いとしまサイエンスキャラバン「既成概念を超えるデザイン~まちや社会もデザインできる~」という講演会に行ってきました。会場は糸島市役所で、講師は九州大学芸術工学院准教授の鵜飼哲矢さんでした。サイエンスキャラバンへ久しぶりに参加しました。いとしまサイエンスキャラバンがまだ続いていることを知りませんでした。
鵜飼さんは東大建築学科のご出身であの超有名な丹下健三都市建築設計研究所での修業時代、多数の番頭クラスの先輩たちを差し置いて丹下先生にお台場のフジテレビ本社社屋を設計で認められるなど、僕でも知っている建築の設計をされた方です。
鵜飼さんの講演ではまず「デザインとは何?」ということから、始まりました。
鵜飼先生はまずデザインとは考える方法の一つです。と発言しておいて、高杉晋作の「面白きこともなき世を面白く」という言葉を引用して、
デザイン=「世の中を面白くする」表現行為
と定義されていました。
世の中を面白くするためには常識や固定観念にとらわれず、発想を広げることが大事と星の王子様の物語を引用して言葉を続けられました。
今回の東京オリンピックの新国立競技場のデザインの変更についても、鵜飼さんは最初のザハ・ハディット案を選んだ安藤忠雄氏と仕事をしたことがあり、その案を変更させた槇文彦氏の下でも仕事をしたことがあるそうで、未来に残す建築として、安藤さんの心境もわかるし、建築予算があの建築を建てるのに最初よりどんどん引きあがることが現実的でなかったこともわかるとのことでした。
建築は形が見えるために誤解されやすく、批判のシンボルになりやすい事や、レトリック(詭弁)に使われやすいとおっしゃっていました。
国家の価値や役割がお金に換算できないように、建築の価値もお金では換算できないものもあることを、丹下健三さんの広島の中の島の原爆平和記念公園の設計と原爆ドームとの関係で表現されていました。
丹下さんからは時代に合わせて、過去、現在、未来を見据えて発想を変えなければいけないということを教わったとのことです。
昨年オバマさんが献花をした平和公園のモニュメントから一直線に原爆ドームが見えるように設計されているそうです。この公園の設計コンペが行われているころ、この原爆ドームを壊して見えなくしてしまおうという運動が起きていたそうです。
しかもチェコ人ヤン・レツル設計の広島産業奨励館の残骸である原爆ドームはこの公園の敷地内にあらず、川の対岸に建っていたのです。それを丹下さんが平和公園と原爆ドームと一体化するような設計にして、原爆ドームは原爆投下の象徴として。過去・現在・未来の象徴となるよう設計されたとのことです。
これこそが、人々の心に届くお金に変えられない建築やデザインの価値ということだそうです。
丹下さんてすごい人ですよね。
この後、丹下流の教え方と安藤忠雄さんの教え方の違いを語っていただきました。
丹下さんの教えは抽象的で巫女的なんだそうです。
丹下さんの研究所に鵜飼さんが新人として勤めているころ、若手の研究員が建築の模型を作ることが日課だったそうです。
ある日、丹下先生が研究員の先輩に建築模型の変更を指示せられて、その先輩は丹下先生の指示通りに作り直して、翌日丹下先生に見せたら、とても怒られたそうです。
先生がおっしゃるには「昨日の私は今日の私ではありません。自分は昨日から今日にかけて1日分進歩したのに、あなたはなぜ進歩していないのですか?」と日々進歩することを促されたそうです。
また、鵜飼さんがあの有名な球体があるフジテレビ本社の設計をすることになった経緯を教えてくれました。
丹下健三都市建築設計研究所には多くの研究員がいて、新人や若手はベテランや先輩の研究員の建築模型を作らされるのだそうです。
このフジテレビ本社の設計案の研究所内での丹下先生の審査のコンペ用に先輩の建築模型を鵜飼さんもいくつも作っていたそうです。
鵜飼さんがあまりにも熱心に先輩の建築模型を作っているので、一案だけ鵜飼さんも提案できることになったそうです。
それからいろいろ考えて、先輩たちの建築模型の2倍の大きさの模型を作って目立つようにしたそうです。
研究所内のコンペ当日では、当然研究所の番頭クラスの先輩の作品が中央に置かれ、一番新米の鵜飼さんの模型は一番隅に並べられたそうです。
丹下先生がやって来て番頭クラスの研究員がプレゼンの司会をしてプレゼンは始まったそうです。
最後に鵜飼さんの模型を見て、丹下先生が何かおっしゃったそうですが、司会の先輩はあまりそれを重要視しないで、プレゼンの審査をそのまま勧めようとしたとき、再度丹下先生が鵜飼さんの作品を注視して、鵜飼さんのの案に決まったそうです。
鵜飼さんの案は他の先輩たちの案に比べて一番ぶっ飛んだデザインだったそうです。
その後は先輩が鵜飼さんの設計にいろいろちゃちを入れてきたそうですが、設計の精度を上げていく作業をしていく中、より大きな模型を作ってその良さを見せられるようにしていったそうです。
鵜飼さん設計の現在はもう建ってしまっていますが、当時フジテレビ本社ビルの建築予定地がお台場という埋立地というところで、背景が海と空しかないことに着目し、建物に近づけば近づくほど空や海の中にあるように感じる建物にしたかったそうです。そこで建物の隙間から空や海が見えるようにしたそうです。
今聞けばなるほどと思えますし、今では一目でフジテレビと分かるデザインになっています。
さてもう一人の建築の巨匠、安藤忠雄さんの教え方は具体的でおばちゃん的なんだそうです。鵜飼さんが学生に向けての授業を安藤さんに依頼した時、安藤さんがある建物の設計を学生たちに宿題に出したとき、提出された宿題を前にして安藤さんはある学生に、「君は鉛筆は何を使うとるん?」と質問をすると、学生が「2Hです。」と答えたそうです。すると安藤さんは「鉛筆はBやで。」と一言言って帰って行かれたそうです。
安藤先生の教えの真意は「自信をもってズバッと描くことから建築は始まる。」ということを伝えたかったのだと思います。
またある時は「建築家は親を大切にせなあかん。」と学生に安藤さんは切り出したそうです。親を大切にすることが人間を大切にすることの基本であり、建築は人間を大切にするものであるから、建築家は親を大切にせなあかん。ということになるわけです。
このように、丹下健三先生は社会や世界の高い所から人間を観る視点で建築を考えられているが、安藤忠雄先生は人間が中心となる視点から社会や世界を観る視点で建築を考えられていると鵜飼さんは思っているそうです。
講演後の質問コーナーで「鵜飼さんはどの視点なんですか?」という質問に鵜飼さんは「私は下からの視点から社会や全体を観たい。」とおっしゃっていました。
さて、鵜飼さんは巨匠二人の教えを酌んで建築家は日々の努力が大切なことを「1%の法則」と「数学的帰納法」で説明されました。
「1%の法則とは「y=1.01n乗」という数式で表される通り、1%ずつ毎日成長することを表しています。
1日目 1.01
10日目 1.1
30日目 1.3
100日目 2.7 100日(3か月)で2.7倍ですよ!
1年後 37 1年で37倍です
1日(前の日より)1%頑張ればいい。そしてこれを続けることが肝心だ。
逆に1日1%サボるとうまくいかなくなる。ということです。
次に「数学的帰納法」の説明は
「まずはやらない」→「翌日もやらない」→「永遠にやらない」となる。
「まず、今日少しやること(今変わること)が大事だ。」ということでした。
建築で鵜飼さんはご自分が手がけた「もっくる新城」のことや、障がい者のかたのアート作品を段ボール製品に入れ込み日本中で運ばれる「だんだんボックス」というプロジェクト、九大生が行っている熊本地震で観光客が訪れなくなった地域のお土産などの物産を仕入れて、他所で販売するという「やるばい九州」というプロジェクトにも関わっておられます。
さらに、学生たちには、何度も失敗して、失敗を恐れず前に進む「吉田松陰の教え」と負けない戦い方を記した「孫氏の兵法」を読むことを勧めていることや、「なみだは世界で一番小さな海です。」というような寺山修司の詩を読むことなど、建築以外に心を作ることの大切さを教えていらっしゃるそうです。
そういう中で、学生の中から起業して、まちをかえようという若者が出現し始めていることが何より嬉しいとのことでした。
以上が大体の講演のながれでしたが、この後鵜飼先生への質問コーナーがありました。
その中で質問内容が聞き取れなかったのですが、鵜飼先生のモノの考え方で「こうでなければいけないという固定観念を持たない。ものごとに優先順位や序列や優劣をつけないようにしている。」とおっしゃっていたことがとても印象に残りました。
おそらく、先生の建築に対する姿勢とか、学生さんたちに接する時の姿勢についての質問なんだと思いますが、心の柔らかく優しい方だなあと感じました。
やっぱ一流の人は違うなあと改めて感じました。難しい言葉を使われることなく、聴く人を楽しませながら、伝えたいことをちゃんと伝えていただいたと思います。それに、だれに対しても偉そうにせず、同じように真摯で丁寧な態度で応対をされる姿勢に感動しました。
いつものことですが、今回のサイエンスキャラバンも小学生が2人、中学か高校生が一人と、若い人の参加が少ないのがとても残念でした。おそらく、中高生で、自分も建築家になりたいとか、九大に行って、鵜飼先生のいらっしゃる大学院まで行ってみたいと思う子が出てくるように思います。本当にもったいないことだと、つくずく思います。若い時にこそ、本物を見せて感動させてあげてほしいものです。
それが夢の始まりになることもあるのですから。