サムエル記上 10:1
『その時サムエルは油のびんを取って、サウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った、「主はあなたに油を注いで、その民イスラエルの君とされたではありませんか。あなたは主の民を治め、周囲の敵の手から彼らを救わなければならない。主があなたに油を注いで、その嗣業の君とされたことの、しるしは次のとおりです。」』
翌朝、サウルと二人きりになったサムエルは、聖なる油をサウルの頭に注ぎ、主がサウルをイスラエルの王として任命されたこと、そして王として行わなけらばならないことを告げました。その証拠として、サムエルは今日サウルの身に起こる3つのしるしを語ります。
私たちもまた、もし神様から突然み告げを受けたならば、きっと驚いてすぐには受け入れられないかと思いますが、主は私たちが確信を得られるようにしてくださいます。主が御言葉を通して私たちに語られるときも、確信が得られたならば疑うことなく受け入れ、主に従う素直な心を持つ者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.10.1.ja1955
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サムエル記上 10:5-7
「その後、あなたは神のギベアへ行く。そこはペリシテびとの守備兵のいる所である。あなたはその所へ行って、町にはいる時、立琴、手鼓、笛、琴を執る人々を先に行かせて、預言しながら高き所から降りてくる一群の預言者に会うでしょう。 その時、主の霊があなたの上にもはげしく下って、あなたは彼らと一緒に預言し、変って新しい人となるでしょう。 これらのしるしが、あなたの身に起ったならば、あなたは手当りしだいになんでもしなさい。神があなたと一緒におられるからです。」
主に選ばれた者であっても、主のために働きを行うには、主の霊をいただいて、新しい人に生まれ変わらなければなりません。それは一義的には洗礼であり、また洗礼を受けた後も日々主の賜る御霊で心が満たされ続けなければなりません。主はそのような者と共にいてくださり、その手の業を祝福して御心を行わせてくださいます。私たちは心を吟味して、古い自分の心ではなく新しい主の心が与えられているか、主の御業を行うに相応しい者とされているか、自ら点検することが必要です。
http://bible.com/81/1sa.10.5-7.ja1955
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サムエル記上 10:9-10
「サウルが背をかえしてサムエルを離れたとき、神は彼に新しい心を与えられた。これらのしるしは皆その日に起った。 彼らはギベアにきた時、預言者の一群に出会った。そして神の霊が、はげしくサウルの上に下り、彼は彼らのうちにいて預言した。」
サムエルと別れたサウルは、その日のうちに預言された通りの出来事がその身に起こり、新しい心が与えられ、神の霊に満たされて預言者たちと共に預言を語り始めました。新しい心、主の霊が注がれた者は、神の言葉を語ります。私たちもまた常に心を新たにしていただき、主の霊に満たされて、神様を賛美し、御心を語る者とならせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.10.9-10.ja1955
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サムエル記上 10:11-13
『もとからサウルを知っていた人々はみな、サウルが預言者たちと共に預言するのを見て互に言った、「キシの子に何事が起ったのか。サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」。 その所のひとりの者が答えた、「彼らの父はだれなのか」。それで「サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」というのが、ことわざとなった。 サウルは預言することを終えて、高き所へ行った。』
主の霊が下り預言するサウルを見て、昔からサウルを知っていた人々は、新しい人となったサウルよりも、古いサウルを見ようとしました。目の前で起こっていることよりも、過去の姿に目を奪われ心が捕らわれているならば、神様の御業を見ることができません。私たちは常に神様のなさる素晴らしい御業に目を留める者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.10.11-13.ja1955
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サムエル記上 10:17-21
『さて、サムエルは民をミヅパで主の前に集め、 イスラエルの人々に言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはイスラエルをエジプトから導き出し、あなたがたをエジプトびとの手、およびすべてあなたがたをしえたげる王国の手から救い出した』。 しかしあなたがたは、きょう、あなたがたをその悩みと苦しみの中から救われるあなたがたの神を捨て、その上、『いいえ、われわれの上に王を立てよ』と言う。それゆえ今、あなたがたは、部族にしたがい、また氏族にしたがって、主の前に出なさい」。 こうしてサムエルがイスラエルのすべての部族を呼び寄せた時、ベニヤミンの部族が、くじに当った。 またベニヤミンの部族をその氏族にしたがって呼び寄せた時、マテリの氏族が、くじに当り、マテリの氏族を人ごとに呼び寄せた時、キシの子サウルが、くじに当った。しかし人々が彼を捜した時、見つからなかった。』
サムエルは主がサウルをイスラエルの王として選ばれたことを公にするために、律法のならわしに基づき、くじによって主の御心を現しました。私たちの取るべき行動は、御心に適う方法や手順に従って進めなければなりません。
http://bible.com/81/1sa.10.17-21.ja1955
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サムエル記上 10:24-25
『サムエルはすべての民に言った、「主が選ばれた人をごらんなさい。民のうちに彼のような人はないではありませんか」。民はみな「王万歳」と叫んだ。 その時サムエルは王国のならわしを民に語り、それを書にしるして、主の前におさめた。こうしてサムエルはすべての民をそれぞれ家に帰らせた。』
サムエルは全イスラエルの会衆の前でサウルを王として立て、王のならわしを民に語り聞かせ、書物に残して神の前に納めました。こうしてサウルの王制は、神と人との前に受け入れられました。私たちもまた神と人との前に公然と受け入れられるものであるように心掛けたいと思います。
http://bible.com/81/1sa.10.24-25.ja1955
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サムエル記上 10:26-27
『サウルもまたギベアにある彼の家に帰った。そして神にその心を動かされた勇士たちも彼と共に行った。 しかし、よこしまな人々は「この男がどうしてわれわれを救うことができよう」と言って、彼を軽んじ、贈り物をしなかった。しかしサウルは黙っていた。』
神様がサウルをイスラエルの王とされたことに心動かされた者は、直ちにサウルと行動を共にし、王に付き従いました。しかし一方、サウルが王とされたことに不満を抱く者もありましたが、サウルは黙って自ら手を下すことはしませんでした。私たちにも、賛成者もいれば反対者も出てきます。そのとき私たちが取るべき態度は、権威や力で反対者をねじ伏せるようなことではなく、サウルのように主の御手に委ねることです。
http://bible.com/81/1sa.10.26-27.ja1955
『その時サムエルは油のびんを取って、サウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った、「主はあなたに油を注いで、その民イスラエルの君とされたではありませんか。あなたは主の民を治め、周囲の敵の手から彼らを救わなければならない。主があなたに油を注いで、その嗣業の君とされたことの、しるしは次のとおりです。」』
翌朝、サウルと二人きりになったサムエルは、聖なる油をサウルの頭に注ぎ、主がサウルをイスラエルの王として任命されたこと、そして王として行わなけらばならないことを告げました。その証拠として、サムエルは今日サウルの身に起こる3つのしるしを語ります。
私たちもまた、もし神様から突然み告げを受けたならば、きっと驚いてすぐには受け入れられないかと思いますが、主は私たちが確信を得られるようにしてくださいます。主が御言葉を通して私たちに語られるときも、確信が得られたならば疑うことなく受け入れ、主に従う素直な心を持つ者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.10.1.ja1955
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サムエル記上 10:5-7
「その後、あなたは神のギベアへ行く。そこはペリシテびとの守備兵のいる所である。あなたはその所へ行って、町にはいる時、立琴、手鼓、笛、琴を執る人々を先に行かせて、預言しながら高き所から降りてくる一群の預言者に会うでしょう。 その時、主の霊があなたの上にもはげしく下って、あなたは彼らと一緒に預言し、変って新しい人となるでしょう。 これらのしるしが、あなたの身に起ったならば、あなたは手当りしだいになんでもしなさい。神があなたと一緒におられるからです。」
主に選ばれた者であっても、主のために働きを行うには、主の霊をいただいて、新しい人に生まれ変わらなければなりません。それは一義的には洗礼であり、また洗礼を受けた後も日々主の賜る御霊で心が満たされ続けなければなりません。主はそのような者と共にいてくださり、その手の業を祝福して御心を行わせてくださいます。私たちは心を吟味して、古い自分の心ではなく新しい主の心が与えられているか、主の御業を行うに相応しい者とされているか、自ら点検することが必要です。
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サムエル記上 10:9-10
「サウルが背をかえしてサムエルを離れたとき、神は彼に新しい心を与えられた。これらのしるしは皆その日に起った。 彼らはギベアにきた時、預言者の一群に出会った。そして神の霊が、はげしくサウルの上に下り、彼は彼らのうちにいて預言した。」
サムエルと別れたサウルは、その日のうちに預言された通りの出来事がその身に起こり、新しい心が与えられ、神の霊に満たされて預言者たちと共に預言を語り始めました。新しい心、主の霊が注がれた者は、神の言葉を語ります。私たちもまた常に心を新たにしていただき、主の霊に満たされて、神様を賛美し、御心を語る者とならせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.10.9-10.ja1955
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サムエル記上 10:11-13
『もとからサウルを知っていた人々はみな、サウルが預言者たちと共に預言するのを見て互に言った、「キシの子に何事が起ったのか。サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」。 その所のひとりの者が答えた、「彼らの父はだれなのか」。それで「サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」というのが、ことわざとなった。 サウルは預言することを終えて、高き所へ行った。』
主の霊が下り預言するサウルを見て、昔からサウルを知っていた人々は、新しい人となったサウルよりも、古いサウルを見ようとしました。目の前で起こっていることよりも、過去の姿に目を奪われ心が捕らわれているならば、神様の御業を見ることができません。私たちは常に神様のなさる素晴らしい御業に目を留める者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.10.11-13.ja1955
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サムエル記上 10:17-21
『さて、サムエルは民をミヅパで主の前に集め、 イスラエルの人々に言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはイスラエルをエジプトから導き出し、あなたがたをエジプトびとの手、およびすべてあなたがたをしえたげる王国の手から救い出した』。 しかしあなたがたは、きょう、あなたがたをその悩みと苦しみの中から救われるあなたがたの神を捨て、その上、『いいえ、われわれの上に王を立てよ』と言う。それゆえ今、あなたがたは、部族にしたがい、また氏族にしたがって、主の前に出なさい」。 こうしてサムエルがイスラエルのすべての部族を呼び寄せた時、ベニヤミンの部族が、くじに当った。 またベニヤミンの部族をその氏族にしたがって呼び寄せた時、マテリの氏族が、くじに当り、マテリの氏族を人ごとに呼び寄せた時、キシの子サウルが、くじに当った。しかし人々が彼を捜した時、見つからなかった。』
サムエルは主がサウルをイスラエルの王として選ばれたことを公にするために、律法のならわしに基づき、くじによって主の御心を現しました。私たちの取るべき行動は、御心に適う方法や手順に従って進めなければなりません。
http://bible.com/81/1sa.10.17-21.ja1955
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サムエル記上 10:24-25
『サムエルはすべての民に言った、「主が選ばれた人をごらんなさい。民のうちに彼のような人はないではありませんか」。民はみな「王万歳」と叫んだ。 その時サムエルは王国のならわしを民に語り、それを書にしるして、主の前におさめた。こうしてサムエルはすべての民をそれぞれ家に帰らせた。』
サムエルは全イスラエルの会衆の前でサウルを王として立て、王のならわしを民に語り聞かせ、書物に残して神の前に納めました。こうしてサウルの王制は、神と人との前に受け入れられました。私たちもまた神と人との前に公然と受け入れられるものであるように心掛けたいと思います。
http://bible.com/81/1sa.10.24-25.ja1955
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サムエル記上 10:26-27
『サウルもまたギベアにある彼の家に帰った。そして神にその心を動かされた勇士たちも彼と共に行った。 しかし、よこしまな人々は「この男がどうしてわれわれを救うことができよう」と言って、彼を軽んじ、贈り物をしなかった。しかしサウルは黙っていた。』
神様がサウルをイスラエルの王とされたことに心動かされた者は、直ちにサウルと行動を共にし、王に付き従いました。しかし一方、サウルが王とされたことに不満を抱く者もありましたが、サウルは黙って自ら手を下すことはしませんでした。私たちにも、賛成者もいれば反対者も出てきます。そのとき私たちが取るべき態度は、権威や力で反対者をねじ伏せるようなことではなく、サウルのように主の御手に委ねることです。
http://bible.com/81/1sa.10.26-27.ja1955