サムエル記上 14:6-7
『ヨナタンはその武器を執る若者に言った、「さあ、われわれは、この割礼なき者どもの先陣へ渡って行こう。主がわれわれのために何か行われるであろう。多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもないからである」。 武器を執る者は彼に言った、「あなたの望みどおりにしなさい。わたしは一緒にいます。わたしはあなたと同じ心です」。』
サウルの子ヨナタンは父とは異なり、純粋な信仰の持ち主でした。戦力的には圧倒的な劣勢にありましたが、主がイスラエルを救うのに何の妨げにもならないと告白し、太刀持ちの従者と共にたった二人でペリシテ人の軍勢に向かって行きました。従者もまたヨナタンの心を一つにして行動を共にしました。同じ信仰を持つ勇気ある二人の行動が、この後イスラエルに奇跡的な勝利をもたらします。ヨナタンのように、自分が戦うのではなく主が戦って勝利してくださるとの信仰に堅く立ち、どんな逆境にも恐れずに立ち向かう主の勇士となる私たちでありますように。
http://bible.com/81/1sa.14.6-7.ja1955
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サムエル記上 14:8-10
『ヨナタンはまた言った、「われわれは、あの人々の所に渡っていって、彼らに身を現そう。 そして、もし彼らがわれわれに、『こちらから行くまで待て』と言うならば、われわれはその場にとどまり、彼らの所に上っていかないであろう。 しかし、もし彼らが『われわれのところへ上ってこい』と言うならば、われわれは上って行こう。主が彼らをわれわれの手に渡されるからである。これをもってしるしとしよう」。』
ヨナタンは大胆な行動を取りながらも、主の御心を問うことを決して忘れませんでした。勇敢な人はときに自分を過信し自滅することがありますが、いざ行動に移す前に主の御心を尋ね求める謙虚で慎重な信仰を兼ね備える者こそ、真の勇士です。私たちもまた事の大小を問わず、常に主の御心を求め、自分の判断に頼らず主にすべてを委ねて行動したヨナタンのような、勇敢さと謙虚さを兼ね備えた信仰者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.14.8-10.ja1955
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サムエル記上 14:14-15
「ヨナタンとその武器を執る者とが、手始めに殺したものは、おおよそ二十人であって、このことは一くびきの牛の耕す畑のおおよそ半分の内で行われた。 そして陣営にいる者、野にいるもの、およびすべての民は恐怖に襲われ、先陣のもの、および略奪隊までも、恐れおののいた。また地は震い動き、非常に大きな恐怖となった。」
ヨナタンの戦果はたった20人と決して大きなものではありませんでしたが、主はヨナタンの勇気ある信仰を口火としてペリシテの全軍に恐怖の心を与え、また地震を起こして軍勢を大混乱に陥れました。たとい私たちの行動は小さくとも、主に全幅の信頼を寄せて従うならば、神様はそれを契機として大いなる奇跡を起こし、結果的には大勝利をもたらしてくださいます。自分にできることは大したことでないと最初からあきらめてしまうことなく、共にいてくださる主に信頼して一歩踏み出す勇気ある信仰のアクションを起こす私たちでありますように。
http://bible.com/81/1sa.14.14-15.ja1955
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サムエル記上 14:16, 18-20
『ベニヤミンのギベアにいたサウルの番兵たちが見ると、ペリシテびとの群衆はくずれて右往左往していた。
…
サウルはアヒヤに言った、「エポデをここに持ってきなさい」。その時、アヒヤはイスラエルの人々の前でエポデを身に着けていたからである。 サウルが祭司に語っている間にも、ペリシテびとの陣営の騒ぎはますます大きくなったので、サウルは祭司に言った、「手を引きなさい」。 こうしてサウルおよび共にいる民は皆、集まって戦いに出た。ペリシテびとはつるぎをもって同志打ちしたので、非常に大きな混乱となった。』
神様に全く信頼し御心を尋ね求めて行動を起こしたヨナタンとは異なり、サウルは主に尋ね求めることを後回しにして、周囲の状況次第で自分で判断して行動を起こす、お粗末な信仰の持ち主でした。確かに行動力は立派であったかもしれませんが、これは主に喜ばれる信仰ではありません。私たちはサウルのようになるべきか、ヨナタンのようになるべきか、自明のことと思います。
http://bible.com/81/1sa.14.16,18-20.ja1955
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サムエル記上 14:23-24, 27-30
『こうして主はその日イスラエルを救われた。そして戦いはベテアベンに移った。 しかしその日イスラエルの人々は苦しんだ。これはサウルが民に誓わせて「夕方まで、わたしが敵にあだを返すまで、食物を食べる者は、のろわれる」と言ったからである。それゆえ民のうちには、ひとりも食物を口にしたものはなかった。
…
しかしヨナタンは、父が民に誓わせたことを聞かなかったので、手を伸べてつえの先を蜜ばちの巣に浸し、手に取って口につけた。すると彼は目がはっきりした。 その時、民のひとりが言った、「あなたの父は、かたく民に誓わせて『きょう、食物を食べる者は、のろわれる』と言われました。それで民は疲れているのです」。 ヨナタンは言った、「父は国を悩ませました。ごらんなさい。この蜜をすこしなめたばかりで、わたしの目がこんなに、はっきりしたではありませんか。 まして、民がきょう敵からぶんどった物を、じゅうぶん食べていたならば、さらに多くのペリシテびとを殺していたでしょうに」。』
ヨナタンの勇気ある信仰と行動によって主がイスラエルに勝利をもたらしてくださったのに、サウルの愚かな誓いのために、イスラエルは充分に戦うことができませんでした。しかしサウルが民に誓わせたことを知らなかったヨナタンは、野蜜を口にして、父サウルが課した誓いがいかに愚かで民を苦しめたかを身をもって知りました。私たちは軽率な誓いや、いたずらに主の御名を持ち出して人を苦しめてはなりません。
http://bible.com/81/1sa.14.23-24,27-30.ja1955
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サムエル記上 14:31-35
『その日イスラエルびとは、ペリシテびとを撃って、ミクマシからアヤロンに及んだ。そして民は、ひじょうに疲れたので、 ぶんどり物に、はせかかって、羊、牛、子牛を取って、それを地の上に殺し、血のままでそれを食べた。 人々はサウルに言った、「民は血のままで食べて、主に罪を犯しています」。サウルは言った、「あなたがたはそむいている。この所へ、わたしのもとに大きな石をころがしてきなさい」。 サウルはまた言った、「あなたがたは分れて、民の中にはいって、彼らに言いなさい、『おのおの牛または、羊を引いてきてここでほふって食べなさい。血のままで食べて、主に罪を犯してはならない』」。そこで民は皆、その夜、おのおの牛を引いてきて、それを、その所でほふった。 こうしてサウルは主に一つの祭壇を築いた。これはサウルが主のために築いた最初の祭壇である。』
サウルの愚かな誓いのために飢え苦しんだイスラエルの人々は、ペリシテ人から得た戦利品の牛や羊を見て我慢ができなくなり、ついに血のままで食べてしまいました。これは主がイスラエルに禁じられたコーシャという食物規定の律法に反する罪でした。サウルの愚かな誓いが民を苦しめただけでなく、イスラエルに罪を犯させる引き金を引いてしまったのです。
そこでサウルは急遽、石を組んで祭壇を作り、人々が主の御前にほふって食べることができるようにしました。これがサウルの建てた最初の祭壇だということですから、今までサウルは信仰に基づいた行動を取ってきてはいなかったことを意味します。サウルの行動は終始、後手後手の対策、問題が起きてからの急場しのぎの対応ばかりでした。クリスチャンの中にも、何事も結果オーライで安易に済ませてしまう人がいかに多いことでしょうか。私たちは決してそのような愚かな信仰の持ち主になってはなりません。
http://bible.com/81/1sa.14.31-35.ja1955
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サムエル記上 14:36-37
『サウルは言った、「われわれは夜のうちにペリシテびとを追って下り、夜明けまで彼らをかすめて、ひとりも残らぬようにしよう」。人々は言った、「良いと思われることを、なんでもしてください」。しかし祭司は言った、「われわれは、ここで、神に尋ねましょう」。 そこでサウルは神に伺った、「わたしはペリシテびとを追って下るべきでしょうか。あなたは彼らをイスラエルの手に渡されるでしょうか」。しかし神はその日は答えられなかった。』
ペリシテ人を夜通し追撃しようとしたサウルに民は同意しましたが、祭司アヒヤは主の判断を尋ね求めようと進言しました。しかしサウルが主に尋ねても、その日は何の答えもありませんでした。今までさんざん自分勝手に物事を進めておいて、急に主の御心を尋ねても、主は答えてくださるはずがあるでしょうか。むしろ、答えないという判断を下されます。私たちは終始一貫して、何事もまず主の御心を尋ね求める者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.14.36-37.ja1955
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サムエル記上 14:41-45
『そこでサウルは言った、「イスラエルの神、主よ、あなたはきょう、なにゆえしもべに答えられなかったのですか。もしこの罪がわたしにあるか、またはわたしの子ヨナタンにあるのでしたら、イスラエルの神、主よ、ウリムをお与えください。しかし、もしこの罪が、あなたの民イスラエルにあるのでしたらトンミムをお与えください」。こうしてヨナタンとサウルとが、くじに当り、民はのがれた。 サウルは言った、「わたしか、わたしの子ヨナタンかを決めるために、くじを引きなさい」。くじはヨナタンに当った。 サウルはヨナタンに言った、「あなたがしたことを、わたしに言いなさい」。ヨナタンは言った、「わたしは確かに手にあったつえの先に少しばかりの蜜をつけて、なめました。わたしはここにいます。死は覚悟しています」。 サウルは言った、「神がわたしをいくえにも罰してくださるように。ヨナタンよ、あなたは必ず死ななければならない」。 その時、民はサウルに言った、「イスラエルのうちにこの大いなる勝利をもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。決してそうではありません。主は生きておられます。ヨナタンの髪の毛一すじも地に落してはなりません。彼は神と共にきょう働いたのです」。こうして民はヨナタンを救ったので彼は死を免れた。』
主が何も答えてくださらないので、ようやく自分たちに何か非があったと思ったサウルは、誰が罪を犯したかを祭司が持つウリムとトンミムのくじによって主に尋ねました。するとイスラエルの民には罪がなく、ヨナタンに罪があるとの結果が出ました。そこでサウルはヨナタンのしたことを問い質したところ、ヨナタンは死を覚悟して王の命令に従わなかったことを告白したので、サウルはヨナタンを死罪に定めました。しかしヨナタンの行動が主の救いを引き出し、イスラエルに勝利をもたらしたことを知るイスラエルの民は、ヨナタンの命を救うためにサウル王に嘆願しました。サウルは自分の犯した罪に気付きませんでしたが、イスラエルの民は気付いていたのです。
私たちも、人の命令に従うか、神様の御心に従うか、死を覚悟して臨まねばならない事態に遭遇することがあるかもしれません。そんな状況でも、すべてをご存じであられる主にいのちを委ねて従う私たちでありますように。
http://bible.com/81/1sa.14.41-45.ja1955
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サムエル記上 14:47-48, 52
「サウルはイスラエルの王となって、周囲のもろもろの敵、すなわちモアブ、アンモンの人々、エドム、ゾバの王たちおよびペリシテびとと戦い、すべて向かう所で勝利を得た。 サウルは勇ましく働き、アマレクびとを撃って、イスラエルびとを略奪者の手から救い出した。
…
サウルの一生の間、ペリシテびとと激しい戦いがあった。サウルは力の強い人や勇気のある人を見るごとに、それを召しかかえた。」
イスラエルの王となったサウルは生涯、周囲の国々と戦い、アマレク人の略奪からイスラエルを救い、特にペリシテ人とは激しく戦いました。そのためサウルは多くの戦士や勇者を自分の家来として徴用しました。その中には後にサウルに代わりイスラエルの王となるダビデもいたのです。イスラエルの王制は民の要望から出たことですが、こうして少しずつ確立されて行きました。神様は、本来は御心に適わないことでも、すべてを良きに変えて最善に導いてくださるお方です。
http://bible.com/81/1sa.14.47-48,52.ja1955
『ヨナタンはその武器を執る若者に言った、「さあ、われわれは、この割礼なき者どもの先陣へ渡って行こう。主がわれわれのために何か行われるであろう。多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもないからである」。 武器を執る者は彼に言った、「あなたの望みどおりにしなさい。わたしは一緒にいます。わたしはあなたと同じ心です」。』
サウルの子ヨナタンは父とは異なり、純粋な信仰の持ち主でした。戦力的には圧倒的な劣勢にありましたが、主がイスラエルを救うのに何の妨げにもならないと告白し、太刀持ちの従者と共にたった二人でペリシテ人の軍勢に向かって行きました。従者もまたヨナタンの心を一つにして行動を共にしました。同じ信仰を持つ勇気ある二人の行動が、この後イスラエルに奇跡的な勝利をもたらします。ヨナタンのように、自分が戦うのではなく主が戦って勝利してくださるとの信仰に堅く立ち、どんな逆境にも恐れずに立ち向かう主の勇士となる私たちでありますように。
http://bible.com/81/1sa.14.6-7.ja1955
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サムエル記上 14:8-10
『ヨナタンはまた言った、「われわれは、あの人々の所に渡っていって、彼らに身を現そう。 そして、もし彼らがわれわれに、『こちらから行くまで待て』と言うならば、われわれはその場にとどまり、彼らの所に上っていかないであろう。 しかし、もし彼らが『われわれのところへ上ってこい』と言うならば、われわれは上って行こう。主が彼らをわれわれの手に渡されるからである。これをもってしるしとしよう」。』
ヨナタンは大胆な行動を取りながらも、主の御心を問うことを決して忘れませんでした。勇敢な人はときに自分を過信し自滅することがありますが、いざ行動に移す前に主の御心を尋ね求める謙虚で慎重な信仰を兼ね備える者こそ、真の勇士です。私たちもまた事の大小を問わず、常に主の御心を求め、自分の判断に頼らず主にすべてを委ねて行動したヨナタンのような、勇敢さと謙虚さを兼ね備えた信仰者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.14.8-10.ja1955
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サムエル記上 14:14-15
「ヨナタンとその武器を執る者とが、手始めに殺したものは、おおよそ二十人であって、このことは一くびきの牛の耕す畑のおおよそ半分の内で行われた。 そして陣営にいる者、野にいるもの、およびすべての民は恐怖に襲われ、先陣のもの、および略奪隊までも、恐れおののいた。また地は震い動き、非常に大きな恐怖となった。」
ヨナタンの戦果はたった20人と決して大きなものではありませんでしたが、主はヨナタンの勇気ある信仰を口火としてペリシテの全軍に恐怖の心を与え、また地震を起こして軍勢を大混乱に陥れました。たとい私たちの行動は小さくとも、主に全幅の信頼を寄せて従うならば、神様はそれを契機として大いなる奇跡を起こし、結果的には大勝利をもたらしてくださいます。自分にできることは大したことでないと最初からあきらめてしまうことなく、共にいてくださる主に信頼して一歩踏み出す勇気ある信仰のアクションを起こす私たちでありますように。
http://bible.com/81/1sa.14.14-15.ja1955
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サムエル記上 14:16, 18-20
『ベニヤミンのギベアにいたサウルの番兵たちが見ると、ペリシテびとの群衆はくずれて右往左往していた。
…
サウルはアヒヤに言った、「エポデをここに持ってきなさい」。その時、アヒヤはイスラエルの人々の前でエポデを身に着けていたからである。 サウルが祭司に語っている間にも、ペリシテびとの陣営の騒ぎはますます大きくなったので、サウルは祭司に言った、「手を引きなさい」。 こうしてサウルおよび共にいる民は皆、集まって戦いに出た。ペリシテびとはつるぎをもって同志打ちしたので、非常に大きな混乱となった。』
神様に全く信頼し御心を尋ね求めて行動を起こしたヨナタンとは異なり、サウルは主に尋ね求めることを後回しにして、周囲の状況次第で自分で判断して行動を起こす、お粗末な信仰の持ち主でした。確かに行動力は立派であったかもしれませんが、これは主に喜ばれる信仰ではありません。私たちはサウルのようになるべきか、ヨナタンのようになるべきか、自明のことと思います。
http://bible.com/81/1sa.14.16,18-20.ja1955
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サムエル記上 14:23-24, 27-30
『こうして主はその日イスラエルを救われた。そして戦いはベテアベンに移った。 しかしその日イスラエルの人々は苦しんだ。これはサウルが民に誓わせて「夕方まで、わたしが敵にあだを返すまで、食物を食べる者は、のろわれる」と言ったからである。それゆえ民のうちには、ひとりも食物を口にしたものはなかった。
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しかしヨナタンは、父が民に誓わせたことを聞かなかったので、手を伸べてつえの先を蜜ばちの巣に浸し、手に取って口につけた。すると彼は目がはっきりした。 その時、民のひとりが言った、「あなたの父は、かたく民に誓わせて『きょう、食物を食べる者は、のろわれる』と言われました。それで民は疲れているのです」。 ヨナタンは言った、「父は国を悩ませました。ごらんなさい。この蜜をすこしなめたばかりで、わたしの目がこんなに、はっきりしたではありませんか。 まして、民がきょう敵からぶんどった物を、じゅうぶん食べていたならば、さらに多くのペリシテびとを殺していたでしょうに」。』
ヨナタンの勇気ある信仰と行動によって主がイスラエルに勝利をもたらしてくださったのに、サウルの愚かな誓いのために、イスラエルは充分に戦うことができませんでした。しかしサウルが民に誓わせたことを知らなかったヨナタンは、野蜜を口にして、父サウルが課した誓いがいかに愚かで民を苦しめたかを身をもって知りました。私たちは軽率な誓いや、いたずらに主の御名を持ち出して人を苦しめてはなりません。
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サムエル記上 14:31-35
『その日イスラエルびとは、ペリシテびとを撃って、ミクマシからアヤロンに及んだ。そして民は、ひじょうに疲れたので、 ぶんどり物に、はせかかって、羊、牛、子牛を取って、それを地の上に殺し、血のままでそれを食べた。 人々はサウルに言った、「民は血のままで食べて、主に罪を犯しています」。サウルは言った、「あなたがたはそむいている。この所へ、わたしのもとに大きな石をころがしてきなさい」。 サウルはまた言った、「あなたがたは分れて、民の中にはいって、彼らに言いなさい、『おのおの牛または、羊を引いてきてここでほふって食べなさい。血のままで食べて、主に罪を犯してはならない』」。そこで民は皆、その夜、おのおの牛を引いてきて、それを、その所でほふった。 こうしてサウルは主に一つの祭壇を築いた。これはサウルが主のために築いた最初の祭壇である。』
サウルの愚かな誓いのために飢え苦しんだイスラエルの人々は、ペリシテ人から得た戦利品の牛や羊を見て我慢ができなくなり、ついに血のままで食べてしまいました。これは主がイスラエルに禁じられたコーシャという食物規定の律法に反する罪でした。サウルの愚かな誓いが民を苦しめただけでなく、イスラエルに罪を犯させる引き金を引いてしまったのです。
そこでサウルは急遽、石を組んで祭壇を作り、人々が主の御前にほふって食べることができるようにしました。これがサウルの建てた最初の祭壇だということですから、今までサウルは信仰に基づいた行動を取ってきてはいなかったことを意味します。サウルの行動は終始、後手後手の対策、問題が起きてからの急場しのぎの対応ばかりでした。クリスチャンの中にも、何事も結果オーライで安易に済ませてしまう人がいかに多いことでしょうか。私たちは決してそのような愚かな信仰の持ち主になってはなりません。
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サムエル記上 14:36-37
『サウルは言った、「われわれは夜のうちにペリシテびとを追って下り、夜明けまで彼らをかすめて、ひとりも残らぬようにしよう」。人々は言った、「良いと思われることを、なんでもしてください」。しかし祭司は言った、「われわれは、ここで、神に尋ねましょう」。 そこでサウルは神に伺った、「わたしはペリシテびとを追って下るべきでしょうか。あなたは彼らをイスラエルの手に渡されるでしょうか」。しかし神はその日は答えられなかった。』
ペリシテ人を夜通し追撃しようとしたサウルに民は同意しましたが、祭司アヒヤは主の判断を尋ね求めようと進言しました。しかしサウルが主に尋ねても、その日は何の答えもありませんでした。今までさんざん自分勝手に物事を進めておいて、急に主の御心を尋ねても、主は答えてくださるはずがあるでしょうか。むしろ、答えないという判断を下されます。私たちは終始一貫して、何事もまず主の御心を尋ね求める者でありたいと願います。
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サムエル記上 14:41-45
『そこでサウルは言った、「イスラエルの神、主よ、あなたはきょう、なにゆえしもべに答えられなかったのですか。もしこの罪がわたしにあるか、またはわたしの子ヨナタンにあるのでしたら、イスラエルの神、主よ、ウリムをお与えください。しかし、もしこの罪が、あなたの民イスラエルにあるのでしたらトンミムをお与えください」。こうしてヨナタンとサウルとが、くじに当り、民はのがれた。 サウルは言った、「わたしか、わたしの子ヨナタンかを決めるために、くじを引きなさい」。くじはヨナタンに当った。 サウルはヨナタンに言った、「あなたがしたことを、わたしに言いなさい」。ヨナタンは言った、「わたしは確かに手にあったつえの先に少しばかりの蜜をつけて、なめました。わたしはここにいます。死は覚悟しています」。 サウルは言った、「神がわたしをいくえにも罰してくださるように。ヨナタンよ、あなたは必ず死ななければならない」。 その時、民はサウルに言った、「イスラエルのうちにこの大いなる勝利をもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。決してそうではありません。主は生きておられます。ヨナタンの髪の毛一すじも地に落してはなりません。彼は神と共にきょう働いたのです」。こうして民はヨナタンを救ったので彼は死を免れた。』
主が何も答えてくださらないので、ようやく自分たちに何か非があったと思ったサウルは、誰が罪を犯したかを祭司が持つウリムとトンミムのくじによって主に尋ねました。するとイスラエルの民には罪がなく、ヨナタンに罪があるとの結果が出ました。そこでサウルはヨナタンのしたことを問い質したところ、ヨナタンは死を覚悟して王の命令に従わなかったことを告白したので、サウルはヨナタンを死罪に定めました。しかしヨナタンの行動が主の救いを引き出し、イスラエルに勝利をもたらしたことを知るイスラエルの民は、ヨナタンの命を救うためにサウル王に嘆願しました。サウルは自分の犯した罪に気付きませんでしたが、イスラエルの民は気付いていたのです。
私たちも、人の命令に従うか、神様の御心に従うか、死を覚悟して臨まねばならない事態に遭遇することがあるかもしれません。そんな状況でも、すべてをご存じであられる主にいのちを委ねて従う私たちでありますように。
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サムエル記上 14:47-48, 52
「サウルはイスラエルの王となって、周囲のもろもろの敵、すなわちモアブ、アンモンの人々、エドム、ゾバの王たちおよびペリシテびとと戦い、すべて向かう所で勝利を得た。 サウルは勇ましく働き、アマレクびとを撃って、イスラエルびとを略奪者の手から救い出した。
…
サウルの一生の間、ペリシテびとと激しい戦いがあった。サウルは力の強い人や勇気のある人を見るごとに、それを召しかかえた。」
イスラエルの王となったサウルは生涯、周囲の国々と戦い、アマレク人の略奪からイスラエルを救い、特にペリシテ人とは激しく戦いました。そのためサウルは多くの戦士や勇者を自分の家来として徴用しました。その中には後にサウルに代わりイスラエルの王となるダビデもいたのです。イスラエルの王制は民の要望から出たことですが、こうして少しずつ確立されて行きました。神様は、本来は御心に適わないことでも、すべてを良きに変えて最善に導いてくださるお方です。
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