「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽鑑賞と「刷り込み現象」~その1~

2019年12月13日 | 音楽談義

このところブログで話題にしている「コントラルト」歌手の「キャスリーン・フェリア」(英国:1912~1953)。

この度、東北地方の方からもメールが来て「フェリアは大好きな歌手です。CDの第6トラックのヘンデル「メサイア」より~おお、なんじ、よき音信を告げし者~」もぜひ聴いてください」

ハイ、ありがとうございます。根強い人気があるんですねえ。



そこで午前中の比較的頭の涼しい時間に「ヘンデル・バッハ・タイム」と称して「6~8」トラックの「計20分」を割いて毎日耳を傾けている。

ヘンデルとバッハがレパートリーに加わればしめたもので「鬼に金棒」だが(笑)。

実はずっと以前のブログでこう投稿したことがある。

クラシックはつまるところ「ベートーヴェン」「モーツァルト」「バッハ」に尽きることは、いろいろと異論はあるにしても、もはや定説といって差し支えないだろう。

個人的には、この3人のうちベートーヴェンは歳を取るにつれ何がしかの「押しつけがましさ」を感じ始めてこのところやや敬遠気味になっている。

(ただし第6番の「田園」、「ピアノソナタ30~32番」、「弦楽四重奏曲第14番作品131」は別ですよ~。)

そして残るは「モーツァルト」と「バッハ」だが、後者にはどうしても線香臭さが鼻について、いまだに馴染めないのが癪の種になっている。

とうとう悔し紛れに「音楽鑑賞上、モーツァルトとバッハは両立しない」と、独断的な投稿をしたことがある。

当時のことを回想してみよう。


日頃、このブログで大きな割合を占めているオーディオ関連の記事となると「そりゃあ、あんたが勝手に思うだけだろ」というわけで、全然といっていいほど反応が無いが、ことクラシックの話となると個人ごとに拘りというか「譲れぬ一線」というのがあるようで、ある方から次のようなメールが届いた。

「こんばんは、ブログ 拝読しました。 実を言いますと、私も バッハを聴き始めた頃(中学生になったばかりでした…)は "線香臭さ"が鼻について あまり好きではありませんでした。一緒ですね(笑)。

それでも 当時、私が持っているレコードが少なかったので、毎日 BGM的に聴いていました。それが良かったのでしょうか、だんだん 好きなフレーズも出来て(ブランデンブルクで言えば 第5番の第1楽章 や 第4番の第3楽章 など)、抵抗感も薄れて行きました。

それに、バッハを聴き始めたのがモーツァルトよりも早かったのも 良かったのかも知れませんね。モーツァルトの音楽は 何の抵抗感もなく、私の中に入って来ましたから…。(笑)

私がバッハに ハマったのは イギリスのロックグループ、プロコル・ハルム の「青い影」という曲を聴いて あの美しいメロディーが 「どうもバッハっぽいな…」と思い、"原曲"を探そうと バッハの曲を聴きまくっていた事が 多分 キッカケなのでしょう。
気がついたら バッハが好きになっていました。何が 幸いするか分かりませんね(笑)」

この率直なご意見の中で興味深いと思ったポイントが3点ほどある。

 頭が柔らかい時期(中学生)に、BGM的にバッハを聴き耽ったこと

 バッハを聴き始めたのがモーツァルトよりも早かったこと

 プロコル・ハルムの「青い影」の原曲を探そうとバッハの曲を聴きまくったこと

ご存知の方も多いと思うが、動物学者「ローレンツ」が唱えた学説の中に「刷り込み現象」という言葉が出てくる。

平たく言えば生まれたばかりの動物、特に鳥類で多くみられる一種の学習現象で、たとえば目の前を動く物体を親として覚え込み、以後それに追従して、一生愛着を示す現象。」だ。

以下、続く。


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