しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

今宿の名物は西瓜だった?

2011年03月04日 23時13分24秒 | 糸島関係

今日、JR今宿駅のとなりの「今宿庵」でマッサージを受ける。

マッサージ中に、神田先生から「うちのじいちゃんから、昔今宿は西瓜が名産で、殿さんに献上しとった、と聞いたことがある。」と聴いた。神田先生は地元の人である。

たった一言であるが、「殿さん」がいたのは江戸時代であり、横浜が黒田家の米や積荷の積み出し港や蔵があり、福岡城下と今宿を往復する馬荷の便が、唐津街道を通っていた。黒田藩の物資を運ぶ馬使いは馬士(まし)と自称して威張っていたそうだ。そういう人に夏場の水分補給と糖分補給に西瓜が人気で、街道沿いにいっぱい西瓜かが売ってても変じゃないし、名物になっていてもいいように思う。

西瓜が今宿のどの辺で作られていたかも不明だが、殿様が横浜を視察に来たり、桜井神社に黒田氏が植えた木とかがあるから、そちらにお参りに行った途中で西瓜を振舞ったか、福岡城まで献上したことが1回や2回ぐらいありそうな気がする。何か文献に残っていればいいなあと思う。

しかし、今宿には伊都国以来1800年の歴史がある、おじいちゃんと呼ばれる70歳代以上の老人(インディアンの世界ではエルダーズと呼ばれ知恵を持つ長老グループとして尊敬されているのだが)がそのまたおじいちゃんから聞いた話や言い伝えというのは、文字で記録されていないこと多い。老人たちが亡くなればその言い伝えや物語は消える。

こどもが田舎を離れ、核家族化し、その土地に長く伝わってきた祖父から孫へ伝わるべき物語が消えているのだろう。インディアンには多くの部族がいるが、彼らは文字を持たないので、物語を記憶して次の世代に伝える語り部の人がいる。10数年前アメリカのナバホ族の語り部とツーソンさんという人と会ったことがある。ニューメキシコ州のチャコキャニオンという聖地で僕を含めた日本人のグループといっしょに3泊4日くらいいっしょにキャンプしてもらった。

英語が話せないのでガイドの人に通訳してもらいながらの会話や話となった。昼間はチャコキャニオン周辺を歩いて散歩をしながら、植物や昆虫の名前や利用方法を教えてもらったが、両手でもむと白い泡がでてくるハーブがシャンプーとして、髪を洗うのに使ったり、コットンウッドトゥリーという木の表皮が綿のように柔らかくスポンジ状で、夏場に赤ちゃんの寝床に敷いて、あせもにならないように防ぐことなどを聞いた。

今は砂漠だが、昔は森でナバホのウサギ狩りをする場所だったこと、スペイン人がやってきて、スペイン人から羊や馬を盗むとその森ににげこんだとのこと、しかしついには、スペイン人の奥さんまで盗んでしまったので、スペイン人が森の木を全部切ってしまったとのこと。

またチャコキャニオンに伝わる風の道という、竜巻で情報を伝え合ったルートがあそこから、あそこだとか、昔あの大きな岩の頂上にはスパイダーウーマンが住んでいて、ナバホの少女たちを誘拐してきて機織をさせていて、時々ナバホの少年を誘拐して食べていたが、ある少年が誘拐されたとき、機転を利かせた機織の少女と協力してスパイダーウーマンをやっつける話とかを聞かして貰った。しかも、その物語の岩が目の前にあると、何かその神話の世界へ引き込まれてしまう気がしたものです。

夜になると、満天の星の下、焚き火を囲んで、ユーソンさんはからはナバホに伝わる神話や、昔の出来事を歌にして伝わっている物語などを聞いた。ナバホ族の祖先は双子の姉妹に、太陽と月がそれぞれナバホの姉と妹と結ばれて、それぞれひとりすつ生まれた男の子が兄弟のように助け合って太陽から稲妻を発生させる武器を盗む方法を、知恵を授けるスパイダーウーマンからもらいながら旅をして、悪い巨人をやっつける、なんかそういう神話だったと思う。

何が言いたいかというと、人は自然の一部であり、その土地には伝えられた言い伝えや物語があり、その言い伝えや物語は文化であるということ。そして、科学万能社会になって、自然に対して畏敬の念を失い、興味を失っている。街にお金がたくさん流れ込んでくることが「活性化」ということになっている。そして、自然環境を破壊し、「開発」や「発展」の美名もとに、考えも無く金のために次世代の不幸の種となるものをふるさとに導入していく。そういうことになる前にちょこっと、ちゃんと話し合い考えることが費用なのだ。そのときどれだけふるさとを愛し、子供たちにどんなふるさとを残すかという想いが、深く考えさせるのだ。

先人がふるさとをどれだけ愛していたかが伝わった物語の数だけ残された者に、より強く心に伝わるものだ。

老人たちは亡くなる前に、自分が先人から伝えられたと同じ想いで後輩に伝えるべきだし、

後輩は消え行く文化を無視して生きるのではなく積極的に聴こうとすべきなのだ。なぜなら人生は暇つぶしではないのだ。人生を無意味にするな。人は人の間に生きるものであり、個人だけのためでなく、人の間を良くするために生きるべきものと思う。

人間まあこんくらいのモンと思う自分と、人間が100倍賢くならなければならないと思う自分があるが。ほんとに幸せなのは誰かの役に立ち、それを誰かに認められたときだ。

 

なんか説教臭くなってきた。今宿そして糸島に伝わる、物語を採集したいものだ。