姉との旅行記(夫時々参加)続きです
姉との珍道中2日目は、寒さとの闘いでした
雨が時々降ってきて、アラレのようなのも降り、手袋もマフラーも大活躍
手袋は1組しかなかったので、片方ずつしてました
会計は二人でお金を出し合って1個の財布を作り、支払いはすべてそこから
姉妹ならではできることだと思います
梅が満開
ウグイスが2羽いるけど、わかるかしら
山地獄のお次は
鬼石坊主地獄です
粘土質の熱泥が坊主頭のような大小の球状で沸騰している事から「鬼石坊主」と呼ばれます
この噴出口は、ゴーゴーという荒々しい音が、鬼の鼾のように聞こえる事から「鬼の高いびき」とも呼ばれています
鬼石坊主地獄のお次は、かまど地獄です
地獄の1丁目から6丁目まであります
4丁目は泥、5丁目はブルーやグリーンに色が変化、6丁目は真っ赤、1か所でさまざまな地獄を見て回る事ができます
なんとも不思議です
かまど1丁目
2丁目
釜の上に赤鬼が立つ、人気のスポットです
3丁目
4丁目
ボコボコと泥が湧き出ています
5丁目
6丁目
かまど地獄のお次は、
鬼山地獄
池のほとりに「鬼に金棒」の赤鬼の像です
ワニが約100頭
なんとも下手くそな画像です
オイッ、酷すぎる
日本で初めて温泉熱を利用して飼育を始めました
お次は
白池地獄
噴出時は無色透明の熱湯ですが、池に落ちると温度や圧力が下がるため、青白く変化します
熱帯魚館では、温泉熱を利用して、
アマゾンの大王魚ピラルクや人食魚のピラニアがいました
周囲は日本庭園のようでした
ここまでの、海地獄、鬼石坊主地獄、山地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄は隣り合い歩いて廻れる所ですが、
あと2つの地獄は、バスで移動です
もちろん乗り放題の、1日フリー乗車券で移動します
30分おきに出るバスで、ノンビリ移動して着いた所は、
血の池地獄
なんとも恐ろしいネーミングです
奈良時代の豊後風土記に赤湯泉と記された日本最古の天然地獄と言われています
酸化鉄やマグネシウムなど、温泉の含有物が空気中の酸素と反応して、赤味をおびています
血の池地獄の次は、最後の地獄、龍巻地獄です
市の天然記念物に指定される間欠泉です
一定の間隔で噴出し、50m以上吹き上がります
ここまで8個の地獄を回りましたが、特に色、形態を鑑賞するうえで優れていると評価されている海地獄、
血の池地獄、竜巻地獄、白池地獄の4つの地獄は国指定の名勝に選ばれています
大分では、耶馬渓に続いて2か所目です
国指定名勝とは、
国が指定した文化財の一つ。
特に「名勝」は優れた景勝地の事を指し、温泉としては初めて4つの地獄が指定されました
チケットの最後に、とても興味がわく一説が載っていたので、そのまま写しておきますね
「「波静かな別府湾のふところ深く鶴見連峰の山裾に、別府八湯と呼びなす温泉郷
「国際観光都市別府」の源泉と言われる地獄があります。
地獄を位置する鉄輪・亀川の一帯は、千年以上も昔より噴気、熱泥、熱湯などがすさましい勢いで噴出していたことが
「豊後風土記」に記され、近寄る事もできない、忌み嫌われた土地であったといわれています。
そんなところから、里人らが「地獄」と呼ぶようになりました。
今でも鉄輪では、温泉噴出口を「地獄」と呼んでいます。
この地獄に、昭和3年、日本で初めてバスガイドを添乗させた観光バスを走らせ、海地獄や血の池地獄など、
特徴ある地獄を周遊する地獄めぐりを確立させたのが、別府観光の礎となった油屋熊八です。
別府が魅力ある観光地として、一躍脚光を浴びるようになった立役者の精神は
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」という壮大な標語のもと、今なお市民に語り継がれています。
四季折々に様々な表情を見せる地獄。
皆さまのご来場を心からお待ち申しております。」」
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」という標語は、確かに市内のあちこちで見かけました
初めて大分に遊びに来たときにも、地獄めぐりをしましたが、2度目もとても楽しめました
が、多分イヤ、間違いなく人生で最後の訪問となるはずなので、しっかりと記憶に残してきました
帰りも、またまたノンビリとバスの旅
市内をグルリと回る路線バスなので、市内観光のようなもんです
別府駅に戻ったら
別府名物、冷麺
随分前に、別府の別の店で冷麺を食べた事があるのですが、お店によって全然違います
こちらのお店も、大変美味しい冷麺です
外せません
温泉プリン
さてさて、よく歩きました
次は、お待ちかね、ホテルへ大移動です(大袈裟やねっ)
別府の地獄めぐりへ観光に行こうと思っていらっしゃる方が、万が一この記事を読んでいらして、
少しでも参考にしていただくことができたら、すごく嬉しいです
続く
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