、外来の芸能から新しい芸能が誕生した。

 いまプログラムの解説を読み直しながら、この記事を書いているのだが、「それぞれに楽器を鳴らしながら次々に位置を変化させて動く(躍る)という芸態が、舞楽などに似て大陸的である」という説明は、実際に見た舞台を思い出すと、よく腑に落ちる。確か「舞踊」という言葉をつくったのは坪内逍遥で、本来「舞(まい)」と「踊(おどり)」は異なる概念だった、という説明も聴いたように思う。

 Wikipediaは(広義の)日本舞踊の説明の中で、舞楽も田楽も猿楽も「舞」(摺り足や静かな動作で舞台を廻るもの)に分類し、「踊」(足を踏み鳴らして拍子を取りながら、動きのある手振り身振りでうねり回るもの)は「庶民的で、江戸時代になってから発達した」と書いているが、これはどうかな。現在見られる舞楽(古代の姿のままとは言えないが)には、かなり「踊」の要素が入っていると思う。「うねり回る」ことはしないけど。

 舞台上に現れた演者は、黄土色の衣の編木(ササラ)方が四名、朱の衣の太鼓方(腰太鼓を体の正面に下げる)が四名。どちらも袴は深青色で、平たい綾藺笠(?)を被る。笛方の二名と「めくり」(進行にあわせて曲目を書いた紙をめくる役)の一名は藤色の衣。ほかに補助役で、ときどき笑いも誘うシテテンが二名。左右に日の丸の入った立烏帽子をかぶり、顔の前に紙垂(しで)のような、紐のようなものを垂らしている。

 曲は全部で21種あり、途中で休憩が入ったが、30分ほどノンストップで踊り続ける。曲調は単純だが、フォーメーションを覚えるのは大変そうだ。『年中行事絵巻』の田楽の図(徳川美術館で模本を見た)を彷彿とさせる一瞬もあった。後白河法皇や信西入道が、田楽という新しい芸能に魅せられた気持ちを思って、感慨ひとしお。解説者が、芸能とは、ある時代の人々を熱狂させ、やがて忘れられるものなのです、と述べていたことが印象的だった。熱狂の時代が過ぎたあとは、地方の片隅にひっそりと伝えられていく。だから現代人が見ても、それほど熱狂は感じないと思う、と淡々と述べていらした。永遠の生命を持つ芸術も大切だが、はかないからこそ大切なものもあるのだ。

 第二部は、奈良豆比古(ならづひこ)神社翁舞保存会(奈良県奈良市)による「奈良豆比古神社翁舞」の公演。宵宮に行われる芸能ということで、舞台は夜の境内を模し、開演前にろうそくに火(本物?)が灯された。再び短い解説があった。「能楽」は明治以前は「猿楽」と呼ばれた。その源流は大陸伝来の「散楽」である。「猿楽」(散楽)とは仮面と衣装を着けて何かを真似る芸能で、「翁舞」とは、演者が神様(先祖神)に変身し、郷民を祝福するものである。奈良豆比古神社の翁舞は、演者が観衆の見ている前で面をつけ、神に変身する(神が影向する)ところがめずらしいという。

 前謡→千歳舞(面は着けない)のあと、太夫が面を着け、太夫と脇二名による「翁三人舞」になる。「まんざいらくー」というのびやかな声。よく分からないが、舞台にめでたさが充満する。翁三人の退場のあと、黒い翁面の三番叟が千歳を従えて舞う。「三番叟」って、文楽でしか見たことがなかったが、古式にのっとると、こんな感じなのか。認識を新たにした。終始変わらない、小鼓の打つときの単調な掛け声(プログラムによれば)「イーヤー、アィヤー、オンハー」というのが、なぜか一週間経った今でも、耳に残って消えない。
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