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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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10年に1度の贅沢/ミラノ・スカラ座『リゴレット』

2013-09-18 22:29:34 | 行ったもの2(講演・公演)
○NHKホール ミラノ・スカラ座日本公演2013『リゴレット』(2013年9月15日、13:00~)

 9月三連休の東京行きは、国立劇場の声明公演『天野社の舞楽曼荼羅供』を目的に、早くから決めていた。今月に入って、ほかに何かイベントはないか探していたら、ミラノ・スカラ座の日本公演があることを見つけた。私はオペラ好きでもあるのだが、「ナマ」のオペラを劇場で聴いたのは、10年以上前が最後だと思う。もうチケットはないだろうな、と思って、期待せずに探してみたら、15日(日)『リゴレット』のB席がわずかに残っていた。大好きなヴェルディ。大好物のリゴレット。NHKホールの3階席で、48,000円。たぶん札幌-東京の往復飛行機代より高い。でも、行っちゃえ!と思って、買ってしまった。

 当日は台風18号の接近で、朝から強い雨が降っており、まさか中止にならないよね?とドキドキしたが、昼には小降りになった。曲は2回の休憩を挟んで、約4時間。ぜんぜん飽きない。何度も何度も聴いているので、音楽の構成もドラマの構成も分かり切っているのに、楽しくてたまらない。金色を基調とした舞台美術は、豪華でかつ残酷な宮廷文化の雰囲気を盛り上げていた。衣装も華やか。やっぱり、現代的な演出より、時代性に忠実な舞台のほうが好きだ。

 指揮はグスターボ・ドゥダメル。音楽のことは、よく分からないので、あまり語ることはない。出演者の中で、私が知っていたのは、主役のリゴレットを演じたレオ・ヌッチくらいだ。私がもっと熱心にオペラを聴いていた学生時代(30年前)には第一線だったはずだから、ずいぶん長く現役を続けているなあと思ったが、公演のあとで、1942年生まれの71歳と知って、本気で驚いた。あり得ない~。でも、リゴレットは劇中で「老いぼれ」と揶揄され、自嘲する役だから、このくらいの年齢で演じてこそ味が出るのかもしれない。

 マントヴァ公爵のジョルジョ・ベッルージは、天に突き抜けるような朗らかな声質で、とっても良かった。この役は、むしろ薄っぺらいくらいの能天気な美声でないと、ドラマが成立しない。ジルダはマリア・アレハンドレス。この役は、解釈のしようがいろいろあって、私はもう少し落ち着きのある(内省的な)ジルダのほうが好きだが、「老いた父親」を演ずるヌッチとの対比では、こういう「若い娘」らしいジルダもいいのかもしれない。スパラフチーレのアレクサンドル・ツィムバリュク、マッダレーナのケテワン・ケモクリーゼもよかったと思う。でも、歌手がどうこうでなく、やっぱり旋律がいいのかなあ、この曲は。

 第二幕、公爵への復讐を誓うリゴレットと、公爵の身を案じて苦悩するジルダの二重唱で幕が下りたあと、カーテンコールで、ヌッチが再びその二重唱を歌い出したときはびっくりした。思わぬ大サービス(だよね?)に、観客大喜び。第三幕の大詰めでは、客席に本気の緊張がはりつめていた。そして、終幕後、劇団員一同が顔を揃えて「SAYONARA」のカーテンコール。ああ、そうか、日本公演の千秋楽だったのね。鳴りやまない拍手に答えて、出演者たちは何度も何度も挨拶に出てきてくれた。

 かくして至福の午後は終了。10年に一度の贅沢と思っていたが、2014年には、リッカルド・ムーティとローマ歌劇場来日公演があると知ってしまった。さすがヴェルディ・イヤー(2013年=ヴェルディ生誕200年)。歌舞伎や人形浄瑠璃で育った日本人にとって、「世話物」の構造に類似するヴェルディ作品は親しみやすいと思う。それにしても、来年、どうしよう。
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神と仏の盛儀/天野社の舞楽曼荼羅供(国立劇場)

2013-09-18 00:18:10 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 平成25年9月声明公演『天野社の舞楽曼荼羅供』(2013年9月14日、14:00~)

 この公演の開催を知ったのは6月頃だったろうか。あぜくら会向けの前売開始日に速攻で予約した。

 天野(あまの)社とは、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある丹生都比売神社のこと。まだ訪ねたことはないが、2012年の和歌山県博の特別展『高野山麓 祈りのかたち』で、この神社の名前を覚えたあと、翌日、粉河寺から橋本に向かう途中の駅のホームに「丹生都比売神社(天野社)」への案内を見つけて、ハッとした記憶がある。その天野社では、20年に一度遷宮の後、華やかな舞楽を伴う法要が、鎌倉時代から江戸時代まで盛大に行われてきたが、天保10年(1839)の執行を最後に百七十年間、途絶えていた。本公演は、平成26年(2014)に本殿修復が完成し、遷宮が行われるに当たり、舞楽曼荼羅供を「芸能公演としてまず復興」したものである。…というのは、公演が終わってから、プログラムの解説を読んで把握したこと。声明好き・舞楽好きの私は、当日、とりあえずワクワクしながら席についた。

 無人の舞台は、すでに幕が上がっている。開演前なら写真を撮ってもいいことを係員に確認して(二階席から)撮影した。


 
 手前中央が舞楽のステージ。左右に楽人の座がある。一段高い奥のステージは法要を行うところで、プログラムには「道場」とある。中央に大阿闍梨の座(公演では客席側を向いて着座)。その左右に十数人ずつの僧侶が着座した。舞台の最奥には、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅が掲げられている。

 プログラムに掲載されている「次第」をなるべく忠実に写しておくと、こんな感じ。

・集会之鐘(しゅうえのかね)
・出仕之鐘(しゅっしのかね)
・集会乱声(しゅうえらんじょう)
・【舞楽】振鉾(えんぶ)一節二節

 開演時刻の数分前、どこからともなく鐘(銅鑼?)が響き、薄明の舞台に、左右から楽人が入場。やがて客席が暗くなり、舞台が明るくなると、演奏が始まる。はじめに左方(南都楽所)の舞人が「振鉾」一節を舞い、次に右方(天王寺楽所雅亮会)が舞う。

・【管弦】鳥向楽(ちょうこうらく)=迎楽
・庭讃(ていさん)、四智梵語(しちぼんご)、反音(へんのん)
・大阿闍梨登礼盤(だいあじゃりとうらいばん)
・【管弦】白柱(はくちゅう)
・惣礼(そうらい)
・供花(くけ)

 左右の楽人とは別に、烏帽子・直垂姿の六人(鳳笙・篳篥・龍笛 各2)が登場し、行道の楽を奏でる。花道を30人ほどの僧侶の集団が進んでくる。先頭には、法螺貝・銅鑼・銅拍子(?)を奏でる僧侶(各2)。単純な旋律を繰り返すだけなのだが、法螺貝の音がものすごく気持ちいい。大好きだ。僧侶の集団は、力強く真言を唱え、沓音高く舞楽舞台を縦断して、檀上に上がる。赤い傘を差し掛けられていた大阿闍梨が着座。花が供えられる。大阿闍梨は本格的に諸仏の供養を始める。僧侶たちの読誦、斉唱、合唱が繰り返される。

・表白(ひょうひゃく)、諷誦文(ふじゅぶみ)、発願(ほつがん)、四弘(しぐ)、仏名(ぶつみょう)、教化(きょうげ)、神分(じんぶん)、云何唄(うんがばい)、散華(さんげ)、対揚(ついよう)
・【管弦】慶雲楽(きょううんらく)=散華行道楽

 このへんの順序は定かでない。会場内の電光掲示板の解説もあまり詳しくなかったし、プログラムも「次第」と「曲目解説」と「(声明の)本文」とに、少しずつ異動がある。

 休憩後、後半に移る。

・唱礼(しょうれい):五悔(ごかい)、発菩提心真言(はつぼだいしんしんごん)、三昧耶戒真言(さんまいやかいしんごん)、勧請(かんじょう)、五大観(ごだいかん)
・普供養・三力(ふくよう・さんりき)
・理趣経 中曲(りしゅきょう ちゅうきょく)
・【舞楽】陵王(りょうおう)

 電光掲示板に「唱礼」と表示されて、僧侶たちが真言を唱え始めた。と思ったら、左方の楽人が、どこかで聞いたような曲を奏で始めた(打楽器だけ?)。そして、燃えるようなオレンジ色の装束をまとい、黄金の仮面を被った陵王が、威風堂々、舞台に登場。聞き馴れた出だしの旋律とは、似て非なる登場だったので、え?ええ?!とうろたえる。僧侶たちの念誦のメロディに乗って、陵王は平然と(いつもの?)曲を舞い始めた。びっくりした。昨年、『四天王寺の聖霊会』公演を見たが、あくまで舞楽は舞楽、法要は法要の別パートだった。こんなふうに僧侶の念誦(声明)と同時進行で舞楽が行われるなんて、考えてもいなかったので、頭の中が真っ白になるくらい驚く。

 奏楽は、僧侶の念誦のメロディに遠慮しているようで、はじめ管楽器が加わっていなかったように思う。途中で篳篥と龍笛が加わったが、笙は最後の最後まで加わらなかった。

・唱礼(しょうれい):三十七遍合殺(さんじゅうしちへんかっさつ)
・【管弦】裹頭楽(かとうらく)=合殺行道楽
・後讃(ごさん):四智漢語(しちかんご)、心略漢語(しんりゃくかんご)、供養讃(くようさん)
・後唱礼(ごしょうれい):普供養・三力(ふくよう・さんりき)、小祈願(しょうきがん)、礼仏(らいぶつ)、廻向(えこう)
・廻向方便(えこうほうべん)
・【舞楽】狛桙(こまぼこ)

 ということは、次の「狛桙」も…と思っていたら、予想どおり。「三十七遍合殺」(ひたすら「毘盧遮那仏」と唱える)を挟み、「後讃」の念誦とともに、右方の舞人が登場して舞う(四人舞)。遠慮がちな奏楽を伴うが、カラフルで長いバーを携えて、ぴょこぴょこ屈伸する「狛桙」の所作は、体操みたいでかわいい。

・還列讃(四智梵語)(かんれつさん しちぼんご)
・反音(へんのん)
・【管弦】長慶子(ちょうけいし)

 僧侶たちは、再び隊列を組んで、花道より退場。楽人は、おなじみ「長慶子」を奏して、静かに退場する。

 ううむ、どのへんまでが記録に基づく復元なのか、公演用に整えられたのか、定かでないが、面白かった。耳で声明の旋律を愉しみながら、目で舞楽を愉しむというのは、ほかではできない経験だったと思う(電光掲示板で声明の本文を追っていたので、さらにあわただしかった)。できるものなら現地で行われる法要も参観してみたいものだ。
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管弦の遊び/天理大学雅楽部 北海道公演(札幌)

2013-08-07 21:08:29 | 行ったもの2(講演・公演)
札幌市教育文化会館 『天理大学雅楽部 北海道公演』(2013年8月6日、18:30~)

 東京にいたときから、機会があるごとに雅楽公演を見てきた。天理大学雅楽部の存在は、もちろん知らないわけはないので、ときどきホームページを覗いて、東京公演ないかな~とチェックをしていた。しかし、なかなか観覧の機会にめぐまれないままでいたら、先月、札幌市内某所で、この公演のポスターを見つけて、びっくりした。

 18:30の開演に間に合うように職場を飛び出すのは気が引けるが、なんとかなるだろう。しかし、北海道で雅楽公演なんて、お客は入るんだろうか?と余計な心配をしていた。それが行ってみたら、大ホール(1,100席)「完売です!」という会話が聞こえた。2階席の上のほうは少し空いていたかもしれないが、確かによく入っていた。全席自由で、私が入場したときは、まだ1階に探せば空席があったが、全体のフォーメーションが見えたほうが楽しいだろうと思い、2階の最前列に座ることにした。

 プログラムは、伎楽「迦楼羅」、管弦「越天楽」「陪臚」、謡物(催馬楽)「我家(わいえ)」、舞楽「納曽利」「太平楽」と、バラエティに富んだ構成。札幌在住のOBだというおじさんが舞台袖に上がって、各演目の簡単な解説をつとめた。実は、プログラムに佐藤浩司先生のお名前があったので、昨年の国立劇場での伎楽公演と同様、解説なさるのかな、と思って、楽しみにしていたら、さっきtwitterで「軽度の脳梗塞の為検査入院」というつぶやきを見た。では、あのOBのおじさんはピンチヒッターだったのかしら。「天理大学雅楽部の北海道公演は40年ぶりです」という言葉に、奇縁を感じた。

 伎楽「迦楼羅」は復元曲なんだろうな。子供にもわかる単純な所作芝居。10人ほどの楽隊が、舞台の下手に整列して楽を奏する。二人の農夫(紙か布の仮面)が畑を耕していると、イタズラものの迦楼羅が作物を食い荒らしにくる。毘沙門天が現れて、迦楼羅を改心させ、以後、悪虫を退治する益鳥(霊鳥)となる。という説明だったが、現れたのが、二人の巨漢(金剛力士?)を左右に従えた、白髪眉のおじいちゃん(太孤父)だったので「?」と思った。あの腰の曲がったおじいちゃんが毘沙門天の化身という設定らしい。伎楽は舞台を踏み鳴らす音が所作のアクセントになっていて、そこが舞楽と異なるように思った。

 管弦で場面転換。周囲に朱の欄干が巡らされる。舞台上には15、6人が、色とりどりの直衣姿で座す。背景が青一色なので、海の底の平家一門みたいだなあ、などと妄想する。「音取」に続いて、ゆったりした「越天楽」と、いくぶん調子の早い「陪臚」を演奏。

 場面転換して謡物(うたいもの)。楽人は後方に退き、前方には鶴翼の形に10人ほどが並ぶ。中央の1人が笏拍子を鳴らしてリズムを取りながら、催馬楽「我家」を唄う。のびのある男声が耳に心地よかった。歌詞は全く聞き取れなかったが、源氏物語にも登場する「大君来ませ、婿にせむ」という、あれのことか。もう少しくつろいで唄ってくれてもよかったのに。曲数ももっと聞きたかった。

 ここで15分休憩。第二部は舞楽。舞台の左右に楽人。最初は、右方(高麗楽)の「納曽利」。装束は黄色の袍に、緑色の裲襠(りょうとう、モコモコした房のついたエプロンみたいなもの)を付ける。ぴょこぴょこ飛び跳ねる様子がかわいい。続いて、左方(唐楽)の「太平楽」。昨年、東京の国立劇場で見た『四天王寺の聖霊会』のフォーメーションと、少し違うような気がしたのだが、単に私の気のせいかしら。この曲は、芸術的に完成された熟練の舞人よりも、多少雑なくらい元気な若人が舞うほうが、覇気が感じられていいと思う。隣りの席にいた小学生くらいの男子が、目を輝かせて見ていた。そうだよね、カッコいいって思うよね。最後に「長慶子」を奏して、しみじみと幕。

 北海道公演は、このあと小樽、函館、旭川と続く。ぜひまた来年も札幌に来てほしい。
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右翼と保守/第2回鈴木邦男シンポジウム:愛国・革新・アジア(鈴木邦男、中島岳志)

2013-06-19 23:43:26 | 行ったもの2(講演・公演)
○第2回鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台:愛国・革新・アジア(2013年6月11日、18:00)

 札幌の出版社・柏艪舎(はくろしゃ)が、札幌時計台で開催する鈴木邦男シンポジウム「日本の分(ぶん)を考える」シリーズの第2回。テーマは「愛国・革新・アジア」、ゲストは中島岳志氏。私は、鈴木邦男さんも中島岳志さんも著作はいくつか読んでいたので、ぜひナマでお話を聴いてみたいと思った。心配は、この日、定時に職場を離脱できるかどうかだったが、ダッシュでクリア。よしよし。

 最初に登壇したのは中島岳志さん。「右翼とは何か」を解き明かすため、明治維新とフランス革命の比較から始める。フランス革命以前、国家は国王のものであった。これ(主権)を国民のものに奪還したのがフランス革命。すなわち、フランス革命はナショナリズムを原動力としており、ナショナリズムなしにデモクラシーはありえない。

 一方、明治維新は「一君万民」を原理としており、一君(天皇)の下に、武士や貴族や農民という区別(階層)を消滅させようとした。しかし、現実は藩閥政治に陥り、万民の平等を実現することができなかった。そこで、天皇の大御心が国民に及ぶのを妨げている「君側の奸」を取り除くべく、まず武装闘争が起き(西郷隆盛はその最前線にいた)、言論闘争に移り、封建制度の打破を目指す自由民権運動へと引き継がれていく。さらに日露戦争以後の「煩悶青年」たちは、「一君万民」思想を一種のユートピア的コミューン思想として受け取りなおす。このへんは講師の『帝都の事件を歩く』(亜紀書房、2012)を思い出しながら聴いた。

 「右翼」とは、人と人が「透明な共同体」を作れると夢想する人たちで、その原点はルソーにある。「高貴な未開人」「子ども」「古代人」を理想とするロマンチスト。一方、保守主義者は人間の「本性」や「自然」に懐疑的である。福田恒存は、人間は永遠にペルソナをかぶって生きると断じた。

 講師は自らの立ち位置を「保守」に置く。その原点には、1995年、オウム事件が起きて「信仰と愛国」という理性では解けない問題を突き付けられたとき、伝統や習慣に拠る「保守」の強みを感じたことがあるという。この話も体験に裏打ちされていて説得力があったが、それ以上に印象的だったのは、後半、ホストの鈴木邦男氏とともに再登壇したときの告白。1989年、ベルリンの壁崩壊に世界が湧き立った当時、中学生だった講師は、ルーマニア大統領チャウシェスクの処刑に直面し、多大なショックを受けた。「自分が殺した」と思った、という。多感すぎる中学生の非合理的な発想と考える人もいるかもしれないけど、私は、こういう「無作為の責任」の自覚は大事なことだと思う。

 ちょっと方向性が違うんだけど、私の場合は、小学生の終わりに浅間山荘事件を見聞したことが、右派であれ左派であれ、あらゆる「革命を疑う」人生の出発点になっている気がして、この点も共感できた。でも中島岳志さんって、著書から想像していたより、ずっと「熱い」語りをする方で、実はかなり「右翼」(ロマンチスト)的な本質を持っていて、あえて「保守」にとどまっているんじゃないかな、なんて思ってしまった。

 「右翼/左翼」「保守/革新」という手垢のついた対立軸を考え直すには、いい整理になる対談だった。そして「リベラル保守」を標榜する中島岳志さんが「右翼」の鈴木邦男さんとにこやかに談笑しているのもいい図だったが、中島岳志さんが「僕と全く同じことを考えているのが山口二郎さんです」とおっしゃるのも面白かった。学問や思想の古いカテゴリーが通用しなくなっているんだな、たぶん。

 あと、小ネタなんだけど、朝鮮独立運動の志士、金玉均が一時札幌(しかも北大構内!)に住んでいたという中島さんの話には、思わず反応してしまった。クラーク会館の近くらしい。今度、往時をしのんで歩いてみることにしよう。

※鈴木邦男氏のブログ『鈴木邦男をぶっとばせ!』より「札幌で語った。革命と維新について。

第3回シンポジウムには山口二郎先生登場!
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盛世の寿ぎ/文楽・寿式三番叟、心中天網島

2013-05-24 00:43:44 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 5月文楽公演 第2部『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』(2013年5月22日)

 東京出張が急に決まった。所用は15時に終わる見込み。こそっとチェックした国立劇場のサイトでは、チケット「完売」になっていたけれど、ダメもとで電話をしてみたら「第2部(16時)1枚だけあります」と言われた。おおお、人生、どんな逆境でも諦めてはいけないのだな。しかも、どこでもいいと思っていた座席は、最前列で床を見上げる、なかなかの好位置。

 『寿式三番叟』の幕が開き、住大夫さんの姿を見たときは、こっちがものすごく緊張してしまった。昨年7月、脳梗塞で倒れ、壮絶なリハビリで舞台に帰ってきたというニュースを読んでいたので。語り出す前に、口を曲げたり、視線を床本に落としたりする小さな動作に固唾をのむ。しかし、曲が始まってしまえば、なんということはなかった。この曲は、大夫さん6名+三味線6名がずらりと床に勢ぞろいする。文字久大夫、相子大夫、芳穂大夫らの面々が、完全復調とはいえない88歳の住大夫翁を、しっかり支えているようにも感じた。人形遣いは、三番叟のイケメンのほう(かしら=検非違使)と三枚目のほう(かしら=又平)を遣っている二人が、それぞれキャラに合っていて可笑しかった。そして、詞章もめでたい。これだけの美声とにぎやかな音曲で「治まる御代こそめでたけれ」と唱え上げてくれると、本当に心配事が消えて、この世が平らかに治まるような気になってくる。

 『心中天網島』は何度も見ているつもりだったが、自分のブログに検索をかけたら記事がなかった。そうか~見たのはずっと昔だったか。紀の国屋小春を桐竹勘十郎、紙屋治兵衛を吉田玉女。勘十郎さんの小春は色っぽい。座席が上手の端だったので、治兵衛が小春を連れ出すところ、引戸の隙間から小春の手だけがそろそろと差し出されたとき、生々しさにどきりとした。文楽って、ああいう細かい所作に手抜きがないのがすごい。思わず、その白い手に顔をうずめる治兵衛とか。玉女さんは、未熟でだらしない治兵衛には、ちょっと合わない感じだが、最期の姿には神々しい悲劇性が感じられた。玉女と勘十郎のコンビは、これからたくさんの名演を生み出していくんだろうなあ(玉男と蓑助みたいに)としみじみする。おさん役の文雀さんは、達者なお姿を拝見して、これも嬉しかった。

 今公演では、通常分割される「天満紙屋内の段」と「大和屋の段」を、豊竹咲大夫さんが通しで語っている(天満屋紙屋内より大和屋の段)。この形式は、咲大夫の父・八世竹本綱大夫が1962年に上演して以来、51年ぶりの復活。68歳で約1時間の長尺を語り通すという。

 こうしてみると、文楽は、いろいろな外圧にもかかわらず、元気である。ベテランはさらなる高みに向けて挑戦を続けているし、若手・中堅はちゃんと育っているし、心強く思ってしまった。
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繰り返し見る古典/文楽・摂州合邦辻、他

2013-03-02 22:04:45 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 2月文楽公演 第1部『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』、第2部『小鍛冶(こかじ)』『曲輪文章(くるわぶんしょう)』『関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)』(2013年2月24日)

 今回は第1部と第2部を見に行った。第1部『摂州合邦辻』は、何度聴いても好きな作品。2012年に大阪文楽劇場で見たとき、「合邦庵室の段」だけでもちゃんとストーリーが分かるのがすごいと書いたが、やはりその前に「万代池の段」があるほうが分かりやすい。合邦庵室の前に置かれた閻魔像の勧進車とか、舞台に現れるや否や、藪に隠れて成り行きを見守る入平のポジションとか、実はよく分かっていなかった点に納得がいった。

 それから、病を得た俊徳丸が筵(むしろ)小屋に仮住まいしている万代池の背景に見えるのは四天王寺の塔なのだろう。「上宮太子の救世の恩」という語りがあるし、「如月時正の日」というのが、今も四天王寺で営まれる春季彼岸会のことであるとか、俊徳丸が、後を追ってきた浅香姫に対し、尋ねる人は西国三十三所巡礼の旅に出たと言い紛らすとか、この物語に強くまとわりついている宗教的な要素も、より強く見えてくる。

 玉手御前が、百万遍念仏の数珠の輪の中で、ゆっくり息を引き取るラストシーンも、むかしは「冗長」で、前近代的な演出だと思ったけれど、いまは、やっぱりこうでなければならない、と思って見る。あの念仏回向がなかったら、哀れな玉手に心を寄せた観客の気持ちは片付かないのだ。近世以前の観客が演劇と宗教に求めたものは、とても近接していると思う。

 年齢を重ねて繰り返し見ていくと、受け取り方が少しずつ違ってくるのも古典の楽しみである。「合邦庵室の段」は、中:豊竹咲甫大夫-野澤喜一朗、前:竹本津駒大夫-鶴澤寛治、切:豊竹咲大夫-鶴澤燕三。切の咲大夫さんは、丁寧な熱演で圧巻だった。ひとりの語りで、あんなに長時間、あんなに多数の観客を釘付けにできる芸って、なかなか他にないのではないか。聴衆にとっても実に贅沢な時間だと思う。

 第2部は、どれも初めて見る作品だった。『小鍛冶』は謡曲を移した景事なので、舞台も能舞台ふう、人形の所作も能役者のように抽象的である。『曲輪文章』は病身の夕霧大夫と、放蕩三昧で勘当された恋人の伊佐衛門が、すねたり口説いたりしたあげく、伊佐衛門の勘当が解けたという知らせが入り、一同大喜びで幕。えええ?という内容だが、典型的な上方の初春狂言だそうだ。終わりめでたければ、全てよし。

 『関取千両幟』には猪名川、鉄が嶽という二人の相撲取が登場。「相撲場の段」後半では、どちらも廻し姿になって、取組みを見せる。途中に「櫓太鼓」の曲弾きがあり、鶴澤藤蔵さんと鶴澤清志郎さんが妙技を披露。文楽って、まだまだ私の知らない側面があるのだな、と思った。

義太夫森羅万象(ぎだゆう なんでもあり)「櫓太鼓」(2006/3/25) 
知っている人はむかしから知っている。

新teru0702の日記by今井照容(2012/9/6)
同年9月5日、国立演芸場の「落語と義太夫節の夕べ」でも、この曲弾きを披露していたらしい。

 物語は単純で、金のために八百長に応じようとした猪名川が、身を売って金を用立てた女房に救われる。てか、そこで終わっていいのか?という幕切れに苦笑してしまった。
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豪華つめあわせ福袋/新春文楽・ひらかな盛衰記、他

2013-01-14 00:26:13 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 新春文楽特別公演『団子売(だんごうり)』『ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)』『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』(2013年1月12日)

 文楽の1月公演は大阪、東京は2月。これは、私の知る限り、何十年も変わらない「しきたり」である。なんと大阪人は、松の内から文楽を楽しむことができるのか! いいなー。あんなに大阪でいじめられているのだから、東京に移ってきてしまえばいいのに、と思いながら、はじめて新春公演を見に東京から遠征した。

 まずは初春にふさわしい『団子売』で、にぎやかに幕開け。『ひらがな盛衰記』の「松右衛門内」「逆櫓」は、むかし見た記憶がかすかにあって、面白かったという印象は残っていたのだが、筋は全く忘れていた。なので、次々に明らかになる展開に、驚いたり感心したりしながら楽しんだ。

 基本は、主君の若君を救うために犠牲となる、忠義の「取替え子」の物語。親も子供も意図せざる「取替え子」であるというのが新鮮、というか、『寺子屋』や『近江源氏先陣館』みたいなグロテスクな忠義孝子譚より、こっちのほうが自然で共感しやすい。取り違いで亡き者にされた孫が戻らないのなら、若君の首を切って返すと怒り狂う船頭・権四郎の気持ちは、現代人にもよく分かると思う。その権四郎が、入り婿の松右衛門(実は樋口次郎兼光)の正体を知って、「侍を子に持てば俺も侍」と気強く言い切るところ、この思い切ったようで思い切れない、内心には肉親の情を残しながら、行動は立派に武士の道徳を体現してみせるところがいいのである。「アノ侍の親になって、未練なと人が笑ひはせまいかノ」は泣ける。脚本も上手いし、こういう機微を理解できる観客がたくさんいたことにも感心する。

 「松右衛門内の段」は豊竹咲大夫さん。何か、ものすごく目立つというタイプではないけれど、安定感があって好き。実は舞台上よりも床の咲大夫さんの熱演に、耳も目も釘付けになっていた。「逆櫓の段」の豊竹英大夫さんは、はじめ声量が足りないように感じたが、逆櫓を習う船頭たちは、端役の小悪党なので、あまり重々しい発声はしないのね。最後は荘重に〆めていた。

 以上『ひらがな盛衰記』だけで、もうお腹いっぱい。早く家に(宿に)帰って、今日の感想をゆっくり反芻したいと思ったが、続いて『本朝廿四孝』。福袋じゃあるまいし、欲張りすぎじゃないのか? 「十種香の段」では、吉田蓑助さんの八重垣姫が、相変わらず娘らしくて、愛らしい。ところが「奥庭狐火の段」では、同じ八重垣姫の人形が、桐竹勘十郎さんで登場(出遣い)。え?これって別人ってこと?と、ちょっと混乱した。しかしもう、そんなことはどうでもよい、と言いたくなる大迫力。霊狐と一体化し、舞台を縦横無尽に駆け回り、踊り狂う八重垣姫。付き従う四匹の白狐。唇をきっと結んだ勘十郎さん、男前だわ~。そして、床の呂勢大夫、三味線は鶴澤清治とツレの清志郎。三業のしのぎを削るような芸の張り合い。新春から、素晴らしい舞台を見せてもらって、感無量。

 あと、前回は忘れたが、大阪の公演プログラムには「技芸員にきく」というインタビュー記事(今回は鶴澤寛治さん)や「知識の泉」(演目について解説しながら、文楽独特の用語を学ぶ記事)があって、東京のプログラムより読み応えがあっていいなあ、と思ったことを追記しておく。
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江戸絵画のニューモード/講演会・沈南蘋再考(板橋区立美術館)

2012-12-20 00:44:28 | 行ったもの2(講演・公演)
板橋区立美術館 講演会『沈南蘋再考-江戸時代人にとっての南蘋画とは?』(講師:板倉聖哲、12月15日15:00~)

 特別展『我ら明清親衛隊-大江戸に潜む中国ファン達の群像』(2012年12月1日~2013年1月6日)を記念する講演会。はじめ、展覧会のタイトルを聞き、中国絵画史の板倉聖哲先生の講演会があると知ったときは、え?板橋区立美術館の次の展覧会は中国絵画か!と早とちりをしていた。講演会の少し前に行って、図録を購入してから、展示作品を見ておこうと思ったら、別のお客さんと受付の方の「沈南蘋の作品は出てないんですね」「ええ、中国絵画は…あちらの版画1点だけなんですよ」という会話が聞こえてきた。

 あら、そうだったのか。自分の予想を少し軌道修正して会場をひとまわりした。どこかで聞いたことがあるかな程度の日本人画家の作品ばかりだったが、楽しめた。そして、講演会に参加。

 かつて「鎖国」といわれた江戸時代だが、来舶画人(中国から日本を訪れた画人)は、名前が分かっているだけで130人以上に及び、朝鮮通信使に随行した画家の影響も注目されている。沈南蘋(沈銓)は中国清代の画家。雍正年間に来日、長崎に足掛け3年(1731-33)滞在し、18世紀の江戸絵画に多大な影響を及ぼした。『清史稿』には、沈南蘋が「日本国王」の招聘を受けたとある。これは、享保10年(1725)将軍・徳川吉宗が命じた明絵画の粉本収集に応じて、南蘋が来日したと考えられているためである(Wikiに詳しい)。長崎図書館には、南蘋が将来した画本(約100本)の目録が現存すると言っていたと思う(このへん初めて知ることばかりで、記憶に自信が持てない)。

 内藤湖南は沈南蘋を「いささか時代遅れの気のきかない画」と評したという。あー湖南先生の趣味ではなさそうだな。これに対し講師は、南蘋の古画に学ぶ(北宋・元・明の作品をまねる=彷古)態度は、同時代の画家にも見られるオーソドックスなもので、時代遅れではないこと、文人たちの間に一定の評価を得ていたことを示す。

 近年、中国文化圏でも「旅日画人」を中国絵画史のコンテキストで捉えなおそうという動きがあり、新たな作品が続々見つかっている。しかし「伝・南蘋筆」作品は約500点現存するが、真贋はかなり疑わしい…ということで、講師は、具体的に写真を見ながら、○○美術館のこれは贋作、△△美術館のこれもあやしい、と厳しい判定。

 また、ひとくちに南蘋画といっても、比較的あっさりした写生的な花鳥画もあれば、緻密で濃厚な色彩の作品もあることを示す。私は沈南蘋の名前を、泉屋博古館の『雪中遊兎図』で覚えたので、南蘋画のイメージといえば、まず後者である。

 しかし、あの『雪中遊兎図』は乾隆年間の作品である。実は、南蘋の長崎滞在期(1731-33)の作品は、ほとんど日本に残っていない。乾隆年間の作品は、後世(近代以降)にもたらされたもので、江戸の画家たちは「見ていない」ことに注意しなければならない。これを補足するのが、講師が行なった谷文晁一門の模本調査(1700点)。江戸の画家たちが見た南蘋画とはどのようなものであったかを、いま一度整理し、南蘋画の影響とか流行というものを考え直す必要があるのではないか。う~当たり前すぎる結論なのに、目からウロコだった。意外とこういう実証的な手続きをなおざりにして、直感でものを言ってしまうこと、多いよなあ、と感じる。

 詳しく再録はできないが、代表的な作品を取り上げての見どころ解説も面白かった。三の丸尚蔵館所蔵の『香宿艶図巻』は、2006年の『花鳥-愛でる心、彩る技』展で見ているが、細部を拡大すると、あんなに虫たちに人間的な表情があって愛らしい作品だなんて、たぶん気付いていなかったな。斧劈皴(ふへきしゅん)から雲紋皴(うんもんしゅん)へという、岩の描写の変遷も見るときのポイント。これを耳で聞きながら、なんとなく理解できたのは、黒川古文化研究所の『中国の花鳥画』展の記憶があったからだと思う。

 展示参観レポートはまた後日(と言って書き逃すことも多いが…)。
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東京大学ホームカミングデイを覗きに行く

2012-10-24 23:20:10 | 行ったもの2(講演・公演)
○東京大学 第11回ホームカミングデイ(2012年10月20日)

 最近は、どこの大学でも「ホームカミングデイ」と称して、卒業生を呼び込む行事が盛んである。私は東大の卒業生ではないのだが、面白そうな展示や講演がいくつもあるので、覗きに行ってみることにした。校門ではプログラムを配っているが、別に記帳を求められるわけでもなく、ふらりと中に入ることができる。

特別フォーラム『グローバル化する世界で学ぶ、働く、生きる』(12:30~14:00、於:安田講堂、講師:ロバート・キャンベル、村山斉)

 開始時間に少し遅れてしまったので、檀上では濱田純一総長が、最近の東大の動きについて話していた。それから赤門学友会副会長(会長に代わり)の挨拶があり、両講師と、モデレーターの江川雅子理事・卒業生室長が登壇した。日本の大学で日本文学を教えるアメリカ国籍のキャンベル氏と、アメリカを中心に活躍する宇宙科学者の村山氏に、グローバルな働き方をするようになったきっかけを聴く。

 どちらの先生の話も面白かったが、まずはキャンベル先生から。最初の来日先は九州大学だった。そこで中野三敏先生に師事し(そうだったのか!)九州各地の大名家や旧家に残された古本の調査に参加する。そのとき、大学の図書館や研究室で学んできた日本文学史というものが音を立てて崩れ去る体験をし、フィールド・ワークの必要を痛感して、日本に残ることを選択した。

 キャンベル先生によれば、アメリカの日本文学研究は「世界文学」の中で、○○文学や××文学との相関性を考えることに主眼を置いているという。日本の大学で行われているような、一つの作品(あるいは資料)を徹底して読み解くような研究は、研究以前の「作業」と看做されている。しかし、お互いが、その違いから学ぶことは多い。なるほど。キャンベル先生の「日本文学論」というより「日本文学研究論」、もっと聞いてみたいと思った。

 村山先生は、自分が異文化に飛びこんでいった体験談も面白かったが、江川理事から「東大に優秀な研究者を招聘するためのアドバイス」を求められての答えがさらに興味深かった。まだまだ日本の社会は、外国人が生活するにはハードルが高いという。銀行、保険、住宅など…。そこで、村山先生は大学事務に任せておかず(おけず?)自分の所属する研究機構のホームページに、来日した外国人研究者が直面するであろう困難と、その乗り切り方を掲載しているという。

 モデレーターが、事前に準備してきた質問から離れない紋切り型の進行だったのが残念だった。お二人とも、自由に暴走させたら、もっと面白い話が聞けたと思う。

■社会科学研究所 講演会 坂野潤治名誉教授(社会科学研究所元所長)『西郷隆盛と明治維新』(15:00~17:00、赤門総合研究棟5階センター会議室)

 当ブログ「読んだもの」に、たびたびご登場いただいているとおり、私は坂野潤治先生の愛読者である。お姿を拝するのは、坂野先生が所長だった当時(1995年頃)以来、およそ15年ぶりで、よろよろと覚束ない足取りで登場されたときは、ああ、お歳を召されたなあ、と思った。いまどき珍しい手書きのレジュメ4枚が配られたが、「これ以上書くと、翌日腕が上がらないんだよ」と嘆いていらした。

 しかし、話し始めると、著書さながらに明晰。西郷隆盛は「議会主義者」「開国・攘夷棚上げ論者」「中央集権国家論者」であったという、近著『日本近代史』(ちくま新書)でも展開されていた、ユニークな西郷像を語り、征韓論や西南戦争における西郷しか論じない日本近代史は「的外れ」であると批判する。

 「ユニークな」と評したが、これは著者の独創ではなく、勝田孫弥著『西郷隆盛伝』(明治27-28年)がタネ本だそうで、「最近の学者は新しい文献ばかり読んで、さかのぼって古い文献を読もうとしない」というのは、含蓄あるお言葉だった。この日のお話は、また新書(?)出版の予定があるらしい。楽しみ!

 講演会のあとの懇親会で、少しお話をさせていただき、社研および近隣の研究所(社情研=現・情報学環、明治文庫)の蔵書の豊かさ、研究環境の素晴らしさについて「あれだけ資料が揃っていて本が書けないのは、よほどの怠け者だ」とおっしゃっていた。しかし、東大をリタイアした現在、「昭和10年代の研究を続けるには身近に資料がなくなっちゃったから、じゃあ幕末期の資料なら自宅にあるから、幕末研究を始めたんだ」と意外な内幕も…。

※当日のレジュメの一部

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雅楽公演・伝統音楽の美(国立劇場)

2012-10-02 23:20:28 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 平成24年度(第67回)文化庁芸術祭オープニング・国際音楽の日『伝統音楽の美-雅楽-』(2012年10月1日、19:00~)

 本当は『伝統音楽の美-日中伝統の音を聴く』と題して行われるはずの公演だった。当初、企画されていたプログラムをここに記録しておこう。

・福建南音「四時景」「四宝独奏」「梅花操」「走馬」(福建省泉州南音楽団)
・雅楽 管弦「平調音取」「老君子」「陪臚」(宮内庁式部職楽部)
・舞楽 「萬歳楽」「抜頭」(宮内庁式部職楽部)
・梨園戯「玉真行」「賞花」「大悶」(福建省梨園戯実験劇団)

 まさに夏の中国旅行に出かける当日が「あぜくら会」のチケット売り出し日で、自宅のパソコンからチケット予約をかけて、空港に向かった記憶がある。ところが、その後、日中関係がもつれにモツレて、先週、「諸般の事情により、出演を予定しておりました福建省泉州南音楽団及び福建省梨園戯実験劇団が来日を取りやめ」ることになってしまった。あーあ。予想はしてたけど、ガッカリ。

 チケット代は全額返金。しかし、日本側の管弦・舞楽公演は行うという(観覧無料)。ある意味、お得になったと言えなくもない。そもそも中国の楽団・劇団目当てで誘った友人たち(いつもの中国旅行仲間)も来てくれるというので、予定どおり、出かけた。

 はじめの管弦は「老君子」の次に「五常楽 急」がプラスされた。「老君子」「五常楽 急」「陪臚」いずれも唐楽である。というか、パンフレット(これも無料)によれば、管弦で高麗楽はほとんど演奏されないのだそうだ。「陪臚」がいちばん勇壮な感じがした。空気を震わす太鼓の音が耳に残る。これは林邑八楽(※天平8年、天竺僧の菩提僊那と林邑僧の仏哲が我が国に伝えた曲目)の一で、五破陣楽の一にも数えられる。

 天平年間の伝来というけど、どのくらい古体を残しているのか。実は江戸時代の「復興」要素が強いんじゃないかな―などと言い合いながら聴いた。

 休憩時間のあと、幕が上がると、舞台の奥に控える楽人たちは、キラキラの「舞楽」装束に着替えていた。さっきまでが地味な直垂姿だったので、その落差が眩しい。舞楽「萬歳楽」が始まる。唐楽、左方の四人舞。唐の賢王の世を寿いで飛来した鳳凰の姿を現す。めでたくて、優美で、いかにも雅楽らしい舞だと思う。イケメン男子の舞人だったら、もっとイイだろうな…。宮内庁式部の高い芸術性にケチをつけるわけではないが。

 続いて「抜頭」。唐楽、林邑八楽の一つ。どことなく西アジアふうな、エキゾチックで、勇壮だけど寂しげな曲調。眉をつりあげ、金色の目を剥き、天狗のような赤ら顔のお面を付けた舞人が、ずんずんと大股で登場する。たぶんかなり大柄な舞人で、大柄なほうが似合う曲目である。「唐の妃が嫉妬して鬼になり楼(たかどの)を破り出て舞う姿」とか「胡人の子が親の仇である猛獣を殺して喜ぶ姿」とか、諸説あるが、エキセントリックな情念の表現であることは確かだ。何度も両腕を高く差し伸べ、髪を振り乱して、懊悩するように天を仰ぐ。

 いや面白かった。余談だが、二階席の最前列に皇太子夫妻がお見えで、二階席は全て赤いリボンをつけた関係者らしかった。そういえば、開演前に外のベンチで友人を待っていたとき「お待ち合わせですか? お入りのときだけ(←誰が、と言わない)ちょっとお立ちいただいてもいいですか?」と、慇懃に声をかけられたのはそういうことであったのか。

※抜頭面(しろくま堂オンラインストア)…怖い。
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