サムエル記上 21:1-3
『ダビデはノブに行き、祭司アヒメレクのところへ行った。アヒメレクはおののきながらダビデを迎えて言った、「どうしてあなたはひとりですか。だれも供がいないのですか」。 ダビデは祭司アヒメレクに言った、「王がわたしに一つの事を命じて、『わたしがおまえをつかわしてさせる事、またわたしが命じたことについては、何をも人に知らせてはならない』と言われました。そこでわたしは、ある場所に若者たちを待たせてあります。 ところで今あなたの手もとにパン五個でもあれば、それをわたしにください。なければなんでも、あるものをください」。』
サウルに命を狙われ居場所を失ったダビデは、祭司エヒメレクのところに行き、食料を求めました。私たちが助けを求めるべき行き先は主の御許です。
しかしダビデは、祭司アヒメレクに対して、自分がなぜこの場所に来たかの理由を隠し、嘘をつきました。この嘘が、後に祭司たちが虐殺される悲劇を生むことになります。私たちは自らの保身のために主に対して嘘をついてはなりません。正直に、主の御前に進み出ることが、私たちの取るべき態度です。
http://bible.com/81/1sa.21.1-3.ja1955
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サムエル記上 21:6
「そこで祭司は彼に聖別したパンを与えた。その所に、供えのパンのほかにパンがなく、このパンは、これを取り下げる日に、あたたかいパンと置きかえるため、主の前から取り下げたものである。」
祭司アヒメレクは、放浪し飢えているダビデを憐れみ、主の御前から取り下ろした、祭司の他誰も食べてはならない備えのパンをダビデに与えました。後にこの箇所をイエス様が引用されたように、命を守ることは律法を守ることよりも大切なことです。なぜなら神様はすべての人に命を与え、養われる憐れみ深いお方であるからです。御言葉や規則を守ることはもちろん大切ですが、規定に縛られて人の命と救いをおろそかにすることのないよう、常に愛と憐れみの心を持つ私たちでありますように。
http://bible.com/81/1sa.21.6.ja1955
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サムエル記上 21:8-9
『ダビデはまたアヒメレクに言った、「ここに、あなたの手もとに、やりかつるぎがありませんか。王の事が急を要したので、わたしはつるぎも武器も持ってこなかったのです」。 祭司は言った、「あなたがエラの谷で殺したペリシテびとゴリアテのつるぎが、布に包んでエポデのうしろにあります。もしあなたがこれを取ろうとおもわれるなら、お取りください。ここにはそのほかにはありません」。ダビデは言った、「それにまさるものはありません。それをわたしにください」。』
ダビデは自分の命をつなぐためのパンと共に、命を守るための武器を、祭司アヒメレクに求めました。するとそこには、かつて自分が信仰によって倒したペリシテ人の巨人ゴリアテの剣がありました。ダビデが一躍イスラエルに名を上げるきっかけとなった剣を手にして、ダビデは原点に立ち戻り、勇気百倍を得たことでしょう。私たちもまた八方塞がりの窮地に陥るとき、信仰の原点に立ち返ることが大切です。
http://bible.com/81/1sa.21.8-9.ja1955
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サムエル記上 21:10-15
『ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った。 アキシの家来たちはアキシに言った、「これはあの国の王ダビデではありませんか。人々が踊りながら、互に歌いかわして、『サウルは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した』と言ったのは、この人のことではありませんか」。 ダビデは、これらの言葉を心におき、ガテの王アキシを、ひじょうに恐れたので、 人々の前で、わざと挙動を変え、捕えられて気違いのふりをし、門のとびらを打ちたたき、よだれを流して、ひげに伝わらせた。 アキシは家来たちに言った、「あなたがたの見るように、この人は気違いだ。どうして彼をわたしの所へ連れてきたのか。 わたしに気違いが必要なのか。この者を連れてきて、わたしの前で狂わせようというのか。この者をわたしの家へ入れようとするのか」。』
祭司アヒメレクの元を離れたダビデは、サウルを恐れて、事もあろうにペリシテ人の国、しかもゴリアテの出身地であるガテに身を隠そうとしました。しかし身分を偽ろうとしたところで、ダビデはあまりにも有名になりすぎていたため、すぐに正体が知られてしまいます。そこでダビデは機転を利かせ、気違いを装って何とか絶体絶命のピンチをすり抜けました。人を恐れて逃げても、更に窮地に立たされる悪循環に陥るだけです。私たちは処世術に頼らず神様のみに寄り頼み、まことの救いを得させていただきたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.21.10-15.ja1955
『ダビデはノブに行き、祭司アヒメレクのところへ行った。アヒメレクはおののきながらダビデを迎えて言った、「どうしてあなたはひとりですか。だれも供がいないのですか」。 ダビデは祭司アヒメレクに言った、「王がわたしに一つの事を命じて、『わたしがおまえをつかわしてさせる事、またわたしが命じたことについては、何をも人に知らせてはならない』と言われました。そこでわたしは、ある場所に若者たちを待たせてあります。 ところで今あなたの手もとにパン五個でもあれば、それをわたしにください。なければなんでも、あるものをください」。』
サウルに命を狙われ居場所を失ったダビデは、祭司エヒメレクのところに行き、食料を求めました。私たちが助けを求めるべき行き先は主の御許です。
しかしダビデは、祭司アヒメレクに対して、自分がなぜこの場所に来たかの理由を隠し、嘘をつきました。この嘘が、後に祭司たちが虐殺される悲劇を生むことになります。私たちは自らの保身のために主に対して嘘をついてはなりません。正直に、主の御前に進み出ることが、私たちの取るべき態度です。
http://bible.com/81/1sa.21.1-3.ja1955
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サムエル記上 21:6
「そこで祭司は彼に聖別したパンを与えた。その所に、供えのパンのほかにパンがなく、このパンは、これを取り下げる日に、あたたかいパンと置きかえるため、主の前から取り下げたものである。」
祭司アヒメレクは、放浪し飢えているダビデを憐れみ、主の御前から取り下ろした、祭司の他誰も食べてはならない備えのパンをダビデに与えました。後にこの箇所をイエス様が引用されたように、命を守ることは律法を守ることよりも大切なことです。なぜなら神様はすべての人に命を与え、養われる憐れみ深いお方であるからです。御言葉や規則を守ることはもちろん大切ですが、規定に縛られて人の命と救いをおろそかにすることのないよう、常に愛と憐れみの心を持つ私たちでありますように。
http://bible.com/81/1sa.21.6.ja1955
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サムエル記上 21:8-9
『ダビデはまたアヒメレクに言った、「ここに、あなたの手もとに、やりかつるぎがありませんか。王の事が急を要したので、わたしはつるぎも武器も持ってこなかったのです」。 祭司は言った、「あなたがエラの谷で殺したペリシテびとゴリアテのつるぎが、布に包んでエポデのうしろにあります。もしあなたがこれを取ろうとおもわれるなら、お取りください。ここにはそのほかにはありません」。ダビデは言った、「それにまさるものはありません。それをわたしにください」。』
ダビデは自分の命をつなぐためのパンと共に、命を守るための武器を、祭司アヒメレクに求めました。するとそこには、かつて自分が信仰によって倒したペリシテ人の巨人ゴリアテの剣がありました。ダビデが一躍イスラエルに名を上げるきっかけとなった剣を手にして、ダビデは原点に立ち戻り、勇気百倍を得たことでしょう。私たちもまた八方塞がりの窮地に陥るとき、信仰の原点に立ち返ることが大切です。
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サムエル記上 21:10-15
『ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った。 アキシの家来たちはアキシに言った、「これはあの国の王ダビデではありませんか。人々が踊りながら、互に歌いかわして、『サウルは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した』と言ったのは、この人のことではありませんか」。 ダビデは、これらの言葉を心におき、ガテの王アキシを、ひじょうに恐れたので、 人々の前で、わざと挙動を変え、捕えられて気違いのふりをし、門のとびらを打ちたたき、よだれを流して、ひげに伝わらせた。 アキシは家来たちに言った、「あなたがたの見るように、この人は気違いだ。どうして彼をわたしの所へ連れてきたのか。 わたしに気違いが必要なのか。この者を連れてきて、わたしの前で狂わせようというのか。この者をわたしの家へ入れようとするのか」。』
祭司アヒメレクの元を離れたダビデは、サウルを恐れて、事もあろうにペリシテ人の国、しかもゴリアテの出身地であるガテに身を隠そうとしました。しかし身分を偽ろうとしたところで、ダビデはあまりにも有名になりすぎていたため、すぐに正体が知られてしまいます。そこでダビデは機転を利かせ、気違いを装って何とか絶体絶命のピンチをすり抜けました。人を恐れて逃げても、更に窮地に立たされる悪循環に陥るだけです。私たちは処世術に頼らず神様のみに寄り頼み、まことの救いを得させていただきたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.21.10-15.ja1955