しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

軽トラ市のこと

2011年03月06日 03時52分54秒 | ニュース・テレビ関係

先週NHKのBIZスポで「軽トラ市」の特集をやっていた。全国で何十箇所で軽トラ市が行なわれていることを知った。糸島半島では前原で去年の12月から毎月第4日曜日に開催されている。

全国でシャッター街になった商店街が再起をかけて、軽トラ市を開催しているのだ。しかし、こういう活動は、複数回開催されて、店の変化が無いと飽きられてしまうものだ。常に時の旬を提供しながら、好かれる接客が求められていると思う。今スタートしたばかりの全国の軽トラ市も、これからが正念場であり、人間味のあるおもてなしの心で接客できるかがが、課題だろう。

前原も牡蠣の季節が過ぎた4月からが踏ん張りどころだ。糸島の腕のいい料理人たちが旬の食材を使って、新しい糸島料理が作れるかがどうかがが課題だと思う。

料理コンテストを開いて新しい料理が生まれる街として前原をアピールできたらと思う。


MOEBIUS(メビウス)と今敏(こんさとし)

2011年03月05日 11時41分51秒 | しまちゃん関係

久しぶりにマンガの本を2冊買った。

1つは、メビウスの「B砂漠の40日間」という作品でもう1冊はアニメーション映画「パブリカ」「東京ゴッドファーザーズ」「千年女優」の監督でも有名な今敏さんの「海帰線」という作品だ。

メビウスは20年以上前からの僕のヒーローであり、地平線がバーンと見える空間に観たことの無い生き物や機械が出てきて、アジアや古代ヨーロッパの装飾的民族服を着た人間が手描きの線で鮮やかな説明の出来ないイメージの世界を展開させている。

僕は、メビウスは「気」で絵を描いているように思う。太極拳や気功のように、気の流れを目と手とに感じて、自由に描いている気がするのだ。そして、脳に与える刺激がちょうどいいのだ。描くべきところは濃密に繊細に描き、フォーカスから外れた部分は大胆におおざっぱな描写をしている。だから、観るものにストレスを与えない。しかも、今作品は線画のみなので(カラー作品は上品だがけっこうサイケデリックでカラフルなものが多いが)、さらにそれが徹底している。ページ数が多くてあくまでメビウスのイメージの世界を描いた大作なのに疲れないのだ。よくある作家のこれでもかーというようなエゴを感じないのだ。

今敏さんの「海帰線」は、この1冊が1本の映画だった。絵が上手すぎる。しかも繊細で大胆な紙面はメビウスの上品さにも似ている。脳に心地いい描きこみで、説明的台詞を極力減らしている。こっちは、リアルな人間の金や権力に対するエゴと人間性の戦いだ。ファンタジーや伝説との融合を見事に描ききっていた。やはり映画だ。しかも、日本映画だ。

メビウスも今さんもホワイトスペースの妙を知っている。おそらく水墨画を描かせたらめちゃうまいだろう。

マンガに久しぶりに感動し贅沢な1日だった。


今宿の名物は西瓜だった?

2011年03月04日 23時13分24秒 | 糸島関係

今日、JR今宿駅のとなりの「今宿庵」でマッサージを受ける。

マッサージ中に、神田先生から「うちのじいちゃんから、昔今宿は西瓜が名産で、殿さんに献上しとった、と聞いたことがある。」と聴いた。神田先生は地元の人である。

たった一言であるが、「殿さん」がいたのは江戸時代であり、横浜が黒田家の米や積荷の積み出し港や蔵があり、福岡城下と今宿を往復する馬荷の便が、唐津街道を通っていた。黒田藩の物資を運ぶ馬使いは馬士(まし)と自称して威張っていたそうだ。そういう人に夏場の水分補給と糖分補給に西瓜が人気で、街道沿いにいっぱい西瓜かが売ってても変じゃないし、名物になっていてもいいように思う。

西瓜が今宿のどの辺で作られていたかも不明だが、殿様が横浜を視察に来たり、桜井神社に黒田氏が植えた木とかがあるから、そちらにお参りに行った途中で西瓜を振舞ったか、福岡城まで献上したことが1回や2回ぐらいありそうな気がする。何か文献に残っていればいいなあと思う。

しかし、今宿には伊都国以来1800年の歴史がある、おじいちゃんと呼ばれる70歳代以上の老人(インディアンの世界ではエルダーズと呼ばれ知恵を持つ長老グループとして尊敬されているのだが)がそのまたおじいちゃんから聞いた話や言い伝えというのは、文字で記録されていないこと多い。老人たちが亡くなればその言い伝えや物語は消える。

こどもが田舎を離れ、核家族化し、その土地に長く伝わってきた祖父から孫へ伝わるべき物語が消えているのだろう。インディアンには多くの部族がいるが、彼らは文字を持たないので、物語を記憶して次の世代に伝える語り部の人がいる。10数年前アメリカのナバホ族の語り部とツーソンさんという人と会ったことがある。ニューメキシコ州のチャコキャニオンという聖地で僕を含めた日本人のグループといっしょに3泊4日くらいいっしょにキャンプしてもらった。

英語が話せないのでガイドの人に通訳してもらいながらの会話や話となった。昼間はチャコキャニオン周辺を歩いて散歩をしながら、植物や昆虫の名前や利用方法を教えてもらったが、両手でもむと白い泡がでてくるハーブがシャンプーとして、髪を洗うのに使ったり、コットンウッドトゥリーという木の表皮が綿のように柔らかくスポンジ状で、夏場に赤ちゃんの寝床に敷いて、あせもにならないように防ぐことなどを聞いた。

今は砂漠だが、昔は森でナバホのウサギ狩りをする場所だったこと、スペイン人がやってきて、スペイン人から羊や馬を盗むとその森ににげこんだとのこと、しかしついには、スペイン人の奥さんまで盗んでしまったので、スペイン人が森の木を全部切ってしまったとのこと。

またチャコキャニオンに伝わる風の道という、竜巻で情報を伝え合ったルートがあそこから、あそこだとか、昔あの大きな岩の頂上にはスパイダーウーマンが住んでいて、ナバホの少女たちを誘拐してきて機織をさせていて、時々ナバホの少年を誘拐して食べていたが、ある少年が誘拐されたとき、機転を利かせた機織の少女と協力してスパイダーウーマンをやっつける話とかを聞かして貰った。しかも、その物語の岩が目の前にあると、何かその神話の世界へ引き込まれてしまう気がしたものです。

夜になると、満天の星の下、焚き火を囲んで、ユーソンさんはからはナバホに伝わる神話や、昔の出来事を歌にして伝わっている物語などを聞いた。ナバホ族の祖先は双子の姉妹に、太陽と月がそれぞれナバホの姉と妹と結ばれて、それぞれひとりすつ生まれた男の子が兄弟のように助け合って太陽から稲妻を発生させる武器を盗む方法を、知恵を授けるスパイダーウーマンからもらいながら旅をして、悪い巨人をやっつける、なんかそういう神話だったと思う。

何が言いたいかというと、人は自然の一部であり、その土地には伝えられた言い伝えや物語があり、その言い伝えや物語は文化であるということ。そして、科学万能社会になって、自然に対して畏敬の念を失い、興味を失っている。街にお金がたくさん流れ込んでくることが「活性化」ということになっている。そして、自然環境を破壊し、「開発」や「発展」の美名もとに、考えも無く金のために次世代の不幸の種となるものをふるさとに導入していく。そういうことになる前にちょこっと、ちゃんと話し合い考えることが費用なのだ。そのときどれだけふるさとを愛し、子供たちにどんなふるさとを残すかという想いが、深く考えさせるのだ。

先人がふるさとをどれだけ愛していたかが伝わった物語の数だけ残された者に、より強く心に伝わるものだ。

老人たちは亡くなる前に、自分が先人から伝えられたと同じ想いで後輩に伝えるべきだし、

後輩は消え行く文化を無視して生きるのではなく積極的に聴こうとすべきなのだ。なぜなら人生は暇つぶしではないのだ。人生を無意味にするな。人は人の間に生きるものであり、個人だけのためでなく、人の間を良くするために生きるべきものと思う。

人間まあこんくらいのモンと思う自分と、人間が100倍賢くならなければならないと思う自分があるが。ほんとに幸せなのは誰かの役に立ち、それを誰かに認められたときだ。

 

なんか説教臭くなってきた。今宿そして糸島に伝わる、物語を採集したいものだ。

 


博多シティが今日オープン!

2011年03月03日 04時51分20秒 | ニュース・テレビ関係

連日博多シティの中の店を福岡民放テレビ各局が紹介していたが、ついにひな祭りの今日オープンを迎える。個人的には東急ハンズの福岡出店がうれしい。

これで画材やデザイン用品のあれが無いとかいうことから解消されると思う。

手づくりでものづくりをするための材料や道具が全部揃う店としてハンズという名が付いたのではなかったかと思う。

渋谷の東急ハンズ1号店がオープンしたとき角材の柄が付いた栓抜きがおまけにもらえた。

柄の部分を貰った人が自分で好きなように自由に加工して自分だけの栓抜きを創ってくれというようなメッセージが込められていたのだと思う。そこに思いやアイデアがあるよね。

ちょっと高めだけど、そこだけで材料全部が揃うので、写真の撮影をするときの小道具を短時間で揃えられるので、よく使った。でも東急ハンズが福岡に来る時代なんだなあと思う。渋谷では東急と西部が商圏を争って闘っていた。西部デパートがパルコを作れば、東急が東急109を作り、東急が東急ハンズをしかければ、西部LOFTを作ったりした。おかげで渋谷は若者の街になった。

福岡にもLOFTが出来て、パルコができて、東急ハンズができた。阪急のような大阪のデパートも出来、くうてんは日本各地の名店がはいった。

駅のおかげで来福するお客も増えるが、福岡のお金が東京や大阪や各地に流れていくことも考えたほうがいい。

たぶんこの博多シティの最大のメリットは、よそから来た店のサービス、つまり接客や商品作りを体感できることだろう。福岡の各店の人たちは有名店に行って、本物の味や、接客(接遇)を学ぶといいだろう。

日本全国どこでも通用するサービスとはどういうものかということ体感することだ。福岡のこんくらいでいいやろう、おれがいいと言うとっちゃけん、これでよか、という田舎者の中途半端なサービスでなく、世界のどこに出しても喜ばれる(ことばではよく言われている)「おもてなしの心」を体感すべきだ。

どちらにしても今日は浮かれてもいいかもしれない。

勝負は3ヵ月後だ。3月12日には新幹線が開通する。3ヵ月後に博多シティと福岡の実力が分かるだろう。福岡に来る人々がどれだけ満足できるか、京都や金沢のように再び来るだけの価値を福岡に感じるかどうかが試されるときでもあることを忘れてはいけない。リピーターが増えれば福岡にとって博多駅がリニューアルして新幹線は開通したことに意味があることになるが、来福のリピーターが来ないようであれば、博多シティから福岡のお金が本社が他都市にあるところに流出していくばかりで、福岡にとっては福岡シティが意味が無いことになる。だから、くうてんに入っている店のサービスに負けないサービスを福岡の店が行なえるようになれば、きっと、また福岡に来たいと思うようになると思う。それができなければ、博多そして福岡県は観光が育たず、熊本や長崎や鹿児島に行く人々のただの通過点で終わると思う。

今日3月3日は福岡が国際都市の仲間になれるかどうかの挑戦の始まりの記念日かもしれない。


フランスに負けた久留米

2011年03月02日 18時24分02秒 | しまちゃん関係

今フランス、パリでは「忍者靴」と称して、地下足袋が人気だそうだ。

ああ~やられちゃった。

僕の実家は久留米だ。久留米市は新しく浮羽地区が合併し果樹園などの観光資産が加わったり、九州新幹線の開通などで少し浮き足立っているが、久留米は地下足袋の発祥の地です。地下足袋はやがてズックとなり、さらにスニーカーへと発展していった。いわば久留米はスニーカーの聖地なのだ。

去年CBのセミナーの後、久留米大学経済学部の準教授方に久留米再生プロジェクト案を送った。送って1年経ったが何の連絡がない。

 

僕の久留米再生プロジェクト案の趣旨はオリジナルのスニーカーを作れる職人を育てる学校を久留米市内に作り、世界からオリジナルスニーカーのデザインと制作の受注を受ける店か会社をいくつか作り、1つの地区中に収める。ひとつの案としては井筒屋後のビルとそのブロックがいいのでは。そのブロックの中にスニーカーファッションの店や小物の店をいくつか作る。その隣にワークブーツやシューズのオリジナルを作る地区{ブロック}を設ける。ここで地下足袋も顧客がデザイナーと話し合ってデザインからオリジナル製品が作れるようにするのだ。例えばとび職の人が、安全でいつも働く場所にあった機能をもったその顧客のニーズに最も応える地下足袋を製品化するのだ。ガテン系から医療関係、あらゆる労働にそれぞれ向いたオリジナルの靴を作るのだ。そして同じブロックにワークファッションの店を作るのだ。そして同じブロックにホームセンターみたいに労働に使う道具や機械の販売店を設ける。しかも個人個人に合う道具を相談に応じて作れるようにする。そうすれば、ワーカーのニーズや対応策のノウハウが蓄積される。

さらに久留米医大に歩くこと靴の研究、労働することと靴の研究室を作って上記の施設と共同研究をするのだ。その研究結果をもとに最高の靴をつくるのだ。

そして、スニーカーの世界デザインコンテストや、スニーカーファッションのデザインコンテスト、ワークブーツのデザインの世界コンテストやガテン系や農業系、漁業系、サービス系など、職業の業種ごとにワークファッションの世界大会を開くのだ。

そして、久留米市を世界のスニーカーファッション、ワーカーファッションの発信地、聖地としていくというものだ。

そうすれば自分に最適な靴やファッションや道具を求めて世界中から人がやってくるだろう。

以上

他にも久留米再生プロジェクト案を伝えてあるが実行されなければ何にもならない。

誤解しないで欲しいが、僕は僕なりに久留米を愛していることを付記しておく。

かっこいいスニーカーや、地下足袋、長靴を作るまちに久留米がなることが久留米の再生の一つの方法だと思う。

地下足袋が忍者靴として、世界に広がる前に、久留米の製靴会社が目覚めるか、

久留米の若者で、「俺がやる!」という人が出てくることを祈る。


DVD「マグナムフォト」を観る

2011年03月02日 17時15分13秒 | その他情報

マグナムは1947年に写真家ジョージ・ロジャー、デビッド・シーモア、アンリ・カルティエ=ブレッソンそしてロバート・キャパの4人の発案で出来た写真家と写真エージェントの協同組合だ。古いカメラマンやデザイナーならみんな知ってる写真家集団だ。それまでは写真家は個人で雑誌社や新聞社と契約して写真を撮ってそれを買ってもらうようなやり方で、どちらかというと雑誌社や新聞社のほうが力関係で強くて、安くコキ使われていた。しかも、写真の著作権も作家である写真家ではなく雑誌社たちが抑えていた。それを、マグナムは写真家がテーマを決めて狙った写真をじっくり撮って、クオリティの高い写真になったものを、雑誌社や新聞社に売り込み、しかも、著作権は写真家に属するようになった。

何より素晴らしいのはとにかく写真の質が圧倒的に素晴らしいのだ。昔の作品の多くは報道写真が多かった。モノクロ写真がほとんどで、戦争や災害、時の人や事件の取材など、歴史のイメージを世界の人に伝え心に刻ませるような写真が多かった。

マグナムは正会員が入会したい若いカメラマンの作品写真を観て投票し、過半数を取ると準会員になり、人となりをみて5年から10年後に正会員になるのだ。この準会員時代に脱会するものも多いとのこと。写真の質を常に問われ、人間としても威厳のある存在を求められるのだ。

社会問題があまりにも多様化する現在写真も多様化している。しかし、写真家になろうとする人はマグナムが生み出した作品群を前にして、一度は度肝を抜かれ、はるかに高く堅固な絶壁を前にするようなとまどいを感じるのではないだろうか。この人たちの写真は超えられないという思いにとらわれるのではないだろうか。

マグナムはたしかに偉大な巨人だか、写真は確実に新しくなっている。

しかし、機械の発達で誰でもきれいな写真が撮る頃ができるし、自宅でプリントも出来る。

あとは今の人間がマグナムの写真家の人間力より進歩しているかどうかである。

 


「採れたて、糸島」という本

2011年03月01日 03時35分28秒 | ニュース・テレビ関係

2/24付西日本新聞に吉村真理子さんというライターの方が「採れたて、糸島-食のつくり手を訪ねて-」という本を出されたという記事を見ていた。その記事を紹介する前に、今宿の双葉書店の「郷土」のコーナーに平積みしてあったので、買ってしまった。

いい本です。  すごいです。  この本そのものが糸島っぽいです。

糸島の食材と食文化の豊かさが、それを支える人の紹介とあわせて、糸島の良さをよく表している。まだ、最初の方しか読んでないけど、紹介された人々が糸島を愛していることがよく分かる。

なんか先を越された感があるが、自分ではこんなフカイ~取材は出来なかったであろうことは明らかだった。著者の吉村さんが取材先の方々を大事にされている感じが伝わってくる。

糸島のこどもたちに特に読んで欲しい。糸島にはこんなに素晴らしい人々が住んでいることを。

この本の「はじめに」の最初の一行が

「糸島は、もしかしたら全国で一番暮らしやすいところなのではないか。」である。なんか泣けてきた。

とにかくこの本を買って読んでくれ!!

「採れたて、糸島-食のつくり手を訪ねて-」吉村麻利子著 書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)発行 ¥1,600

よろしく!!