このところブログで話題にしている「コントラルト」歌手の「キャスリーン・フェリア」(英国:1912~1953)。
この度、東北地方の方からもメールが来て「フェリアは大好きな歌手です。CDの第6トラックのヘンデル「メサイア」より~おお、なんじ、よき音信を告げし者~」もぜひ聴いてください」
ハイ、ありがとうございます。根強い人気があるんですねえ。
そこで午前中の比較的頭の涼しい時間に「ヘンデル・バッハ・タイム」と称して「6~8」トラックの「計20分」を割いて毎日耳を傾けている。
ヘンデルとバッハがレパートリーに加わればしめたもので「鬼に金棒」だが(笑)。
実はずっと以前のブログでこう投稿したことがある。
クラシックはつまるところ「ベートーヴェン」「モーツァルト」「バッハ」に尽きることは、いろいろと異論はあるにしても、もはや定説といって差し支えないだろう。
個人的には、この3人のうちベートーヴェンは歳を取るにつれ何がしかの「押しつけがましさ」を感じ始めてこのところやや敬遠気味になっている。
(ただし第6番の「田園」、「ピアノソナタ30~32番」、「弦楽四重奏曲第14番作品131」は別ですよ~。)
そして残るは「モーツァルト」と「バッハ」だが、後者にはどうしても線香臭さが鼻について、いまだに馴染めないのが癪の種になっている。
とうとう悔し紛れに「音楽鑑賞上、モーツァルトとバッハは両立しない」と、独断的な投稿をしたことがある。
当時のことを回想してみよう。
日頃、このブログで大きな割合を占めているオーディオ関連の記事となると「そりゃあ、あんたが勝手に思うだけだろ」というわけで、全然といっていいほど反応が無いが、ことクラシックの話となると個人ごとに拘りというか「譲れぬ一線」というのがあるようで、ある方から次のようなメールが届いた。
「こんばんは、ブログ 拝読しました。 実を言いますと、私も バッハを聴き始めた頃(中学生になったばかりでした…)は "線香臭さ"が鼻について あまり好きではありませんでした。一緒ですね(笑)。
それでも 当時、私が持っているレコードが少なかったので、毎日 BGM的に聴いていました。それが良かったのでしょうか、だんだん 好きなフレーズも出来て(ブランデンブルクで言えば 第5番の第1楽章 や 第4番の第3楽章 など)、抵抗感も薄れて行きました。
それに、バッハを聴き始めたのがモーツァルトよりも早かったのも 良かったのかも知れませんね。モーツァルトの音楽は 何の抵抗感もなく、私の中に入って来ましたから…。(笑)
私がバッハに ハマったのは イギリスのロックグループ、プロコル・ハルム の「青い影」という曲を聴いて あの美しいメロディーが 「どうもバッハっぽいな…」と思い、"原曲"を探そうと バッハの曲を聴きまくっていた事が 多分 キッカケなのでしょう。気がついたら バッハが好きになっていました。何が 幸いするか分かりませんね(笑)」
この率直なご意見の中で興味深いと思ったポイントが3点ほどある。
1 頭が柔らかい時期(中学生)に、BGM的にバッハを聴き耽ったこと
2 バッハを聴き始めたのがモーツァルトよりも早かったこと
3 プロコル・ハルムの「青い影」の原曲を探そうとバッハの曲を聴きまくったこと
ご存知の方も多いと思うが、動物学者「ローレンツ」が唱えた学説の中に「刷り込み現象」という言葉が出てくる。
平たく言えば「生まれたばかりの動物、特に鳥類で多くみられる一種の学習現象で、たとえば目の前を動く物体を親として覚え込み、以後それに追従して、一生愛着を示す現象。」だ。
以下、続く。
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