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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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文楽・絵本太功記

2016-05-27 21:28:28 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 平成28年5月文楽公演(5月14日、17:00~)

・『絵本太功記(えほんたいこうき)・本能寺の段/妙心寺の段/夕顔棚の段/尼ヶ崎の段』

 5月の公演は、文楽鑑賞教室と重なったせいか、日数が少なく、いい席が取れなかった。主力の太夫さんや人形遣いのみなさんも鑑賞教室に取られてしまった感じで、気分的に盛り上りがいまいち。

 演目の『絵本太功記』は、むかし一部を見たような気もするが、はっきりした記憶がない。初見かもしれない。敗者である武智(明智)光秀を主人公にするのは面白い着想だと思うが、敵方の真柴久吉(羽柴秀吉)は普通にできた人物で、あまり興が乗らなかった。

 開演前に、熊本地震の被災者支援募金を募っていた加藤清正(と吉田玉男さん)。この清正の大活躍する『八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)』はめちゃくちゃ面白かったなあ、と記憶をたどる。


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王朝の舞/舞楽・大曲「春鶯囀」ほか(国立劇場)

2016-03-10 22:54:45 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 2月雅楽公演『舞楽』(2月27日、14:00~)

 宮内庁式部職楽部の舞楽公演に行ってきた。レポートが遅れたが、書いておく。曲は、振鉾(えんぶ)/長保楽(ちょうぼうらく)/春鶯囀(しゅんのうでん)。「振鉾」は、はじめ左方唐楽の舞人が、鳥甲(とりかぶと)にオレンジの袍(裏は紫)で登場して舞う。退場すると、代わって右方高麗楽の舞人が渋い緑の袍(裏は水色)で登場して舞う。ピィーッと高い笛の音が耳に残っている。
 
 「長保楽」は右方高麗楽の四人舞。緑(萌黄?)色に蛮絵の袍を右肩脱ぎして舞う。巻纓・老懸の冠なので、武官の舞なんだなと思う。しかし、ゆっくりと優雅な舞で、武官らしい激しい動きはない。ちょっと眠くなった。

 最後は、大曲「春鶯囀」一具。「源氏物語」で光源氏が舞ったり「枕草子」に言及があったり(谷崎の「春琴抄」には同名の創作が登場したり)する有名な曲だから、私も一度くらい聞いているのではないかと思い、ブログ検索を掛けてみたが無駄だった。実は「幻の大曲」なのである。「大曲」というのは、遊声(ゆうせい)・序(じょ)・颯踏(さっとう)・入破(じゅは)・鳥声(てっしょう)・急声(きっしょう)という複雑な構成であること。「幻の」というのは「舞を秘する」曲であったため、伝承が途絶え、江戸・享保年間に再興されたものの、再び途絶え、国立劇場で「一具」としては上演されるのは、昭和42年(1967)の公演以来、50年ぶりなのだという。驚き! でも検索すると、鎌倉の鶴岡八幡宮などで、部分的には上演されているようだ。

 とにかく装束がきれい。六人舞なので、舞台が狭く、長い下襲の裾を踏んでしまうのではないかとハラハラしたが、優雅に舞っていた。はじめは、ゆっくりした動きで、また睡魔におそわれかけたが、だんだんテンポが速くなり、変化があって面白かった。でも私は、勇壮な武の舞や走舞のほうが好きかな。

 ついでだが、開演前に寄ってみた伝統芸能館の企画展示『新派の華-面影と今日-』(2016年2月6日~4月17日)が面白かったことを付け加えておく。あまり見たことのない、芝居関係の明治の錦絵がいろいろ出ていた。皇太子殿下(のちの大正天皇)が博物館の庭前で川上一座の日清戦争の祝勝劇を見る、という錦絵がものすごく面白かった。 帝室博物館は、震災で壊れる前の建物で、中東風の丸くふくらんだ屋根を載せている。そして、写真の残っている川上貞奴は、今見ても美人だった。
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武士とその家族/文楽・信州川中島合戦、義経千本桜

2016-02-10 21:37:15 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 第194回文楽公演(2月6日 11:00~、17:30~)

・第1部『靭猿(うつぼざる)』『信州川中島合戦(しんしゅうかわなかじまかっせん)・輝虎配膳の段/直江屋敷の段』

 『靭猿』は同名の狂言を移したもの。プログラムの解説によれば、もとは近松門左衛門の『松風村雨束帯鑑』の劇中劇の一場面だったそうだ。靭(うつぼ)は矢を入れて携帯する道具。サルの毛皮を使うことがあったのか。絵巻などを見ると、もっと毛足の長い動物を使っているように見えていたが、「鹿、熊、虎、豹、猿など」が用いられたそうだ。血も涙もないと思わせて、途中で心変わりする大名が心にくい。文楽の人形は、ふつうセリフのないときは静止しているのだが、このサルに限っては、ずっとお腹を掻いたり、落ち着かない身振りが可愛かった。

 『信州川中島合戦』は、武田信玄の軍師・山本勘助(作品中では勘介)が主人公。越後の長尾輝虎(謙信)は、勘介を味方に引き入れようと画策する。直江山城守(兼続?)の女房・唐衣は勘介と兄妹の関係であるところから、勘介の老母・越路と女房・お勝を呼び寄せ、引き続き、勘介を呼び寄せる。しかし、越路は命を捨てて輝虎に抗議し、勘介を甲斐に返すことを認めさせる。武士の「忠義」を山本勘介ではなく、その気丈な母親によって表現する、非常に倫理的に硬い筋立て。文章も漢文臭が強くて硬いもので、咲甫大夫、文字久大夫の熱演にもかかわらず、ちょっとウトウトしてしまった。

・第3部『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・渡海屋・大物浦の段/道行初音旅』

 第2部が豊竹嶋大夫引退披露狂言の『関取千両幟』だったのだけど、これは1月に大阪で見て来たので、ちょっと中抜け。第3部からまた劇場に戻った。『義経千本桜』は何度も見ているが、大好きな狂言。今回は、勘十郎さんが知盛を遣うというので見に来た。何でもできる人だなあ。最後に碇を後ろに投げて、逆さに海に沈んでいくシーン、くるっとトンボを切るように、勢いよく落ちていった。前に見たときは、実際にはありえないくらいゆっくりと両足を上にして沈んでいく姿を見たような気がする。2006年の玉女(二代目・玉男)さんの知盛だったか、それとも先代の玉男さんだったか、私の記憶が嘘をついているのか…。あと、知盛が沈んだあと、入れ替わりに二羽のカモメが現れて、ゆらゆら飛んでいるという演出は、前からあったかなあ。コントみたいで、あまりよろしくないと思う。

 安徳天皇を抱いて海に投身しようとする典侍局を豊松清十郎さん。むかし文雀さんで見たなあ、と懐かしむ。そして、2012年の大河ドラマ『平清盛』を見て以来、初めての「渡海屋・大物浦の段」なのだが、やっぱりドラマの映像がフラッシュバックする。

 『初音旅』は、静御前を文昇さん、忠信を勘彌さん。堅実だが、もうちょっと華やかさが欲しいかな。私は、2015年1月の大阪新春公演で見ている。このときは静御前を勘十郎さん。狐忠信が誰だったかは覚えていない。今回、勘彌さんは、白狐を遣うときは、火焔宝珠(?)の文様が入った袴と肩衣をつけていた。『本朝廿四孝』の「奥庭狐火の段」で勘十郎さんが来ていたものだと思うけど、この演目にはちょっと似合わないのではないか。

 ああ、でも本当に『義経千本桜』はいい。奇想天外な筋もいいし、人物造形もいいし、能を取り込んだ詞章もいい。私は源平の武士たちについて、かなりこの物語に引きずられたイメージを持っている。平知盛なんて『義経千本桜』を除いては、全く考えられない。通し上演をしてくれないかなあ。「河連法眼館」がもう一度見たい。
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嶋大夫引退狂言を見る/文楽・関取千両幟、他

2016-01-11 22:08:56 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成28年初春文楽公演 第1部(1月10日、11:00~)

・新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)・座摩社の段/野崎村の段

 この狂言、「野崎村の段」以外の段を見るのは初めてのように思う。恋は思案の外とはいいながら、お染久松のむこうみずが私はあまり好きではなかったのだが、だんだん若い恋人たちに同情を感ずるようになってきた。初めて「座摩社の段」を見て、いっそうその気持ちが強くなった。若い二人のまわりが悪いヤツらばかりなのだ(大坂では)。座摩神社は、正式には「いかすりじんじゃ」という古い神社だが通称で「ざまじんじゃ」ともいう、と先日読んだ『大阪府謎解き散歩』に出てきた。狂言では「ざま」と読んでいた。「野崎村」の切は咲大夫さん。和生さんのおみつちゃんは相変わらず可愛い。

・八代目豊竹嶋大夫引退披露狂言:関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)・猪名川内より相撲場の段

 30分の休憩(ロビーでお弁当で昼食)のあと、開演のブザーが鳴って席につくと、床に嶋大夫さんと三味線の鶴澤寛治、呂勢大夫が現れ、呂勢大夫さんが嶋大夫の引退について口上を述べる。それから、英大夫と津国大夫(かな?)が嶋大夫の隣りに座って、幕が開く。呼び出しが妙にたくさん大夫の名前を並べると思ったら、このあと、もう四人くらいが入れ替わり立ち替わり、役に応じて床に上がるのである。なんか落ち着かない狂言だなあ。嶋大夫さんは、関取猪名川の女房おとわの役。女役なので高めの声音だが声はよく聞こえる。でも嶋大夫さんの語りの量が少なすぎる~。人形は猪名川を玉男さん、おとわを蓑助さんで、万全の配置なのは分かるが。

 そして場面が一段落すると、床がまわって、嶋大夫も他のみなさんも引っ込んでしまう。これだけかい! 中途半端な舞台で呆然としていると、舞台は浅葱幕で目隠しされたまま、床に三味線の鶴澤寛太郎さん登場。「このところ櫓太鼓曲弾きにて相勤めます」の声が入る。私は2013年2月にもこの狂言を見ていて、そのときは鶴澤藤蔵さんと鶴澤清志郎さんが二人で曲弾きを見せてくれた。寛太郎さん、基本的に無表情で生真面目なんだけど、失敗しかけたときにちょっと笑顔が見えた。

 とても面白かったけど、櫓太鼓が終わったところで、再び嶋大夫さん登場。え?引退披露はまだ終わっていなかったのか。気持ちの切り替えができなくて、何重にもとまどう。舞台上では、相撲取役の人形が廻し姿で裸体を見せるのがめずらしい。金の工面に迫られて八百長を考えていた猪名川は、贔屓から祝儀金が入ることを知って鉄ヶ嶽を倒す。その祝儀金は、女房おとわが自ら身売りしてこしらえたものだった。駕籠でゆくおとわを見送る猪名川で幕。まだ物語の途中なのかもしれないけど、ものすごくあっけない幕切れ。こんな引退狂言ないだろ。正直ガッカリした。この記事のタイトルは「嶋大夫引退狂言を聴く」にしたかったのだが、全然聴けていないのだ。

 しかし引退狂言に多くを期待してはいけないのだと思う。一期一会の芸は、聴けるときに聴いておくべきなんだろう。いま自分のブログを検索しながら、ああ『本朝廿四孝』の「十種香の段」よかったな、『摂州合邦辻』も『ひらかな盛衰記』も嶋大夫さんで聴けてよかった!と回顧にふけっている。今の私にはいちばん心に残る大夫さんでした。お疲れさまでした。

・釣女(つりおんな)

 狂言『釣針』をもとに明治期に歌舞伎舞踊に移され、昭和に文楽となった。詞章が狂言そのままなのが面白い。大名と太郎冠者は、西宮の恵比須神社に祈願し、釣竿を授かり、おのおの妻となる女性を釣り上げる。初見のような、どこかで見たような曖昧な記憶があったのは、札幌の「あしり座」のオリジナル狂言『祝い唄』も元ネタがこれなのではなかろうか。咲甫大夫さんの明るい声を新年のはじめに聴けて満足。
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荒ぶる幽霊、可憐な幽霊/歌舞伎・東海道四谷怪談

2015-12-23 22:26:20 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 12月歌舞伎公演『通し狂言 東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』(2015年12月23日)

 今年は年末までキリキリと働かされていたのが、ようやく今週前半で一段落した。最後の山を乗り切るモチベーションを高めるために、自分への「ごほうび」として用意したのが今日のチケットだった。鶴屋南北の『東海道四谷怪談』が演劇史や文化史において重要な作品であることは、いろいろ読んできている。しかし、舞台は全くの初見である。参考までに、今日のプログラムを記録しておこう。

・発端 鎌倉足利館門前の場
・序幕 第一場:浅草観世音額堂の場/第二場:浅草田圃地蔵前の場/第三場:同裏田圃の場 
・二幕目 第一場:雑司ヶ谷四谷町民谷伊右衛門浪宅の場/第二場:同伊藤喜兵衛宅の場/第三場:元の伊右衛門浪宅の場
・大詰 第一場:本所砂村隠亡堀の場/第二場:深川寺町小汐田又之丞隠れ家の場/第三場:本所蛇山庵室の場/第四場:鎌倉高師直館夜討の場

 幕が上がる前に、花道に鶴屋南北(市川染五郎)が登場し、口上を述べる。『東海道四谷怪談』は『仮名手本忠臣蔵』の世界を背景に成り立っている。初演では両作品を少しずつ区切って交互に上演する方式を取った。今回、平成のお客様にもこの構造を理解していただくため、初めと終わりに原作にない場面を付け加えております、云々。そして「鎌倉足利館門前の場」では、今まさに館内で、塩治判官が高師直に斬りつけたことが語られる。

 序幕では、多数の主要登場人物が一気に登場し、その複雑な愛憎関係が明らかになる。民谷伊右衛門(松本幸四郎)は、舅の四谷左門に身重の妻・お岩(染五郎)を返してくれるよう懇願するが、伊右衛門の悪人の本性を見抜いてしまった左門は聞き入れない。腹を立てた伊右衛門は左門を殺害する。序幕の伊右衛門は身勝手ではあるけれど、まだお岩への愛情があるように感じられた。お岩は頬かむりして筵をもった体で登場し、妹のお袖に「まさか夜鷹を」を驚かれ「父を助けるため」とこぼす(お袖も「私も地獄に」と打ち明ける)。塩治家の断絶によって浪人・四谷左門は、娘たちが身売りするほど困窮していたのである。さらっと流していたけど壮絶な設定。

 二幕目。男子を出産したお岩は産後の肥立ちが悪く、伊右衛門はお岩を疎んじている。しかし、お岩の着物を取り上げて質屋に入れるくらい困窮しているわりには、按摩の宅悦とか下男の小仏小平とか、家内に人を置いているんだな。隣家の伊藤喜兵衛(高家の家老で羽振りがいい)から、お岩のために薬が届けられる。伊右衛門が伊藤家に挨拶に行くと、喜兵衛の孫娘のお梅が伊右衛門に恋慕している、どうか婿になってほしい、と懇願される。先刻の薬は、お岩の面体を醜くする毒薬であると打ち明けられ、驚愕する伊右衛門。ええ~『東海道四谷怪談』では、民谷伊右衛門こそ「悪」の権化と思っていたが、この伊藤喜兵衛こそ極悪非道じゃないか。それも孫娘の幸福を願うあまりの凶行というのが酷い。人間は怖い。いや、本当に怖いのは、何の手も汚さないお嬢様のお梅かもしれないと思って、さらに怖くなった。

 伊右衛門は請われるままにお梅との結婚を承諾。家に戻り、醜く変貌したお岩に愛想を尽かし、按摩の宅悦にお岩に言い寄るよう命ずる。お岩は宅悦と争ううちに自分の脇差で命を落とす。伊右衛門は下男の小平(染五郎)にお岩殺しの罪を着せて、小平も殺してしまう。お梅が嫁入りしてきたが、角隠しをあげるとお岩の顔。伊右衛門が斬りかかるとお梅の首が落ちた。続いて小平の亡霊と思って斬りかかると、喜兵衛の首が。ううむ、諸悪の根源というべき父娘なのに、殺されかたが簡単すぎて物足りないなあ。もっといじめてくれないとスッキリしない。

 大詰。「堀」の戸板返しとか「蛇山庵室」の提灯抜け、仏壇返しなど、知識としては知っていたので、舞台上に提灯や仏壇が見えただけで、くるぞくるぞとわくわくした。そして期待以上の演出だった! 提灯抜けから、まさかフライング(ワイヤーアクション)しようとは思ってなかった。伊右衛門の母のお熊もお岩に取り殺されるのだが、百万遍の念仏の輪の中にいるところを、上空から飛来したお岩に掴み上げられてしまう。このとき、お岩がくるりと逆立ち状態になるのは、おおお!「さかさまの幽霊」(by 服部幸雄)だ!と興奮した。お岩の幽霊は、ひたすら荒ぶり、恨みある者全てに復讐を果たす。その後、成仏したのかどうかは定かでない。

 一方、小仏小平の幽霊は、足を患っていた小汐田又之丞に民谷家伝来の妙薬をもたらす。薬のおかげで全快した又之丞は、義士の一人として討ち入りに参加する。恩ある人に尽くしたいという念を残す、可憐な幽霊もいるのだと思って、少しほっとする。「夜討の場」は白一色の舞台を背景に絵画的で、舞踊のようで、華やかだった。丸谷才一さんが『忠臣蔵とは何か』で、これは冬の王を殺して新たな春を迎える冬至の祭りだと(大意)書いていたことを思い出す。禍々しいものは全て去り、豊かで明るい新年がめぐってくるように感じた。年末に見るには、たいへんいい狂言だった。

 お岩の造形には、今年の夏に芸大美術館で見た『うらめしや~、冥途のみやげ展』を思い出すところも多かった。お岩の幽霊が、腰から下を赤く染めた衣で跋扈するのは、生んだばかりの赤子を(結果的に)死に至らしめた悔恨が、産女(うぶめ)の姿を取らせていたのではないかと思う。あの図録、もう一回眺めてみよう。
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妖狐讃頌/文楽・玉藻前曦袂

2015-11-23 23:01:15 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成27年度(第70回)文化庁芸術祭主催 錦秋文楽公演 第2部『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』(11月22日、16:00~)

・清水寺の段/道春館の段/神泉苑の段/廊下の段/訴訟の段/祈りの段/化粧殺生石

 「玉藻前」といえば、鳥羽上皇の御代に現れた絶世の美女、その正体は天竺・唐土渡りの金毛九尾の妖狐。この伝説を題材にした文楽の演目があることは知っていたが、かつて一度も見たことがなかった。今回のプログラムに使われている写真が、昭和49年9月国立劇場、昭和57年9月国立劇場、平成19年4月国立文楽劇場とあるから、そりゃあ関東人の私に見る機会はないなあと思った。実際、現代人の目から見ると大味なプロットなので、高尚な人間ドラマを期待していくと全く裏切られる。何度も見たい演目ではないが、面白かった。大阪まで見に行って本当によかった。

 もとの脚本では初段と二段目が天竺・唐土編に当たるのだというが、そこは省略して、物語は日本編から。鳥羽天皇の兄の薄雲皇子(うすぐものおうじ)は日蝕の日に生まれたため帝位につけなかったことに不満を持ち、皇位を狙っている。皇子は藤原道春の娘・桂姫を召し、従わなければ命を奪って首を持ってくるよう、配下の鷲塚金藤次に命じる。藤原道春の後室・萩の方は、清水寺に参籠した帰り、拾い子として授かった桂姫を殺すに忍びず、実子であり妹の初花姫の首を差し出すことを考える。姉妹は白装束で双六を打ち(おお、双六!)互いに勝ちを譲ろうとする。ついに初花姫の負けが決まるが、金藤次は桂姫の首を落とす。様子をうかがっていた桂姫の恋人・采女之助は怒り心頭、金藤次に斬りかかる。

 金藤次役が玉男さんだったので、いや玉男さんがそんな悪役のはずは(でも悪役だったらちょっと面白い)と思って見ていたら、ここで「実は」の種明かし。金藤次が桂姫を捨てた実の父親だったことが明らかになり、一同その心境を思いやって泣き崩れる。この「道春館の段」は、千歳大夫が全身を使って豪快に演ずる(三味線は冨助さん)。千歳大夫さん、連日の熱演のせいか、喉をやられ気味だったのが気がかり。どうぞお大事に。気がついたら、まだ妖狐が出てこない。
 
 初花姫は名を玉藻前と改めて鳥羽天皇の宮廷に仕えることになる。え?この可憐な妹姫が妖狐?と混乱していたら、「神泉苑の段」でついに妖狐登場。キツネといえば勘十郎さんなのだが、いつもの白狐とちがって、巨大!金色!九尾!! でも細やかな耳の動きが勘十郎さんである。そして、亡き姉を偲んでいた玉藻前に襲いかかり、その姿かたちに取ってかわる。華やかな女官の着物、振り乱した黒髪。その実体はキツネと思いきや、扇に隠れた一瞬で娘の顔に。おお~。思わず起きる拍手。実は前後に顔のあるカシラを使うのだという。そこに薄雲皇子が現れ、玉藻前を口説き、さらに謀反の企みを打ち明ける。玉藻前も素性を明かし、二人で日本を魔道に引き入れることを誓う。ものすごいブラックな内容を、咲寿大夫から咲甫大夫の美声リレーで。

 続く「廊下の段」では、帝の寵愛を奪われたことを恨む女官たちが、玉藻前を暗殺しようと斬りつけるのだから、すでに日本の宮廷は魔道に落ちているようなもの。この女官たちの中に美福門院得子さまの姿も。この物語は美福門院=妖狐説は取らないのだな。襲われた玉藻前は、闇の中で全身を輝かせて、女官たちをおののかせる。

 このあと「十作住家の段」が省略されているので、少し筋が分かりにくいが、「訴訟の段」では薄雲皇子が傾城の亀菊に夢中になり(なんだこの時代錯誤はw)訴訟も全て亀菊に任せている。ここはチャリ場。陰陽師・安倍泰成の訴えによって、帝の御病平癒の祈祷が行われることになり、「祈りの場」で正体をあばかれた九尾の妖狐は、那須野が原へ飛び去る。髪を結った状態の玉藻前のカシラは鬘と顔の間に仕掛け(薄い布面)があって、一瞬でキツネ顔に変わる。これ、昔からあるのか知らないが、中国の川劇の変臉(へんれん)あるいは変面と同じ方式だと思った。最後は、勘十郎さん、宙づりで退場。

 最後の「化粧殺生石(けわいせっしょうせき)」は一種の景事である。幕があがると中央に大きな岩(殺生石)。夕闇の中で毒を吐いているのか、白いスモークが上がっている。「妖狐の霊魂が石に残り、毎夜様々な姿に化けて賑やかに踊り狂うのでした」とプログラムにいう。え?という解説だが、まあどうでもいい。岩陰から出て来た座頭→在所娘→雷→いなせな男→夜鷹→女郎(お多福の面)→奴(やっこ)が次々に踊りを演じるのだが、ぜんぶ勘十郎さん。舞台の上手に消えたかと思えば下手に現れ、女郎と奴は何度も入れ替わる。その間に九尾の狐があり、最後は華麗な玉藻前(キツネ顔)が檜扇を構える姿で幕。いや~理屈抜きで楽しかった~。咲甫大夫の再登場も嬉しかったし。三味線も鶴澤藤蔵さんを筆頭に華やかで。「化粧殺生石」は昭和49年以来の再演だそうだ。プログラムに先代の吉田玉男さん(若い!)が早変わりを演じている写真がある。

 物語は、結局どうなったのか、全然収束しないんだけど、気にしないでおく。薄雲皇子は四国への流罪を申し付けられるのだが、降伏しようとしない。後ろの席のおじさんが幕間に「崇徳上皇か」とつぶやいていたが、やっぱりモデルはそうなのか。これ、東京でも上演してほしいなあ。もう一回見たい。
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アイスショー"Carnival on Ice 2015"

2015-10-08 22:01:41 | 行ったもの2(講演・公演)
Carnival on Ice 2015(カーニバルオンアイス)(2015年10月3日、19:00~、さいたまスーパーアリーナ)

 フィギュアスケートの新シーズンの本格的な幕開けを前に「カーニバルオンアイス」を見て来た。当日は、まず同じ会場で、日本、北米、欧州の3地域がフリー演技のみで競う団体対抗戦「ジャパンオープン」が行われる。迷ったけど、競技よりショーのほうが好きなので、夜の「カーニバルオンアイス」だけ見に行った。

 日本選手では、宇野昌磨くんの今季のSP「Legends」がカッコいい。もともと好きな選手だったけど、このプログラムで決定的にファンになってしまった。村上大介は「ダンス・ウィズ・ミー・トゥナイト」、宮原知子は赤い傘を持って「ペニーズ・フロム・ヘブン」。浅田真央はタキシードにシルクハット姿で「踊るリッツの夜」。競技のあとの開放感なのか、全体に軽めの曲でコミカルに滑る選手が多い。

 私はもう少し違う傾向の曲のほうが好きなので、文句なくスタンディングオベーションしたのは、ブライアン・ジュベールの「Time to say Goodbye」。夏のファンタジーオンアイス公演でもノックアウトされたプログラムで、まさか再び見ることができると思ってなかったので、涙が出るほどうれしかった。パトリック・チャンは「Mess is Mine」。このひとは何で滑っても、あまり関係ないかもしれない。彼が氷の上にいるだけでわくわくする。今シーズン、帰ってきてくれて本当に嬉しい。

 女子でいちばん楽しみにしていたのはリーザ(トゥクタミシェワ)。ジェフ・ベックの「I Put A Spell On You」で、色っぽくカッコよく滑る。あとで動画を見たら、滑りながらシャウトしてるみたいだった。アンコールの拍手に応えて、今季のSP「カルミナ・ブラーナ」のさわりも滑ってくれた。すごい! 兄弟子プルシェンコの滑っている曲ではないか。かわいい女子選手の枠を完全に踏み越えていて素晴らしい。

 あと眼福だったのは、昨年、競技を引退した町田樹による「継ぐ者」。私はこのプログラムを完成形に近いかたちで見たことがなかったので、最後にいいものを見せてもらった。ありがとう。メリル・デービス&チャーリー・ホワイトのアイスダンスもよかった。ペアの橋成美&アレクサンドル・ザボエフの出演中止(渡航許可証が間に合わず)は残念だったなー。

 それから、特別ゲストに日本人女性ダンサーが呼ばれていたが、スケートとのコラボレーションにはちょっと無理があり、ショーとしては散漫な印象になってしまった。まあいろんな選手の新しいプログラムを見ることができたので、よかったことにしておく。
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初見の名作/文楽・鎌倉三代記、妹背山婦女庭訓、他

2015-09-15 23:23:31 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 9月文楽公演(2015年9月12日)

・第1部『面売り(めんうり)』『鎌倉三代記(かまくらさんだいき)・局使者の段/米洗ひの段/三浦之助母別れの段/高綱物語の段』『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)・古市油屋の段/奥庭十人斬りの段』

 昼の部。景事『面売り』は、昨年大阪の新春公演で見た。あまり記憶に残っていなかったが、「ズンベラズンベラ」という印象的なフレーズを聞いて、あっと目が覚める思いがした。またしばらく耳を離れそうにない。

 『鎌倉三代記』はたぶん初見。ええ~もう何十年も文楽見てるのに! こんな有名な演目なのに、縁がないと出会えないのだ。設定は鎌倉時代で、源頼家(京方)と源実朝(鎌倉方)が対立。鎌倉方の指揮を執る北条時政の娘・時姫は、頼家の忠臣・三浦之介を恋い慕い、三浦之助の母親のもとに身を寄せていた。というのは表向きで、北条時政→徳川家康、時姫→千姫、三浦之介→秀頼が裏設定。高貴な生まれの(時政の娘じゃ、さほどじゃないだろうというツッコミはなし)時姫が、下々の町娘のように、豆腐の盆を掲げ、徳利をさげて登場するのは、ギャップ萌えなんだろうなあ。三浦之助は見るからに美丈夫だが、どこか思慮に欠け、安心ならないのは、確かに秀頼っぽい。物語をスカッと仕切るのは、百姓・安達藤三郎、実は佐々木高綱、モデルは真田幸村。動作が溌剌としていて、吉田玉男さんは、こういう知的な勇将が似合うと思う。

 『伊勢音頭恋寝刃』は、たぶんテレビで見たことがある。 よく似た大量殺人(?)モノの『国言詢音頭(くにことばくどきおんど)』は、やはりずいぶん昔、劇場で見たことがあって、記憶が混乱していた。『伊勢』の福岡貢のほうが少し(かすかに)救いがあって、いい男の香りがある。しかし、近くにいたお客さんが「え~この結末ぅ~」と戸惑っていたのが可笑しかった。「油屋」は咲大夫さん。年増悪女の万野が、女郎お紺(貢の恋人)に呼びかける「お紺さん~」が、思い切ったカリカチュアふうで笑った。「十人斬り」は咲甫大夫さん。うわーよかったな~と満足していたら、夜の部にも登場して、さらに熱演を聴かせてくれた。タフだなあ。

・第2部『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)・井戸替の段・杉酒屋の段・道行恋苧環・鱶七上使の段・姫戻りの段・金殿の段・入鹿誅伐の段』

 夜の部(16時~)も実は初見の舞台。三段目(山の段)は何度か見たことがあるが、今回上演される四段目は初めてなのである。はじまりの「井戸替」は、長屋の借家人たちが歌い踊る曲がにぎやかで楽しい。酒屋の娘・お三輪は、隣家に住む烏帽子屋の求馬を慕い、既にいい仲になっている。そこに高貴なお姫様(橘姫)が求馬を訪ねてくる。若い男女のリアルな心理戦が聴きどころの「杉酒屋」は咲甫大夫。

 一転して「道行恋苧環」は、男女の恋のかけひきを、舞踊(景事)に近いシンボリックな手法で描く。三味線は四人の連れ弾き。夜の部は床の近くの席だったので、音曲のシャワーを贅沢に浴びて堪能した。たくさん見て来た文楽の演目の中でも、格別にオペラに近い感じがした。

 そして舞台は入鹿の御殿へ。橘姫は蘇我入鹿の娘なのである。追ってきた求馬、実は藤原淡海(不比等。鎌足の子)は、入鹿が盗み取った皇室の宝物、十握の剣(とつかのつるぎ)を取り戻したあかつきには、橘姫と夫婦になることを約束する。橘姫、やっぱり父親より恋人を取るか。さて求馬を追って、御殿に迷い込んだお三輪は、官女たちに田舎育ちをからかわれ、なぶりものにされる。嫉妬に逆上したお三輪を、漁師鱶七、実は藤原氏の忠臣・金輪五郎が刀で刺し、疑着(嫉妬)の相のある女の生き血が、入鹿征伐に役立つと告げる。求馬の役に立つことを喜んで死んでいくお三輪。ううむ、なんというご都合主義。語りは千歳大夫。身体全体を使い、立ち上がると思うような大熱演。

 ラストでは、藤原鎌足が登場(乱入)し、鎌で(笑)入鹿の首を斬ると、斬られた首は宙に躍り上がり、しばらく漂っていたが、淡海に祈り伏せられる。史実と伝説が、いろいろ織り込まれていて楽しかった。人形は、お三輪=勘十郎、求馬=玉男、橘姫=和生。床も舞台の上も、ゆっくり着実に世代交代が進んでおり、これからの10年、文楽を見続けていくことがとても楽しみに感じられた。

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アイスショー"Fantasy on Ice 2015 神戸"

2015-07-07 00:16:44 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2015 in 神戸(2015年7月5日13:00~)

 ファンタジー・オン・アイス2015年ツアーの掉尾を飾る神戸公演の千秋楽を、週末トンボ返りで見て来た。今年は、幕張・静岡・金沢・神戸の4ヶ所で3公演ずつ。主要な出演者(スケーター)はほぼ不動なのだが、ゲストアーティストが前半(幕張、静岡)と後半(金沢、神戸)で入れ替わる。どちらも見たいな、と思いながら、ともかくチケット争奪戦が熾烈で、幕張2公演を取った時点で、後半はあきらめていた。

 ところが、幕張公演のパンフレットに載っていたステファン・ランビエールのインタビューで、彼が後半、ソプラニスタ岡本知高さんの生歌で「誰も寝てはならぬ」を滑る予定にしていることが判明。これは見たい…聴きたい…見逃がしたら一生後悔するに違いない、ということで、チケット売買サイトを利用し、SS席を本来の倍額+αで手に入れた。

 土曜日、昼夜2公演の情報をtwitterでチェックしながら関西入り。日曜はパンフレットを確実に購入するため、早めに会場の神戸ワールド記念ホールに到着。ステージからは少し遠いが、幕張の2公演に比べてリンクに近く、スケーターの表情がよく分かる良席だった。

 ハイレベルな一芸が次々に繰り出されるオープニング(羽生くんも宇野昌磨くんも4T←いまいち判別がついていないので、他人に教えられるまま)のあとは、一番手が青木祐奈ちゃん、上品なタイスの瞑想曲。二番手がトマシュ・ベルネル。あまりにも普通にイケメンで、一挙一動に見とれる。私、初めて見るかと思ったら、2010年のファンタジー・オン・アイスで見ていた。このショーは、毎年あまりにも豪華すぎて、初心者にはとても消化しきれないのだ。

 次、早くもピアニスト福間洸太朗さんとのコラボで、鈴木明子ちゃんの「月の光」。ピアノ演奏のあるアイスショーいいわー。それから、ジュベールの「Time」、ジョニーの「カルメン」、織田くん「リバーダンス」、ハビエルの帽子プロ。このへんは幕張と同じだが、何度見ても新鮮な感動。前半の見どころのひとつは、フィリップ・キャンデロロの「三銃士」。動画では何度か見ているけど。生では初見。嬉しいなー。

 前半のステファン・ランビエールは、ピアニストの福間さんとのコラボで、ラフマニノフの「プレリュード」。息をするのを忘れるくらいの美しさ。金ボタンの並んだ制服みたいな衣装(背中にファスナーあり)も素敵だった。「より早く、より高く」みたいなアスリート感覚とは別次元で滑っていて、ふわっとゆっくり身体を動かすときの一瞬が、永遠を感じさせる。人間とは違う何か別の存在が氷上で踊っているみたい。

 その直後に羽生結弦くんの「SEIMEI」。正直、動画を見て微妙な感じがしていたのだが、悪くなかった。リンクのそれぞれの隅でジャンプをするのが、四方を踏み固めて国土の安寧を祈る呪術みたいで面白かった。まだジャンプには失敗もあったが、力強く進化中と見た。しかし、90年代には岡野玲子のマンガ『陰陽師』がブームとなり、2000年代に制作された映画主演の野村萬斎もよかったが、新しい安倍晴明の誕生が嬉しくて、にやにやしてしまう。

 ペアのデュハメル&ラドフォード組を挟み(幕張に比べるとペア演技が少なかった)、前半のトリはプルシェンコ「トスカ」。バイオリン奏者マートンとの共演を見るのは初めてなので、思い入れたっぷりの演奏スタイルのマートンも見ていたいけど、プルシェンコのステップも見逃すわけには行かず、目が右往左往してしまった。

 ここで休憩。後半の先陣は宇野昌磨くん。この曲、好きだ。どんどん大人っぽく男らしくなっていくのが眩しい。織田信成くんは、スターウォーズのダースベイダーのテーマ曲で登場。黒マントを翻し、ライトサーベルをカッコよく振り回していたが、途中で曲が転調(?)すると、一転してコミカルな演技に。とっても楽しい。

 サラ・オレインさんとのコラボは、トマシュ・ベルネルが「Dream As One」、ジョニー・ウィアーが「You raise me up」、ブライアン・ジュベールは、岡本知高さん&サラさんのデュエットとの共演で「Time to say Goodbye」。どれもスケーターの個性に合っていて、スケーターがみんな楽しそうな笑顔で滑っていたので、見ている方も幸せになる。特にジュベールにはノックアウトされた。そんなに好きなタイプのスケーターじゃないと思っていたのに、自分の心変わりにうろたえる。

 いろいろ省略して、いよいよ岡本知高さんの生歌「誰も寝てはならぬ(ネッスンドルマ)」によるランビエールの演技。ジャンプの失敗があって、完璧とは言えなかったが、素晴らしかった。最後のスピン! オペラの舞台なら「ブラボー!」の声援が四方から飛ぶところだ。プルシェンコの「カルミナ・ブラーナ」は、幕張に比べるとだいぶ進化した感じが嬉しかった。大トリは羽生くん「天と地のレクイエム」。新しいエキシビションナンバーだというが、とてもパセティック。表現しようとしているものは重いが、心身の充実している今だからこそできるプログラムかもしれない。

 フィナーレは、岡本知高さんの生歌でボレロ。ラベンダー色の布を、思い思いのかたちではためかせながら、スケーターたちが入場してくる演出は素晴らしかった。恒例のジャンプ&スピン大会は、楽公演の開放感か、いつもに増してフリーダム。でも織田くん、宇野くん、ハビエル、ステファンなど、決めるジャンプは決める。

 最後はまた羽生くんのチャレンジかと思っていたら、マイクを取って「今日はジャンプ跳びません」と発言。そのかわり、今日はコラボプロがなかったので、最後に福間さんとコラボします、と聞いて(期待に)ざわつく場内。ショパンのバラード1番が鳴り始めたときは悲鳴みたいな歓声が。最後のステップ部分だけだったけど、ものすごい贅沢をいただきました。また来年ね。
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神と暮らす人々/石見 大元神楽(国立劇場)

2015-06-22 23:17:16 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 第127回民俗芸能公演 重要無形民俗文化財『石見 大元神楽』(6月20日、13:00~ 出演:市山神友会)

【1時の部】

 島根県西部に伝わる大元神楽(おおもとかぐら)を見に行った。その特徴は、明治時代に禁止された神懸りと託宣の儀式を伝えていること、明治以降、石見地方に急速に広まった華やかでテンポの速い八調子ではなく、古くから伝わる優美でゆったりとした六調子の舞を今に伝えることなどにあるという。開演前の舞台↓(会場係員に確認して、写真を撮らせてもらう)。五色の紙細工の天蓋でおおわれた1間半四方のスペースで神楽が演じられる。下手は楽人の座。大太鼓、締太鼓、銅拍子(小さなシンバル)、横笛が基本構成。



 天蓋の「雲」の中には、九つの「小天蓋」が仕掛けられている。この働きはのちほど。



 藁でつくられた蛇(丸くとぐろを巻いている)がかつがれてきて、奥の祭壇に安置されると神楽が始まった。

・「四方拝(しほうはい)」…四色の狩衣(水干?)を来た舞人が登場する。下手から時計まわりに東(青)、南(赤)、西(白)、北(黒)。ただし青は緑色、黒は紫で表す。四人は、長い袖を翻しながら、縦横斜めに行き交い、舞台を踏み固める。優雅な動きは王朝のむかしを思わせるが、テンポは意外と速い。片手に幣、片手に鳴り物を持っている。鳴り物は、U字型に曲げた金属線に、穴あき銭を何枚も通したような古風で素朴なものだった。

・「太鼓口(どうのくち)」…四つの大太鼓(大胴)が引き出されて、近距離で向きあう。その間に、笛や締太鼓が配置される。円座になった楽人八人が楽を奏する。大太鼓を奏する四人の衣は、やはり四色。だんだん身振りが大きくなり、両袖を背中に担ぐようにし、左右に身体を揺らして、神楽歌を歌う。最後に四人が短い舞をひとさしずつ舞う。

・「手草(たぐさ)」…一人舞で、二本の榊を両手に持って舞う。上半身もくるくるとよく動くが、たぶん歩の運び方に重要な意味があると思われ、なるべく足元に注目する。お供えの米を撒いて、舞台を清める仕草もある。

・「山の大王(やまのだいおう)」…「手草」の舞人が退場したとたん、「ぐわわぁ~」みたいな胴間声とともに、ざんばら髪の仮面をかぶった山の大王が乱入してくる。楽人の座にいた一人(祝詞師/のりとじ)が立って、大王にしがみつき、「大王さん、まあまあ」と宥めて、椅子に座らせる。ここから舞台は一転してコント劇場に。「大王さん、島根から東京までどうやっていらっしゃった?」「うむ、広島から新幹線で」とか真面目に問答するのが可笑しい。ところどころに軽快な囃子や歌も入る。酒や餅、肴をふるまわれた大王は、機嫌よく山に帰っていく。大王さんの仮面の下は、村の校長先生で、お仕事は定年間近だそうだが、ぜひお元気で、次の式年祭でも活躍なさってほしい。(ここで休憩)

・「磐戸(いわと)」…はじめに天照大御神が弟・スサノオに辱められたことを語り、幕の後ろに隠れる。白い眉、長い髯の児屋根命と壮年の太玉命が天下を憂い、神楽を奏し、天鈿女命におもしろく舞ってもらうことを考えつく。天照大御神が顔を見せたところを、手力雄命が両手をうやうやしく握って外に引き出す。神々は全て仮面で表現する。天鈿女命はこの神楽でひとりだけ、いわゆる神楽鈴を振っていた。あと、聞き覚えのある記紀の章句をそのまま使っている神楽歌が面白かった。

・「蛭子(えびす)」…西宮蛭子明神へ参詣した神主が、地元の住人から神社の由来を聞いていると、蛭子の命が現れ、釣竿を取り出す。糸を客席の前方に垂らし、何度か失敗の所作で笑いを取ったあと、(誰か待機していたのか?)大きな鯛を釣り上げて、拍手喝采。

【4時30分の部】

 ここから友人が加わり、一緒に鑑賞。

・「四剣(しけん)」…白い衣、赤い袴の四人の男性が登場。手には剣と鈴(前半でも使っていた素朴なもの)を持っている。剣ははじめから抜き身だったか? あるいは早い段階で鞘を捨てて、あとはずっと抜き身だった。舞台の四方に位置し、縦横斜めに行き交う。四方拝に似ているが、もっとテンポが速く、動き方が複雑である。固唾を飲んで見守っていると、一瞬、小休止が入るのだが、終わりではなく、さらに複雑なフォーメーションが始まる。その繰り返し。もう体力も精神力も限界じゃないかと思っても、まだ行く。サディステックなほど、長い。とうとう四人が膝をついて、それぞれの剣先に紙を巻き始めたときは、これでやっと終わりかと思ったが、さにあらず。四人は片手に自分の剣の束、片手に隣りの人の剣先を握って、サークルを作り、くるくると右へ左へまわり始める。そして、「くぐれやくぐれ」の歌詞で刃の下をくぐり、「跳べや跳べ」で刃を飛び越える。剣と人のサークルが、何度もねじれ、裏返り、もとに戻るが、決して両手は離さない。すごい! 見ているだけでも激しく消耗した。

・「御座(ござ)」…白の衣に水色の袴の男性が一人、筒状に巻いたゴザを持って登場。前半はゆったりと厳かに五方(四方と中央)の神を拝するが、後半は、ゴザを広げてかつぎ、さらにゴザの両端をつかんで、縄跳びのように前後に揺すりながら飛び続けるという荒業。

・「天蓋(てんがい)」…「天蓋」の中に吊るされた九つの「小天蓋」のうち、五つに仕込まれていた神様の名札が垂らされる。東=青(緑)=久々能智命、南=赤=迦具土神、西=白=金山彦命、北=黒(紫)=岡象女命、中央=黄=黄龍埴安比売命。九つの小天蓋は紐によって、上げたり下げたりすることができる。舞台後方に座った三人の男性が紐を握り、奏楽と神楽歌に合わせて、紐を上下させる。はじめはゆっくりした動きだが、強く紐を引くと、小天蓋は、生き物のように前後左右に激しく跳ね飛び、五色の紙飾りがちぎれて舞う。(休憩)

・「五龍王(ごりゅうおう)」…狩衣姿の四人の王子(青躰青龍王、赤躰赤龍王、白躰白龍王、黒躰黒龍王)が集まっているところに、十七歳になった末っ子の黄躰黄龍王が鎧姿で現れ、自分の所領を要求する。あわや合戦となるところ、文撰博士が理を説いて仲裁する。すなわち、天地の中央を黄龍王の所領とすること。春夏秋冬に「土用」の期間を定めること、そのほか、万物の帰趨を一気に述べ立てる。思わずセリフにつまると、客席から「がんばってー」の声が飛んだ。これはこれで、記憶力の限界に挑むような荒業。

・「鐘馗(しょうき)」…素戔嗚命は唐国で鐘馗と名乗り、虚耗(きょもう)という大疫神を退治したが、その眷属(?)が日本に攻めてきたため、茅の輪と宝剣で退治するという物語。スサノオは仮面をつけず、虚耗(きょもう)は仮面をつける。ただし、あまり怖い鬼ではない。力は強いが、振る舞いは愚鈍で、当然のように退治されて終わる。

 実は「五龍王」と「鐘馗」の間に舞台が暗転して、大きなスクリーンに映像が映し出された。今回は上演されない「神がかり」の場面だった。「神道」とひとことでいうけれど、都市生活になじんだ神社とは全く違う、こんな豊かな信仰が保たれていることが興味深かった。よいものを見せてもらった一日だった。
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