糸島半島に弥生時代にあった伊都国で卑弥呼が生まれたのではという説がNHKではっきり打ち出されました。卑弥呼は伊都国で生まれ権力を持つにつれ、諸国をまとめる邪馬台国の代表になっていきました。権力が大きくなるに従い、より支配しやすい近畿に遷都して纏向遺跡のあった所で権力を振るい、没後、生まれた地の糸島に遺体は戻され埋葬されたのではないか。というのが、今回の放送の流れでした。たぶんアーカイブで見ることができると思いますので、糸島や伊都国に関心がある方はご覧になることをおすすめします。
魏志倭人伝に書かれた伊都国の記述によると、伊都国は周りから畏れられるほどの権力舎が存在していたようです。
2世紀の伊都国の遺跡と3世紀のヤマトの纏向遺跡の間に共通項があるととのことです。そのひとつが土地の多くの住居は竪穴式住居ですが、おそらく身分の高い人用か祭事用の高床式の住居かいくつかあったこと。もうひとつは土砂が崩れるのを防ぐための刀状の板が多数発見ことがあげられていました。
番組の案内役に鶴田真由さんです。この人はネイティブな文化が好きみたいです。
伊都歴史博物館の遺物が東海、吉備、出雲などから来たものなど遠方のが多く、伊都国に明らかに強い権力を持っている人物がいたことを表しているようです。さらに糸島の古墳から碧玉、水晶、めのう、ひすいなど山陰を原産地とする装飾品も多数発見されています。
1965年当時、平原王墓を発掘した柳田さんがその発掘当時のことを話されていて、亡くなった王は丸太をくりぬいた棺に遺体を収めて埋葬されていたようです。後から出てきますが、この棺が置かれていた部分のレプリカが、伊都歴史博物館に、発掘当時のままを原寸で再現されています。
しかも、当時日本では唯一のピアスの遺物が発見され、これは中国では女性だけがしていた装飾品らしいのです。ということで、埋葬された王は女王であったことが推察できるのです。
次に鏡が大量に出てきました。こんなに大量に出てくるのは珍しいらしいです。鏡はあとでとても大きな役割をはたしていることが説明されます。しかも、さきほどの、王墓の最も近くの鏡は割られていました。
この女王は卑弥呼の母親か姉など、血筋が濃くて年上であると説明されていました。あとでこの王権の血脈と呪術師としての能力の継承と鏡の関係を説明されることに。
丸太の棺と鏡の埋葬品による埋葬が突然ヤマト(奈良)に現れたことで、伊都国の文化がヤマトに現れたことになります。これが邪馬台国の北部九州からヤマトへの遷都説の理由になっていました。
邪馬台国九州説学者の代表とも言うべき高島先生も出てきて、卑弥呼が九州に葬られたことを肯定されていました。遷都については何にも語られていませんでした。それに、平原遺跡から発見された世界最大級の銅鏡(糸島市の市章にもなっている)が制作された時期と卑弥呼の誕生時期を比較すると鏡が50年位前に作られで王墓の制作時期と同じらしい。
伊都歴史博物館の王墓遺跡のレプリカを観てみると柱の穴に囲まれています。つまり、土を盛る以前には建物がありなんらかの儀式が行なわれていたのではという推察が行なわれていました。
同じような古墳に柱跡や柱が出てきた遺跡がヤマト(奈良)地方でも発見されていました。
中国の銅鏡に掘られた絵に鏡をもった偉い女性と従者らしき女官がいる賑やかな絵がありまして、その様子を、伊都歴史博物館の王墓レプリカの映像に3Dアニメーションの絵を重ねて見せてくれました。卑弥呼の場合女官というよりは、従者の巫女たちが鏡を持って亡くなった女王のお棺と新女王が平行に寝ているところを囲んで座っている図になっていました。
そこにあの糸島のシンボルともいうべき直径45センチ、8kgの大鏡の登場です。
まず、王墓のうえで、大鏡をこういうふうに使ったのでは、そして、のちに埋蔵品となったことを絵にして見せてくれました。そして、お墓になる前にあった建物の中の様子を次に見せてくれました。これは、なんか古墳のイメージが一転する説明でした。
まだお墓にする前の建物の中には、お棺に入った亡くなった女王と新しい女王が中心に平行に横たわり、女王たちの頭側に大鏡、足側に窓があり、こちらが東に向いています。そして、女王の左右に巫女さんたちが鏡を持って何かを呪術式祈りをしながら、夜明けを待ちます。やがて、夜明けがやってきて、東の太陽の光が室内に入ってきます。太陽の光があの大鏡に当たり反射光が二人の女王に当たります。しかも巫女たの持った鏡がさらに光を拡散させるか集中させるかに使われ、光の中で、旧女王から新女王に呪術の能力が継承されていったという説です。つまり、糸島で卑弥呼は女王の母か姉から新女王としての権力と呪術の能力を身に付け継承される儀式が行なわれたいうことらしいです。この実写の画像で見るとものすごく面白いです。
新女王誕生後巫女たちが持った鏡は割られ儀式は終わるようです。新女王に移った呪術能力が戻らせないためとか、移った力が放出して消えないという意味合いがあるのかもしれないと思いました。
ということで、伊都国では強い太陽信仰があったようです。弥生時代になり、稲作が行なわれるようになって、太陽が農業に与える影響を人間が強く意識したのではないでしょうか。
さて、太陽の光の道東西を意識した高床式の建物が纏向遺跡にも見られます。
最後に平原遺跡で発見された大鏡の文様について、中央の文様の8個の光と八個の葉っぱの文様の鏡が伊勢神宮にあるらしい記録が登場しました。つまり、邪馬台国と天皇または神道が関連付けられたということでしょうか。
この放送によって、糸島半島にあった伊都国の文化が視覚化されると、とても理解しやすくなります。おりしも伊都歴史博物館では「糸島の古代」の真っ最中です。地元民として伊都国の歴史をちゃんと子どもさんやお孫さんに見せてあげてはいかがでしょう。
6/22までです。それにしても、この前の日曜のさいとぴあのシンポジウム観たかったなあ。
糸島に住むあなたの足元に日本の起源を探る遺物が落ちていたり、埋まっているかもしれません。車にばっかり乗ってないで、歩いてみてください。また、発掘された遺跡のほとんどは、後日、土を盛られて家が建ったりして、今後誰も観ることができない風景があります。出来れば近所で古墳や遺跡の発掘発表会などが開かれていたら、ぜひ観にいってください。特にお子さんや小中高生に見せてあげてください。その遺跡を観た人が生き証人です。おじいさんやおばあさんが観ても、後世にその様子を語り継げる時間はわずかです。できれば、地元の様子を語れる若い語り部を育ててください。
考古学とかの研究者は、えてして自分の説にこりかたまり、他の人にその知識や歴史や考古学の面白さを面白く伝える能力のある人にはなかなか育ちません。だから大事な知識や資料はその人が死ぬと、その価値が分からない人に相続され、散逸し、消滅し、次世代に引き継がれにくいものです。以前書きましたが僕が住んでいる今宿にも2万年前の石器が発見されています。それだけ、昔から人がこの地に生きてこれた場所であることの証拠であり、いかに人が住みやすい土地かわかります。大人たちは見過ごしていて、無関心ですが、糸島は捜せば世界に誇れる文化のある土地であることを、地元の子どもたちにもっともっと知って欲しいのです。