しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

1/23 いとしまサイエンスキャラバン 26 交流会

2009年01月30日 01時42分52秒 | 学習・教育関係
山口先生はなんか、直接未来を創っている感じのお仕事だと思います。

さしずめ、若い御茶ノ水博士とでも呼んでおきましょうか。

最初にこの日のブログに書いたけど、本物の科学者がここにいて、直接話ができるのに、小学生も、中学生も、高校生もひとりも居ないのが、残念だ。
僕が、中学生で、今日この会場に居たら人生変わったかもしれないと、マジに思った。

本物の科学者と直接会って話しすることが、人生教育にどんだけ感動や刺激になることか・・・。
その価値を考えると、ほんとにもったいないと思う。

それとも、小学生や、中高生では、この会場に来たくても、時間的にバスもないから、または帰る手段が無いから、来られないのだろうか。

この価値のわかる教育者やPTAがひとりでも増えたらいいなあと心から思う。
糸島から、九大に行って、若狭晃一さんみたいな、宇宙パイロットを目指すような夢のある奴がでてきたら、面白いと思う。


次のサイエンスキャラバンは、
2月20日、二丈町役場で開催予定。
「農産物を作ることから食べることまで」みたいなタイトルでした。

下山先生、山口先生、スタッフの皆様、ありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。

1/23 いとしまサイエンスキャラバン 24 交流会

2009年01月30日 01時31分12秒 | 今日の天気・夕日・散歩等
講義が終わって、交流会があった。志摩町役場の人たちの心づくしのお料理をいただきながら(トン汁がうまかった。)、歓談した。

自分が人見知りなので、結局、下山先生と、山口先生くらいしか話せなかった。

下山先生は日本だけでなく、中国揚子江流域の調査研究もされていて、日本と同じ時代の地層とかがあるのを確認されたされたそうです。何百万年前の地球を調べるなんて、どんな気分なんでしょうね。


1/23 いとしまサイエンスキャラバン 23 

2009年01月30日 00時55分23秒 | 今日の天気・夕日・散歩等
これが魚型ロボットだ。これよりもっと素早くぱっと方向転換したり、ぱっと急発進する動きの研究が進んでいるそうだ。


何の根拠もありませんが、のちのち、糸島のアオリイカの産卵礁の研究調査を九大の海洋ロボットでしてみようかという計画がもうすぐ立ち上がるだろうといわれているそうです。

糸島の漁師さんと海底調査のコラボができたら、本当に素晴らしいと思う。

1/23 いとしまサイエンスキャラバン 21 糸島地震

2009年01月30日 00時41分17秒 | 学習・教育関係
そのときの地震の特徴が、糸島低地帯のところが地盤がやわらかく、写真の水色のところが、最も揺れが大きい地盤で、赤線内がよく揺れていた所だ。

ちなみに断層がこの地震では剥き出しになって出てきた所がなかったらしい。
今後予測することができないタイプの地震だったとの事。だから、いつ、また地震が起こってもおかしくないので、準備というか、地震が来たらどうするか段取りを決めておいた方がよいでしょうとのことでした。

1/23 いとしまサイエンスキャラバン 17

2009年01月29日 23時51分13秒 | 学習・教育関係
海洋ロボットは世界中で開発中で、判りにくいかもしれないが、右下やつが、ずっと沈んでいた、タイタニック号を発見したのが、このロボットらしい。
真中のが東大のロボットで、親子タイプで、小型の調査ロボットが本体から離れケーブルで操作されるとのこと。
右下のは、どこの所属か分かりませんが、深海調査用のロボットだ。

1/23 いとしまサイエンスキャラバン 14

2009年01月29日 23時33分34秒 | 学習・教育関係
先生は海洋環境を観察するというよりは、そういう観察研究するひとのための観測機能を持ったロボットを開発するエンジニアだ。

海は船酔いがあって、海洋観測の一つの意外な-ポイントになっている。
先生の研究は、人が海に調査に出て行かなくても、ロボットが変わりにデータを集めてきてくれるシステムを開発しているのだそうだ。その中心が探査用ロボットだ。

1/23 いとしまサイエンスキャラバン 12糸島水道はあったのか

2009年01月29日 22時58分25秒 | 学習・教育関係
糸島水道はあったのか 2

下山先生の結論ですと、「糸島水道というようなつながった海は存在しなかった」ということである。

どうボーリングして調査しても、海であった層が見つからなかったとのこと。
その調査で出来たのが右の縄文海進最大海域図だ。
左は慶長年間絵図で、志摩が半島でつながっていたのがわかる。
並べてみるとなんとなくでこぼこが一致している。

しかし、たしかに志摩地区と陸でつながっていたかもしれないが、
運搬や漁をする船が通れるくらいの水路はあってもおかしくないと思った。