「音楽&オーディオ」の小部屋

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読書コーナー~「こんなに使える経済学」~

2020年12月13日 | 読書コーナー



「こんなに使える経済学」(大竹文雄編、ちくま新書刊)
   

本書は現実のさまざまな社会経済問題(27本のテーマ)を経済学の視点で一般の人にも分かるような記述方法で紹介したもの。そのうち読者の興味がありそうな2本をピックアップしてみた。

☆ 教師の質はなぜ低下したのか

(個々の先生の中には当然のごとく優秀な方もおられるだろうが、あくまでも一般論ということなので悪しからず。)

公立校の教育レベルが下がり、学力低下を心配した親たちが、子供を私学に入れようとして小、中、高等学校への受験熱が高まるばかりという。

≪都会で進む公立不信≫

こうした私学ブームは特に大都市圏に見られるようで、その背景の一つにあるのは「教師の質の低下」である。

わいせつ、万引きなどの問題教師は論外だが、平均的な教師の(教える)レベルも落ちてきているそうだ。

教師の質の低下は実は米国でも大きな問題になってきた。その原因として経済学者たちが指摘してきたのが1960年代から始まった「労働市場における男女平等の進展」である。

どうして、女性の雇用機会均等が教師の質を低下させるのだろうか?

かっては米国の労働市場でも男女差別が根強く存在し、一般のビジネスの世界では女性は活躍できなかった。このため、学業に優れた大卒女性は教職についた。つまり、学校は男女差別のおかげで優秀な女性を安い賃金で雇用できた。

ところが、男女差別が解消されてくると優秀な女性は教師よりも給与が高い仕事やより魅力的な職種を選べるようになり昔に比べて教師になる人がはるかに少なくなった。

ここで、すかさず「男性教師もいるではないか」という反論が出てくるが、教師の採用数が一定だとすれば優秀な女性が集中して教師を希望していた時代よりも、
優秀でない男性が教師になれるチャンスが広がる結果
となり、レベルの低下は否めないことになる。

そして、もう一つの反論。

「教師になる人は子供を教えたいという情熱を持った人ばかりなので経済的動機ぐらいで志望を変えるはずがない」。


これに対しては、高校時代(教師になりたい人は高校時代の終わりに教職系を志望する)の成績と教師になった人たちの詳細な関連データによって経済学的な検証(省略)が行われ、教師といえども収入や待遇などのインセンティブに基づき選ばれる職業の一つであることが証明される。

この分析が日本においてもそっくり当てはまるという。

日本では小中学校の教師の多くが教員養成系学部の出身者である。これらの学部の難易度を調べれば教師の質が変化してきた原因をおよそ推定できるが、90年代以降全国的に平均偏差値がずっと低下
してきている。

次に、男女間賃金格差と教員養成系学部の偏差値の相関も高いことがわかった。

つまり地方では現在でも優秀な女性が働ける職場の絶対数が都市部に比べて不足しているので女性教員の質の低下、ひいては全体的な質の低下が少なくて済んでいるが、都市部では女性の雇用機会の改善が急速に進みそのことが教員の質の低下を促進している。

結局、「教師の質の低下」は「労働市場における男女平等」に起因しているとみるのが経済学的思考による一つの解答となる。

さらにもう一つのテーマを。


☆ 出世を決めるのは能力か学歴か

毎年のごとく春先になると、週刊誌がこぞって出身高校別の難関大学合格者数のリストを掲載する。目を通す人が多いのは、やはり大学受験の成否が人生の一大事だと思うからだろう。

ただ、その一方、「実社会においては学歴や学校歴による能力差がさほどあるわけでもない」ということも、多くの人が日々実感していることではあるまいか。

実際のところ、出身大学によって出世はどのくらい左右されるのだろうか。経済学はこうした問題に対しても科学的なアプローチで解明を進めている。

現状分析~学歴と年収の相関~

アメリカ・テキサスA&M大学の小野浩助教授によるサンプル調査(日本人570人)によると、学歴と年収の相関は次のとおりになっている。

サンプルの平均値である偏差値52の4年制大学の卒業生は高卒に比べて年収が約30%高い。次に偏差値62の大学の卒業生は約42%も高くなっており、明らかに両者に相関関係が認められる。

ここで自然に出てくるのが次の疑問。

高い偏差値の大学を出た人の年収が高いのは、「大学名のブランド」のせいなのか」それとも「教育内容や個人の能力が優れていたおかげで高い実力を身につけたためか」。

≪セレクション(選別)仮説≫

この疑問に対してたとえば東大に入るくらいの能力(学力)のある人たちは、仮に東大に行かなかったとしても、もとより優秀なのだからいずれにしろ高収入を得ていただろうという仮説が成り立つ。

東大の卒業生が東大を出ていなかったらどうなっていたかを知る術はないので、この仮説の検証は不可能である。

ただ、それを
可能にする歴史的な出来事が一つあった。
東大は学園紛争のさなか、左翼学生にキャンパスを占拠されたため1969年の入学試験を行わなかった。

よって、この年東大進学を考えていた高校3年生や浪人生の多くは進路を切り替え、京大、一橋大、東京工大などに進んだといわれている。

セレクション仮説にしたがえばこの人たちは普段の京大、一橋大、東工大の卒業生よりも優秀なはずだから、前後の1968年や1970年の入学生よりも出世しているはず。

そこでこの仮説を著者が実際に、「会社職員録」「『政界・官庁人事録」などにより検証した。1969年入学といえば、順調であれば卒業は1973年となり年齢にすると現在59歳前後になる。

以下、詳細な数値のもとに検証されていくが、ややしつこくて細かすぎるようなので(笑)、概略を述べよう。

まず民間企業、中央官庁における出世率を算定する。

因みに出世率とは、民間企業と中央官庁で役職(民間は部長以上、官庁は課長以上)にある人数が各大学の推定卒業生数に占める割合。(大学ごとの出世率が数値で示されているが省略)。

意外なことに東大卒の民間企業での出世率は一部の私大よりかなり落ちる。

その一方で、中央官庁における出世率は他大学をはるかに圧倒しているので、ここでは分かりやすいモデルとして中央官庁にしぼって検証した結果、興味ある結果が出された。

1973年卒業(1969年入学)の京大以下2大学の出世率は明らかにその前後よりも高くなっており、一見セレクション仮説の正しさを示しているかに見えるがその空白(東大卒の不在で空いたポスト)をカバーしているのは半分程度に過ぎず、全体的には1973年卒前後の東大卒業生が穴埋めをしている傾向
がはっきりと伺われた。

このことは結局、
中央官庁に限っては
東大を卒業することが出世には確実に有利であることを示しており、能力よりも学歴がものをいうことが概ね証明された。

「官庁は学歴主義、民間は能力主義」というのは以前から指摘されていることだが少なくともこのことを裏づけする形となった。

仕事の質が官庁とはまるっきり違う民間では出世率からみた場合、ブランドとしての大学名はあまり通用しないことを逆に浮き彫りにしている結果となっている。

というわけです。

最後に、筆者の感想を言わせてもらうと「たかが学歴」「されど学歴」といったところで、結局は肝心の本人がそういうものに振り回されず「幸せ感」に満たされるかどうかに尽きると思いますよ。



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