しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

3/1 福岡市農山漁村地域活性化セミナー スタートアップカフェです。

2017年01月31日 11時11分30秒 | 今日の天気・夕日・散歩等

本日の西日本新聞より

農業で成功している人たちの講演会です。福岡市がやってます。

 

成功した人たちは気づく力と考える力と行動する力をいつも育てています。

次世代に繋げるためになんらかの努力が必要です。1日1%の努力です。九大の鵜飼先生の受け売りでした。僕も頑張ります。

 

今回が4回シリーズの4回目です。

僕は3回目に参加したのですが、講演の内容もよかったのですが、北崎未来を創る会の平兮さんと知り合うなど、人脈が数人増えたことが有益でした。

今年は去年より少し動こうと思っています。

1月も今日で終わりです。

うかうかしているとあっという間に来年になってしまいますよ。

若い農業者の皆さん、違う視点で農業をしている人の話を聴きに来てください。

時間がもったいないですよ。


「鳴き砂と漂着物」というイベントに行ってきました。

2017年01月30日 00時18分00秒 | 糸島関係

九州大学大学院工学研究院の清野先生のごあいさつと、今回のイベントの趣旨説明でスタートしました。

今回のイベントの趣旨は、きれいな海の自然に恵まれた糸島半島の海岸付近の環境を歩き回って調査した人々や専門家の情報を聴き、糸島半島の環境の問題点と活用の可能性を海辺からの視点から話し合おうというものでした。

 

次は日本で漂着物にとても詳しい漂着物学会の林重雄さんの、ビーチコーミング(ビーチコーミングとはビーチ=海岸、コーミング=櫛ですく という2語が合体してできた言葉で,海岸を櫛で削るようにじっくり見ていくこと)の講演でした。いろいろお話いただいたのですが、種子島に長崎や熊本のごみ多く漂着する話(あまり知られていない南下する海流があるそうです)と、アオイガイというオーム貝みたいなカイダコ(軟体部)が殻を着た貝の話がとても新鮮でした。アオイガイの殻の糸島半島への漂着は2013年4月4日に初めて確認されたようで4月から5月にかけて285個の漂着を確認しているとのこと。僕も、この春海岸を探してみようと思いました。

上のサイズで左右20cmくらいです。

林さんはアオイガイに魅せられた感じですが、自分なりの漂流物観察の楽しみを見つけてほしいとのことでした。漂流物学会に興味のある方は[漂流物学会]で検索してみてください。

 

次に、「姉子浜鳴き砂を守る会」の森田季久さんが、姉子浜の現状を報告してくれました。鳴き砂を実際にどんぶりに入れて持ってきてくれて小型のすりこぎ棒で砂を突くとグッとかキュッというくぐもった音が聞こえました。姉が浜の清掃活動を近隣の地域の方がいくつかの地域ごとにチームを作って月一で輪番制で行われているそうです。清掃の予算が年間4万円しかないので、ごみを出すにも十分な予算がないとのことでした。

また、地元の小学校や中学校の生徒さんが授業の一環として年に1回海岸清掃活動をしてくれているとのことでした。地元の人たちが教育の現場の人や子供たちも一緒になって地元の環境に関心が持てるよう流れを作っていることに地元愛をとても感じました。

 

次に「糸島植物友の会」の平野照美さんが「海岸の植物(砂浜)」という演題でまずハマボウの732本の群生が天然記念物に選ばれたことから始まりました。次にご自身が52年前の糸島高校2年の時に行った「幣(にぎ)の浜」の調査の話がありました。この調査は幣の浜を4つのブロックに分けてどんな植物が生えているかを調査するだけでなく、砂や土壌の塩分調査もされたそうです。その結果が糸島高校が発行する機関誌「糸校文琳第14号1965年」に記載されているそうです(一部をパワーポイントで見せていただきましたが字が小さいせいかとても細かく緻密なモノに見えました。)。

浜に近い砂浜にはいろいろな植物の種が漂着し芽を出すものがありますが、3か月たつと砂浜から消えてしまう種(グンバイヒルガオなど)があることを知りました。

また一貴山川河口周辺に現在も生えている植物をパワーポイントでたくさん紹介していただきました。ケカモノハシとか、ハナウツボとか知らないものばかりでした。松がなぜ砂浜に適しているか、砂浜に生えないハマビワとの対比で紹介してくれました。つまり、葉っぱに風で砂が当たっても傷が付きにくい松は大丈夫で、広葉樹であるハマビワは飛んでくる砂に傷つきやすく傷がつくと光合成が出来なくて枯れるからだそうです。

それから2000km以上旅をする蝶として知られる、アサギマダラが食草とするスナクチソウも幣の浜にはえていることも初めて知りました。

平野さんの最後のお話は福吉の一貴山川河口にレッドブックに絶滅危惧種の指定を受けたハマサシという希少種が冬場赤いじゅうたんのように群生しているのが観られるというものでした。

糸島には希少な植物ががまだ生きられる環境なんだと再認識させられました。

しかしこういうことを平野さんは50年以上もずっと興味をもって調べられていたのですね。

 

最後の講演は九大への留学生の耿舒圓さんの研究発表でした。

日本人もやっていない糸島半島にある海岸のごみの調査をされていました。耿(こう)さんは中国の南海島出身で海を通じて日本の関係が知りたかったとのこと。

耿さんは糸島半島の長浜、唐泊北、金山(大口)海岸、芥屋、福ノ浦、新町、深江、大入の8つ海岸を調査されていました。

どんなゴミがどんな量で漂着してるかを分類してデータ化されていました。博多湾側の長浜海岸と玄界灘側の芥屋海岸を比較されていました。たとばペットボトルが国産なのか外国の国別の分類など興味深かったです。こういう地道な調査が継続的に続けられるとすごい資料になりそうに感じました。

しかし、一番注目されたのはドローンで撮られた金山海岸の映像で、みなさんドローンの映像の威力に食いついていました。面白いですね。

 

最後にシンポジウム形式で、正面に並んだ講演者と参加者が質問やその解答、講演者の感想など最後まで熱心に話し合いが続きました。

漂流物学会の林さんが漂流物でアート作品を作る活動もされていて子どもたちの初心者には誰でもできるのでモビールが人気とおっしゃっていました。また。鳴き砂は冬場に大波に洗われることが大事とのことでした。

また福吉の方の話によると自分が子供のころ福吉小学校では春の遠足に姉子の浜に行っていたそうです。3kmの距離があるが、6年生が1年生の手をつないで行くのが恒例だったそうです。

糸島植物友の会の平野さんからは、近年、幣の浜の植物のデータベースづくりの中に、標本づくりを加え、小学校の生徒さんたちといっしょに行っているそうです。この標本づくりが写真を撮るより、DNAが残せるので資料としてこれからものすごく貴重になっていくのだそうです。

深江の地元の松原を保全されている方たちから年4回、福吉小学校の5・6年生が「松葉かき」という作業を手伝ってくれていることなどが紹介されました。深江地区では学校の土曜のカリキュラムの中に授業の一環として地域の環境整備が組み込まれているので、こういうことができるとのことでした。大人たちがよく考えて、よくカミュニケーションが取れるところは、子どもたちも含めて、地元愛を高めるこういう活動ができるのだと思いました。

 

会場(深江公民館)には珍しい漂着物の展示もありました。

 

少し、多くの情報や問題点が出すぎた感じもありましたが、今後横との連携をもっとした方がいいなあと思いました。また、地域の人だけが頑張るのではなく、もっと国や県、市の行政との連携も含めて、総合的に問題解決した方が、未来にいい環境の海岸が残せるように思いました。

また子供たちにこういう問題が起きていて、大人たちが熱心に考えて、取り組んでいることを伝えることが大事だと思いました。とくに、こういうイベントに中高生が誰も参加していないという糸島の現状も少し考えた方がいいと思います。たった一人もいないことを教育の現場の人やPTAの人は考えたほうがいいし、田舎から子供がみんな出て行って過疎化していることと10年後20年後、30年後の糸島のことを考えてほしいと思いました。

 

最後に大口海岸で夏の海水浴シーズンの多量のゴミが出るらしいのですが、グループでバーベキューをして、そのまま人間だけが神隠しにあっていなくなったような状態で、ごみを残していく人たちがいるとのことでした。こういうことをする残念な人が増えているのも事実なんでしょうが、みんなで浜を守る側の人を増やす活動が大事なんだと思います。

 

 

 

本当に最後です。平野さんの「糸島植物友の会」への入会申し込みや問い合わせはこちらです。だいたい毎月第4ン日曜日に観察会があり、事前に連絡先に集合時間と集合場所をお聞きください。参加費は確か400円で保険代です。歩きやすい恰好でお弁当と飲み物持参してください。お昼に、平野さんがコーヒーを飲ませてくれるかもしれません。

 参考:http://blog.goo.ne.jp/itoitoisland/e/2bd06c1269ebeb221b99d92e6d5773fa

 


いとしまサイエンスキャラバン 「既成概念を超えるデザイン~まちや社会もデザインできる~」という講演会に行く。

2017年01月29日 03時54分14秒 | 学習・教育関係

いとしまサイエンスキャラバン既成概念を超えるデザイン~まちや社会もデザインできる~」という講演会に行ってきました。会場は糸島市役所で、講師は九州大学芸術工学院准教授の鵜飼哲矢さんでした。サイエンスキャラバンへ久しぶりに参加しました。いとしまサイエンスキャラバンがまだ続いていることを知りませんでした。


鵜飼さんは東大建築学科のご出身であの超有名な丹下健三都市建築設計研究所での修業時代、多数の番頭クラスの先輩たちを差し置いて丹下先生にお台場のフジテレビ本社社屋を設計で認められるなど、僕でも知っている建築の設計をされた方です。
鵜飼さんの講演ではまず「デザインとは何?」ということから、始まりました。

鵜飼先生はまずデザインとは考える方法の一つです。と発言しておいて、高杉晋作の「面白きこともなき世を面白く」という言葉を引用して、

デザイン=「世の中を面白くする」表現行為

と定義されていました。
世の中を面白くするためには常識や固定観念にとらわれず、発想を広げることが大事と星の王子様の物語を引用して言葉を続けられました。

今回の東京オリンピックの新国立競技場のデザインの変更についても、鵜飼さんは最初のザハ・ハディット案を選んだ安藤忠雄氏と仕事をしたことがあり、その案を変更させた槇文彦氏の下でも仕事をしたことがあるそうで、未来に残す建築として、安藤さんの心境もわかるし、建築予算があの建築を建てるのに最初よりどんどん引きあがることが現実的でなかったこともわかるとのことでした。

建築は形が見えるために誤解されやすく、批判のシンボルになりやすい事や、レトリック(詭弁)に使われやすいとおっしゃっていました。

国家の価値や役割がお金に換算できないように、建築の価値もお金では換算できないものもあることを、丹下健三さんの広島の中の島の原爆平和記念公園の設計と原爆ドームとの関係で表現されていました。

丹下さんからは時代に合わせて、過去、現在、未来を見据えて発想を変えなければいけないということを教わったとのことです。
昨年オバマさんが献花をした平和公園のモニュメントから一直線に原爆ドームが見えるように設計されているそうです。この公園の設計コンペが行われているころ、この原爆ドームを壊して見えなくしてしまおうという運動が起きていたそうです。
しかもチェコ人ヤン・レツル設計の広島産業奨励館の残骸である原爆ドームはこの公園の敷地内にあらず、川の対岸に建っていたのです。それを丹下さんが平和公園と原爆ドームと一体化するような設計にして、原爆ドームは原爆投下の象徴として。過去・現在・未来の象徴となるよう設計されたとのことです。
これこそが、人々の心に届くお金に変えられない建築やデザインの価値ということだそうです。

丹下さんてすごい人ですよね。


この後、丹下流の教え方と安藤忠雄さんの教え方の違いを語っていただきました。

丹下さんの教えは抽象的で巫女的なんだそうです。
丹下さんの研究所に鵜飼さんが新人として勤めているころ、若手の研究員が建築の模型を作ることが日課だったそうです。
ある日、丹下先生が研究員の先輩に建築模型の変更を指示せられて、その先輩は丹下先生の指示通りに作り直して、翌日丹下先生に見せたら、とても怒られたそうです。
先生がおっしゃるには「昨日の私は今日の私ではありません。自分は昨日から今日にかけて1日分進歩したのに、あなたはなぜ進歩していないのですか?」と日々進歩することを促されたそうです。

また、鵜飼さんがあの有名な球体があるフジテレビ本社の設計をすることになった経緯を教えてくれました。
丹下健三都市建築設計研究所には多くの研究員がいて、新人や若手はベテランや先輩の研究員の建築模型を作らされるのだそうです。
このフジテレビ本社の設計案の研究所内での丹下先生の審査のコンペ用に先輩の建築模型を鵜飼さんもいくつも作っていたそうです。
鵜飼さんがあまりにも熱心に先輩の建築模型を作っているので、一案だけ鵜飼さんも提案できることになったそうです。
それからいろいろ考えて、先輩たちの建築模型の2倍の大きさの模型を作って目立つようにしたそうです。
研究所内のコンペ当日では、当然研究所の番頭クラスの先輩の作品が中央に置かれ、一番新米の鵜飼さんの模型は一番隅に並べられたそうです。
丹下先生がやって来て番頭クラスの研究員がプレゼンの司会をしてプレゼンは始まったそうです。
最後に鵜飼さんの模型を見て、丹下先生が何かおっしゃったそうですが、司会の先輩はあまりそれを重要視しないで、プレゼンの審査をそのまま勧めようとしたとき、再度丹下先生が鵜飼さんの作品を注視して、鵜飼さんのの案に決まったそうです。
鵜飼さんの案は他の先輩たちの案に比べて一番ぶっ飛んだデザインだったそうです。
その後は先輩が鵜飼さんの設計にいろいろちゃちを入れてきたそうですが、設計の精度を上げていく作業をしていく中、より大きな模型を作ってその良さを見せられるようにしていったそうです。
鵜飼さん設計の現在はもう建ってしまっていますが、当時フジテレビ本社ビルの建築予定地がお台場という埋立地というところで、背景が海と空しかないことに着目し、建物に近づけば近づくほど空や海の中にあるように感じる建物にしたかったそうです。そこで建物の隙間から空や海が見えるようにしたそうです。
今聞けばなるほどと思えますし、今では一目でフジテレビと分かるデザインになっています。


さてもう一人の建築の巨匠、安藤忠雄さんの教え方は具体的でおばちゃん的なんだそうです。鵜飼さんが学生に向けての授業を安藤さんに依頼した時、安藤さんがある建物の設計を学生たちに宿題に出したとき、提出された宿題を前にして安藤さんはある学生に、「君は鉛筆は何を使うとるん?」と質問をすると、学生が「2Hです。」と答えたそうです。すると安藤さんは「鉛筆はBやで。」と一言言って帰って行かれたそうです。
安藤先生の教えの真意は「自信をもってズバッと描くことから建築は始まる。」ということを伝えたかったのだと思います。
またある時は「建築家は親を大切にせなあかん。」と学生に安藤さんは切り出したそうです。親を大切にすることが人間を大切にすることの基本であり、建築は人間を大切にするものであるから、建築家は親を大切にせなあかん。ということになるわけです。

このように、丹下健三先生は社会や世界の高い所から人間を観る視点で建築を考えられているが、安藤忠雄先生は人間が中心となる視点から社会や世界を観る視点で建築を考えられていると鵜飼さんは思っているそうです。

講演後の質問コーナーで「鵜飼さんはどの視点なんですか?」という質問に鵜飼さんは「私は下からの視点から社会や全体を観たい。」とおっしゃっていました。

 

さて、鵜飼さんは巨匠二人の教えを酌んで建築家は日々の努力が大切なことを「1%の法則」「数学的帰納法」で説明されました。

「1%の法則とは「y=1.01n乗」という数式で表される通り、1%ずつ毎日成長することを表しています。

1日目   1.01
10日目   1.1
30日目   1.3
100日目  2.7  100日(3か月)で2.7倍ですよ!
1年後    37        1年で37倍です

1日(前の日より)1%頑張ればいい。そしてこれを続けることが肝心だ。
逆に1日1%サボるとうまくいかなくなる。ということです。

 

次に「数学的帰納法」の説明は

「まずはやらない」→「翌日もやらない」→「永遠にやらない」となる。

「まず、今日少しやること(今変わること)が大事だ。」ということでした。

 

 

建築で鵜飼さんはご自分が手がけた「もっくる新城」のことや、障がい者のかたのアート作品を段ボール製品に入れ込み日本中で運ばれる「だんだんボックス」というプロジェクト、九大生が行っている熊本地震で観光客が訪れなくなった地域のお土産などの物産を仕入れて、他所で販売するという「やるばい九州」というプロジェクトにも関わっておられます。

さらに、学生たちには、何度も失敗して、失敗を恐れず前に進む「吉田松陰の教え」と負けない戦い方を記した「孫氏の兵法」を読むことを勧めていることや、「なみだは世界で一番小さな海です。」というような寺山修司の詩を読むことなど、建築以外に心を作ることの大切さを教えていらっしゃるそうです。
そういう中で、学生の中から起業して、まちをかえようという若者が出現し始めていることが何より嬉しいとのことでした。

 


以上が大体の講演のながれでしたが、この後鵜飼先生への質問コーナーがありました。
その中で質問内容が聞き取れなかったのですが、鵜飼先生のモノの考え方で「こうでなければいけないという固定観念を持たない。ものごとに優先順位や序列や優劣をつけないようにしている。」とおっしゃっていたことがとても印象に残りました。
おそらく、先生の建築に対する姿勢とか、学生さんたちに接する時の姿勢についての質問なんだと思いますが、心の柔らかく優しい方だなあと感じました。

 

やっぱ一流の人は違うなあと改めて感じました。難しい言葉を使われることなく、聴く人を楽しませながら、伝えたいことをちゃんと伝えていただいたと思います。それに、だれに対しても偉そうにせず、同じように真摯で丁寧な態度で応対をされる姿勢に感動しました。

 

いつものことですが、今回のサイエンスキャラバンも小学生が2人、中学か高校生が一人と、若い人の参加が少ないのがとても残念でした。おそらく、中高生で、自分も建築家になりたいとか、九大に行って、鵜飼先生のいらっしゃる大学院まで行ってみたいと思う子が出てくるように思います。本当にもったいないことだと、つくずく思います。若い時にこそ、本物を見せて感動させてあげてほしいものです。

それが夢の始まりになることもあるのですから。


北崎未来を創る会の平兮さんの昭和バス西の浦線に対するアイデアのこと

2017年01月28日 11時04分33秒 | ニュース・テレビ関係

27日の西日本新聞より

平兮さん関係のことがここのところ西日本新聞でよくとりあげられていますが、最近の僕のブログでもよく紹介させていただいています。

今回は平兮さんが昭和バスの西の浦線の終点西浦を2.5km伸ばして二見が浦までにしようというアイデアを昭和自動車に申請しているというものでした。

糸島観光が発展しない要因に、糸島観光(というより福岡の多くの場所の観光も)まわるのはドライブと相場が決まっていて、自動車が無い人は行けないことになっています。糸島は行きたいところが分散していて、公交通(バスでは本数が少なくて)では自由に自分の時間で回れないというのが大きな課題のひとつです。

平兮さんの上記のアイデアは糸島の一大観光地の二見が浦に、バスで行けることになるので、有名になりつつある糸島の観光事業に、一つの流れができるのではないかと思います。

この公交通問題と、公衆トイレを増設すると(車椅子でも入れるタイプも含めて)もっと多くの人が来てくれると思います。トイレがあれば、そこはウォーキングコースになりえます。

バスでとちゅうまでいって、適度に歩いていろいろ見て回れるコースを作るのがいいと思います。もっと糸島の歴史や自然の気持ちいい場所をアピールすべきです。

食べ物やお土産で釣る観光が多すぎてうんざりです。体験型や自分で何かを発見できるのがいいんです。


先日ご紹介した北崎未来を創る会の平兮(ひらな)さんが関わっているプロジェクトのことが新聞記事に

2017年01月25日 14時22分16秒 | ニュース・テレビ関係

21日の西日本新聞より

北崎未来を創る会の平兮さんと初めて僕がお会いしたスタートアップカフェで開催された福岡市の農漁山村再生セミナーで、「あじやエンタープライズ」の倉園幸治社長ともお会いしました。

マイクを持って話をされているのが平兮さんで、その前でネクタイを締めて手を組んでいらっしゃるのが倉園さんです。2016.12.21

1日1万2,000食のお弁当を作っていることや、平兮さんと組んで、形が規格外のため鮮度と味は抜群なのに農家さんが出荷をあきらめていた北崎の大根をはじめとする野菜を仕入れて、美味しいお弁当を作っているとのことでした。お客さんの反応も上々だそうです。平兮さんが、地元のお寺の副住職という地元愛の情熱をもって一軒一軒農家さんを訪ねて行って、自分が買い取ることで、少しずつ量が集まるようになってきたそうです。このプロジェクトもまだ1年たっていないそうですが、新たに、某コンビニがぶり大根の販売を企画中で、大根を切って加工する業者を探している情報を得た平兮さんがコンビニの担当の方と野菜加工場を持っている倉園さんとを出会わせて、本決まりになったようです。これから、ぶり大根がコンビニに出ているのを見たら、ああ、平兮さんと倉園さんのプロジェクトの作品なんだなあと思ってください。平兮さんは動くと本当に速いです。お坊さんをしながら、地元の農家さんや漁師さんを応援する活動を情熱をもって行動で結果を出そうとトライしている人だと思います。これからも注目の地元再生プロデューサーさんです。

ぶり大根も買ってください!!


29日二丈深江公民館で「鳴き砂と漂流物」の講演会が

2017年01月25日 13時15分23秒 | ニュース・テレビ関係

1/21西日本新聞より

今日が申し込みの締め切りみたいです。

糸島半島は中心部が江戸時代の干拓でできた農地が多い地域で、水不足が大変な問題だったと思われます。

糸島のあちこちに、池が作られ、現代では河川にダムや堰が多く作られています。、今津湾の上流は瑞梅寺川で、この川もダムが作られ、途中に流れを緩めるための席があります。その責の川下側に砂が大量に積もっています。堰がなければ、今津湾の岸辺に流れ着くはずなのですが砂が上流から流れてこないので砂浜がやせていっています。今津湾脇の今宿側の長垂海岸も砂が足りなくて、毎年6月に、どこからかトラックで砂が運ばれ、海岸にまかれています。それは博多湾の福岡ドーム近くの地行浜とかも同じことで、ものすごく大きなトラックで砂が毎年運ばれています。

さて、鳴き砂と糸島の自然環境との関係が教えていただけるのではないかと思います。

なんか面白そうです。