○国立劇場 第127回民俗芸能公演 重要無形民俗文化財『石見 大元神楽』(6月20日、13:00~ 出演:市山神友会)
【1時の部】
島根県西部に伝わる大元神楽(おおもとかぐら)を見に行った。その特徴は、明治時代に禁止された神懸りと託宣の儀式を伝えていること、明治以降、石見地方に急速に広まった華やかでテンポの速い八調子ではなく、古くから伝わる優美でゆったりとした六調子の舞を今に伝えることなどにあるという。開演前の舞台↓(会場係員に確認して、写真を撮らせてもらう)。五色の紙細工の天蓋でおおわれた1間半四方のスペースで神楽が演じられる。下手は楽人の座。大太鼓、締太鼓、銅拍子(小さなシンバル)、横笛が基本構成。
天蓋の「雲」の中には、九つの「小天蓋」が仕掛けられている。この働きはのちほど。
藁でつくられた蛇(丸くとぐろを巻いている)がかつがれてきて、奥の祭壇に安置されると神楽が始まった。
・「四方拝(しほうはい)」…四色の狩衣(水干?)を来た舞人が登場する。下手から時計まわりに東(青)、南(赤)、西(白)、北(黒)。ただし青は緑色、黒は紫で表す。四人は、長い袖を翻しながら、縦横斜めに行き交い、舞台を踏み固める。優雅な動きは王朝のむかしを思わせるが、テンポは意外と速い。片手に幣、片手に鳴り物を持っている。鳴り物は、U字型に曲げた金属線に、穴あき銭を何枚も通したような古風で素朴なものだった。
・「太鼓口(どうのくち)」…四つの大太鼓(大胴)が引き出されて、近距離で向きあう。その間に、笛や締太鼓が配置される。円座になった楽人八人が楽を奏する。大太鼓を奏する四人の衣は、やはり四色。だんだん身振りが大きくなり、両袖を背中に担ぐようにし、左右に身体を揺らして、神楽歌を歌う。最後に四人が短い舞をひとさしずつ舞う。
・「手草(たぐさ)」…一人舞で、二本の榊を両手に持って舞う。上半身もくるくるとよく動くが、たぶん歩の運び方に重要な意味があると思われ、なるべく足元に注目する。お供えの米を撒いて、舞台を清める仕草もある。
・「山の大王(やまのだいおう)」…「手草」の舞人が退場したとたん、「ぐわわぁ~」みたいな胴間声とともに、ざんばら髪の仮面をかぶった山の大王が乱入してくる。楽人の座にいた一人(祝詞師/のりとじ)が立って、大王にしがみつき、「大王さん、まあまあ」と宥めて、椅子に座らせる。ここから舞台は一転してコント劇場に。「大王さん、島根から東京までどうやっていらっしゃった?」「うむ、広島から新幹線で」とか真面目に問答するのが可笑しい。ところどころに軽快な囃子や歌も入る。酒や餅、肴をふるまわれた大王は、機嫌よく山に帰っていく。大王さんの仮面の下は、村の校長先生で、お仕事は定年間近だそうだが、ぜひお元気で、次の式年祭でも活躍なさってほしい。(ここで休憩)
・「磐戸(いわと)」…はじめに天照大御神が弟・スサノオに辱められたことを語り、幕の後ろに隠れる。白い眉、長い髯の児屋根命と壮年の太玉命が天下を憂い、神楽を奏し、天鈿女命におもしろく舞ってもらうことを考えつく。天照大御神が顔を見せたところを、手力雄命が両手をうやうやしく握って外に引き出す。神々は全て仮面で表現する。天鈿女命はこの神楽でひとりだけ、いわゆる神楽鈴を振っていた。あと、聞き覚えのある記紀の章句をそのまま使っている神楽歌が面白かった。
・「蛭子(えびす)」…西宮蛭子明神へ参詣した神主が、地元の住人から神社の由来を聞いていると、蛭子の命が現れ、釣竿を取り出す。糸を客席の前方に垂らし、何度か失敗の所作で笑いを取ったあと、(誰か待機していたのか?)大きな鯛を釣り上げて、拍手喝采。
【4時30分の部】
ここから友人が加わり、一緒に鑑賞。
・「四剣(しけん)」…白い衣、赤い袴の四人の男性が登場。手には剣と鈴(前半でも使っていた素朴なもの)を持っている。剣ははじめから抜き身だったか? あるいは早い段階で鞘を捨てて、あとはずっと抜き身だった。舞台の四方に位置し、縦横斜めに行き交う。四方拝に似ているが、もっとテンポが速く、動き方が複雑である。固唾を飲んで見守っていると、一瞬、小休止が入るのだが、終わりではなく、さらに複雑なフォーメーションが始まる。その繰り返し。もう体力も精神力も限界じゃないかと思っても、まだ行く。サディステックなほど、長い。とうとう四人が膝をついて、それぞれの剣先に紙を巻き始めたときは、これでやっと終わりかと思ったが、さにあらず。四人は片手に自分の剣の束、片手に隣りの人の剣先を握って、サークルを作り、くるくると右へ左へまわり始める。そして、「くぐれやくぐれ」の歌詞で刃の下をくぐり、「跳べや跳べ」で刃を飛び越える。剣と人のサークルが、何度もねじれ、裏返り、もとに戻るが、決して両手は離さない。すごい! 見ているだけでも激しく消耗した。
・「御座(ござ)」…白の衣に水色の袴の男性が一人、筒状に巻いたゴザを持って登場。前半はゆったりと厳かに五方(四方と中央)の神を拝するが、後半は、ゴザを広げてかつぎ、さらにゴザの両端をつかんで、縄跳びのように前後に揺すりながら飛び続けるという荒業。
・「天蓋(てんがい)」…「天蓋」の中に吊るされた九つの「小天蓋」のうち、五つに仕込まれていた神様の名札が垂らされる。東=青(緑)=久々能智命、南=赤=迦具土神、西=白=金山彦命、北=黒(紫)=岡象女命、中央=黄=黄龍埴安比売命。九つの小天蓋は紐によって、上げたり下げたりすることができる。舞台後方に座った三人の男性が紐を握り、奏楽と神楽歌に合わせて、紐を上下させる。はじめはゆっくりした動きだが、強く紐を引くと、小天蓋は、生き物のように前後左右に激しく跳ね飛び、五色の紙飾りがちぎれて舞う。(休憩)
・「五龍王(ごりゅうおう)」…狩衣姿の四人の王子(青躰青龍王、赤躰赤龍王、白躰白龍王、黒躰黒龍王)が集まっているところに、十七歳になった末っ子の黄躰黄龍王が鎧姿で現れ、自分の所領を要求する。あわや合戦となるところ、文撰博士が理を説いて仲裁する。すなわち、天地の中央を黄龍王の所領とすること。春夏秋冬に「土用」の期間を定めること、そのほか、万物の帰趨を一気に述べ立てる。思わずセリフにつまると、客席から「がんばってー」の声が飛んだ。これはこれで、記憶力の限界に挑むような荒業。
・「鐘馗(しょうき)」…素戔嗚命は唐国で鐘馗と名乗り、虚耗(きょもう)という大疫神を退治したが、その眷属(?)が日本に攻めてきたため、茅の輪と宝剣で退治するという物語。スサノオは仮面をつけず、虚耗(きょもう)は仮面をつける。ただし、あまり怖い鬼ではない。力は強いが、振る舞いは愚鈍で、当然のように退治されて終わる。
実は「五龍王」と「鐘馗」の間に舞台が暗転して、大きなスクリーンに映像が映し出された。今回は上演されない「神がかり」の場面だった。「神道」とひとことでいうけれど、都市生活になじんだ神社とは全く違う、こんな豊かな信仰が保たれていることが興味深かった。よいものを見せてもらった一日だった。
【1時の部】
島根県西部に伝わる大元神楽(おおもとかぐら)を見に行った。その特徴は、明治時代に禁止された神懸りと託宣の儀式を伝えていること、明治以降、石見地方に急速に広まった華やかでテンポの速い八調子ではなく、古くから伝わる優美でゆったりとした六調子の舞を今に伝えることなどにあるという。開演前の舞台↓(会場係員に確認して、写真を撮らせてもらう)。五色の紙細工の天蓋でおおわれた1間半四方のスペースで神楽が演じられる。下手は楽人の座。大太鼓、締太鼓、銅拍子(小さなシンバル)、横笛が基本構成。
天蓋の「雲」の中には、九つの「小天蓋」が仕掛けられている。この働きはのちほど。
藁でつくられた蛇(丸くとぐろを巻いている)がかつがれてきて、奥の祭壇に安置されると神楽が始まった。
・「四方拝(しほうはい)」…四色の狩衣(水干?)を来た舞人が登場する。下手から時計まわりに東(青)、南(赤)、西(白)、北(黒)。ただし青は緑色、黒は紫で表す。四人は、長い袖を翻しながら、縦横斜めに行き交い、舞台を踏み固める。優雅な動きは王朝のむかしを思わせるが、テンポは意外と速い。片手に幣、片手に鳴り物を持っている。鳴り物は、U字型に曲げた金属線に、穴あき銭を何枚も通したような古風で素朴なものだった。
・「太鼓口(どうのくち)」…四つの大太鼓(大胴)が引き出されて、近距離で向きあう。その間に、笛や締太鼓が配置される。円座になった楽人八人が楽を奏する。大太鼓を奏する四人の衣は、やはり四色。だんだん身振りが大きくなり、両袖を背中に担ぐようにし、左右に身体を揺らして、神楽歌を歌う。最後に四人が短い舞をひとさしずつ舞う。
・「手草(たぐさ)」…一人舞で、二本の榊を両手に持って舞う。上半身もくるくるとよく動くが、たぶん歩の運び方に重要な意味があると思われ、なるべく足元に注目する。お供えの米を撒いて、舞台を清める仕草もある。
・「山の大王(やまのだいおう)」…「手草」の舞人が退場したとたん、「ぐわわぁ~」みたいな胴間声とともに、ざんばら髪の仮面をかぶった山の大王が乱入してくる。楽人の座にいた一人(祝詞師/のりとじ)が立って、大王にしがみつき、「大王さん、まあまあ」と宥めて、椅子に座らせる。ここから舞台は一転してコント劇場に。「大王さん、島根から東京までどうやっていらっしゃった?」「うむ、広島から新幹線で」とか真面目に問答するのが可笑しい。ところどころに軽快な囃子や歌も入る。酒や餅、肴をふるまわれた大王は、機嫌よく山に帰っていく。大王さんの仮面の下は、村の校長先生で、お仕事は定年間近だそうだが、ぜひお元気で、次の式年祭でも活躍なさってほしい。(ここで休憩)
・「磐戸(いわと)」…はじめに天照大御神が弟・スサノオに辱められたことを語り、幕の後ろに隠れる。白い眉、長い髯の児屋根命と壮年の太玉命が天下を憂い、神楽を奏し、天鈿女命におもしろく舞ってもらうことを考えつく。天照大御神が顔を見せたところを、手力雄命が両手をうやうやしく握って外に引き出す。神々は全て仮面で表現する。天鈿女命はこの神楽でひとりだけ、いわゆる神楽鈴を振っていた。あと、聞き覚えのある記紀の章句をそのまま使っている神楽歌が面白かった。
・「蛭子(えびす)」…西宮蛭子明神へ参詣した神主が、地元の住人から神社の由来を聞いていると、蛭子の命が現れ、釣竿を取り出す。糸を客席の前方に垂らし、何度か失敗の所作で笑いを取ったあと、(誰か待機していたのか?)大きな鯛を釣り上げて、拍手喝采。
【4時30分の部】
ここから友人が加わり、一緒に鑑賞。
・「四剣(しけん)」…白い衣、赤い袴の四人の男性が登場。手には剣と鈴(前半でも使っていた素朴なもの)を持っている。剣ははじめから抜き身だったか? あるいは早い段階で鞘を捨てて、あとはずっと抜き身だった。舞台の四方に位置し、縦横斜めに行き交う。四方拝に似ているが、もっとテンポが速く、動き方が複雑である。固唾を飲んで見守っていると、一瞬、小休止が入るのだが、終わりではなく、さらに複雑なフォーメーションが始まる。その繰り返し。もう体力も精神力も限界じゃないかと思っても、まだ行く。サディステックなほど、長い。とうとう四人が膝をついて、それぞれの剣先に紙を巻き始めたときは、これでやっと終わりかと思ったが、さにあらず。四人は片手に自分の剣の束、片手に隣りの人の剣先を握って、サークルを作り、くるくると右へ左へまわり始める。そして、「くぐれやくぐれ」の歌詞で刃の下をくぐり、「跳べや跳べ」で刃を飛び越える。剣と人のサークルが、何度もねじれ、裏返り、もとに戻るが、決して両手は離さない。すごい! 見ているだけでも激しく消耗した。
・「御座(ござ)」…白の衣に水色の袴の男性が一人、筒状に巻いたゴザを持って登場。前半はゆったりと厳かに五方(四方と中央)の神を拝するが、後半は、ゴザを広げてかつぎ、さらにゴザの両端をつかんで、縄跳びのように前後に揺すりながら飛び続けるという荒業。
・「天蓋(てんがい)」…「天蓋」の中に吊るされた九つの「小天蓋」のうち、五つに仕込まれていた神様の名札が垂らされる。東=青(緑)=久々能智命、南=赤=迦具土神、西=白=金山彦命、北=黒(紫)=岡象女命、中央=黄=黄龍埴安比売命。九つの小天蓋は紐によって、上げたり下げたりすることができる。舞台後方に座った三人の男性が紐を握り、奏楽と神楽歌に合わせて、紐を上下させる。はじめはゆっくりした動きだが、強く紐を引くと、小天蓋は、生き物のように前後左右に激しく跳ね飛び、五色の紙飾りがちぎれて舞う。(休憩)
・「五龍王(ごりゅうおう)」…狩衣姿の四人の王子(青躰青龍王、赤躰赤龍王、白躰白龍王、黒躰黒龍王)が集まっているところに、十七歳になった末っ子の黄躰黄龍王が鎧姿で現れ、自分の所領を要求する。あわや合戦となるところ、文撰博士が理を説いて仲裁する。すなわち、天地の中央を黄龍王の所領とすること。春夏秋冬に「土用」の期間を定めること、そのほか、万物の帰趨を一気に述べ立てる。思わずセリフにつまると、客席から「がんばってー」の声が飛んだ。これはこれで、記憶力の限界に挑むような荒業。
・「鐘馗(しょうき)」…素戔嗚命は唐国で鐘馗と名乗り、虚耗(きょもう)という大疫神を退治したが、その眷属(?)が日本に攻めてきたため、茅の輪と宝剣で退治するという物語。スサノオは仮面をつけず、虚耗(きょもう)は仮面をつける。ただし、あまり怖い鬼ではない。力は強いが、振る舞いは愚鈍で、当然のように退治されて終わる。
実は「五龍王」と「鐘馗」の間に舞台が暗転して、大きなスクリーンに映像が映し出された。今回は上演されない「神がかり」の場面だった。「神道」とひとことでいうけれど、都市生活になじんだ神社とは全く違う、こんな豊かな信仰が保たれていることが興味深かった。よいものを見せてもらった一日だった。