しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

1/29初めてのわさび菜

2010年01月30日 18時16分50秒 | 今日の天気・夕日・散歩等
生まれて初めてわさび菜というのを買ってきた。唐津の農家の作品だ。

生で試食。さらにマヨネーズをつけてパクリ。

サラダ向きだと思う。サンドイッチに最適とみた。

明日かあさっての朝食用に半分分けて冷蔵庫にしまい、

残りをむしゃむしゃヤギみたいに食べた。

食感もわさびっぽい香りも爽やかだ。

これはなにかうれしい新発見でした。

1/29九州・沖縄の小売業ランキングで

2010年01月30日 18時06分37秒 | ニュース・テレビ関係
1998年と2008年の比較がニュースで、
1998年にランクインしていたのに2008年にはランクダウン小売企業は「寿屋」「ニコニコ堂」で、2008年にランクインしていたのが、「イオン」「トライアル」「ジャパネットタカタ」「マックスバリュ九州」。やっぱり攻めてる会社だよね。

1/28「産業」について考えていること1

2010年01月28日 17時02分44秒 | しまちゃん関係
ぼくが産業について考えていること


『万国語翻訳機』開発を産業界最優先課題に(before the Bavel project)


世界はIT社会となり、情報や人の意見が自由に交換できる社会と成りつつあるが、

世界的に伝わるのにその情報に使われる言語によって、伝わる認知度に、差別が生じてしまう。

英語で書かれもしくは発言、発声された情報が伝わりやすく、

日本語で書かれたもしくは発言された情報は日本のみにしか伝わらず、世界には伝わらない。

このままでは、時間の経過にしたがって、マイノリティ言語はより世界において発言力を減少させていくことになる。

それゆえ、日本人がみんな意見を世界に発信できるだけでなく、世界の人が意見を発信できるようにするため、さらに、世界中の人が意見交換できる社会を作るため世界の言語が会話すると同時に翻訳し、相手の言語で発声するような機械(ハードやソフトともに)『万国語翻訳機』を開発すべきである。それが、日本が世界に最大に貢献する道を開くと思う。

日本中の大学に、国や地方語、部族語なども割り当て、言語研究をして、その知識を統合して、産業界と共同して翻訳機の開発をするといいと思う。

できれば、このムーブメントを世界に広げていけば、世界で同時に開発できれば、もっと早く誰でも世界の人と話ができて、友達になれる社会ができると思う。

世界の言語がお互いに翻訳できるソフトやハードが完成すれば世界の人間がだいたい同じと認識し、お互いの文化を教えあい理解しあえば対立が減ると思う。翻訳できない言語を残さないことが肝要である。一部の部族や国を孤立させないことである。

『万国語翻訳機』世界を平和にするひとつのツールになると思う。

日本の学術界や産業界は車やテレビ、太陽光発電などのエネルギー産業だけでなく

「コミュニケーション産業」の開発もしたほうがいいと思う。

国は『万国語翻訳機』の開発に多くの税金を投入してマイクロソフトやアップルより先に世界をリードし世界基本フォーマットソフトを早く作るべきだ。


以上。

後は頭のいい人ににまかせる。  

おわり

種を継ぐ人

2010年01月28日 07時25分10秒 | 農業・環境関係
1/24深夜というか1/25の早朝というか、ムーヴというドキュメント番組を見る。

長崎県の農家岩崎政利が主人公だ。

岩崎さんは25年前から70種の在来種の野菜の種を自分で採りながら育てている。
現在、ほとんどの農家は種や苗を毎年毎年買って、畑に植えている。

種を採ってそれを撒いて育てる「在来種」は、種が採れるが「交配種」に比べて収穫量が少なく、形や大きさが揃わない。しかし、本来の味が味わえるし、まさに「自分の野菜」であると心から思えるとのこと。

岩崎さんは契約した約80所帯に毎月宅配で野菜を送っている。

岩崎さんのファンの料理研究家や、岩崎さんが宮崎の椎葉村に800年受け継がれてきた大根の種をもらいに行くシーンがあった。こういう人たちがいなくなると、食べられなくなる野菜がてくるということなのだ。

野菜の種を守るということは食文化を守るということなのだと気付かされた。


農業について考えていること 2

2010年01月28日 06時19分54秒 | 農業・環境関係
自衛隊員を限界集落へ

 自衛隊員を期限付きで2年くらい限界集落に送って、インフラ整備と農業支援をしてもらう。自衛隊員は農家から農業技術を学び、山間部や、離島での生きる術や知恵を学ぶ。原則として自分たちの食料は自分たちで生産し、自分たちで消費する。自衛隊の農業指導料として農家に支払われ、作られた作物は自衛隊に買い上げしてもらい、さらに農家は安定収入を得られるようになる。
 自衛隊員は交代で補充され、限界集落での農業演習を終えた隊員は、「国際救助隊」として、高度の農業技術者とともに、開発途上国の山間部に入り、農業技術者をサポートし水と食量の生産供給技術の普及に勤める。武力ではなく、水と食料の安定供給や、道路や橋梁、治水施設の建設により、平和を作る人を作って行く。



農業について考えていること1

2010年01月28日 05時24分29秒 | 農業・環境関係
日本の農業について

1「農業」を「食業」に

 日本の農家が自分たちの生産した農作物が生み出す経済の総体の額の約10分の1しか受け取っていない。だから、農家は儲からないのだ。じゃあ、10分の9はどこに行っているかというと、JA,流通業、食品加工業、スーパーも含めた小売販売業、レストランや食堂、ホテルなどの飲食業などの組織や店に行っているのである。

 そこで、農家の長男か長女を食品加工か小売のプロに、次男か次女を料理人兼レストラン経営者に、そして、三男か三女をホテルマンか旅館業のプロにして農業をアミューズメントする施設の営業や集客法、広報を学ばせる。そして孫に新しい農法や、種の開発を学ばせ農家を継がせる。こうやって、農業を食を中心とする産業(食業)と捉え一家で農業法人を起こす。そして、他者に渡っていた10分の9の半分を取り戻す。


2心の通じる組織を作る

 同じ感性や理念を持つ農業法人同士がネットワークを作り、大規模の食品加工工場や販売所や研究所を共同で持ち、街の人ともグループをつくりお互いを行き来し、食品の情報をお互いに伝え合う仕組みを作り、「仲良くなる」。

 この「仲良くなる」事が大事。できるだけ、孤立しないこと。

農業への新規参入 2

2010年01月28日 05時15分40秒 | ニュース・テレビ関係
若い農業法人経営者のことをとりあげていた。この法人では若者を雇い、コンピュータを使ってのホームページによる販促事務とかチラシ作り、牛乳販売以外に新しくソフトクリームショップの運営を新規に事業化させたりと、若者ならでは農業以外の能力や感性を経営に取り入れている例を紹介していた。

農業への新規参入 1

2010年01月28日 05時07分38秒 | ニュース・テレビ関係
日曜フォーラムで「若者の農業への新規参入」についてのシンポジュウムの番組をやっていた。20代の若者の新規参入率は全体のわずか24%しかないとのこと。
若者に農地を売ってくれないのが最大の理由らしい。
親が農家でない若者が農業を夢見てもハードルが高く、非耕作地であっても、農家が貸したがらない。農業は本当にこれでいいのか?

1/24講演会「糸島の歴史的風景」にて 11

2010年01月28日 04時41分27秒 | 糸島関係
最後に質問タイムがあった。

面白かったのは、「九大の地質学の先生が糸島半島のうち、志摩と伊都の間は地続きであるとボーリングによる地質調査で結論付けたが、それでも志摩には糸島水道という海があって、志摩地区は文字通り島だったという言い伝えがある。祖先の言い伝えが間違っているとは思えない。志摩地区が島であった可能性はないのか?」という質問に対して、

糸島水道があったとされる場所にあたるのが、東側が今津湾で、西側が加布里湾である。今はつながっていないが、もし昔繋がっていたとすると、両湾に生息するカブトガニのDNAが一致しなければならないが、実際明らかに違うDNAをもっているとのこと。

その他、奈良時代に日本で初めて鉄釜で製塩したのは糸島であるなど面白いお話が聴けた。

この会の開催に携わった皆様お疲れ様でした。

1/24講演会「糸島の歴史的風景」にて 10

2010年01月28日 04時01分26秒 | 糸島関係
後半は「古代の糸島と歴史遺産の保護」というテーマで、
九大名誉教授で九州歴史資料館館長の西谷正氏の講演だった。

西谷先生とは、昨年NPO法人福岡歴史研究会が月1回開催する「よくわかる福岡の歴史」古代史を受講したので面識があった。

それに少し予備知識があったので、面白かった。

会場にみえていた観客も、伊都国と斯馬国(しまこく)などなじみの名前が出てくるし、古墳や遺跡もご近所的なじみのある地名が多いせいか、すごく熱心に聴かれていた。

歴史的講義以外に、糸島の歴史遺産や景観などの文化遺産の保護を訴える内容の西谷先生の熱弁には感動した。

「糸島市の50年後、100年後を見据えた街づくりを」という言葉が心に残った。


講演後先生に「観客が老人ばかりですよね。10代20代30代いやもっと小さな子供に歴史の楽しさを教える活動がしたいですよね」と言うと、先生も頷きながら「伊都歴史博物館では子供向けの講座や資料を作る活動をしているのだが。なかなか広がらない」とおっしゃっていた。

子供たちに実際、今発掘しているイーオンの裏の現場などで発掘体験をするなど、糸島の人が糸島の歴史にもっと関心を持てるような活動を行えたらいいなと思う。
大人が歴史に無関心で知らないから、子供に伝わらない。
歴史を知っている老人から学べる時間は短いぞ。

子供たちに糸島が弥生時代に日本の最先端の国だったことをもっと知って欲しい。

歴史を知るということは自分たちのこの糸島という土地に誇りをもてるようになるひとつの要素なのだから。

1/24講演会「糸島の歴史的風景」にて 8

2010年01月28日 03時22分25秒 | 糸島関係
まずは「糸島市の中世的世界の風景」という演題で、九大名誉教授で交通史研究会会長の丸山雍成氏の講演が始まる。

平安時代末期から、鎌倉時代くらいにかけて、博多湾の監視をする役目を持った原田氏という豪族のはなしからスタートした。

予備知識がないうえに、糸島の歴史もそう詳しくはない僕にとって、初めて聴くはなしばかりだった。

豊臣時代に糸島を支配していた原田信種が秀吉と島津の戦で島津方について、戦に破れ韓国に渡り、秀吉の朝鮮征伐のおり、韓国の武将「沙也可」として、秀吉軍と戦ったというくだりは義経が大陸に渡りチンギス・ハーンになった説みたいで面白かった。