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【COGHCC聖書通読】 2016/11/05

2016-11-05 11:40:19 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記上 13:1-2
「サウルは三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた。 さてサウルはイスラエルびと三千を選んだ。二千はサウルと共にミクマシ、およびベテルの山地におり、一千はヨナタンと共にベニヤミンのギベアにいた。サウルはその他の民を、おのおの、その天幕に帰らせた。」

サウルの治世は彼が30歳の時から2年間でした。このときすでにサウルの子ヨナタンが将軍となっていましたが、おそらくイスラエルの成人式バル・ミヅパを迎えたばかりの12〜15歳くらいの年齢であったことと思われます。ヨナタンがいたベニヤミンのギベアという地名は、後に出てきます。イスラエルの王はサウルでしたが、すでにその子ヨナタンに関する記録が多くなっていることは、サウルの治世の短命ぶりを象徴しているようです。

http://bible.us/81/1sa.13.1-2.ja1955

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サムエル記上 13:5-7
「ペリシテびとはイスラエルと戦うために集まった。戦車三千、騎兵六千、民は浜べの砂のように多かった。彼らは上ってきて、ベテアベンの東のミクマシに陣を張った。 イスラエルびとは、ひどく圧迫され、味方が危くなったのを見て、ほら穴に、縦穴に、岩に、墓に、ため池に身を隠した。 また、あるヘブルびとはヨルダンを渡って、ガドとギレアデの地へ行った。しかしサウルはなおギルガルにいて、民はみな、ふるえながら彼に従った。」

ヨナタンに守備兵を打ち負かされたペリシテ人は、イスラエルと戦うために戦車3,000・騎兵6,000と、圧倒的な軍事力で攻めてきました。他の国に倣って王制は布いたものの、武器もほとんど持たないイスラエルに勝ち目はないと見て、サウルの徴兵に嫌々応じた民は次々と戦線離脱し、残った者も皆ふるえながらサウルに従っていました。戦うための装備もなく、戦意喪失した人々が何人いても、戦力になるはずがありません。

人の考えで他国を真似て、形だけ整えた王国のもろさが露呈しました。この世の成功事例や処世術に頼る者は、表面的で芯の強さがありません。天地を統べ治められる主に頼る者こそ、何事にも動じない強い心を保ち続けることができます。

http://bible.us/81/1sa.13.5-7.ja1955

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サムエル記上 13:8-10
『サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。 そこでサウルは言った、「燔祭と酬恩祭をわたしの所に持ってきなさい」。こうして彼は燔祭をささげた。 その燔祭をささげ終ると、サムエルがきた。サウルはあいさつをしようと、彼を迎えに出た。』

圧倒的に不利な戦況に、従ってきた民が次々と離れてゆく負のスパイラルに陥ったサウルは、サムエルの到着を待つことができず、自ら主に犠牲を捧げることで王の威厳を民に示そうとしました。しかしそれは主の律法に反する愚かな行為でした。神様のときを待つことができず、人目を気にして体裁を保とうとしたサウルのような愚かな者となってはなりません。

http://bible.us/81/1sa.13.8-10.ja1955

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サムエル記上 13:11-12
『その時サムエルは言った、「あなたは何をしたのですか」。サウルは言った、「民はわたしを離れて散って行き、あなたは定まった日のうちにこられないのに、ペリシテびとがミクマシに集まったのを見たので、 わたしは、ペリシテびとが今にも、ギルガルに下ってきて、わたしを襲うかも知れないのに、わたしはまだ主の恵みを求めることをしていないと思い、やむを得ず燔祭をささげました」。』

祭司以外の者が捧げてはならない燔祭と酬恩祭の犠牲を捧げたことをサムエルに咎められたサウルは、事もあろうにサムエルがなかなか来てくれなかったからだと責任転嫁し、自らの行為を正当化するための言い訳をしました。自らの罪を認めず、責任転嫁し、言い訳をする姿は、蛇に騙されたアダムとエバの原罪そのものです。私たちは素直に罪を認めて悔い改め、神様の赦しを乞う謙虚な信仰の姿勢を持たなければなりません。

http://bible.us/81/1sa.13.11-12.ja1955

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サムエル記上 13:13-15
『サムエルはサウルに言った、「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。 しかし今は、あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」。 こうしてサムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギベアに上っていった。サウルは共にいる民を数えてみたが、おおよそ六百人あった。』

主の御言葉と定めとを守らず、むしろ逆ギレして反論したサウルに、サムエルは彼の王権は長くは持たないと宣告しました。もしサウルがサムエルの到着を待ち、祭司に成り代わって犠牲を捧げるような愚かな行為を働かなかったら、彼は長くイスラエルの王として君臨することもできたのにと考えると、なんと勿体ないことをしてしまったのでしょう。

そしてサムエルはサウルの元を離れ、ベニヤミンのギベアに行きます。そこはサウルの息子ヨナタンがいた地です。「主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。」とありますが、主は御心に適わないサウルを王位から退けたことを明らかにされたのではないでしょうか。

一時の感情や焦りに心が支配されてしまうと、人は罪を犯す危険に曝されます。いかなる逆境に遭遇しても、心を治めて主の助けを待ち望み、罪に陥る危険性を排除して、主の守りと祝福が自分の身に長く臨むようにと祈り願う私たちでありますように。

http://bible.us/81/1sa.13.13-15.ja1955

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サムエル記上 13:19, 22
『そのころ、イスラエルの地にはどこにも鉄工がいなかった。ペリシテびとが「ヘブルびとはつるぎも、やりも造ってはならない」と言ったからである。

それでこの戦いの日には、サウルおよびヨナタンと共にいた民の手には、つるぎもやりもなく、ただサウルとその子ヨナタンとがそれを持っていた。』

サムエル記の時代は青銅器文明から鉄器文明に移り変わる時期で、海洋民族のペリシテ人たちは鉄器を作る技術を持っていましたが、遊牧民のイスラエルには鉄器を作ることができず、剣を持っていたのもサウル王と息子のヨナタンだけと、軍事力の違いは圧倒的でした。ですから人の常識的な判断基準では、イスラエルに勝ち目がないことは歴然としていました。

しかし人の目には不可能なことも、神様には決して不可能ではありません。たといペリシテ人に対抗しうる武器を持つ者はサウル王とヨナタンだけしかいなくとも、主は武器を用いずに戦いに勝利されるお方です。私たちの取るべき武器は、主に信頼して救いを待ち望む信仰です。

http://bible.us/81/1sa.13.19,22.ja1955
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【今日の聖句】 2016/11/05

2016-11-05 06:50:07 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 12:1
「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」

すべてのクリスチャンは神の僕、すなわち献身者です。わが身わがものと思わず、身も心もきよめて主に捧げ、命を懸けて御言葉に従い、自らの生き様を通して義かつ聖なる神様をフルタイムで証する私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.12.1.ja1955
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