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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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三種聴き比べ/声明を楽しむ(国立劇場)

2015-06-10 21:05:01 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 第3回伝統芸能の魅力・声明を楽しむ(6月6日、11:00~)

 なんとなく気になるけれど敷居の高い伝統芸能について、解説つきで比較的短時間・安価なプログラムを提供するシリーズ。いい試みだと思う。幕が開くと、舞台上には10人ほどの僧侶が横一列に並んでいて、短めの一曲を唱える。あとで浄土宗縁山流の皆さんだと分かった。続いて、講師の茂手木潔子先生が登場し、声明について解説する。仏様に捧げる声の音楽には、宗派によっていろいろな呼び名があるが、国立劇場では設立以来「声明(しょうみょう)」で統一しているとのこと。声明は、西洋音楽のように絶対的な音階に基づくのではなく、はじめに声を出す人の音が基準になるので、演じるたびに微妙に旋律が変わるという(※音楽用語は不正確です)。日本の僧侶がヨーロッパの教会で声明を演じた際、石造の建物は、音の反響が木造と全く違うので苦労した、という話も面白かった。

 続いて今日の主役である浄土宗縁山流の僧侶三人が登場し、同派の特徴的な節回しを実演してみせる。縁山流は徳川将軍家の菩提寺である増上寺に伝わるもので、はじめは天台宗の僧侶を京都から連れてきて、法会で声明を演じさせていたが(そのための声明長屋なる宿泊施設?もあった)、やがて「江戸」独自の声明が、1650年頃に成立した。家康の文化的野心が見えて面白い。増上寺には文化センターの役割があったのかな。絵画では狩野家との結びつきも強かったはず。聞かせてもらった旋律は、非常に技巧的で、長唄や小唄など、江戸の世俗的な音曲のもとになったというのも分かる気がした。

 さらに舞台には三人ずつ二組の僧侶が登場した。スツール(背もたれのない丸椅子)に腰を下ろした、と書こうと思ったが、あれは平安時代の節会等で使われた「草とん(そうとん)」かも知れない。向かって左、天台宗の僧侶は、明るい薄茶色の衣に同色の袈裟。中央、浄土宗縁山流の僧侶は黒紗の衣に濃茶一色の袈裟。右、真言宗豊山派の僧侶は、黒の衣に格子のはっきりした袈裟。袈裟のつけ方もそれぞれ微妙に違っていて面白い。

 そして「四智梵語讃」という同じ曲を、各宗派の旋律で聞きくらべる。天台宗は、いかにも平安時代の貴族の好みを思わせ、音の起伏が少なく、急がず慌てず、ゆったりと音を引っ張る。「公演では30分もすると、ほとんどのお客さんが寝てます」と嘆いて(?)笑いを誘っていたが、確かに私も天台宗の声明公演では眠気に勝てなかった経験あり。それに比べると、縁山流は江戸文化だなあ。なんというか、せわしない。真言宗豊山派は、縁山流ほど短気ではないが、装飾音をちりばめて、キラキラと華やか。個人的に、いちばん好きなのは真言宗かな。

 三組とも後ろの二人は鳴り物を抱えていた。シンバルみたいな「鈸(はち)」と、銅鑼みたいな「鐃(にょう)」。これも宗派によって、形や鳴らし方が少しずつ違う。鐃(にょう)は、響かせ過ぎないという点は一致していて、本体を身体に密着させ、撥は押し付けるように叩く(弾ませない)。縁山流は、袈裟の紐の一部が胸の前に垂れているのを利用し、その上から叩くという念の入れよう。鈸(はち)は、楽器の縁を擦り合わせるようにして音を出す。真言宗では左手の鈸(はち)を動かさず、右手だけ円を描くように動かす。

 最後に客席も声を出して、縁山流の節回しをうたってみるワークショップもあって、面白かった。阿弥陀様に聞こえるように、とにかく大きな声を出すのが修行です、とおっしゃっていたな。

 休憩後の第二部。縁山流のお坊さんが華やかな法衣と袈裟に着替えて再登場。「四智梵語讃」「散華」「伽陀」「開経偈」「歎仏頌」「笏念仏」「唱礼」「讃嘆」「同称十年」を唱える。笙、篳篥と龍笛も混じって、楽しかった。短かったこともあるが、旋律に変化があるので、確かに天台声明ほど眠くならない。なお、舞台の奥には、増上寺から持ってきていただいたという山越しの来迎阿弥陀図が掛けてあった。
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アイスショー"Fantasy on Ice 2015 幕張"

2015-06-01 01:23:06 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2015 in 幕張(2015年5月30日16:00~、5月31日13:00~)

 2010年に初めて見に行ったアイスショーがこのファンタジー・オン・アイス。海外男子スケーターに贔屓が多い私には、いつも大満足の出演者で、以来、2011年、2014年と新潟へ見に行った。今年は新潟公演がないので、どうしよう、いちばん近い幕張に行くか、と考えていたら、4月末に羽生結弦選手の参加が決まったとたん、あらかたチケットがなくなってしまった。慌てて二日目は最安のB席をなんとか購入できたが、千秋楽もあきらめきれず、チケット売買サイトでSS席を手に入れた。

 まず二日目(土曜日)。開場の少し前に到着すると恐ろしい人数が並んでいる。圧倒的に女性で、40~50代くらいが多い(他人のことは言えないが)。聞くともなしに会話を聞いていると、羽生くんのファン多いなあ。新潟や札幌などの地方公演だと、もう少し男性や地元のおじいちゃんおばあちゃんもいたんだけど、首都圏は客層が違う。

 この日の席は3階の最後列だった。選手には遠いが、視界が広くて、リンク全体が見渡せたのは利点。前日のツイッター情報で、選手の登場順やプログラムが分かってしまうのは、いいんだか悪いんだか。自分は(下調べもできて)ありがたいと思っている。

 華やかなオープニングに続いて、一番手は樋口新葉ちゃん。運動量の多いアップテンポの曲で弾けまくる。村上佳菜子ちゃんが出て来た頃を思い出した。次がジュベールの「TIME」。これ動画で見たときは、奇抜な衣装しか印象に残らなかったんだけど、こんな素敵なプロ(ちょっと前衛的)だったのか。ジュベールは後半では、アーティストのシェネルさんとコラボ。

 個人的にいちばん見応えがあったのは、ジョニー・ウィアーとステファン・ランビエール。ジョニーは前半が「カルメン」で後半の曲は「クリープ」というのか。どちらも黒の衣装だけど、テイストが全然違う。前者は、闘牛士の凛々しさと同時に、ときどき獰猛な牛そのものを思わせた。男と女の闘争劇である「カルメン」の全ストーリーが凝縮されているようで、魂を持っていかれた。後者は、上半身がタンクトップ、腰から下にロングスカートのような布をまとう。逞しく、華麗。考えてみると、フィギュアスケートだけでなく既存のスポーツって、どれも「男」「女」の枠で競われているけど、ジョニーは完全に違う次元にいて、とても素敵だ。

 ランビエールの「Sense」は演劇の舞台のように文学的だった。さっき歌詞の日本語訳を見つけて、氷上の演技を記憶の中で反芻している。後半の「誰も寝てはならぬ」がまた、オペラ「トゥーランドット」を怒濤のようによみがえらせて…リュウの献身とか、愛に目覚めるトゥーランドット姫とか、いろんなことを思い出して、涙がこぼれそうになった。本当に感動的だと拍手も忘れる。プルシェンコの「カルミナブラーナ」は、今の彼にしか表現できない重厚感。ただ、構成はもう少し練ってほしい気がする。進化を楽しみに見守りたい。後半は「ロクサーヌのタンゴ」で、なんだかローマの皇帝が身分を隠していかがわしい娼家に現れたみたいに思った。

 ハビエル・フェルナンデスは、帽子を扱う「黒い罠」とコメディタッチのビゼー「闘牛士」。芸達者だなあ。ピンクのジャケットのジェフリー・バトルは「Uptown funk」。さっき当日のテレビ放映の動画を見たら「32歳」って紹介されていたのが信じられない。アイスダンスはタチアナ・ボロソジャル&マキシム・トランコフとアンナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ。どちらもよかった~。

 日本人スケーターのことを省略するのは申し訳ないが、たくさん情報は上がっているから、必要なときは他人のブログやツイートで探せるだろう。羽生くんの1プロ目、初日と二日目は「Vertigo(ヴァーティゴ)」で、千秋楽は「Hello, I love you(ハロー・アイ・ラヴ・ユー)」だった。どっちも記憶にあるので探したら、前者は2011年のファンタジー・オン・アイスで、後者は2012年のプリンス・アイス・ワールドで見ているんだな。でも当時は、正直、端正な曲のほうが似合うのになあと思っていた。こんなにカッコよくなるとは…。二日目の腰振り、千秋楽のTシャツ脱いで客席に投げ込みプレゼント、楽しませてもらいました。2プロ目はシェネルさんとのコラボでしっとり「ビリーヴ」。千秋楽のフィナーレのジャンプ大会も面白かったなあ。他のスケーターが見ている前では二度失敗して、さすがに終演の時間もあるので、全員退場になるかと思ったら(このとき、羽生くんの腰のあたりをプルシェンコがポンと叩いて、元気づけているように見えた)ひとりだけリンクに残って、再挑戦して、とうとう四回転を成功させ、そのまま連続ジャンプも決めてみせたこと。退場した選手の何人かは出入口の幕を開けたまま、様子をうかがっていた。

 宇野昌磨くんもフィナーレのジャンプ大会は失敗の連続だったけど、こうして度胸と本番での強さを身につけていくんだろうな(今シーズンのSPはパワフルで男前でとっても楽しみ)。織田くんが意外にも(失礼)ジャンプを決めたり、大人のランビエールが挑戦に加わったり、やっぱり千秋楽のフィナーレは楽しさ倍増だということがよく分かった。

 お客さんもいい雰囲気だったな。感心したのは、羽生くんのTシャツプレゼントで阿鼻叫喚になっても、その直後にアイスダンス(ボロ&トラ?)の演技が始まったら、さっと切り換えて、声援と拍手を送っていたこと。花束やプレゼントの投げ入れを禁止している点で、競技会よりアイスショーのほうが進行が整然としている。

 プログラムはあまり買わないのだけど、今回は昨年のFaOI公演の写真が入っていたり、ランビエールの長文インタビューが興味深い内容。「スノー・キング」のTシャツも買えてうれしかった。そして、いまチケット売買サイトで神戸公演のチケットを探している。オペラ公演並みの金額なら取ってしまいそう…。
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新たな一歩/文楽・二代目吉田玉男襲名披露と一谷嫰軍記、他

2015-05-20 22:54:41 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 5月文楽公演(2015年5月15日、第1部 11:00~)

・五條橋(ごじょうばし)

 有名な弁慶と牛若丸(義経)の出会いを語る短い一段。景事のひとつかと思っていたら『鬼一方眼三略巻』の一部であると初めて知った。牛若丸の美々しい装束、とりわけ色取々の絵文様を散らした袴が、岩佐又兵衛の『浄瑠璃物語絵巻』を思い出させた。 
    
・新版歌祭文(しんばんうたざいもん)・野崎村の段

 奉公先の一人娘お染と深い仲になってしまった丁稚の久松、幼馴染みの久松を慕う田舎娘のお光の三角関係を描いた作品。焼きもちをストレートに表現するお光がかわいい。久松は今ならまだ中学生くらいだろうか。船に乗ったお染と母、駕籠で堤をゆく久松の道行(って言わないのかな)は、舞台の上も面白いんだけど、鶴澤寛治さんと寛太郎さんの三味線が華やかで、床ばっかり見ていた。
    
・二代目吉田玉男襲名披露口上

 幕が上がると、吉田玉女改め二代目吉田玉男さんを前列中央に、20人くらいが裃姿で着座していた。向かって左端の竹本千歳大夫が口上を切り出す。まず右側の嶋太夫さん、鶴澤寛治さんが挨拶。先代吉田玉男さんや、中学生で入門したばかりの頃の二代目玉男さんの思い出を語る。先代に「いつまで続くか…」と案じられていたとか。続いて左側の吉田和生さん、桐竹勘十郎さんが挨拶。三人とも同期なんだね。そして、本人はひとことも喋らず、中央で終始手をついて頭を下げていらした。背景の襖に大きく描かれていたのは玉男さんの家紋らしいが、菱形に宝珠という珍しい紋(いま探しているが名前が分からない)。

・一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)・熊谷桜の段/熊谷陣屋の段

 これ見たことあるはずなんだけどいつ頃かなあ。自分のブログを検索しても見つからなかった。物語は源平の争乱の最中、一谷合戦の後、源義経を大将とする熊谷直実の陣屋。直実の妻、相模が鎌倉から訪ねてくる。そこに平経盛の妻であり敦盛の母、藤の局が現れ、かつて宮中で朋輩だった女二人は再会を喜ぶ。戦場から戻った直実は、自分が敦盛を討ったと語り、大将義経による首実検に臨む。ところが首は、直実と相模の一人息子である小次郎のもの。義経は、直実の愛する桜にことよせて「一枝を切らば一指を斬るべし」との制札を立て、実は後白河院の落胤である敦盛(そうなのかw)を斬ると見せかけて、小次郎を斬るよう、直実に謎をかけたのであった。面白いなあ。主君のために我が子の命を差し出す「身代わり譚」は、だいたい陰惨なんだけど、この話は謎解きの爽快感がまさって、比較的カラッとした後味である。石屋の弥陀六は実は平宗清なんだな、そうかそうか(平頼盛の乳父)。

 直実を遣う二代目玉男さんにじっと注目するはずだったが、ストーリーの面白さに引き込まれて、それどころではなくなってしまった。プログラムの解説にいうとおり、本格推理小説のようなスリルがある。襖に映る若武者の影とか、幽霊が石塔を立てに来るなどの「小道具立て」も秀逸。しかも当時、敦盛の幽霊が立てたといういわれの石塔が現存していたというのも面白い。人形は、藤の局を桐竹勘十郎さん、相模を吉田和生さん。これから彼らが中心となって、新しい文楽の舞台を作っていくんだろうなあ。ますます目が離せない。

 今回の公演プログラム(冊子)は、二代目玉男さんのインタビューあり、初代玉男さんを偲ぶ記事(相変わらずかっこいい~)あり、東京公演としては珍しく力が入っていた。カラー写真も多数。山川静夫さんのエッセイも非常に読み応えがあった。初代も二代目も、近所の「オッチャン」に誘われて、文楽の世界に入ったという話。いまは、適性を見極めた合理的なキャリア選択が推奨されるけど、こういう不思議な「縁」に始まり「忍耐」が人を育てる話、何だかほっとする。

※おまけ:ロビーに飾られたお祝いの花。左端は北野武氏から。1つ置いて、白い胡蝶蘭は、岡田美術館館長の(というより元・千葉市美術館館長の)小林忠氏から。ほほう。


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世話物、中国もの/文楽・天網島時雨炬燵、国性爺合戦、他

2015-03-03 21:55:44 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 2月文楽公演(2015年2月28日)

 金曜の夜に札幌を発って、土曜に東京で文楽を見て来た。

・第1部『花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)・万才/海女/関寺小町/鷺娘』『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)・紙屋内の段』

 『花競四季寿』は、1月に大阪の国立文楽劇場で見て来たばかり。でも演者が替わっているのが面白かった。すぐに気づいたのは、三味線の鶴澤清治さん(大阪)がいなくて、鶴澤寛治さん(東京)が床に上っていた。あらためてプログラムを見比べたら、三味線も太夫も人形もほとんど替わっていた。こういう違いが分かるようになると、同時期に同じ演目を続けて見ても楽しめるんだろうな。鷺娘の文雀さんは休演で和生さんが代演。

 『天網島時雨炬燵』は『心中天網島』の改作。原作に比べると、テレビドラマのような気安さ、滑稽さが際立つ。より人間の実像に近いかもしれない。東京では35年ぶりの上演だというので、たぶん初見だと思う。やっぱり(私を含め)東京人はストイックで文学的な原作のほうが好みなのだろう。冒頭のチャリ場、弾けたような「ちょんがれ」を美声にのせる咲甫大夫さん、いいわあ。切は余裕の嶋大夫さん。奥は英大夫さんが熱演。玉女さんの紙屋治兵衛は、なんとなく威厳がありすぎて落ち着かない感じがする。

・第2部『国性爺合戦(こくせんやかっせん)・千里が竹虎狩りの段/楼門の段/甘輝館の段/紅流しより獅子が城の段』

 ずいぶん前(学生時代?)に一度だけ見た記憶がある演目。その頃より、物語の背景が分かるようになって、楽しめた。この日の午前中は東京国立博物館で『南京の書画-仏教の聖地、文人の楽園』という特集陳列を見て、明の遺臣たちのさまざまな生き方を考えていたのも偶然だった。

 冒頭の「千里が竹虎狩りの段」はとにかく楽しい。でも、むかしからあんなモコモコした着ぐるみふうの虎だったっけ? 和藤内と相撲を取ったり、熱演中の三輪大夫さんにちょっかいを出したり、笑わせてくれる。「楼門の段」「甘輝館の段」は、人形の動きが少ないので、舞台だけを見ているとちょっとダレるが、呂勢大夫×清治、千歳大夫×冨助に聞き惚れ、見惚れて飽きなかった。最近、上演中もつねに楽器をメンテしている三味線の様子が気になって、舞台以上に注目してしまう。あと、端役の唐人たちが、ときどき中国語の発音に似せたセリフをしゃべっていて可笑しい。韃靼王はヌルハチのことで、李踏天は李自成のことだろう。甘輝館の城壁に翻る旗の文字が五常軍の「五」だと読めたこともひそかに嬉しかった。

 しかし、考えるとトンデモない物語である。和藤内(鄭成功)と義兄弟の五常軍甘輝が、明の再興に向けて手を結ぶため、和藤内の姉にして甘輝の妻である錦祥女とその母、二人の女性は自ら命を絶つ。どこに義があるんだ?という論法だが、これが大当たりしたというのだから、昔の人の思考回路は分かるようで分からない。
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北海道で20年/さっぽろ人形浄瑠璃芝居あしり座公演

2015-02-22 21:26:04 | 行ったもの2(講演・公演)
札幌市教育文化会館 『人形浄瑠璃2015 さっぽろ 人形浄瑠璃芝居あしり座二十周年記念公演』(2月22日、13:30~)

 札幌で時々人形浄瑠璃のワークショップを開いている団体があることは、なんとなく気づいていたが、どうせ地方の素人集団だろうとタカをくくっていた。今回は20周年記念公演ということで、「新口村」など本格的な演目も混じっていたので、初めて見に行ってみた。

 土日の2回公演の日曜日。大ホール(1,100席)の少なくとも1階席は完全な満席。北海道の人形浄瑠璃公演にこんなに人が集まるということにびっくりした。まずは『寿式三番叟』。前半は二人の三番叟が舞い、後半はもう三人が加わって、五人で舞う。人形遣いの下半身を隠す「手摺」がなくて、広い舞台を上手く使って舞う(五人が縦一列に並んだり)のが面白かった。舞台の奥に太夫さんと三味線、鳴り物がずらりと並んだ。人形遣いや音曲に女性の姿が混じるのも新鮮。

 場面転換の間に、八王子車人形の西川古柳氏が幕前に出て、三人遣いの人形の遣い方についてレクチャー。それから、落語家・入船亭扇治氏が高座ならぬ床にあがり、『紺屋高尾』の一席。落語と人形芝居のコラボレーションである。最近、大阪でも似たようなことをやっていたが、これは悪くない試みだと思う。同じ語り物でも、落語のほうが浄瑠璃より、現代人にはずっと分かりやすい。ただ、私は(文楽)人形浄瑠璃に「江戸ことば」のミスマッチ感が、なかなか受け入れられなかった。でも本格的な落語を久しぶりに聞けたのは嬉しかった。主人公の久蔵の主遣い、若いのに上手かったなあ。

 休憩をはさんで『傾城恋飛脚 新口村の段』。語りは竹本信乃太夫。ちょっと苦しそうだったけどよかった。1月に大阪で『冥途の飛脚』を見たばかりだったこともあって、じわじわ感動。言いたいことを言えない、内心と全く違うことを言葉にする、っていう芝居、日本人は好きだよねえ。三味線は鶴澤弥栄さん(女性)。お二人の前にはマイクが置かれていた。あれは録音用なのか、会場内に流すためなのか、よく分からなかったが、会場が広すぎたり、演者の調子が悪いときは、補助的に使ってもいいと思うな、文楽でも。

 最後の『御祝儀 祝い唄』はオリジナルで、神楽のように四方を踏み固め、チャリ場のように笑いを取りながら、今日の会場、観客、あしり座、そして北海道と札幌の町を言祝ぐ。楽しかった。ううむ、私の愛する文楽人形浄瑠璃がさらなる活性化のために学ばなければならないのは、こういう手法なんじゃないかな。やっぱり大阪を言祝ぐ芸能であり続けないと。東京に寄り過ぎちゃ駄目なのかもしれない。

 アンコールで、小・中・高校生の若いメンバー(ユースクラス、ジュニアチーム)が勢ぞろいしたのも素晴らしかった。子供時代に先入観なく古典の世界を体験した彼らから、ずっと人形芝居を続けていく者も生まれ、実演を離れても、観客として戻ってきてくれる者もいるという。それから『御祝儀 祝い唄』で太夫をつとめた田中碩人君は、4月から国立文楽劇場の研修生になることが決まっているそうだ。ええ!覚えておこう。応援するぞ。10年先、20年先に舞台で見ることができたら嬉しい。私も長生きしなくては。

人形芸能、夢へ一歩 19歳田中さん(朝日新聞デジタル 2015/2/20)
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アイヌコタンのあった時代/ぶらり、幕末維新のサツエキ周辺(北大人文学カフェ)

2015-02-15 19:00:08 | 行ったもの2(講演・公演)
○紀伊国屋書店札幌本店 第15回北大人文学カフェ『ぶらり、幕末維新のサツエキ周辺』(2月14日、15:00~)(講師:谷本晃久)

 サツエキ(札幌駅)に近い紀伊国屋書店の1階インナーガーデンでは、さまざまなイベントが開かれているが、私は今回が初参加である。少し早いかなと思ったが、15分位前に着いたら、もう空席を探すのに苦労する状態。私はなんとか座れたが、1時間半、立ち見状態のお客さんもいたようだ。

 講師は、北大文学研究科准教授の谷本晃久先生。日本近世史、北海道地域史が専門で、昨年『近藤重蔵と近藤富蔵』の著書を刊行されている。壇上には、もうひとり、大学院生のソントン・マイケルさん(と自己紹介していたが、ソントンが姓かな?)が聞き役として上がった。19世紀の都市計画が専門で、特に札幌のことを調べるため、北大に留学中だという。

 講義は、谷本先生が用意した文献や写真のスライド(PPT)を見ながら、ふたりの掛け合いで進む。今の札幌駅付近(札幌市北区北6条西4丁目)は、明治時代には「北海道石狩国札幌郡琴似村」だった。ちなみに「札幌村」は今の東区あたりにあった。維新以前の北海道は蝦夷地と呼ばれ、このあたりは「西蝦夷地石狩場所琴似領」だった。ふ~ん。北海道史としては基礎の基礎だと思うが、本州人の私は、江戸時代に「○○場所」という地域単位があったことを初めて知った。

 私は札幌を中心とした現在の北海道の地図しか思い描けないが、当時は、石狩川河口に運上屋(交易の拠点)があって、石狩川流域の物産品は、いったんここに集められ、海上経由で松前に運ばれた。内陸部の札幌より、石狩川河口のほうが、ずっと文化的にも経済的にも「中心」に近かったわけだ。

 幕末のサツエキ付近にはアイヌのコタン(集落)もあった。北7条西7丁目には、琴似又市というアイヌの乙名(集落のリーダー)が屋敷を構えていたことが、開拓使文書から確認される。この文書は、琴似又市の「所有地」があることを認めており、最初期の札幌の町づくりが、和人とアイヌの同居を前提としていたことを示している。しかし、明治11年には、早くも石狩川支流域での漁労を禁じる法令が出される。漁業資源の保護を目的とうたってはいるものの、これによって、アイヌの人々は生業を失い、茨戸(ばらと)→旭川・近文(ちかぶみ)の「旧土人保護地」への撤退を余儀なくされる。

 後半の質問タイムに補足として話されたことだが、琴似又市は奉公先で江戸ことばや江戸の侍の所作を身につけていたので、開拓使の役人にも非常に重宝され、乙名に任命されたそうだ。東京に留学にも出された。しかし、明治10年代に入り、入植が予想以上の急ピッチで進むと、アイヌの人々との共存共栄は不要となったのである。ちなみに開拓使自体も、門松秀樹『明治維新と幕臣』によれば、当初は松前藩の旧幕臣を雇用したものの、全国から人が集まるようになると、冗員整理をおこなったという話を思い出した。いずれにしても厳しいなあ。

 サツエキ付近のアイヌの人々が漁場としていたのは、琴似川の支流で、現在の北大構内を流れていたサクシュコトニ川である。こんな内陸で漁ができたのかと思うが、札幌農学校時代には、学生が鮭を獲っている写真が残っているそうだ(笑)。見たい。サクシュコトニ川は、実業家の伊藤義郎邸(ああ、前を通ったことがある!)内に水源を持っていたが、すっかり枯れてしまった。現在、北大構内に復元されている流れは、水道水による。ただし、北大から伊藤邸に至る間には「川床」の遺跡を見ることができる。川床は所有権がないので家を建てられないそうだ。谷本先生のスライドで、家と家との間が微妙な空白になっていたり、家庭菜園化した空き地には見覚えがあった。

 製菓の千秋庵本店や「千歳鶴 酒ミュージアム」では札幌の伏流水を味わうことができるという。これは一度行ってみよう。石狩国のもとの中心地は「今の番屋の湯のあたり」と言われて、全然分からなかったが、これは温泉なんだな。石狩八幡神社には江戸時代の金石文もあるんです、とおっしゃっていたが、江戸時代の石碑や石鳥居をわざわざ見に行くほどの関心は、本州人にはちょっと持てない。

※参考:朝日新聞:飲み物編 まちなかの地下水(2014/4/11)
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初春は賑やかに/文楽・彦山権現誓助剣、冥途の飛脚、他

2015-01-19 22:49:00 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立文楽劇場 新春文楽特別公演(2015年1月18日)

 今年も大阪の国立文楽劇場まで、新春文楽特別公演を見て来た。第1部は、床の真横のボックス席で、視界はこんな感じ。



 正面の天井には、吉例「にらみ鯛」と、干支の「羊」字の大凧。揮毫は真言宗智山派総本山智積院の寺田信秀化主である。



・第1部『花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)・万才/海女/関寺小町/鷺娘』『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)・杉坂墓所の段/毛谷村の段』『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・道行初音旅』

 四種の景事で構成される『花競四季寿』。全く期待していなかったのに、見惚れ、かつ聞き惚れてしまった。初春らしく、めでたく賑やかな「万才」で幕開け。ピンク色の蛸の出てくる「海女」で笑わせ、秋の枯野を背景とした「関寺小町」でしっとり。一瞬、老残の小町に寄り添う僧侶に見えたのが、文雀さんだった。小町の和歌、『卒塔婆小町』の伝承、謡曲の詞章など、長い文学の伝統が凝縮されている。最後は雪景色に映える「鷺娘」の妖艶な美しさ。床の上には、大夫さん5名、三味線5名という賑々しさ。三味線の鶴澤清治さんの撥さばきに見とれた。

 『彦山権現誓助剣』は初見の演目。心優しい剣術の達人・六助のところに、師匠の決めた許婚、その妹の子、母代りの老女が次々に現れる。母を亡くして寂しい独り暮らしだった六助は、にぎやかな家族を手に入れて、めでたしめでたし(違うか)。

 『義経千本桜』の「道行初音旅」。これも大勢が床に並ぶ。桜色の小紋を散らした揃いの裃。静御前を遣う勘十郎さんの肩衣も花びらを散らしたようで、華やかだった。勘十郎さん、キツネのほうを遣いたいんじゃないかなあ、と思いながら、楽しんだ。

・第2部『日吉丸稚桜(ひよしまるわかきのさくら)・駒木山城中の段』『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)・淡路町の段/封印切の段/道行相合かご』

 『日吉丸稚桜』も初見。いや~まだまだ知らない演目があるなあ。木下藤吉郎ならぬ木下藤吉(このしたとうきち)が主人公らしいが(上演の段ではあまり活躍せず)、あまりにもスッキリした二枚目なのでびっくりした。しかも情理をわきまえ、思慮深いヒーロー。大阪人にとっての豊臣秀吉って、こんなイメージなのかな。

 お待ちかね『冥途の飛脚』。やっぱり何度見ても面白い。詞章に無駄がなくて、するする頭に入ってくる。緊張感が途切れない。ああ、そして、忠兵衛のダメっぷり。これだけダメな男を平然と主人公に据えて、観客の同情をもらえると考える脚本家・近松のふてぶてしさ。梅川、被害者だよね、どう考えても。梅川を勘十郎、忠兵衛を玉女。比べるわけではないけれど、どうしても亡き吉田玉男さんの遣った忠兵衛が脳裡によみがえってしまう。玉女さんは玉男師匠に「お前は硬いねん」と言われた、という思い出を本公演のプログラムで語っている。でも玉女さんは、年を取るごとに色気の増すタイプじゃないかしら。ひとつの芸事を長年見続けるって、面白いものだなあ。

 第2部は、最前列だったので、久しぶりに人形をガン見。床の様子は見えないんだけど、語りと三味線が、頭上にシャワーのように降り注ぐ席で、気持ちよかった。とりわけ、美声だな~と思ったのは咲甫大夫さん。ちょっと腹の立つくらいの(笑)美声。幕切れでは、紙ふぶきの粉雪が降り注ぐのだが、風に流されて客席に舞い落ちるものもあって、舞台と現実の境界が溶けてゆくような感じを味わった。
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初春は雅楽から/伶楽舎・雅楽コンサート

2015-01-13 21:26:59 | 行ったもの2(講演・公演)
札幌コンサートホール(Kitara)主催 『ニューイヤーコンサート 雅楽』(1月12日、14:00~)(出演:伶楽舎

 中島公園にある札幌コンサートホール「Kitara」まで、雪を踏み分けて、雅楽コンサートを聴きに行った。演目は、第1部が管弦「双調音取(そうじょうのねとり)」「入破(じゅは)」「胡飲酒破(こんじゅのは)」、舞楽「五常楽急(ごしょうらくのきゅう)」。第2部が、敦煌琵琶譜による復曲で「琵琶独奏(傾杯楽より)」「急胡相聞(きゅうこそうもん)」「風香調調子(ふうこうちょうちょうし)」「傾杯楽(けいはいらく)」「伊州(いしゅう)」「急曲子(きゅうきょくし)」。

 冒頭の管弦は、舞台上に11名の楽人。前列が、右から鞨鼓、太鼓、鉦鼓。中列が、琵琶、筝。後列が、笙、篳篥、龍笛(各2名)の編成だった。私は、舞台の真横にあたる2階席で、打楽器のみなさんの手元を覗き込むような位置だったのが面白かった。特に太鼓は、ふだん正面からだと演奏者の姿がほとんど見えないので、なるほど右手の撥は太鼓の中心を強く打ち、左手の撥は太鼓の端を弱く打つのか、というようなことが初めて分かった。

 曲の合間に、鞨鼓の演奏者の宮丸直子さんが、楽器や楽曲について解説をしてくれた。今年の演目の「双調」は、双調(ソ)を主音とする音階で、陰陽五行説では、季節は春、方角は東を表すとのこと。毎年、新春コンサートは「双調」の曲を選ぶのかと思ったら、そういうわけではなく、順繰りに変えるので、今年は非常にいい巡りあわせなのだそうだ。あ、橋本治の『双調平家物語』も「春」の意味を込めていたのだろうか?

 舞楽は「五常楽」より序破急の「急」。左方舞で二人の舞人が舞った。品のいい薄紫色の蛮絵装束。両袖、胸、前垂、背中などに向かい獅子が描かれている(位置によって、色が異なる)。冠は巻纓に緌(おいかけ)で、武官らしい雄々しさが際立つ。蛮絵装束というのも、衛府の官人の制服「蛮絵袍」から来ているのだそうだ。ワイルド系の若い男子を愛でるのに格好の舞である。

 第2部は、国立劇場が長年にわたって復元した正倉院楽器のための合奏曲として、芝祐靖氏が敦煌琵琶譜から復元した作品を演奏。横笛、 阮咸、磁鼓、方響、排簫、竽(う)、大篳篥など、珍しい楽器がたくさん登場した。平等院鳳凰堂の飛天が演奏していた楽器だなあ、と思い出すものもあり、「正倉院には美しい絵の描かれたものが残っています」(阮咸)とか「バラバラのパーツしか残っていません」(排簫)等の解説も、毎年行っている正倉院展の記憶がよみがえって面白かった。

 どの曲も唐代のインターナショナルな賑わいを思わせて楽しかったが、琵琶独奏がいちばん気に入った。「琵琶」という楽器の存在を知った当時は、ギターのように変化に富んだメロディが奏でられるものと思っていたので、初めて演奏を聴いたときは、あまりにぶっきらぼうで、音を叩きつけるだけなので、少しがっかりしてしまった。けれど、聞き馴れるにつれて、だんだん、その孤高の響きに魅せられるようになってきた。とことん歌う楽器もいいけれど、歌いすぎない楽器もいい。やっぱり明石の上ですね。白居易の「琵琶行」の悲哀も、琵琶でなければなりません。
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第11回鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台(鈴木邦男、上祐史浩)

2014-10-25 01:06:52 | 行ったもの2(講演・公演)
○第11回鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台:いま、語るべきこと(2014年10月21日、18:00)

 鈴木邦男シンポジウム「日本の分(ぶん)を考える」シリーズ第11回を聴きに行った。ツイッターに「次回のゲストは、ひかりの輪代表・上祐史浩さんです」という情報が流れてきたときは、さすがに、え!と驚いた。

 私は、昨年6月、同シンポジウム第2回(ゲスト:中島岳志さん)を聴きに行ったとき、鈴木さんが上祐史浩氏の話をしたことに触発されて、上祐史浩氏、鈴木邦男氏、徐裕行著氏の鼎談『終わらないオウム』を読んだ。以来、ずっと上祐氏のことが気になっていたので、生で話が聴ける機会、絶対逃すまい、と思って、申し込んだ。

 はじめに鈴木邦男さんが短い話をした。かつて「朝まで生テレビ!」で、オウム真理教と幸福の科学が対決したことがあって、あのとき、ああ、オウムの皆さんは本物だなと思った。非常に真面目だと思った。しかし、その真面目な人たちが、おそろしい存在になってしまって、一方、幸福の科学は、不真面目だけど楽しそうに続いている。鈴木さん、いつもながら、ひょうひょうと本質をついたことを言うなあ、と思った。幸福の科学の人たちとカラオケにいくと、あっ地獄に落ちちゃう、とか言いながら、楽しそうなんだよね、という体験談が、目に浮かぶようだった。

 そのあと、上祐氏が、オウム入信から、教団の武装化、偽証罪で収監され、3年の懲役に服し、出所後、教団の改革につとめるも主流派の排撃に遭い、麻原への信仰を捨てて今日に至る話をした。ううむ、不謹慎を承知でいうが、面白かった。いつか20世紀末を代表する奇譚として語り継がれる説話になるんじゃないかと思うくらい。そのあと、10分ほどの休憩を挟み、会場から寄せられた多数の質問に答えながら、二人の対談がおこなわれた。

 上祐氏によれば、オウム真理教が衆議院選挙に立候補したのは、民主的な方法でこの世を変えようと思ったからだという。しかし結果は惨敗。「民主的な方法では駄目だ」ということで、急速に教団の武装化が進んだ。このとき、信者たちは、選挙の惨敗は「悪の組織」が妨害したためだと本気で信じていたという。地下鉄サリン事件は、普通の生活者にとっては、反社会的な集団が、突如、凶悪な攻撃をしかけてきたとしか思えなかったが、彼らの主観においては、追い詰められた末の「反撃」だった。無論、だから許される行為だったとは思っていない、という点は、上祐氏も明言していたと思う。しかし、この「自分は被害者だから、やり返す」「反撃しなければ、潰される」という感覚は、かつて日本が戦争に突き進んだときもそうだったし、いまの日本社会にも蔓延している危うさではないかと思う。

 ただ、上祐氏は、選挙の失敗の頃から、麻原を疑う気持ちが少し芽生えてきたという。鈴木さんが「幸福の科学は、選挙に失敗しても平気だよね」と振ったら、「だっておかしいじゃないですか、絶対者が予言を外すなんて! どうして平気でいられるのか、全く分かりません!」みたいな、向きになった返答をしていて、この人、面白いなあと思った。この選挙結果に関しては自分でおこなった出口調査をもとに、「悪の組織の陰謀」を主張する麻原に反論を試みた。すると、少し上の世代の信者たち(早川さんとか)にこぞってたしなめられ、「お前は大学を出たばかりで、世間が分かっていない」などと説得されたという。なんだか、どこにでもある中小企業の古参職員と新入社員みたいな話で可笑しかった。

 宇宙開発事業団(現在のJAXA)に就職しながら、1ヶ月でやめてしまったのは、アメリカがSDI(スターウォーズ計画)を発表し、このままでは軍拡競争に加担することになると思ったから、とか、オウム真理教でのいちばん辛かった修行として、5日間飲まず食わずで地中に埋められたことがあるとか、めんどくさいほど真面目で、いい加減なことができない人柄が垣間見えた。たぶん多くのオウム信者たちも、真面目さが災いして、あそこまで突き進んでしまったんだろうな。殺人の罪を犯して地獄に落ちることを恐れるのは自己保身だと詰め寄られると反論ができない。自分も命じられればサリンを蒔いていただろう、という。上祐氏が、ときどき不意につぶやく「井上は」「村井は」など、かつてマスコミをにぎわせた名前を、私は不思議な懐かしさをもって聞いていた。彼らは特異な社会の変種ではなく、オウムの物語は、ずっと私の中で「現在の問題」として留まり続けているように思う。

 上祐氏は、10年かけて、麻原彰晃(松本智津夫)に対する信仰から脱却した。その過程には、大自然や聖地を巡ったり、修験道の大家に会ったり、さまざまな体験があったという。そのひとつとして、京都・広隆寺の弥勒菩薩に出会ったとき、もう麻原がいなくても大丈夫だと感じた、と語っていたことが印象的だった。あの仏像は、そんなふうに多くの人々の救済にひっそり手を貸してきたのかもしれないと思われた。それから上祐氏は「親への感謝」を語っていた。「大衆の一人」でしかない自分に価値が見出せるとしたら、それは親への感謝、尊敬を通じてではないか。「孝行」という古くさい徳目の意味が、初めて分かったようで新鮮だった。
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伝統芸能の冒険/新作文楽・不破留寿之太夫ほか

2014-09-30 23:01:19 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 平成26年9月文楽公演(2014年9月22日)

・第2部(16:00~)『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)・和田兵衛上使の段/盛綱陣屋の段』『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)・渡し場の段』

 飛び石連休の谷間が、なぜか千秋楽に当たっていた。まず、久しぶりの『近江源氏先陣館』。これは思い出深い演目である。高校生のとき、鑑賞教室で見せられた『塩原多助一代記』があまりにつまらなかったので、もう二度と見ない、と思っていた文楽公演に、大学の友人から誘われた。日本文学を学びに来ている留学生が文楽を見たがっている、というのが発端だった。しぶしぶ着いていったのが、この『近江源氏先陣館』で、あれ?思いのほかに面白い、と素直に考えをあらためた。その結果が、30年後の今日に至っているのである。

 近江源氏はすなわち佐々木氏。鎌倉方(北条時政)と京方(源頼家)に分かれて戦うことになった佐々木盛綱と高綱の兄弟。盛綱の陣屋に高綱の首級が届けられ、首実検にかけられる。直前の戦いで、盛綱のもとに生け捕られていた高綱一子・小四郎は、父の首級を見ると、悲しみのあまり、後を追って切腹をはかるが、実はそれは、偽首を本物と思わせるための、命を賭けた謀りごとだった。こう書くと、封建社会のグロテスクな孝行譚みたいだが、観客を唸らせるドンデン返しの連続で、トリッキーな智謀比べにカラッとした明るい印象が残る。盛綱、高綱のモデルが、真田信之、幸村兄弟だという解説を読んで、あらためて納得。そして和田兵衛が後藤又兵衛なのか、なるほど。

 盛綱、高綱の母・微妙(みみょう)が非常に重要な役どころ。久しぶりに文雀さんの活躍を見ることができて、嬉しかった。熱演がオモテに出すぎる中堅世代に比べて、相変わらずひょうひょうと無表情なところが好きだ。

 『日高川入相花』も、以前、一度くらい見ていると思うのだが、こんな派手な芝居だとは記憶していなかった。ストーリーは至極単純なのだが、清姫の変身ぶりがすごい。大胆無類。『道成寺縁起絵巻』に、半ば蛇身に変身しかかった姿で、荒波を掻き分け、川を這い渡っていく清姫の図があるが、その図柄のままである。うう、怖い。でも、不思議な爽快感がある。

・第3部(19:00~)〔新作文楽〕『不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)』

 シェイクスピアの「ヘンリー四世」「ウィンザーの陽気な女房たち」に基づく新作文楽。鶴澤清治=監修・作曲、河合祥一郎=脚本、石井みつる=装置・美術。見る前から、いろいろ噂は聞いていたが、幕が開いたとたん、その斬新な舞台美術に引き込まれてしまった。文楽の舞台は、手前も奥も「水平線」の積み重ねがお約束だが、あえて「半円弧」を取り込んだ背景が、何よりも新鮮だった。

 登場人物の人形も新作。ファルスタッフ、いや不破留寿之太夫、いい感じに脂ぎったおじさんに仕上がっていた。衣装がまた、無国籍で素敵。遣っていたのは桐竹勘十郎さん。脚本は、耳で聴いて分かる文章と語りを目指したということで、敢えての字幕なし。確かに、チャリ場ふうの、テンポのいい対話がずっと続くので、字幕は要らなかった。会場には自然な笑いが繰り返し湧いていた。外国人のお客さんも食い入るように舞台を見ていたので、海外公演の一演目にしてもいいと思う。

 ここまで伝統文楽を離れてしまうと、これは文楽じゃない、と感じるファンもあるだろうが、私は、鶴澤清治さんの「僕は現代のお客さんに喜んでいただけるものを一つでも多く作りたい。『こういうのも面白いね』と、お客さんの選択肢の中に加えていただけたら幸いですね」という言葉に感銘を受けた。技芸員の皆さんが「これも文楽だ」というなら、信じてついていく。2009年に見た『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』も面白かったし、2010年には、三島由紀夫の新作戯曲による『鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)』も見た。つくづく文楽って、果敢に攻める芸術だなあ、と思っている。

 中途半端に反戦思想っぽいセリフが入るところが気に入らない、という感想も読んだ。このへんは、シェイクスピアの原作に忠実なのか、文楽にするときに付け加えたのか、原作を読んでいない私は何も言わないことにしたい。ただ、石母田正さんが「平家物語」について、一見、無常観や宿命観に基づくように見せながら、この作者は、人間の営みが面白くてたまらないのである、と喝破していることを忘れないようにしたい。シェイクスピアも(この作品も)、最後に分別くさい教訓がついているからといって、それが作者の最も言いたかったことと考える必要はないと思う。

 そして私は、オペラではヴェルディが大好きなのだが、不勉強にも「ファルスタッフ」を全曲聴いたことがないのである。まだまだ未開拓の分野があるなあ。長生きしないと。
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