サムエル記上 9:1-2
「さて、ベニヤミンの人で、キシという名の裕福な人があった。キシはアビエルの子、アビエルはゼロルの子、ゼロルはベコラテの子、ベコラテはアピヤの子、アピヤはベニヤミンびとである。 キシにはサウルという名の子があった。若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高かった。」
イスラエル初代の王となるサウルについて、ベニヤミン族の裕福な家庭に生まれ育ち、見目麗しく背の高い、まさに人々のリーダーとなるに相応しい魅力的な人物像が描かれています。
神様に選ばれる人とは、家柄や外見で決まるのでしょうか? 決してそのようなことはありません。しかし神様は同時に人々の要求にも応えてくださるお方でもあります。
http://bible.com/81/1sa.9.1-2.ja1955
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サムエル記上 9:5-6
『彼らがツフの地にきた時、サウルは連れてきたしもべに言った、「さあ、帰ろう。父は、ろばのことよりも、われわれのことを心配するだろう」。 ところが、しもべは言った、「この町には神の人がおられます。尊い人で、その言われることはみなそのとおりになります。その所へ行きましょう。われわれの出てきた旅のことについて何か示されるでしょう」。』
父の命を受け、サウルは数頭のロバを探しに出かけましたが、エフライムからベニヤミンの地までくまなく捜しても見つからず、むしろ父キシはロバよりも自分たちのことを心配するだろうと思いました。失われたロバを探しに行って、自分たちが迷い人となってしまっては本末転倒です。これは当時のイスラエルの姿を象徴しているように思います。
そのときサウルの僕は、神の人サムエルに解決策を求めることを提案しました。私たちが進むべき道を見失ったときも、自分の考えに頼らず、まず神様の御心を尋ね求めることが一番の解決策です。
http://bible.com/81/1sa.9.5-6.ja1955
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サムエル記上 9:8, 10, 14
『しもべは、またサウルに答えた、「わたしの手に四分の一シケルの銀があります。わたしはこれを、神の人に与えて、われわれの道を示してもらいましょう」。
…
サウルはそのしもべに言った、「それは良い。さあ、行こう」。こうして彼らは、神の人のいるその町へ行った。
…
こうして彼らは町に上っていった。そして町の中に、はいろうとした時、サムエルは高き所に上るため彼らのほうに向かって出てきた。』
神の人に相談するに際し、サウルは捧げものを持ってきていないことを気にしましたが、僕は自分の持っている銀を差し出しました。このような自己犠牲の心が私たちには必要です。
そしてサウルと僕が町に入ろうとしたとき、サムエルもまた祭壇に向かうために出てきたところでした。神様はこのようにして、最適なタイミングで、引き合わせるべき人と出会わせてくださいます。私たちもまた、神様に導かれて引き合わせられた人との出会いを大切にしたいと思います。
http://bible.com/81/1sa.9.8,10,14.ja1955
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サムエル記上 9:15-17
『さてサウルが来る一日前に、主はサムエルの耳に告げて言われた、 「あすの今ごろ、あなたの所に、ベニヤミンの地から、ひとりの人をつかわすであろう。あなたはその人に油を注いで、わたしの民イスラエルの君としなさい。彼はわたしの民をペリシテびとの手から救い出すであろう。わたしの民の叫びがわたしに届き、わたしがその悩みを顧みるからである」。 サムエルがサウルを見た時、主は言われた、「見よ、わたしの言ったのはこの人である。この人がわたしの民を治めるであろう」。』
サムエルとサウルが出会う前日、神様はすでにイスラエルの王として選んだベニヤミン族の人が、明日の今頃やって来ることを、具体的にサムエルに告げておられました。そしてサムエルがサウルを見るや否や、この人に油を注いでイスラエルの王としなさいと、具体的に語りかけられました。神様のなさることは決して偶然の積み重ねではなく、綿密に、計画的に、必然的に、あらかじめ定められています。私たちもまたそのように神様から選ばれていることを、驚きをもって信じ受け入れたいと思います。
http://bible.com/81/1sa.9.15-17.ja1955
「さて、ベニヤミンの人で、キシという名の裕福な人があった。キシはアビエルの子、アビエルはゼロルの子、ゼロルはベコラテの子、ベコラテはアピヤの子、アピヤはベニヤミンびとである。 キシにはサウルという名の子があった。若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高かった。」
イスラエル初代の王となるサウルについて、ベニヤミン族の裕福な家庭に生まれ育ち、見目麗しく背の高い、まさに人々のリーダーとなるに相応しい魅力的な人物像が描かれています。
神様に選ばれる人とは、家柄や外見で決まるのでしょうか? 決してそのようなことはありません。しかし神様は同時に人々の要求にも応えてくださるお方でもあります。
http://bible.com/81/1sa.9.1-2.ja1955
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サムエル記上 9:5-6
『彼らがツフの地にきた時、サウルは連れてきたしもべに言った、「さあ、帰ろう。父は、ろばのことよりも、われわれのことを心配するだろう」。 ところが、しもべは言った、「この町には神の人がおられます。尊い人で、その言われることはみなそのとおりになります。その所へ行きましょう。われわれの出てきた旅のことについて何か示されるでしょう」。』
父の命を受け、サウルは数頭のロバを探しに出かけましたが、エフライムからベニヤミンの地までくまなく捜しても見つからず、むしろ父キシはロバよりも自分たちのことを心配するだろうと思いました。失われたロバを探しに行って、自分たちが迷い人となってしまっては本末転倒です。これは当時のイスラエルの姿を象徴しているように思います。
そのときサウルの僕は、神の人サムエルに解決策を求めることを提案しました。私たちが進むべき道を見失ったときも、自分の考えに頼らず、まず神様の御心を尋ね求めることが一番の解決策です。
http://bible.com/81/1sa.9.5-6.ja1955
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サムエル記上 9:8, 10, 14
『しもべは、またサウルに答えた、「わたしの手に四分の一シケルの銀があります。わたしはこれを、神の人に与えて、われわれの道を示してもらいましょう」。
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サウルはそのしもべに言った、「それは良い。さあ、行こう」。こうして彼らは、神の人のいるその町へ行った。
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こうして彼らは町に上っていった。そして町の中に、はいろうとした時、サムエルは高き所に上るため彼らのほうに向かって出てきた。』
神の人に相談するに際し、サウルは捧げものを持ってきていないことを気にしましたが、僕は自分の持っている銀を差し出しました。このような自己犠牲の心が私たちには必要です。
そしてサウルと僕が町に入ろうとしたとき、サムエルもまた祭壇に向かうために出てきたところでした。神様はこのようにして、最適なタイミングで、引き合わせるべき人と出会わせてくださいます。私たちもまた、神様に導かれて引き合わせられた人との出会いを大切にしたいと思います。
http://bible.com/81/1sa.9.8,10,14.ja1955
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サムエル記上 9:15-17
『さてサウルが来る一日前に、主はサムエルの耳に告げて言われた、 「あすの今ごろ、あなたの所に、ベニヤミンの地から、ひとりの人をつかわすであろう。あなたはその人に油を注いで、わたしの民イスラエルの君としなさい。彼はわたしの民をペリシテびとの手から救い出すであろう。わたしの民の叫びがわたしに届き、わたしがその悩みを顧みるからである」。 サムエルがサウルを見た時、主は言われた、「見よ、わたしの言ったのはこの人である。この人がわたしの民を治めるであろう」。』
サムエルとサウルが出会う前日、神様はすでにイスラエルの王として選んだベニヤミン族の人が、明日の今頃やって来ることを、具体的にサムエルに告げておられました。そしてサムエルがサウルを見るや否や、この人に油を注いでイスラエルの王としなさいと、具体的に語りかけられました。神様のなさることは決して偶然の積み重ねではなく、綿密に、計画的に、必然的に、あらかじめ定められています。私たちもまたそのように神様から選ばれていることを、驚きをもって信じ受け入れたいと思います。
http://bible.com/81/1sa.9.15-17.ja1955