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【COGHCC聖書通読】 2016/11/29

2016-11-29 08:00:08 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 6:1-2
「ダビデは再びイスラエルのえり抜きの者三万人をことごとく集めた。 そしてダビデは立って、自分と共にいるすべての民と共にバアレ・ユダへ行って、神の箱をそこからかき上ろうとした。この箱はケルビムの上に座しておられる万軍の主の名をもって呼ばれている。」

イスラエルの王となったダビデが最初に行ったことは、放置されていた神の箱を新しい首都エルサレムに迎え入れることでした。そのためにダビデは、イスラエルの中から選りすぐりの人々をかき集めました。新しいことを始めるに際しまず神様をお迎えすること、そのために全力で取り組んだダビデの信仰がここに表されています。私たちも何事を行うにしても、特に新たな一歩を踏み出すとき、まず神様を中心に据えるために全力で取り組む者でありますように。

http://bible.com/81/2sa.6.1-2.ja1955

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サムエル記下 6:3-7
「彼らは神の箱を新しい車に載せて、山の上にあるアビナダブの家から運び出した。 アビナダブの子たち、ウザとアヒオとが神の箱を載せた新しい車を指揮し、ウザは神の箱のかたわらに沿い、アヒオは箱の前に進んだ。 ダビデとイスラエルの全家は琴と立琴と手鼓と鈴とシンバルとをもって歌をうたい、力をきわめて、主の前に踊った。 彼らがナコンの打ち場にきた時、ウザは神の箱に手を伸べて、それを押えた。牛がつまずいたからである。 すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。」

神の箱をエルサレムに迎えるために、力を極めて踊るほどに心から喜んで全力で取り組んだダビデでしたが、その途上で悲劇が起こります。神の箱を乗せた車を引く牛がつまづいて荷台から落ちそうになったため、手を差し伸べて止めようとしたウザが、主に撃たれて命を落としてしまったのです。しかしこれは、本来、神の箱は祭司たちが四方から棒で担いで運ばなければならないものを、楽をして牛車に引かせたために起きたダビデたちの過ちが招いた結果なのです。

私たちもまた、神様のために一生懸命に取り組んでも、神様の御心に沿わない、もしかしたら神様のご命令に背いたことをしていることに気付かないまま、神様のためにこんなに一生懸命しているのにどうして?と思うようなことがあるかもしれません。しかし神様は、時には悲しいことを通して、私たちの過ちにストップをかけられます。そして自分たちの過ちに気付いたらすぐに悔い改め、何が正しいことかを御言葉から学び、神様の望まれる方法でやり直すことが肝要です。

http://bible.com/81/2sa.6.3-7.ja1955

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サムエル記下 6:8-11
『主がウザを撃たれたので、ダビデは怒った。その所は今日までペレヅ・ウザと呼ばれている。 その日ダビデは主を恐れて言った、「どうして主の箱がわたしの所に来ることができようか」。 ダビデは主の箱をダビデの町に入れることを好まず、これを移してガテびとオベデエドムの家に運ばせた。 神の箱はガテびとオベデエドムの家に三か月とどまった。主はオベデエドムとその全家を祝福された。』

ウザが撃たれたことに恐れを感じたダビデは、神の箱をエルサレムの招き入れることを躊躇し、オベデエドムの家に運び込ませました。しかし神様は、神の箱を招き入れたオベデエドムの全家を祝福されました。神様は、神様と共に生きる者を大いに祝福されるお方です。

http://bible.com/81/2sa.6.8-11.ja1955

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サムエル記下 6:12-15
「しかしダビデ王は、「主が神の箱のゆえに、オベデエドムの家とそのすべての所有を祝福されている」と聞き、ダビデは行って、喜びをもって、神の箱をオベデエドムの家からダビデの町にかき上った。 主の箱をかく者が六歩進んだ時、ダビデは牛と肥えた物を犠牲としてささげた。 そしてダビデは力をきわめて、主の箱の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。 こうしてダビデとイスラエルの全家とは、喜びの叫びと角笛の音をもって、神の箱をかき上った。」

神の箱の故に、主がオベデエドムの家を祝福されていることを知ったダビデは、再び神の箱をエルサレムに招き入れようとしました。前回の失敗から学んだダビデは、今度は神様の命じられた方法に従い、自らエポデを身に着けて、前回よりも更に力を極めて主の御前に踊り、惜しみなく犠牲を捧げながら、神の箱をエルサレムに担ぎ上りました。私たちも時折熱心の故に失敗することもありますが、だからといって手を抜くことなく、失敗から賢く学び、どんな犠牲をも厭わず、ますます全力で主のために取り組む者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2sa.6.12-15.ja1955

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サムエル記下 6:17-19
「人々は主の箱をかき入れて、ダビデがそのために張った天幕の中のその場所に置いた。そしてダビデは燔祭と酬恩祭を主の前にささげた。 ダビデは燔祭と酬恩祭をささげ終った時、万軍の主の名によって民を祝福した。 そしてすべての民、イスラエルの全民衆に、男にも女にも、おのおのパンの菓子一個、肉一きれ、ほしぶどう一かたまりを分け与えた。こうして民はみなおのおのその家に帰った。」

前回の失敗からダビデは神の箱に関するモーセの教えについて相当深く学んだのでしょう、エルサレムの町に神の箱を置くための天幕を用意し、その中に神の契約の箱を据えました。そして主の前に燔祭と酬恩祭を捧げ、またイスラエルの全会衆に、記念の品々を惜しみなく大盤振る舞いしました。神様を喜ぶことは自分一人だけで終わらせるのではなく、周囲の人々に対しても惜しみなく分け与える寛大な感謝の心を持つことが大切です。

http://bible.com/81/2sa.6.17-19.ja1955

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サムエル記下 6:16, 20-23
『主の箱がダビデの町にはいった時、サウルの娘ミカルは窓からながめ、ダビデ王が主の前に舞い踊るのを見て、心のうちにダビデをさげすんだ。

ダビデが家族を祝福しようとして帰ってきた時、サウルの娘ミカルはダビデを出迎えて言った、「きょうイスラエルの王はなんと威厳のあったことでしょう。いたずら者が、恥も知らず、その身を現すように、きょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」。 ダビデはミカルに言った、「あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう。 わたしはこれよりももっと軽んじられるようにしよう。そしてあなたの目には卑しめられるであろう。しかしわたしは、あなたがさきに言った、はしためたちに誉を得るであろう」。 こうしてサウルの娘ミカルは死ぬ日まで子供がなかった。』

神の箱を迎え入れるために、力の限りを尽くして、喜び踊りながらエルサレムの町に入ったダビデを、端から冷ややかな目で見ていたのが、サウルの娘ミカルでした。彼女はサウル王と同じく、神様よりも王としての威厳や品位を保つことにこだわる心があったのでしょう。そんなミカルに対し、ダビデは神様を喜ぶ心の欠如した者は祝福を受けられないと宣告しました。果たしてその通り、ミカルは当時の女性にとって最高の祝福とされた子宝を、一生授かることがありませんでした。

クリスチャンの中にも、神様のために一生懸命になっている人を、端から、冷ややかな目で見る人がいます。しかし神様は、そのような冷めた信仰、神様に感謝し喜ぶ心を持たない者に祝福を賜るはずがありません。神様に対して斜に構える姿勢は誤った信仰です。私たちは神様に対して何事も全力で取り組む熱い信仰を保たなければなりません。

http://bible.com/81/2sa.6.16,20-23.ja1955
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