「指揮者や演奏家などの音楽関係者は総じてそれほどオーディオに熱心ではない」ことに何となくお気付きの方は多いと思う。
高価なオーディオシステムをそろえて「悦に入っている」のは、大半が素人さんだよね(笑)。
さらに身近な例をあげると、桐朋学園を卒業後渡独して指揮者「チェリビダッケ」の薫陶を受けた高校時代の同窓生をはじめ、プロと称される音楽家でオーディオに熱心な事例を未だ見聞したことがない。
音楽好きなら家庭でも「いい音」で聴きたいはずだけどなあ・・。
いったい、なぜ?
これまでにも、その理由に対していろいろアプローチしてきたが、所詮はオーディオ愛好家からの視点なので「隔靴掻痒」(かっかそうよう)の感を免れなかったが、このほどメールを整理していたら、実に「ごもっとも」と感心した内容に出会ったのでここに公開させていただこう。
中にはお褒めの言葉もあったりして、そういうことまで臆面もなく公開するのかと読者からお叱りを受けそうだが「一字一句ありのまま」ということでどうかお許しいただきたい。
それでは以下のとおり。
「音楽&オーディオの小部屋」さんへ
いつも楽しく愛読させていただいております。貴兄の飽くことなき音の探求にはひたすら敬服しております。私も復刻版とはいえAXIOM80を使っていますのでたいへん参考になっています。
このユニットは貴兄がおっしゃるとおり「低音をどうするか」が要諦ですので迷いは尽きませんね。が、なぜか、よく言われていますような「鳴らすのが難しい」とはあまり感じたことがありません。
要求水準が低いのかもしれませんが、素直な良いスピーカーだと思っています。
本題が後回しになってしまいました。
貴兄が箇条書きされた「音楽家がオーディオに熱心でない理由」ですが、そのうちの一つ、メル友さんの「(オーディオは)手がかりに過ぎない」は、なるほどと感心しました。
全て当てはまるような気がします。が、決定的なことが漏れているのではないかと思いました。
ここでの「音楽家」が「プロ」なのか「アマチュアにちょっとプラスアルファ」なのかわかりませんが私には「彼らには決定的に時間が足りない」のじゃないかと思います。
「人様が演奏しているのなんか聴いている暇があったら練習しなくてはいけない」のだと。
「1日でも練習をサボったらそれが聴衆にわかってしまう」と言ったのは、ピアニストの誰だったか・・・。晩年のホロヴィッツだったかもしれません。
卑近かつ低次元な話で申し訳ありませんが私も30代末から十数年間ピアノ教室に通いつつ練習していましたが趣味とはいえ発表会の前、数か月は余暇はすべて練習に費やしました。(それにしては「ヘボ」でしたが)
そんな私でも「一日でも練習をサボったら、二日分後退してしまう。」と脅迫観念に囚われたものです。
ましてや、プロともなれば1曲を仕上げるのに、数か月いや年単位でしかも1日じゅう寝食を忘れて練習が必要でしょう。そのプレッシャーたるや如何ほどのものか・・・。想像するだに恐ろしい。
たしか内田光子さんだったと思いますが「1日8時間は」とインタビュー記事にあったような記憶が・・・。
でも、この辺のプロ事情は文献などで貴兄の方がよほどお詳しいことと推察いたします。
また「音楽家」がiPODの音に”いい音ね”って簡単に感激するのは実は彼らなりのリップサービスで真意は「プロでないあなたたちこそ音楽をほんとうの意味で楽しんでいるのね!」ってことでしょうか。
私も先生から「生徒さんこそいろんな音楽を知ってて楽しんでるのよね~」ってマジで言われたことがあります。
そうなんです!彼らは自らが演奏するジャンル以外の音楽に関しては無知であることを強いられているのです。
しかも、最も多感な時期にず~っと。これも「決定的に時間が足りない」からでしょう。
また「彼らは客席でどう聞こえるかはあまり気にしていない」も、たぶん違うような気がします。
彼らの関心事はただただ「自分の演奏が聴衆にどう聞こえ、かつ訴えかけるのか」では、無いでしょうか。
何しろそれが「プロがプロたる所以」なのですから・・・。
ここでも「一日でも練習をサボったら聴衆にバレてしまう」という苦悩に満ちた告白が思い起こされます。
以上、一つの意見として気軽にお聞き流しくだされば幸いです。
たいへん失礼しました。」
以上のようにたいへん理路整然としたメールでした。さすがに音楽「通」が使う「AXIOM80」の愛好家さんだけのことはありますな(笑)。
このブログもこういうハイレベルの方を意識して、もっとレベルアップしなければと痛切に思うが、能力以上のことは出来ないしねえ(笑)。
それにしても、音楽家になんかなら(れ)なくてよかった、膨大な練習量に割くあまり肝心の音楽が楽しめないなんて何のことかわかりませんよねえ。
ふとモーツァルトの逸話を思い出した。
モーツァルトが死の床に就いていたときに、当時上演されて大当たりを取っていたオペラ「魔笛」に思いを馳せながら時計を見て「そろそろ夜の女王の出番だなあ。肝心のときに自分の才能をゆっくり楽しめないなんて情けない・・。」と、思わず涙したというもので、その代わりといっては何だが後世の人間が大いに楽しませてもらっている。
すべての芸術作品は創作者の犠牲の上に成り立っていると言えないこともないですね・・、もっと感謝しながら鑑賞しなくちゃ~。
最後に「チャットGPT」に訊いてみた。「指揮者や演奏家などの音楽関係者がオーディオに熱心ではない理由」について
指揮者や演奏家などの音楽関係者がオーディオ機器やオーディオの技術に熱心でない場合があるのは、以下の理由が考えられます。
1 生の音への重視
指揮者や演奏家は、自らの楽器やオーケストラの「生の音」に耳を慣れさせています。オーディオ機器を通じて聞く音と実際の生の音とは、音色や響きが異なる場合が多いため、彼らは生の音を最も信頼しています。
2 技術より感覚
音楽の演奏や指導は、技術的な側面だけでなく、感覚や情熱、直感も大切にします。オーディオ機器の技術的な側面に注力するよりも、音楽の表現や感情の移入に重点を置きたいと感じることが多いでしょう。
3 時間とリソース
高度なオーディオ機器や技術に精通するためには、時間とリソースが必要です。多くの指揮者や演奏家は、自らの演奏技術の向上や楽曲の研究に時間を費やすことを優先するかもしれません。
4 必要性
コンサートホールやスタジオでの演奏は、特定のオーディオ機器を使わずとも、多くの聴衆に対してその場の音楽を伝えることができます。そのため、高度なオーディオ技術に精通する必要性を感じない場合もあります。
5 オーディオの誤解
一部の音楽関係者は、オーディオ機器や技術が音楽の本質を歪めるものとして見ることがあるかもしれません。このような考え方は、オーディオ技術に対する誤解や偏見からくることも考えられます。
それにもかかわらず、多くの音楽関係者もオーディオ技術に興味を持っていることは確かです。録音技術や音響学は、音楽の普及や研究において非常に重要な役割を果たしています。
なぜ、こういう質問をしたかというと「オーディオの役割と意義」を改めて炙り出すためだが、なかなか「いい線」をいってる解答だと思います・・・、皆さまはいかがですか~。