しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

フランスに負けた久留米

2011年03月02日 18時24分02秒 | しまちゃん関係

今フランス、パリでは「忍者靴」と称して、地下足袋が人気だそうだ。

ああ~やられちゃった。

僕の実家は久留米だ。久留米市は新しく浮羽地区が合併し果樹園などの観光資産が加わったり、九州新幹線の開通などで少し浮き足立っているが、久留米は地下足袋の発祥の地です。地下足袋はやがてズックとなり、さらにスニーカーへと発展していった。いわば久留米はスニーカーの聖地なのだ。

去年CBのセミナーの後、久留米大学経済学部の準教授方に久留米再生プロジェクト案を送った。送って1年経ったが何の連絡がない。

 

僕の久留米再生プロジェクト案の趣旨はオリジナルのスニーカーを作れる職人を育てる学校を久留米市内に作り、世界からオリジナルスニーカーのデザインと制作の受注を受ける店か会社をいくつか作り、1つの地区中に収める。ひとつの案としては井筒屋後のビルとそのブロックがいいのでは。そのブロックの中にスニーカーファッションの店や小物の店をいくつか作る。その隣にワークブーツやシューズのオリジナルを作る地区{ブロック}を設ける。ここで地下足袋も顧客がデザイナーと話し合ってデザインからオリジナル製品が作れるようにするのだ。例えばとび職の人が、安全でいつも働く場所にあった機能をもったその顧客のニーズに最も応える地下足袋を製品化するのだ。ガテン系から医療関係、あらゆる労働にそれぞれ向いたオリジナルの靴を作るのだ。そして同じブロックにワークファッションの店を作るのだ。そして同じブロックにホームセンターみたいに労働に使う道具や機械の販売店を設ける。しかも個人個人に合う道具を相談に応じて作れるようにする。そうすれば、ワーカーのニーズや対応策のノウハウが蓄積される。

さらに久留米医大に歩くこと靴の研究、労働することと靴の研究室を作って上記の施設と共同研究をするのだ。その研究結果をもとに最高の靴をつくるのだ。

そして、スニーカーの世界デザインコンテストや、スニーカーファッションのデザインコンテスト、ワークブーツのデザインの世界コンテストやガテン系や農業系、漁業系、サービス系など、職業の業種ごとにワークファッションの世界大会を開くのだ。

そして、久留米市を世界のスニーカーファッション、ワーカーファッションの発信地、聖地としていくというものだ。

そうすれば自分に最適な靴やファッションや道具を求めて世界中から人がやってくるだろう。

以上

他にも久留米再生プロジェクト案を伝えてあるが実行されなければ何にもならない。

誤解しないで欲しいが、僕は僕なりに久留米を愛していることを付記しておく。

かっこいいスニーカーや、地下足袋、長靴を作るまちに久留米がなることが久留米の再生の一つの方法だと思う。

地下足袋が忍者靴として、世界に広がる前に、久留米の製靴会社が目覚めるか、

久留米の若者で、「俺がやる!」という人が出てくることを祈る。


DVD「マグナムフォト」を観る

2011年03月02日 17時15分13秒 | その他情報

マグナムは1947年に写真家ジョージ・ロジャー、デビッド・シーモア、アンリ・カルティエ=ブレッソンそしてロバート・キャパの4人の発案で出来た写真家と写真エージェントの協同組合だ。古いカメラマンやデザイナーならみんな知ってる写真家集団だ。それまでは写真家は個人で雑誌社や新聞社と契約して写真を撮ってそれを買ってもらうようなやり方で、どちらかというと雑誌社や新聞社のほうが力関係で強くて、安くコキ使われていた。しかも、写真の著作権も作家である写真家ではなく雑誌社たちが抑えていた。それを、マグナムは写真家がテーマを決めて狙った写真をじっくり撮って、クオリティの高い写真になったものを、雑誌社や新聞社に売り込み、しかも、著作権は写真家に属するようになった。

何より素晴らしいのはとにかく写真の質が圧倒的に素晴らしいのだ。昔の作品の多くは報道写真が多かった。モノクロ写真がほとんどで、戦争や災害、時の人や事件の取材など、歴史のイメージを世界の人に伝え心に刻ませるような写真が多かった。

マグナムは正会員が入会したい若いカメラマンの作品写真を観て投票し、過半数を取ると準会員になり、人となりをみて5年から10年後に正会員になるのだ。この準会員時代に脱会するものも多いとのこと。写真の質を常に問われ、人間としても威厳のある存在を求められるのだ。

社会問題があまりにも多様化する現在写真も多様化している。しかし、写真家になろうとする人はマグナムが生み出した作品群を前にして、一度は度肝を抜かれ、はるかに高く堅固な絶壁を前にするようなとまどいを感じるのではないだろうか。この人たちの写真は超えられないという思いにとらわれるのではないだろうか。

マグナムはたしかに偉大な巨人だか、写真は確実に新しくなっている。

しかし、機械の発達で誰でもきれいな写真が撮る頃ができるし、自宅でプリントも出来る。

あとは今の人間がマグナムの写真家の人間力より進歩しているかどうかである。