今日は半日今宿を歩き、今宿商協の組合員さんの建物の外観を撮影してきました。あと5カ所くらい残りましたが、よく歩きました。
近所のビルが塗り替え中で、そのカバーの布がなんかオブジェっぽかったので、パチリ。
近所の海沿いの家がオシャレなのでパチリ。
今宿は江戸時代いい瓦の産地でした。この家の瓦には「今宿又市」「有田久次郎」とかの名が刻まれていました。
瓦のデザインがいいのと古くなると自然の一部になって景色に溶け込んでいくところが好きです。
今の住宅のセンスのなさにがっくりします。ただ経済的に、不動産屋と土建屋を儲けさせるために、短時間に特殊な技術を持たなくても、簡単に建てられるようできています。しかも無個性。風情も無ければ、自然の風は吹き抜けず、泥棒除けの左右が狭く縦長の窓は人工的で風景を観るための窓ではないし、ただ採光のためだけの窓です。家の中に人間と世間を遮断する家で、非人間的です。エアコンなしでは生きていけないし、電気が切れたら住めない家です。確かに住みやすさというのもあるけど、いい家は人を育てるということも意識して欲しいのです。住む人のためでなく、住宅メーカーが防犯率を後で商売に使うために作った窓はすきになれません。
この木のディテールの感じが日本ですよね。これこそが文化です。
自然の一部として家が老化していく風景は人に優しく、美しく人間の脳にいつまで観ていても飽きない刺激を送り続けるこのディテールこそが、「わびさび」を理解できる人間を創り、人間も自然の一部だと忘れさせない風景を作ることが、大事なことだと先達の教えです。
唐津街道の風情は今宿にほとんど残っていないので、この家は今宿の宝だと僕はかってに思っています。しかも、この家は今宿が最初に作られた地域にあるというのも歴史的に価値が高いと思います。今宿の町の出発点みたいな家なのだと思います。
西都小かなり立派でおおきな学校でした。
さっきの日本家屋と、現代が作った巨大建築を交互に眺めるような散歩になりました。巨大建築は自然の一部となれるのかということをつい考えてしましました。
脳に明らかに多くの情報が送られるのを感じませんか。しかも、いやな情報じゃない情報です。
人間が自然の一部であることを忘れることなく、この美意識が昔の人に自然に培われていたのだと思います。
大塚古墳です。古墳はかっての姿を全く残していませんが、これはこれではげ山として自然の一部になっています。いやなってないか?
そろそろ発掘したらいいのではないでしょうか。
まだこちら側には無味乾燥の高層マンションが建っていないことが救いです。
でも不動産屋と土建屋と銀行は生き残るために、一生かかって払える金額を家の値段にしてあなたの子孫に迫ってくるでしょう。
そのとき、「本当に自分が住みたい家とは?」とちゃんと考えられる人に育て上げてください。
家近くにもどってくると、トンビが何羽も縄張りを争いながら飛んでいました。トンビも生きていくのが大変です。
トンビたちの目から見て、人間の作る家や街はどういう風に見えているのでしょう。
ああ、また木が切られた、あらまたあそこの緑地が失くなった。とか言っているのでしょうか。