1937年のトスカニーニ盤から1974年のカラヤン盤までCDライブ盤9セットの魔笛を視聴したのでまとめてみる。
今回の視聴を通じて、改めて演奏の優れた出来の良いライブ盤は録音の良し悪しに関係なくスタジオ録音盤とはまた違った良さがあるという思いを新たにした。ライブは演奏者の裸の実力と感情がストレートに伝わってくるところに大きな利点がある。
ライブの王様フルトヴェングラーは「スタジオ録音は技術的な問題が優先するために音楽作品の直接性を実際に表現することは出来ない」と言っている。
また、視聴にあたって録音がいいのに越したことはないが、その良し悪しに関係なく作品の持つ音楽性は必ずしも損なわれないことも改めて考えさせられた。
このことはオーディオ装置は、むしろ音質が悪ければ悪いほど良質の装置が必要であるという考えにつながった。
どういうことかというと、装置によっては演奏部分と雑音とが渾然一体となって聞こえてくるのもあるが、逆に演奏部分と機械的な雑音とを分離させて聴きやすくしてくれる装置もある。
要は装置のもつ音の解像度(各楽器の音や人の声が綺麗に分離して音色や演奏位置をそれらしく聞かせる能力)の問題になってくる。
したがって音質の悪い盤を再生するときほど、オーディオ装置の力量が試され、良い装置が必要になる。
終わりに、CDライブ盤の優秀盤を上げておこう。
トスカニーニ盤とフルトヴェングラー盤(1951年)の往年のマエストロの2セットはたしかに音質は良くないが演奏の方は手持ちの全43セットの中でも屈指の存在だと思った。
特にトスカニーニ盤は音質は一番悪いが逆に演奏の方は一番ではなかろうか。ままならないものだが、不思議なことに録音は悪くても演奏の良さが十分聴き取れた。
とにかく、70年の時空を越えてこれほどの魔笛はなかなか存在しないというのもいろいろと考えさせられる。
またヨッフム盤もこれらに劣らぬ名盤でこれは録音も比較的いいので万人向きだ。ライブ盤は以上の3セットに尽きると思う。とにかくスタジオ録音では味わえない世界だった。
なお、その後の調査で未入手のライブ盤として次の盤が存在していることが分った。
ワルター1942、ワルター1949、クレンペラー1949、ショルティ1955、コズマ1958、ビーチャム1958、カラヤン1962、ケルテス1964、以上8セット。(レコード盤も含む)
この中では特にワルターの1942年、1949年の2セット、それにケルテス盤は是非聴いてみたい。
CDライブ盤9セット