「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

背後から秘かに忍び寄って来るもの

2020年10月04日 | オーディオ談義

先日のこと、何気なくテレビを観ていたら「建もの探訪」(テレビ朝日)という番組が放映されていた。

首都圏近郊の洒落た新築の建物を外観、内部の構造、機能などに亘って細かく紹介する番組で、すでに軽く1000回を超える長寿番組だそうだから、きっと何度かご覧になった方も多いことだろう。

「もっと広くて大きくて快適な家に住みたい」というのは、ほとんど誰もが永遠に抱く「夢」のようなものだから長寿番組というのも十分頷ける話で、たとえば自分だって、40畳程の天井の高い大広間でウットリと音楽を聴いている姿を今でもときどき夢見ることがある!

ああ、一度でいいから「宝くじ」に当たらないかなあ~(笑)。


今回、テレビに登場している建物は広さはそれほどでもなかったが、機能的にはうらやましくなるほどの設備を備えていて、たとえば壁面全体をガラスにして採光を十分なものにし、その一方で夏の暑さをしのぐため壁面の上からシャワーのように水を垂れ流す家庭内循環システムを取り入れてあった。

見た目にも「これは涼しそうだなあ~」と、思わず感心ながら観ていると、そのうち、2階にある家主の6畳ほどの書斎にテレビカメラが侵入したところ、それほど大きくもない机の上の左右両端に高さ30cm、幅20cmほどの小さなバスレフ型のスピーカーが設置され、中央付近に小型の真空管アンプが鎮座しているのを映し出した。

探訪者(俳優の渡辺篤史さん)が「ご主人はオーディオをされるんですか」との問いに(家主が)「ハイ」と”にっこり”。書棚にはCDもたくさん収めてあったし、地元の「第九を歌う会」のリーダーも務められているそうで、さぞや音楽が好きな方なのだろう。

しかし、改めて「え~っ、これがメインのオーディオ装置なの?」と、あまりのミニチュアぶりにいささか驚いてしまった。

人間が聞こえる周波数帯域は周知のとおり、20~20000ヘルツとされているが、オーディオ装置で音楽を再生するときには、30~15000ヘルツぐらいをカバーできれば、まずは上等の部類に入るのだろうが、この装置だとスピーカーの口径からしておそらく下の帯域がせいぜい100ヘルツ程度も行けば上出来だろう。

まるで箱庭や盆栽を楽しむような趣といったところだが、もしかすると自分が知らないだけで、これが現代の「オーディオの一般的な姿」なのかもしれないと思ったことだった。

オーディオの目的が音楽を聴くことにあるのは言わずもがなだが、(音楽に)感動する仕組みは各自の脳の中にセットされているので、オーディオ装置のレベルに言及するのはあまり意味がないとは思っている。

ずっと以前に小さなラジカセでモーツァルトの「ファゴット協奏曲第二楽章」を聴いて涙が滲み出るほどに胸を打たれた経験があるので、赤の他人が軽々に装置の価値判断を出来ないことは分かっているつもりだが、こういうシステムだと「音楽の楽しみ」は別として「オーディオの楽しみ」というものが半分くらいしか味わえないのではないかという気がする。まあ、お節介ですけどね(笑)。

実は「周波数200ヘルツ以下の世界」がオーディオで最も”おいしい”ところと思っているのでそれを味わっていないなんて、実に”もったいない”。


従来からの、これは独り勝手の個人的な思いだが、オーディオの醍醐味の一つは「量感」と「分解能」の「程よい調和」を目指すことにある。

「量感」とは読んで字のごとく「豊かな音」を指し、「分解能」については、自分なりの理解ではたとえば再生中の音場で個別の楽器の位置とか、奥行き、音色をくっきりと表す能力を指す。

この両者を「いかにバランスよく両立させるか」にオーディオ愛好家としてのセンスが一番問われると勝手に思い込んでいるのだが、この命運を大きく左右するのが、およそ「周波数200ヘルツ以下の世界」なのだ。

この周波数帯域を具体的に分割して言えば、30~60ヘルツの「最低音域」部分、60~100ヘルツの「低音域」部分、100~200ヘルツの「中音低域」部分となる。

自分のオーディオ人生を振り返ってみると、結果的にこの帯域をいかにうまく再生するかという部分に「血(お金)と汗と涙」の70%近くを注ぎ込んだような気がしているが、それでいていまだに完全な充足感を得るに至っていない。

それこそ、いろんなアプローチがあるのだろうし、いまだにごく一部しか試していないような気がするので、時間がいくらあっても足りない気がするが年々潮が満ちてくるように背後からひそかに忍び寄ってくるものがあるので非常に困る(笑)。

「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。」(「徒然草」第155段)



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欲張り過ぎたらダメ

2020年10月02日 | 音楽談義

4年前に亡くなられた音楽評論家の「宇野功芳」さん。



ややオーヴァーともいえる表現が有名だった。たとえば共著「クラシックCDの名盤」から、デュ・プレが弾くエドガーの「チェロ協奏曲」についての解説がこれ。

「67年、バルビローリの棒で入れたライブが最高だ。人生の憂愁やしみじみとした感慨に彩られたイギリス音楽に共通する特徴を備えるこの曲を、22歳になったばかりのデュ・プレが熱演している。

第一楽章から朗々たる美音がほとばしり、ポルタメントを大きく使ったカンタービレは極めて表情豊か、造詣はあくまで雄大、ロマンティックな情感が匂わんばかりだ。」


こういう表現って、どう思われます?(笑)


クラシック通の間では評価が二分されており、「この人、またいつもの調子か」と、幾分かの“嘲り”をもって受け止める派と素直に受け入れる憧憬派と、はっきりしている。

自分はやや冷めたタイプなのでこういう大げさな表現は肌に合わないので前者の派に属しているが、これ以上「死者に鞭打つ」ことは止めておこう。

このほど図書館から借りてきた本の中に「私のフルトヴェングラー」(宇野功芳著:2016年2月8日刊)があった。刊行日からして死去の4か月前なのでおそらく「遺作」となろう。

                         

20代前半の頃はそれこそフルトヴェングラーの演奏に心から感動したものだった。ベートーヴェンの「第九」「第3番・英雄」、そしてシューベルトの「グレート」・・・。

本書の15頁に次のような記述があった。

今や芸術家たちは技術屋に成り下がってしまった。コンクール、コンクールでテクニックの水準は日増しに上がり、どれほど芸術的な表現力、創造力を持っていてもその高度な技巧を身に着けていないと世に出られない。フルトヴェングラーなど、さしずめ第一次予選で失格であろう。何と恐ろしいことではないか。

だが音楽ファンは目覚めつつある。機械的なまるで交通整理のようなシラケタ指揮者たちに飽き始めたのである。彼らは心からの感動を求めているのだ。

特にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどのドイツ音楽の主流に対してもっと豊饒な、もっと深い、もっとコクのある身も心も熱くなるような演奏を期待しているのだ。

だからこそ死後30年も経ったフルトヴェングラーの音楽を必死になって追い求めるのである。実際に舞台姿を見たこともない、モノーラルレコードでしか知らない彼の音楽を熱望するのである。」

クラシックファンにとって、黄金時代は「1950年代前後」ということに異論をさしはさむ方はまずおるまい。(ジャズもそうかもしれませんね)

綺羅星の如く並んだ名指揮者、名演奏家、名歌手、そして名オーケストラ。その中でも代表的な指揮者がフルトヴェングラー、そしてのちに帝王と称されたカラヤンにとっては黎明期だった。

いつぞやのブログでも紹介したが、ベルリン・フィルのコントラバス奏者だったハルトマン氏がこう語っている。

「カラヤンは素晴らしい業績を残したが亡くなってまだ20年も経たないのにもうすでに忘れられつつあるような気がする。ところが、フルトヴェングラーは没後50年以上経つのに、未だに偉大で傑出している。<フトヴェングラーかカラヤンか>という問いへの答えは何もアタマをひねらなくてもこれから自ずと決まっていくかもしれませんよ。」

だがしかし・・。

本書の中で、フルトヴェングラーがもっとも得意としていたのはベートーヴェンであり「モーツァルトとバッハの音楽には相性が悪かった。」(23頁)とあった。そういえばフルトヴェングラーにはモーツァルトの作品に関する名演がない!

オペラ「ドン・ジョバンニ」という唯一の例外もあるが、このオペラほどモーツァルトらしからぬ作風の最たるものとしかいえない。


あの“わざとらしさ”がなく天真爛漫、“天馬空を駆ける”ようなモーツァルトの音楽をなぜフルトヴェングラーは終生苦手としていたのか、芸風が合わないといえばそれまでだが・・。

モーツァルトを満足に振れない指揮者は指揮者として「?」というのが永年の持論だが、はてさてフルトヴェングラーをどう考えたらいいのだろうか。

そもそもすべての作曲家をレパートリーに収める指揮者なんて存在しないのかもしれない。

オーディオだってそうで、すべてのジャンルをうまく再生できるシステムが無いのと同じ。

とにかく「欲張り過ぎたらダメ」ということですかね
(笑)。



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