しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

ネギ好きが糸島のネギをマツコさんにご紹介

2018年07月10日 23時09分59秒 | ニュース・テレビ関係

「マツコ知らない世界」というRKBの番組でネギの世界で糸島のネギ農家さんのネギとネギ油を紹介し、ネギ卵丼で試食。マツコが旨いと言ったが、半分義理だとおもった。というより、紹介者の小石原さんのネギ愛の熱に圧倒された感じで、言わされていました。

小石原さんのネギ愛に脱帽でした。

 


オウム真理教の死刑囚が7人死刑に

2018年07月06日 23時35分32秒 | ニュース・テレビ関係

地下鉄サリン事件が起きたとき、僕は東京でデザイナーをしていました。あのサリンが撒かれた朝、千代田線の霞ヶ関駅を、サリンが撒かれる約30分前に僕は通過しました。

千代田線から丸ノ内線が銀座線に乗り換え、銀座のクライアントに、徹夜で仕上げたデザインカンプを届けに行きました。あさイチ届けの約束だったので、家に帰らず届けました。ちょうど仕事が増え始めたころで、仕事に打ち込んでいたころでした。帰りに同じ線で帰ろうとしたら、帰り方面の地下鉄の電車が動いていませんでした。

遠回りで、有楽町から山手線で恵比須駅に戻り、会社に戻りました。そのとき何が起きているか知りませんでした。僕の帰りが少し遅くなっていたのですが、その日はニュースを知ることもなく忙しく過ぎていき、深夜までの作業をしてタクシーで帰宅しました。

翌日同じルートをまた通りました。千代田線の霞が関駅のホームの一番端にたくさんの花が手向けてありました。そこに一人の駅員さんがいて。何があったのか聞くと、なんとかの毒が電車の中で撒かれたとのことでした。その日の午後、ある食堂のテレビで注意して観たニュースで何があったかを初めてちゃんと知りました。

それから、あのホームを通るたび、花がささげられた場所を観ていたのですが、後30分遅い電車に僕が乗っていたらなんて思うことはありませんでした。しかし、それよりずっと日が経って、日野原重明先生のNHKの番組で、聖路加国際病院に地下鉄サリン事件の時、被害者がたくさんの救急車で運び込まれている映像を観て、初めてどれだけ被害が大きかったのかを実感しました。そして、30分遅い電車に僕が乗っていたら、僕も聖路加病院に運び込まれていた患者の一人になっていたかもしれないと、思い始めて、急にぞっとしました。そういえば、僕の友達の(1回だけ会ったことがある)友達がオウムがどうてろこうてろ言っていたけど、彼はどうしているだろうと思いました。大手ゼネコンで優秀な社員で、慶応出だと紹介されました。見かけもよくスーツをぴしゃり決めていました。僕は当時、今と同じくボロボロでした。なんかオウムの集会に行くと美人や可愛い女の人がいっぱいいて楽しいとのことでした。当時僕は仕事に夢中で自分の時間を仕事に費やしていたように思います。その誘いを僕は断りました。その時は何も思いませんでしたが、彼の誘い文句で、ああ俺は可愛い女で釣られるもてない奴だと思われたのかなあと、後で思いました。

ちなみに、当時の僕の上司のディレクターが若かりし日の麻原彰晃が荻窪で近所に住んでいて、いかがわしいお札を路上で売りつけようとしていたのを何度か見かけたと話してくれました。当時麻原はもっと痩せていて、汚かったそうです。近所でも変人で通っていたようです。

さて僕の持っているオウム麻原情報を全部吐き出しました。

やりたいようにやった人の末路が死刑でした。頭のいい奴が洗脳され、我欲がより強い者に支配されるとどうなるかという一つの啓示になったかもしれませんが、格差社会がもっと進むと、テロが革命と呼ばれるようになります。権力者が正義から外れると、革命が起きることを世間は期待します。今の権力者たちの行動は正しくない。このままで済むはずがありません。

僕は新しいリーダーの登場を期待しています。

7人の死刑で何か一つの時代の区切りがついた感じがしますが、何かの始まりのような気もします。

オウム真理教が何をやったのかを、忘れかかっている僕ら大人に、そして、このことを知らない若い世代にしっかり伝えてほしい。マスコミは知的に「人間はこんな残酷なこともできるのだ。」ということを知らせてほしいと心から思いました。

 


情報2題

2018年06月30日 22時52分37秒 | ニュース・テレビ関係

27日の西日本新聞より

糸島の企業と高校生がコラボしての新商品が生まれた。博多女子高の生徒さんたちはよく頑張っていらっしゃいます。ネーミングもばっちりです。

企業側は新商品のアイデアや開発費が安価で得られ、学生側は自分のアイデアが商品化され形になるという、商品開発の面白さを体験し、次の人生の方向付けするいい体験ができる。

お金のない中小企業とやる気がある純粋な学生のコラボは糸島半島にある企業の活性化に向いていると思う。

しかし、面白いアイデアを持っているのにその人が大人やいわゆる「よそ者」だと、商品を開発して起業するに至るには糸島半島はハードルが高い地域かもしれない。そのアイデアの面白さを理解しようという気風の欠如や、共感力の欠如は糸島も含めて、田舎ならではの傾向かもしれない。糸島には面白いアイデアを持っている人々がたくさんいるように思う。できれば、そういう人と地元企業や出資者の中間に立って、そのアイデアマンたちが絶望して糸島から去らせることなく、その人に向いたコラボ可能な企業と出会わせて、粘り強くサポートする人や組織が出来てくれることを望んでいる。閉まった商店に新しい商店や商店主を受け入れることも、急がれるし、時間があまり残っていないし地方活性化の大きな問題の一つだと思う。どちらにしても、新しい人を受け入れるためのキーワードは「オリジナリティ、独自性、情熱」だと思う。そこにしかないものを生み出そうとしている熱い人や商品や店は、普通の人には理解できない場合が多い。自分に理解できないからと言って拒否するのではなく、多様な多くの人の意見を聴くというのが、めんどうだが、自分の良き仲間を増やし、自分の決断を正しい方向にもっていく行為だろうと思う。だから、誰でも対等に意見が言えて意見が聴けるコミュニティづくりが急がれる。ただ酒ばっかり飲んで、同じメンバーとただ話し合ったという記録を残しているだけの団体のミーティングからは何も生まれない。とにかく、出会い、話し合える場を海外では市場や駅や広場付近に持っている。糸島にはそういう場が少ないと思う。

 

ヒッポー製パン所さんにあったチラシより

手仕事が糸島に合う感じと割烹着ワンピースというものにオリジナリティを感じたのでアップさせていただきました。「今宿アトリエ」さん頑張れ!!

https://www.facebook.com/%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E6%89%8B%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%A6-770980469696080/

 


にわかサッカーファンだけど日本おめでとう!

2018年06月20日 14時44分07秒 | ニュース・テレビ関係

これで西野監督は昨夜は眠れたのでは。本当によかった。

運が味方している。

大迫は中田英寿みたいに転ばない強さを持ち、吉田麻也がファルカオをコロンと転がしていたのがキラリと光り、印象的だった。

選手たち全員が半端ないと思った。

にわかサッカーファンだけど、いやなニュースばかりの昨今に、ウキウキするような気分のいい風をもたらしてくれた。

こういうときはつい感謝してしまいます。

浮かれてばかりもいられないけど、ワールドカップはお祭りだから、いいですよね。

でも仕事はミスしないよう皆さん頑張りましょう。


30日の西日本新聞より

2018年05月31日 23時03分18秒 | ニュース・テレビ関係

人類の生存や平和の創造に貢献する研究

保存と運搬の超凄い技術ができると、廃棄食糧が減らせて、食糧危機問題の緩和や、流通革命などが起きると推察されます。九大の農学部の見学した際の講義でも、保存と運搬の研究をされていました。きっと、その流れなのでしょう。この、農作物や食料の保存と運搬問題の解決法の研究は、来る厳しい食糧危機時代に救世主になると思います。その研究はノーベル賞にも値すると思います。

 

ゲームより自然遊びを

僕は子どもの頃、毎日のようにこのような水路でコイ、フナ、ザリガニ、カワエビなどをとっていました。今頃だと、フナの小さいのが群れていて、それを捕まえて、父が大きな川の河口で大きな魚の釣りをするためののえさになっていっていました。それで、父がイシダイやチヌを釣ってきた記憶があります。

子どもも親も自然の中で遊ぶしかない時代でした。ナマズやドジョウ、たまにウナギが網にかかりました。タガメやタイコウチ、ゲンゴロウも遊び友達でした。水路がまだコンクリートで作られていない頃の話です。でも農薬がヘリコプターで空中散布されていて、登校するとき降りかかってきた時代でした。

自然と遊んだことのない人は人間社会だけが世界になっていきます。自然災害にあって自然の恐ろしさを初めて知る人もいます。僕たち人間は自然の一部です。自然を観察する能力から集中力や観察力を得ていました。今はゲームです。スマホやi-ブック等で行うテレビゲームです。スイッチやコントローラーを動かす子供の手の動きに僕は目が付いていきません。それくらい速く、子供たちは自在に、無意識と言ってもいいくらいのスピードで手を動かせています。凄いとも思いますが、僕はインベーダーゲームの時代にゲームをすることを辞めました。

全ての人間に与えられた唯一の平等なものが時間だと思ったからです。自分がテレビゲームにのめりこむと夢中になって仕事が終わった夕方からゲームを始めて、朝までやり続けるような人間であることを知ってしまったからでした。一日に2時間と決めてゲームをやったとして24時間のうちの2時間です。1年で1か月、60年で5年間もゲームをすることになります。しかもこの5年は寝る時間を除いた連続した時間としての5年です。5年あれば何か専門的で僕が興味があることを学べ、何かを成し遂げられると判断したのです。自分にはこのゲームをする時間が無駄な時間と判断し、ゲームをすることを辞めました。いくらたくさんの敵を倒しても現実の問題は何一つ解決していないのです。

ゲームをしないことを決めて40年くらいたって、今その選択はよかったと思っています。ゲームの世界は人間が金儲けのために作り出したバーチャルな世界で、実際の自然の中の世界の方がはるかに面白いことを知ることをお勧めします。その手始めにこういう自然を感じるイベントに子どもたちを連れて行ってあげてください。人間以外の生き物たちがどういうところに生きていて、そこの環境条件がどうなっているのか知ることが大切なのです。そうしないと、自分の住んでいる地域や自然と自分が絆を持つこともなく、自分が生きていることが、自分の子孫を殺していく負の遺産の創造に手を貸していることに気づかないまま生きていくことになります。

人間も自然の一部なんだということをちゃんと体感して育ったほうがいいと思います。


アナサジの遺跡チャコキャニオンがNHKのBSに

2018年05月18日 17時46分54秒 | ニュース・テレビ関係

本日のお昼のNHKのBSコンシェルジュというNHKの自社番組紹介番組より

 

NHKのBSで23日(水)夜9:00から「堤真一xアメリカ 謎の古代遺跡 ~先住民3000年の記憶~」という番組があります。

メサ ヴェルデ、チャコキャニオン、タオスプエブロが紹介されるようです。フォーコーナーズと呼ばれる、コロラドやユタなどの4つの州が直角に隣接する地域の、ニューメキシコ州側にある遺跡です。世界遺産にもなっています。

僕はこのうちのチャコキャニオンとタオスプエブロに約20年前に行ったことがあります。特にチャコキャニオンには2回行っていて、僕の人生に大きな影響を与えています。

チャコキャニオンはアメリカ国立歴史公園になっていて、ビジターセンターや予約制のキャンプ場があります。僕たちはこのキャンプ場にナバホ族の語り部のツーソンさんという人に来てもらって、この辺をガイドしてもらって歩き回ったり、夜に満天の星の元でキャンプファイアを囲って、ナバホ族に伝わる神話やスパイダーウーマンなどが登場するファハダビュットという岩山の古い物語や、いくつかの古い流行歌(大きな出来事があったときにできた歌であったり、ラブソングであったりしました)を聞かしてもらいました。バックにコヨーテの鳴き声が聞こえたり、そこでしか味わえない空気で、いい感じでしたよ。公園内にはたくさんの石積みでできた遺跡がたくさんあります。その中心にプエブロボニートという半円形の壮大な遺跡があります。どうやら、この番組で見れそうです。遺跡は天井部分が落ちてしまって、建物の中の円形の部屋がたくさん見えています。それぞれの部屋が長老たちの部屋、男たちの部屋、女性たちの部屋など、入れる人が決められ、ある儀式の部屋をするためだけの部屋などが決められていたそうです。こういう遺跡はナバホに人たちにとって聖なる土地で、入っていく前にツーソンさんが祈りの儀式をしてくれて、母なる大地の東西南北にたばこを一つまみずつささげて入っていきました。

この辺に住んでいた先住民がアナサジ(ナバホ語で「古い人」という意味)と呼ばれる人々です。アナサジは水路を創りトウモロコシを中心とする農業を行っていました。そして、後からこの地にやってきた狩猟部族だったナバホ族に農業を教えてくれました。しかしある日突然にアナサジの人々がこの地から姿を消してしまったそうです。どこに行ったのかは不明です。番組ではたぶんそんな話を見せてくれるのでは。

僕はこの土地に心も体も癒されるという体験をし、人生をリセットしてくれたように感じました。ネイティブの人たちの人生の目的「自分が住む母なる大地を7世代先の子孫から借りていて、自分たちは子孫のためにこの母なる大地をより豊かにすること」なんです。僕はもしこの「母なる大地」「地球」に替えたら、人類すべての人生の目的になると思います。

とにかく、現在も母なる大地とともに生きているネイティブの人々の話を聴いていただけるとありがたいです。

タオスプエブロはタオスという町の川の中州にあります。アドビ建築で有名です。川の粘土を日干して30~40cmくらいのブロックを作りそれを並べて壁を作り、さらに川の土を塗り込みます。気温が40℃でも湿度が低いので、その壁は夏は熱を通さず室内は涼しく、冬は中の熱が外に漏れないつくりになっています。パンを焼くかまどが四角い家の外にあり、ドーム状の形が印象的でした。この村(プエブロ)はネイティブの子孫が住み、観光地化されて1F niさまざまの店になっていて、いろいろなグッズがが売られていました。ただ、大きめのドラムなどの部屋があり、僕たちも叩かしてくれ、腹に響く音が印象的でした。インディアンブレッドにはちみつをかけて食べた記憶があります。僕たちが訪れた時期はコンチェさんという人がガバナーを務められていました。コンチェファミリーにはミュージシャンの息子さんたちがいて、佐渡の和太鼓の鼓童が毎年夏に開催していたアースセレブレーションに招かれて、ナバホの歌とダンスを披露されたと聞いています。(僕が参加したネイティブアメリカンツアーの参加者の中に鼓童の方がいらっしゃいました。)うちにタオスプエブロの約20年前のパンフがあったのでアップしてみます。

タオスプエブロのパンフのロゴ?の後ろの山はマクルマクリスティといって「キリストの血」という山で、夕陽に当たると山が血のように赤色に染まります。

 

久しぶりにこの番組でネイティブアメリカンの人々の無駄がなく、自然のことを取り込んだ、含蓄のある話がまた聞けそうで楽しみです。

 

蛇足ですが、偶然にも今日アメリカのテレビドラマの「X-ファイル」の再放送をやっていました。

こちらの方は先住民のアナサジがどうも宇宙人になっているようで、X-ファイルが暗号としてナバホ語で書かれていて、判読しにくくなっているようでした。この回が第2シーズンの最終回で、第3シーズンに続くようです。最初登場したタイトルがどうもナバホ語みたいです。日本版のタイトルは「アナサジ」です。

ナバホ語のことは、ニコラス・ケイジが主役をした「ウィンド・トーカーズ」 という映画を観ていただけるとありがたいです。太平洋戦争時代、ナバホの人たちは日本軍がナバホ語を理解できないことから、最前線の通信兵として活躍しました。映画では、ナバホ語の秘密がもれないようにするため、ナバホ兵が日本軍につかまりそうになったらそのナバホ兵を殺す役割を命令されたアメリカ兵が相棒のようにペアで戦うのです。そのナバホに付き添うアメリカ兵をニコラス・ケイジが演じていました。

しかし、戦後社会ではこのナバホの人の戦争勝利への貢献が認められ、戦後ナバホの人たちの居留区が広がっていったり、居留区の権利が拡大したりしました。また、軍人になるナバホの人が増えていたりと、ネイティブの人が就職しにくいアメリカ社会に溶け込むひとつの道にもなっているようです。ニューメキシコ州のピニヨンというナバホの居留区内の村で、自分の息子が横須賀や横田基地などに、米兵で日本にいたことがあることが誇らしげなおばあちゃんに息子さんの写真を見せてもらったことがありました。


昨日、めんたいワイドの「華世のしゃれとんしゃあ」にFlower Tea +Cafe のKANAMEさんが

2018年05月09日 08時25分36秒 | ニュース・テレビ関係

 

めんたいワイドの「華世のしゃれとんしゃあ」のコーナーが糸島特集で、今宿のハーブティ屋さん「Flower Tea + Cafe」のKANAMEさんが2度目の登場をされていました。

スパイスの効いたジャムや母の日のプレゼント向きのカーネーションのフラワーティー等を紹介されていました。

僕の一番関心を引いた商品が「爆発するデザート」でした。

お店で出てくるカーネーションのフラワーティー

ギフトもあります。

 

 

参考:

https://www.flower-tea.jp/

https://co-trip.jp/article/64449/

https://itoshima-guesthouse.com/2016/06/19-flower-tea/

https://blog.goo.ne.jp/itoitoisland/e/c4aeccc48976749aa543282f7ddd50ba

 


今宿への米機の機銃掃射のこと

2018年05月03日 00時08分35秒 | ニュース・テレビ関係

4/30の西日本新聞より

おそらく、以前僕が山口さんという今宿生まれ今宿育ちの高齢の男性と長垂海岸でお話した時、聴いた話とこの記事が重なりました。

https://blog.goo.ne.jp/itoitoisland/e/00c1e11d62235ae5a3cc7572848c9518

https://blog.goo.ne.jp/itoitoisland/e/0f9e4618cecb2aaead7238a9fba29e76

この記事のことを4/30に僕に教えてくれたのが浜さんという、今宿生まれの80歳の男性で今久留米の僕の実家のお隣さんだ。浜さんもこの機銃掃射のことをよく覚えているとのことで、米機の弾丸1発が20~30cm以上くらいあるのでトラックの鉄板部分を楽々と貫通し、大きな穴だらけで、道路にも大きな穴が並んで開いていたことが印象的だったそうです。