サムエル記上 30:1-5
「さてダビデとその従者たちが三日目にチクラグにきた時、アマレクびとはすでにネゲブとチクラグを襲っていた。彼らはチクラグを撃ち、火をはなってこれを焼き、 その中にいた女たちおよびすべての者を捕虜にし、小さい者をも大きい者をも、ひとりも殺さずに、引いて、その道に行った。 ダビデと従者たちはその町にきて、町が火で焼かれ、その妻とむすこ娘らは捕虜となったのを見た。 ダビデおよび彼と共にいた民は声をあげて泣き、ついに泣く力もなくなった。 ダビデのふたりの妻すなわちエズレルの女アヒノアムと、カルメルびとナバルの妻であったアビガイルも捕虜になった。」
イスラエルとの直接対決から逃れることのできたダビデたち一行が自分の領地に戻ってくると、狡猾で卑怯者のアマレク人がダビデ不在の町を襲い、妻子たちをすべて捕虜として逃げ去った後でした。ダビデと従者たちは泣く力もなくなるほどに嘆き悲しみました。
私たちの人生においても、このときのダビデたちのように、一難去ってまた一難の状況に追い込まれ、涙も枯れ果てるようなことがあります。しかし不幸中の幸いは、町は焼き払われても妻子たちは誰一人いのちを落とすことなく捕虜となっていたことです。ここに神様の深い憐れみとご配慮があることを私たちは見逃してはなりません。
http://bible.com/81/1sa.30.1-5.ja1955
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サムエル記上 30:6
「その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ娘のために心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。」
町は焼き払われ、妻子たちはすべて捕虜として連れ去られた悲しみから、人々は主人であるダビデを撃ち殺そうとしました。しかしダビデは悩みの末、主によって自分を勇気づけました。私たちもまた弱り目にたたり目の状況に遭い、悩みかつ恐れに襲われることがあります。特にリーダーは孤独なものです。しかし、たといすべての人が敵となろうとも、信頼していた人々に裏切られても、私たちには主なる神様が必ず共にいてくださり、私たちを励まし、勇気づけ、希望を与えて、試練から逃れる道を用意してくださっていることを決して忘れないでください。
http://bible.com/81/1sa.30.6.ja1955
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サムエル記上 30:7-8
『ダビデはアヒメレクの子、祭司アビヤタルに、「エポデをわたしのところに持ってきなさい」と言ったので、アビヤタルは、エポデをダビデのところに持ってきた。 ダビデは主に伺いをたてて言った、「わたしはこの軍隊のあとを追うべきですか。わたしはそれに追いつくことができましょうか」。主は彼に言われた、「追いなさい。あなたは必ず追いついて、確かに救い出すことができるであろう」。』
主によって再び立ち上がる力を取り戻したダビデは、祭司アビヤタルにエポデを持ってこさせ、アマレク人を追撃すべきか否か、自分が何をなすべきか、主の御心を問いました。すると主は、必ず追いついて捕虜となった妻子たちを救い出すことができると答えられました。
私たちの神様は、私たちの悩みと祈りに単に気休めの言葉を掛けるだけでなく、主に信頼して御心を訪ね求める者に結果を伴って答えてくださる神様です。
http://bible.com/81/1sa.30.7-8.ja1955
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サムエル記上 30:11-13, 15
『彼らは野で、ひとりのエジプトびとを見て、それをダビデのもとに引いてきて、パンを食べさせ、水を飲ませた。 また彼らはほしいちじくのかたまり一つと、ほしぶどう二ふさを彼に与えた。彼は食べて元気を回復した。彼は三日三夜、パンを食べず、水を飲んでいなかったからである。 ダビデは彼に言った、「あなたはだれのものか。どこからきたのか」。彼は言った、「わたしはエジプトの若者で、アマレクびとの奴隷です。三日前にわたしが病気になったので、主人はわたしを捨てて行きました。
…
ダビデは彼に言った、「あなたはその軍隊のところへわたしを導き下ってくれるか」。彼は言った、「あなたはわたしを殺さないこと、またわたしを主人の手に渡さないことを、神をさしてわたしに誓ってください。そうすればあなたをその軍隊のところへ導き下りましょう」。』
神様の御心を伺って確信と勇気を得たダビデと従者たちは、直ちにアマレク人の後を追いました。するとその途上に、道端に倒れている人を見つけて彼を助け、必要な食料を与えて元気を取り戻させました。彼はアマレク人に捨てられた奴隷で、この後ダビデたち一行を導く案内人となりました。
「情けは人のためならず」ともいわれるように、私たちはどんな状況にあっても憐れみの心を忘れてはなりません。人に対して憐れみ深い者には、必ず主がその親切に報いてくださいます。
http://bible.com/81/1sa.30.11-13,15.ja1955
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サムエル記上 30:16-19
「彼はダビデを導き下ったが、見よ、彼らはペリシテびとの地とユダの地から奪い取ったさまざまの多くのぶんどり物のゆえに、食い飲み、かつ踊りながら、地のおもてにあまねく散りひろがっていた。 ダビデは夕ぐれから翌日の夕方まで、彼らを撃ったので、らくだに乗って逃げた四百人の若者たちのほかには、ひとりものがれた者はなかった。 こうしてダビデはアマレクびとが奪い取ったものをみな取りもどした。またダビデはそのふたりの妻を救い出した。 そして彼らに属するものは、小さいものも大きいものも、むすこも娘もぶんどり物も、アマレクびとが奪い去った物は何をも失わないで、ダビデがみな取りもどした。」
アマレクの奴隷だった人の助けを得て、ダビデたちはついにアマレク人を追撃し、捕虜となっていた妻子たちと、すべての戦利品を、何一つ失うことなく取り戻すことができました。主の御言葉に信頼して従い、また御心に適う善い行いを自ら進んで行う者に、必ず主は答えて、勝利と祝福を回復してくださいます。
http://bible.com/81/1sa.30.16-19.ja1955
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サムエル記上 30:20-25
『ダビデはまたすべての羊と牛を取った。人々はこれらの家畜を彼の前に追って行きながら、「これはダビデのぶんどり物だ」と言った。 そしてダビデが、あの疲れてダビデについて行くことができずに、ベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところへきた時、彼らは出てきてダビデを迎え、またダビデと共にいる民を迎えた。ダビデは民に近づいてその安否を問うた。 そのときダビデと共に行った人々のうちで、悪く、かつよこしまな者どもはみな言った、「彼らはわれわれと共に行かなかったのだから、われわれはその人々にわれわれの取りもどしたぶんどり物を分け与えることはできない。ただおのおのにその妻子を与えて、連れて行かせましょう」。 しかしダビデは言った、「兄弟たちよ、主はわれわれを守って、攻めてきた軍隊をわれわれの手に渡された。その主が賜わったものを、あなたがたはそのようにしてはならない。 だれがこの事について、あなたがたに聞き従いますか。戦いに下って行った者の分け前と、荷物のかたわらにとどまっていた者の分け前を同様にしなければならない。彼らはひとしく分け前を受けるべきである」。 この日以来、ダビデはこれをイスラエルの定めとし、おきてとして今日に及んでいる。』
多くの戦利品を得たダビデは、最後までアマレクを追撃した功労者だけでなく、疲れ果てて途中で留まっていた人にも等しく戦利品を分け与えました。なぜならこの勝利は自分たちの力で得たものではなく、主が得させてくださったのだからです。そしてこのダビデの信仰の現れとして、この後イスラエルの定めとしました。人は功績を独り占めしようとしますが、主によって勝利を得ることを信じる私たちはこの誘惑に負けることなく、祝福と喜びを共に分かち合う心、憐れみと寛容に満ちた心を持ち合わせる者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.30.20-25.ja1955
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サムエル記上 30:26-31
「ダビデはチクラグにきて、そのぶんどり物の一部をユダの長老である友人たちにおくって言った、「これは主の敵から取ったぶんどり物のうちからあなたがたにおくる贈り物である」。 そのおくり先は、ベテルにいる人々、ネゲブのラモテにいる人々、ヤッテルにいる人々、 アロエルにいる人々、シフモテにいる人々、エシテモアにいる人々、ラカルにいる人々、 エラメルびとの町々にいる人々、ケニびとの町々にいる人々、 ホルマにいる人々、ボラシャンにいる人々、アタクにいる人々、 ヘブロンにいる人々、およびダビデとその従者たちが、さまよい歩いたすべての所にいる人々であった。」
ダビデはまたアマレクから奪った戦利品を自分たちだけのものとせず、今までさまよい続けたダビデたちを助けてくれたすべての人たちに対する感謝の表れとして、贈り物としました。私たちはこの世に生きる間、必ず誰かの助けを受けています。そのことに対する感謝の心を私たちは決して忘れず、時が来て祝福を受けるようになったならば人を助け励ます者となるべきです。
http://bible.com/81/1sa.30.26-31.ja1955
「さてダビデとその従者たちが三日目にチクラグにきた時、アマレクびとはすでにネゲブとチクラグを襲っていた。彼らはチクラグを撃ち、火をはなってこれを焼き、 その中にいた女たちおよびすべての者を捕虜にし、小さい者をも大きい者をも、ひとりも殺さずに、引いて、その道に行った。 ダビデと従者たちはその町にきて、町が火で焼かれ、その妻とむすこ娘らは捕虜となったのを見た。 ダビデおよび彼と共にいた民は声をあげて泣き、ついに泣く力もなくなった。 ダビデのふたりの妻すなわちエズレルの女アヒノアムと、カルメルびとナバルの妻であったアビガイルも捕虜になった。」
イスラエルとの直接対決から逃れることのできたダビデたち一行が自分の領地に戻ってくると、狡猾で卑怯者のアマレク人がダビデ不在の町を襲い、妻子たちをすべて捕虜として逃げ去った後でした。ダビデと従者たちは泣く力もなくなるほどに嘆き悲しみました。
私たちの人生においても、このときのダビデたちのように、一難去ってまた一難の状況に追い込まれ、涙も枯れ果てるようなことがあります。しかし不幸中の幸いは、町は焼き払われても妻子たちは誰一人いのちを落とすことなく捕虜となっていたことです。ここに神様の深い憐れみとご配慮があることを私たちは見逃してはなりません。
http://bible.com/81/1sa.30.1-5.ja1955
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サムエル記上 30:6
「その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ娘のために心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。」
町は焼き払われ、妻子たちはすべて捕虜として連れ去られた悲しみから、人々は主人であるダビデを撃ち殺そうとしました。しかしダビデは悩みの末、主によって自分を勇気づけました。私たちもまた弱り目にたたり目の状況に遭い、悩みかつ恐れに襲われることがあります。特にリーダーは孤独なものです。しかし、たといすべての人が敵となろうとも、信頼していた人々に裏切られても、私たちには主なる神様が必ず共にいてくださり、私たちを励まし、勇気づけ、希望を与えて、試練から逃れる道を用意してくださっていることを決して忘れないでください。
http://bible.com/81/1sa.30.6.ja1955
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サムエル記上 30:7-8
『ダビデはアヒメレクの子、祭司アビヤタルに、「エポデをわたしのところに持ってきなさい」と言ったので、アビヤタルは、エポデをダビデのところに持ってきた。 ダビデは主に伺いをたてて言った、「わたしはこの軍隊のあとを追うべきですか。わたしはそれに追いつくことができましょうか」。主は彼に言われた、「追いなさい。あなたは必ず追いついて、確かに救い出すことができるであろう」。』
主によって再び立ち上がる力を取り戻したダビデは、祭司アビヤタルにエポデを持ってこさせ、アマレク人を追撃すべきか否か、自分が何をなすべきか、主の御心を問いました。すると主は、必ず追いついて捕虜となった妻子たちを救い出すことができると答えられました。
私たちの神様は、私たちの悩みと祈りに単に気休めの言葉を掛けるだけでなく、主に信頼して御心を訪ね求める者に結果を伴って答えてくださる神様です。
http://bible.com/81/1sa.30.7-8.ja1955
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サムエル記上 30:11-13, 15
『彼らは野で、ひとりのエジプトびとを見て、それをダビデのもとに引いてきて、パンを食べさせ、水を飲ませた。 また彼らはほしいちじくのかたまり一つと、ほしぶどう二ふさを彼に与えた。彼は食べて元気を回復した。彼は三日三夜、パンを食べず、水を飲んでいなかったからである。 ダビデは彼に言った、「あなたはだれのものか。どこからきたのか」。彼は言った、「わたしはエジプトの若者で、アマレクびとの奴隷です。三日前にわたしが病気になったので、主人はわたしを捨てて行きました。
…
ダビデは彼に言った、「あなたはその軍隊のところへわたしを導き下ってくれるか」。彼は言った、「あなたはわたしを殺さないこと、またわたしを主人の手に渡さないことを、神をさしてわたしに誓ってください。そうすればあなたをその軍隊のところへ導き下りましょう」。』
神様の御心を伺って確信と勇気を得たダビデと従者たちは、直ちにアマレク人の後を追いました。するとその途上に、道端に倒れている人を見つけて彼を助け、必要な食料を与えて元気を取り戻させました。彼はアマレク人に捨てられた奴隷で、この後ダビデたち一行を導く案内人となりました。
「情けは人のためならず」ともいわれるように、私たちはどんな状況にあっても憐れみの心を忘れてはなりません。人に対して憐れみ深い者には、必ず主がその親切に報いてくださいます。
http://bible.com/81/1sa.30.11-13,15.ja1955
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サムエル記上 30:16-19
「彼はダビデを導き下ったが、見よ、彼らはペリシテびとの地とユダの地から奪い取ったさまざまの多くのぶんどり物のゆえに、食い飲み、かつ踊りながら、地のおもてにあまねく散りひろがっていた。 ダビデは夕ぐれから翌日の夕方まで、彼らを撃ったので、らくだに乗って逃げた四百人の若者たちのほかには、ひとりものがれた者はなかった。 こうしてダビデはアマレクびとが奪い取ったものをみな取りもどした。またダビデはそのふたりの妻を救い出した。 そして彼らに属するものは、小さいものも大きいものも、むすこも娘もぶんどり物も、アマレクびとが奪い去った物は何をも失わないで、ダビデがみな取りもどした。」
アマレクの奴隷だった人の助けを得て、ダビデたちはついにアマレク人を追撃し、捕虜となっていた妻子たちと、すべての戦利品を、何一つ失うことなく取り戻すことができました。主の御言葉に信頼して従い、また御心に適う善い行いを自ら進んで行う者に、必ず主は答えて、勝利と祝福を回復してくださいます。
http://bible.com/81/1sa.30.16-19.ja1955
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サムエル記上 30:20-25
『ダビデはまたすべての羊と牛を取った。人々はこれらの家畜を彼の前に追って行きながら、「これはダビデのぶんどり物だ」と言った。 そしてダビデが、あの疲れてダビデについて行くことができずに、ベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところへきた時、彼らは出てきてダビデを迎え、またダビデと共にいる民を迎えた。ダビデは民に近づいてその安否を問うた。 そのときダビデと共に行った人々のうちで、悪く、かつよこしまな者どもはみな言った、「彼らはわれわれと共に行かなかったのだから、われわれはその人々にわれわれの取りもどしたぶんどり物を分け与えることはできない。ただおのおのにその妻子を与えて、連れて行かせましょう」。 しかしダビデは言った、「兄弟たちよ、主はわれわれを守って、攻めてきた軍隊をわれわれの手に渡された。その主が賜わったものを、あなたがたはそのようにしてはならない。 だれがこの事について、あなたがたに聞き従いますか。戦いに下って行った者の分け前と、荷物のかたわらにとどまっていた者の分け前を同様にしなければならない。彼らはひとしく分け前を受けるべきである」。 この日以来、ダビデはこれをイスラエルの定めとし、おきてとして今日に及んでいる。』
多くの戦利品を得たダビデは、最後までアマレクを追撃した功労者だけでなく、疲れ果てて途中で留まっていた人にも等しく戦利品を分け与えました。なぜならこの勝利は自分たちの力で得たものではなく、主が得させてくださったのだからです。そしてこのダビデの信仰の現れとして、この後イスラエルの定めとしました。人は功績を独り占めしようとしますが、主によって勝利を得ることを信じる私たちはこの誘惑に負けることなく、祝福と喜びを共に分かち合う心、憐れみと寛容に満ちた心を持ち合わせる者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1sa.30.20-25.ja1955
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サムエル記上 30:26-31
「ダビデはチクラグにきて、そのぶんどり物の一部をユダの長老である友人たちにおくって言った、「これは主の敵から取ったぶんどり物のうちからあなたがたにおくる贈り物である」。 そのおくり先は、ベテルにいる人々、ネゲブのラモテにいる人々、ヤッテルにいる人々、 アロエルにいる人々、シフモテにいる人々、エシテモアにいる人々、ラカルにいる人々、 エラメルびとの町々にいる人々、ケニびとの町々にいる人々、 ホルマにいる人々、ボラシャンにいる人々、アタクにいる人々、 ヘブロンにいる人々、およびダビデとその従者たちが、さまよい歩いたすべての所にいる人々であった。」
ダビデはまたアマレクから奪った戦利品を自分たちだけのものとせず、今までさまよい続けたダビデたちを助けてくれたすべての人たちに対する感謝の表れとして、贈り物としました。私たちはこの世に生きる間、必ず誰かの助けを受けています。そのことに対する感謝の心を私たちは決して忘れず、時が来て祝福を受けるようになったならば人を助け励ます者となるべきです。
http://bible.com/81/1sa.30.26-31.ja1955