≪絶妙な「数字で考える」技術≫(2008.2.11、村上綾一著、明日香出版社刊)
本書は数字(数学ではない!)が”ニガテ”という人に向けて書かれた本。数的センスを養うために豊富な実例が紹介されている。代表的な事例を4つほど挙げてみよう。
☆ シカゴにピアノ調律師は何人いるか?(シカゴの人口を約300万人とする)
物理学者エンリコ・フェルミに因んで「フェルミ推定」といわれているのが、仮説や推定を組み合わせて「およその数字」を見積もる方法。この調律師の問題は一番有名なもの。答えよりも、それに至る過程が大切。
1 始めに世帯数を考える。アメリカも日本と同じく核家族社会と考えて平均2~3人、計算しやすくするため3人とする。
300万人÷3人=100万世帯
2 次にピアノのおよその台数を考える。ピアノ所有率を日本と同じくだいたい10世帯に1台程度とする。
100万世帯÷10世帯=10万台
3 その次に調律の年間需要を考える。ピアノ1台の調律は平均して1年に1回程度とする。
10万台÷1回=10万台
4 その次に調律師一人は年間に何台の調律が可能か考える。1日に3~4台が限界、年間に200~250日働くとすると1年間に600~1000台となる。真ん中を取って800台とする。
回答 シカゴのピアノ調律師の数は次のとおり。
10万台÷800台=125より、約130人。
☆ ウィンカーの点滅テンポに隠された秘密
クルマのウィンカーは、1分間に約70回点滅します。これは意外なものが基準になっている。ご存知ですか?
実は、ウィンカーの点滅するテンポは、人間が適度に緊張したときの脈拍数とほぼ同じ。これ以上点滅回数が多くなると、あせってしまい、少なくなりすぎると間延びしてしまって事故が増えてしまう。
☆ とにかくNo.1
広告業界では、広告に載せるコピーはとにかく「No.1」が有効で、そのため、広告を作るときはその商品の「No.1」や「1位」を探す。地域限定でもいいし、期間限定でもかまわない、とにかく客観データで「No.1」に出来る状況をつくりあげ大きくアピールする。
さて、どう頑張っても「No.1」が見つからなかったらどうするのだろう。
『そんなときは、「私たちは業界No.1を目指しています!」でOK』。
☆ 割合の盲点
アメリカ海軍のPRで、こんなキャンペーンがあった。
「海軍の死亡率は0.9%、ニューヨーク市民の死亡率は1.6%です。海軍のほうが死亡率が低いのです。皆さん、海軍に入りましょう!」
どこがおかしいかわかりますか?
海軍は健康な男子の死亡率、ニューヨーク市民は老人や病気の人も含めた死亡率。ニューヨーク市民の死亡率のほうが高いのは当たり前!
≪昭和の名将と愚将≫(2008.2.20、半藤一利、保坂正康共著、文藝春秋刊)
太平洋戦争終結後約70年、世界各国の中で繁栄を謳歌している国のひとつ日本。
戦後の復興が比較的順調に推移したことが主な原因だが、歴史に”もしも”という言葉が許されるならば太平洋戦争に行き着く前に、ほかにもいろんな選択肢があった可能性がある。
本書ではこの戦争を引き起こし、遂行した当時の代表的軍人たち22人を俎上に載せて、先見性、責任感、リーダーシップ、戦略の有無、知性、人望などいろんな観点から評価を下しているがそのうち、極めて高い評価を得ている軍人に興味を持ったので焦点を当ててみる。
石原莞爾(いしわら かんじ:1889~1949、山形県)
陸軍大学校創設以来かってない優秀な頭脳の持ち主といわれた人物だが、性格は「粗野にして無頓着」との評がある。ナポレオン研究家としても著名。(「太平洋戦争への道」)
彼のユニークなところは通常の軍人と違って当時としては珍しい世界規模でのプログラムとビジョンを持っていたこと。
簡単に言えば、今後世界規模での勝ち抜き戦の結果、西洋文明ではアメリカ、東洋文明では日本が勝ちあがる。そしてチャンピオン同士、東西の文明と文明がぶつかり合って最終戦争をやるという「世界最終戦論」という持論を持っていた。
その戦いに勝利したものが文明を支配して世界はやっと平穏になるという構想で、日本が東洋のチャンピオンになる過程で主体的に中国やアジアの国々と連携して力を蓄えていくというのが彼のプログラム。
現代からみると、荒唐無稽のようだがそれなりの背景があって、まず、その構想の根底にあったのは人種問題。
当時、白色人種は結局、黄色人種を仲間に入れてくれないという思想があった。
非戦闘員を無差別に大量殺戮するという神をも恐れぬ所業である「原爆投下」は、当初からドイツに使用することは一切考えられておらず日本をターゲットにして開発、製造されたことはハッキリした事実で、これは一つの証左になる。
それに、アメリカは移民の国で人種問題には寛大な国というイメージがあるがこのブログで以前に取り上げた「バラク・オバマ自伝」でも白人と黒人とのどうしようもない摩擦の根深さがはっきりと伝わってきた。
個人的には人類の平和にとって「人種と信教」の二つの課題は永遠のネックだと思う。
とにかく、結局、石原の構想はあまりに遠大すぎて支持者が少なく、当時の権力者東条英機(終戦時の軍人宰相)と相容れなかったこともあって挫折したが、もしあのときに太平洋戦争を起こさずに中国やアジアの諸国と仲良くしてアジアの盟主の道をたどっていれば現在の日本の立場は良かれ悪しかれ大きく違っている。
もっとも、近年、日本の替わりに突出してきたのが中国。中国は、2025年にアメリカと正面から戦える戦力を目指して着々と軍事力を蓄えている。(「断末魔の中国」2007.11.15、柘植久慶著、学研新書刊)
ロシアやインドの存在があるので、世界がアメリカと中国の二極化に進むかどうかは疑問の余地があるが、将来的にはもしかするとアメリカと中国の一騎打ちが演じられる可能性がなきにしもあらず。火付け役となるのは台湾問題あたりだろうか。
石原莞爾の世界最終戦構想は「中国」が「日本」に置き換わった形で部分的には受け継がれているような気もするが・・・・。