21世紀はユーラシア(ユーロとアジアの合成語)大陸の時代だといわれている。人口大国の中国、資源大国のロシア、IT大国のインド、この3国の目ざましい躍進ぶりがそのことを証明している。
1月28日のNHK総合テレビはこの3国の中でも取り分けITの分野で発展著しいインドを特集して取り上げていた。題して「インドの衝撃」シリーズ第1回「湧き上がる頭脳パワー」。
内容は頭脳立国の掛け声のもとで理数系教育に力を注いだ結果インド人の頭脳が世界のIT業界に大きな役割を果していることを紹介していた。非常に勢いのいい話ばかりだったがその裏に一貫して流れていた本質的なテーマは「貧困からの脱却」だった。
この根深い問題に対して根本的な解決策を持たない他国の人間がいろいろ言ってもしようがないがインドに興味を持ったので感想を述べてみよう。
インドは11億の人口のうち25歳以下が半分を占めているが、そのうち理工系の学生の卒業生が毎年40万人に達している。貧しい境遇のもとで頭脳を生かして世に出ようとするため若者の間で学問に対する情熱が非常に高い。
その中でも代表的な教育機関が競争率が実に60倍という世界でも最難関のIIT(インド工科大学)だ。高度な学問を修めたこの大学の出身者が一握りのスーパー・エリートとなって国内外のIT産業の担い手として現在世界中を席捲している。
多大の人口と広大な国土を背景にしてこんなにレベルの高い英才教育をしているインドの将来は前途洋々のようだがその反面一朝一夕には解決できないインドの課題が番組を通して見えてきたような気がした。
まず第一点は人口の多さと国土の広大さである。
大きな利点のように見えるが逆に大きすぎて富裕層と貧困層の二極分化や中央と地方の地域間格差を解消していくうえでの大きなネックとなっている。これらの格差の拡大が政情不安、犯罪の多発による社会不安、環境破壊などの要素をはらんでおり、よほどうまい政治・社会システムが必要となるだろう。
第二点目だが
国の未来像がはっきり見えてこない。番組に登場するインド人全てが異口同音に国の発展を口にしていたが、国の発展の先にあるものが見えてこない。国民一人ひとりの人間性の尊重、幸せのあるべき姿など、国民に視点を置いた未来像がとうとう関係者の口から聞けなかった。
第三点目は
左脳(論理性)優先の学問偏重主義の弊害はないのだろうか。
藤井康男氏の「右脳人間学」によると脳に遊び(余裕)の量がどのくらい生まれてくるかによって、動物の種としての発達の度合いが測れるものであり、その例として芸術、文化の度合いが民族の程度を表しているそうだ。
ユーモアもその一例でジョークの中で一番高度なものは、自分のことをせせら笑う自虐的なユーモアだといわれている。その点、ロシアのジョークは有名だが、インドではついぞその手の話を聞いたことがない。とにかく余裕が無い感じである。
インドでも若いうちから芸術、文化、スポーツにも親しみ幅広く人間性を涵養して多様な考え方を習得する教育環境も必要ではあるまいか。そういえばインドのこれらの分野での世界的人材はあまり聞かない。指揮者には父親の跡を継いだズービン・メータがいるがそのほかには・・・?。
ところで、番組の中で電気も水道も無い極貧の郷土の期待を一身に担ってIITを目指す一人の若者が登場していたが、その重圧と使命感にやせた身体が押しつぶされそうな様子が伺えて何だか気の毒で可哀想だった。
万一、入学試験に落ちたら彼はどうするのだろうか。受験の失敗ぐらい笑い飛ばして、挽回し吸収できる社会の余裕と仕組みがあるといいのだが・・・。
さらに、「貧困からの脱却」に向けてたった一人の若者に郷土の発展をゆだねざるを得ない地域の現状がインドの苦悩と重なり合っているように思えた。
一身に期待を担う若者