「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~「モーツァルト考」ほか~

2011年10月18日 | 読書コーナー

最近読んだ本の中から印象に残ったものについて3冊ほど取り上げてみた。

 まず「モーツァルト考」から。

                              

著者の「池内 紀」さんは以前、東大の文学部教授をされていた方。たしかドイツ文学専攻だったと思うが「ほう、この人がモーツァルト論を」と意外な感じがしたので、ざっと目を通してみたがさして目新しいことがないように思った。

「モーツァルト」(1756~1791)については、これまで国内外を問わず散々書き尽された感があり、よほどの斬新な視点から書かないと読者の印象に残りそうもない。さらに根っからのモーツァルト・ファンとして人並み外れた熱情が行間から”ほとばしる”とよかったが、それもなかった。

モーツァルトは他人行儀に表面だけをさらっと撫でて済むようなタイプの作曲家ではない。単純そうに見えて実は極めて人間観察に優れた目を持つ複雑な人間である。「ドン・ジョバンニ」を聴き込めばその辺がよくわかる。(ちなみに、このオペラは言葉と音楽が見事に一体化している意味で究極の作品である。)

取り分け、物足りなかったのは「第5章オペラの魅惑」のところで「魔笛」が入ってなかったこと。

これは以前読んだ吉田秀和さん(音楽評論家)の著書「モーツァルを聴く」でもそうだった。他のいろんなオペラが採りあげられているのに「魔笛」だけは奇妙なことに外されている。これは明らかに不自然。

モーツァルトが35歳で亡くなる年(1791年)に作曲された「魔笛」はいわば彼の生涯にわたって作曲された600曲以上にもわたる作品の中でも集大成の位置づけを持つ。

最晩年に到達したこの独特の「透明な世界」に魅せられるかどうかが、ほんとうのモーツァルト好きかどうかを占う試金石である。

自分はモーツァルト関係の著作を読むたびに常にこの法則(?)を当てはめているし、巷のモーツァルト・ファンと称する方々にも”ひそか”にこれを適用している。

これは知性の問題ではなくて感性の世界だからひときわ厄介な話。


「”魔笛”を好きにならずして、モーツァルトを語ることなかれ」
とは、まことに自分勝手な言い様だが”どなた”か支持してくれる人はいないかな~。

  次に「私の好きなクラシックレコードベスト3」 

                  

編者も含めて各界の著名人89名が上げたベスト3を網羅した内容。たしか以前にも読んだと思うが、もう忘れてしまったので再読。

うち、仏文学者の「古屋健三」氏の文言に興味を引かれた。以下、引用。

「透明で美しい文章を書く作家は音楽好きで、耳がいいのだと長いこと僕は信じていた。小林秀雄、大岡昇平、阿部昭、彼らの文章はいかにも音楽好きらしく読者の感性をふるわせる独特の響きをおびている」

「五味康祐(芥川賞受賞)さんを忘れてはいませんか!」と、言いたいところだが視覚的な作家(夏目漱石、中村光夫)と聴覚的な作家
との区分に新鮮なイメージを覚えた。

本題に戻って、ベスト3にバッハの曲を挙げている方がやたらと目立つが、この古屋氏と石堂淑郎氏(脚本家)、粟津則雄氏(評論家)たちのベスト1がバッハの「マタイ受難曲」。「やっぱり、そうですか」と、ただ頭(こうべ)を垂れるのみ。

あとは斉藤慎爾氏(俳人)が「フーガの技法」(バッハ)を挙げていた。演奏者はタチアナ・ニコラーエワ女史(ロシア:ピアニスト)。

                       

「冬の夜長、炉辺で子供たちに昔話を語る祖母の質朴な響きがある、この1枚だけで演奏史上に残る」とのことで、こういう喩えは普段着の生活の中で音楽を身近に心から愛している人だけに許された絶妙の形容。

あの太った”おばちゃん”ニコラーエワ〔故人)については手持ちの「ゴールドベルク変奏曲」で十分に思い当たる節がある。バッハは苦手中の苦手だが一丁「フーガの技法」に挑戦してみっか。

前回のブログで最近はジャズ志向なんてふれておきながら「お前は節操というものがないのか」と呆れかえられそうだ。

最後に「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」。

                         

「ジョン・ウェインをはじめとしてゲーリー・クーパーなど相次ぐ西部劇の大スターが次々に癌で死んでいったのはなぜか」というテーマ。

すでに有名な話なのでご存知の方が多いことだろう。

長期にわたって西部劇のロケが行われる場所とは熱砂吹き荒ぶ砂漠である。ネバダ州をはじめ、その風下に当たるユタ、アリゾナの各州がメイン。

そしてネバダ州で
「大気中の核実験」
行われたのが1951年から1958年にかけての97回(公表されたもの)。

これから導き出される回答はただひと
「放射能汚染に起因する癌の発病」が原因だった。

一例として1954年にユタ州で長期ロケによって撮影が行われた西部劇「征服者」の関係者が後年、これでもかというように次々に癌(主に肺癌)に見舞われる悲劇が延々と綴られる。

主役のジョン・ウェイン、スーザン・ヘイワード、監督のディック・パウエルそして脇役たちが続々と・・・。

当時、原爆実験による放射能汚染については専門の科学者たちによって「人体にほとんど影響なし」とされていたのだが10年後ぐらいからの相次ぐ発病に対して何ら打つ手がなかった。潜伏期間が長いのが逆に後手となってしまうのだ。

「信じていた国家によって裏切られた」と被害者たちの家族の嘆きが何とも悲しくて切ない。

こういう本を読むと、果たして日本の「福島原発災害」の後遺症は大丈夫なのかと、つくづく心配になる。

 

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