しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

今日の天気

2017年09月30日 10時12分13秒 | 今日の天気・夕日・散歩等

快晴、北風微風。

行楽日和です。9月も今日で終わりです。

ミサイルも飛びそうだし、政治も勝手に混沌として今裏でいろんなことが行われているのを感じます。

まだ公約も選挙人も決まっていないのに、首相が街頭で選挙演説をしている異常事態です。

整理がついて出された公約や人事情報のどちらの党にインパクトがあるか考える能力や説得する能力が試されていると思います。

あと出しで公約のパクリだけはしないで欲しいものです。

どちらにしても、もめた方がいいです。

ここまで、いろんな人のエゴがぶつかっている時期です。

新しい価値観が生まれ、ガラッと変わるにはいい転換期です。

僕たちもちゃんと後世の人のために何を残すかじっくり観察し、じっくり考え、

子どもたちの視点から見て、さらに未来の人たちにとって何がいい事なのかを見極めねばなりません。

せめて投票率が70%くらいになる文明国になって欲しいです。

 

糸島は今日明日、市民祭りです。グルメグランプリとか明日は加布里の花火大会もあります。

外は意外と涼しいしわりに紫外線が強そうです。長袖のシャツと帽子がいいと思います。

そして、移動時間が多い方は水の補給を忘れずに。PM2.5は状況が分かりません。

事故が無いよう、油断せず、楽しんでください。

あちこちの秋の味覚を楽しんでください。


今日の天気 野菜価格の高止まりと農業ボランティア

2017年09月28日 10時36分34秒 | 今日の天気・夕日・散歩等

曇り、北風強。

昨夜から風も波音も激しく響いています。希望の党と民進党は平成の薩長連合なのか?

 

野菜価格の高止まり

野菜の価格が高止まりしたままだ。トマトなどは自動車会社や機械や鉄道会社などの異業種参入のトマト生産している会社がトマト価格を下げないようにコントロールしているのだと思う。直径5cmくらいの小型のやつが1個100円以上する。旬の時期に価格が下がるのが野菜なのだが、ハウス水耕栽培で旬もなくなり、2年近くトマトの価格が高止まりしたままだ。僕にはもう買えない。貧乏な消費者はできるだけ、一般農家から直接買えるようにしないと、栄養失調か飢え死にする人が出てくるだろう。

白菜が4分の1カットで200円くらいする。丸々一個が800円ということだ。自分の感覚だと、白菜1個で100円の時期が長かったように思う。今はその8倍だ。白菜も買えない。他の野菜価格も倍のまま高止まりしている感じがする。個人コンビニや地域八百屋と地域農家が提携して、ミニ道の駅みたいなコーナーを作ってくれるといいなあと思う。一般農家さんも地元消費者さんも潤うのでは。話し合いができさえすれば可能なことだと思います。

 

農業ボランティアのススメ

地域ごとに農家ボランティアのあっせんするシステムを作り、人手が足りない高齢者の農家さんの畑に農家ボランティアさんが入ってもらい、地主農家さんの指示のもとに今まで通りの畑を作ってもらって、生産力を維持してもらって、できた野菜の一部をボランティアさんに還元していくようなシステムは、作れるのではないかと思う。こういうシステムに貧乏な高齢者を優先して参加できるようにすれば、高齢者の貧困対策になると思います。そして、この農業ボランティアの人が、自分のまわりの貧困な人への野菜の販売を定期的に行ったりすることで、広報や運搬のコストを下げる仕組みができると思います。人間的なつながりもできて、高齢者の認知症対策や健康維持にも寄与すると思う。なによりも、農業が面白いということに気づく人が増えると思う。


エネルギーの形 雲

2017年09月27日 17時17分15秒 | 今日の天気・夕日・散歩等

竜雲が見えた。

 

希望(?)

 

希望の党が立ち上がった。

小池百合子さんにとって男たちの政治が時代遅れでかったるいのだろう。

竜馬の「世の中の洗濯」じゃないけど、さっさと世の中をリセットしてもらいたいものだ。

 

前原さんのブレーンの井手栄作さんと小池さんが化学反応することを期待しています。

 

まず見せてもらいたいのは世界ビジョンだ。こういう世界を作りたいから、こういう日本を創るべきで、そのためにはこういう政治をしなければならない、というようなビジョンだ。

この世界ビジョンを世界に示し世界に問うような希望の党であって欲しい。自民党もビジョンがないし、公約を民進党からパクるようではおしまいだ。

小池さんの原発を論争の課題にするのは面白いと思う。多くの支持者が動くだろう。

 

小池さんが現代の坂本龍馬になるかどうかは分からないが、かなりの機を読める人だ、しかもかなりのギャンブラーだ。

福島のデブリ取り出しが3年延びた。三年分でいくら費用が増えるのだろうか?そのお金は東京電力利用者が払うのか、それとも、国税から払われるのか明らかではありません。

もっというなら、現実に廃炉できるかどうかも不明です。

その前に使用済み核燃料の保存場所が無いということを明らかにすべきです。

原発のある敷地内に永久に保管するしかないでしょう。

つまり、原発がある敷地内が保管場所です。

原発を作ったところの敷地内に保管すれば、原発が作れるほど安全な土地ですから、責任をもって保管できる場所になると思います。

これなら、誰も責任を取らない原発に、だれが責任を取るべきか原発にOKした住人だったら責任とれるでしょうと、はっきりすると思います。

1000年も保管すれば、その原発も廃炉となり、日本国土の進入禁止地帯となって、徐々に広がっていくと思います。

核ゴミ保存場所は10万年放射能を出し続けますから、実質的に利用できない国土ががん細胞のように日本を侵食していくことになります。

だから10年くらいかけて、日本を原発から水素・自然エネルギー社会に変えていく構想を考えてほしい。

 

そういえば糸島での西部ガスの水素タウンへの実験や、九州大学での太陽光パネルの発電効率を3倍にする研究なんかはどうなっているのだろう?

 

ああまた僕は何を書いているのだろう。


「バリ島物語」を読んでまた「世界の平和の作り方その2」を考えてみた

2017年09月24日 12時52分43秒 | しまちゃん関係

この前「バリ島物語」という本を読みました。オランダがインドネシアの島を植民地化している時代の小説です。バリ島にはいくつかの王国があり、独特の宗教観と信仰と階級制がありました。ある日、バリ島のある海岸に中国人の所有するたくさんの荷を積んだ輸送船が嵐で座礁しました。その地域のバリの風習では浜に上がったものは浜の住人の所有物となるというものがあり、その中国人の荷物は銀貨や貨幣も含めて、近隣の貧しい住民が持ち去り、臭い毛皮等バリでは不要なモノだけが残った。荷を失った中国人が植民地を支配するオランダ政府に訴え、その地域を統治する王様から賠償金を払うよう訴えた。バリの住民の多くは貧しいのだが、彼らが浜の難破船でしたことは自分たちの風習に従ってやったことで、それが住民の文化であり当然のことでした。

しかし、中国人やオランダ人などのヨーロッパ人の法や商習慣からすれば、バリ島の浜の住民がしたことは犯罪であり、その住民がしたことにその地を統治する王様に補償を要求するのは当然のことでした。この風習や習慣や考え方や文化の違いが衝突を生んだのです。結局、オランダ人は大きな大砲を積んだ軍艦数隻でを浜を囲み、浜を使ったバリ住民の商活動を停止させました。この、あいさつや礼儀を失したオランダ人のやりかたに、誇りを傷つけられた王様は、賠償金が支払えるお金は持っているのに、賠償を断り、戦争がはじまりました。王様に従う家来や住民は槍やナイフで立ち向かい、一方オランダ軍は、軍船の大砲からの艦砲射撃と、銃を持った軍隊で攻めていきました。そしてほぼ1日でバリの1つの王国が滅んでしまい、多くの人が死んでいきました。だいたいそういうストーリーです。

オランダ人たち、バリを支配する者たちの価値観とバリの王様を中心としたバリ人の価値観の違いが多くの人の命を失うという戦争に突入させました。開戦のきっかけが王様の誇り、オランダ人の無礼が許せないというものでした。

人間の価値観が衝突を生むし、「誇りを傷つけられたまま生き恥をさらすより死を選ぶ」という生き方もあるということです。

 

僕は金正恩とトランプのことを知らないのですが、今までのニュースを観て、金正恩が父金正日の教育や生き方を教わっていて、それが金正恩の形成された価値観の全てだとしたら、トランプが父からの教えやビジネスの世界から富を勝ち取ることで獲得した弱肉強食の価値観でそれが彼の価値観の全てだとしたら、お互いが自分が一番だという価値観に染まっていて、お互いの価値観は理解し合えないだろうと今考え始めています。

 

世界を平和にする方法 その2

この「誇りを傷つけられたまま生き恥をさらすより死を選ぶ」という生き方はテロを行っている人々の価値観にも通じているように思います。

この考え方が利他に基づくものか、利己主義に基づくものか、いろいろ、その状況によって判断が分かれるものですが。守ろうとする行為が利他であっても、その守ろうとする組織にとって組織の利己主義に基づく命令であったりして、個人にその行為が世界から見て、ちゃんと自分で考えられることが大切です。

この軋轢を生む価値観の認識のずれや相違を失くしていくことが急務ですが、それは対立する者がお互い対話し、腹を割って話をしないと治らないことです。

しかし双方のリーダーたちが他者を理解できない人だとしたら、その人を教育している暇がありません。人間は価値観を形成していく(大人になる)のに何十年もかかります。

リーダーたちの意味のないプライドがぶつかるのは、「寛容力・理解力」そして、「人間の器の大きさ」「知恵力」そして、何をたいせつにすべきかという価値観が欠如しているせいで、それを形成するためには「ある教育」が必要です。

もっというなら、この国同士の軋轢の原因は国それぞれの国のしくみとか、世界の経済の仕組みとか、核兵器も含めた軍事力のしくみだけでなく、その国を形成しているリーダー以外の人間の価値観の教育も必要なのです。

それと、個人が言いたいことを考えて的確に伝える能力や社会的仕組みと、個人がちゃんと受け取る能力とそれを許す社会的仕組みが必要です。

 

ある教育

この軋轢を生んでいる仕組みを作ったのも人間で、ぶつかり合っている人は「他の世界を知らず、自分を信じられない人」です。

もっというなら、「成長しない人、学んで変化できない人、自分のことを自分で始末できない人、独立していない人、考えることなく組織や過去に盲従する人」です。

だからその逆の人を育てればいいのです。簡単に言うと、「学びながら誰とでも仲良くなれる人」です。学ぶためには、成長するには個人だけの努力では限界があるということです。

だから、自分を成長させ独立するためには他者の力が必要だと認識し、自然に誰からでも新しいノウハウや知恵を生み出すヒントをもらうことが大事だと思うのです。

その「誰とでも仲良くなれる人」になるために一番必要なことは、幼児の時からいろいろな人とよく遊ぶということです。

今の人たちは、特に先進国では遊ぶことが軽視され、大人のエゴでお受験や多くの習い事をして遊ぶ時間がなくて、大人たちより忙しい子供が多いです。その習い事が楽しめて、遊びでやれてればいいけど、親に怒鳴られながらやっているのだったら子どもにとっては不幸なことです。それより、自分が自分で選んだ遊びがやれることが大事です。そして、その子が何に興味を示し、どういうことをより多く楽しめるかを見極めるのが親や大人たちの役目です。

「世界のどこにいても、他者とコミュニケーションが取れ、自分を信じて成長していける人」にしていく教育が広がればいいと思っています。そのためには、こどものときから、自分がやる遊びを子ども自身に選択させることを習慣づけて、自分で行うことを自分で選びその結果に自分で責任を取ることを普通のことにすべきです。そうすれば、どうすれば自分を幸せにできるかを考え、おのずと、幸せにつながる結果を出すようになるはずです。さらに、もっと面白い遊びを創造できるようになります。そして、コミュ二ケーション能力が高まれば、自分だけでなく自分を含めたチームを幸せにする遊びを考えるようになり、大人になってそれが、自分を含めたグループの人たちを幸せにするグッドアイデアを考え出し、それを実行する人になっていくと思います。だから、幼児教育が大事です。そして、世界中の学校のどこでも学べて、どこでも単位が取れて、どこでも卒業できるようにすればいいです。日本は特に、幼児教育から、デンマークなどの北欧の教育を導入して、国民の幸福度が高い国にして欲しいです。

国の枠を超えて、世界の平和を創ることをビジョンとした価値を持つ人たちが繋がっていくことが大事だと思います。そうなったとき、何らかの役目が果たせるその人独自の能力の追求こそが、教育の目的となりそうです。

 

短絡的かもしれませんが、子供を一人でもまたは多くの人ともそしてあちこちで選択種を与えてよく遊ばせることが世界の平和につながるし、自分で退官し考える教育が大事ということと、世界の平和をつくる人間が育つのには何世代か長い時間がかかるということでした。

残念ながら、トランプ、金正恩の対立には間に合わないので、被害が最小となるにはどうしたらいいかを考えた方がいいように思います。しかも、最悪の有事に備えながら。

全世界の人間が考えれば、解決策は絶対あるはずです。

参考:僕の平和の作り方のその1http://blog.goo.ne.jp/itoitoisland/e/a9146ed50b21bc47def84c6d11cc4cd3

 


マイタウン伊都10月号より

2017年09月23日 00時17分44秒 | 糸島関係

今月のイベントのぺージより

体調を崩したのと、久留米の母の世話とで、糸島でのイベントに積極的に参加しようという意欲が無くなってきました。毎年行われている糸島のイベントが似ていることや、予想を裏切るほど毎年の進化を感じないことにも、飽きが来ていることも事実です。なにより自分の老化で、感性が鈍っているのも事実でしょう。

これから、できることが制限されることを実感しています。残された時間を何に使うかどう使うかを考えています。