伊藤ファミリーBLOG

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【今日の聖句】 2016/10/17

2016-10-17 06:55:22 | 今日の聖句
箴言 12:15
「愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。」

自分の考えにこだわって人の意見に聞く耳を持たない者は愚かな人です。自分が正しいと思うことが本当に正しいことか客観的に見る目を持ち、義なる神様の御言葉に照らして戒めに聞き従う謙虚な心を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.12.15.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/10/16

2016-10-16 07:30:33 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 18:5-6
『彼らは言った、「どうぞ、神に伺って、われわれが行く道にしあわせがあるかどうかを知らせてください」。 その祭司は彼らに言った、「安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます」。』

ミカの家の雇われ祭司となった若者は、領地を求めて探りに来たダンのスバイたちの問いに対して、主に尋ね求めることもせず、安直に神の平安と守りがあると答えました。まことの祭司ではなく神様に仕えるべき資質のない者は、単にその場をうまく取り繕い、人を喜ばせるためだけに、いたずらに神の平安と祝福の言葉を口にします。私たちはそのような神の言葉に見せかけた偽りの言葉、不真実な平安の約束に騙されてはなりません。

http://bible.com/81/jdg.18.5-6.ja1955

*****

士師記 18:9-10
『彼らは言った、「立って彼らのところに攻め上りましょう。われわれはかの地を見たが、非常に豊かです。あなたがたはなぜじっとしているのですか。ためらわずに進んで行って、かの地を取りなさい。 あなたがたが行けば、安らかにおる民の所に行くでしょう。その地は広く、神はそれをあなたがたの手に賜わるのです。そこには地にあるもの一つとして欠けているものはありません」。』

ダンの人々は偽祭司の語った言葉を自分の都合の良いように解釈し、平和に暮らしていたライシの町を攻め取ることを神様の御心だと受け止めました。このような身勝手な信仰、自分の目によいと思われることを神様の御心だと勝手に思いこむ自己中心な信仰は、神様に喜ばれるはずがありません。私たちはこのような身勝手な信仰に陥らないよう気をつけなければなりません。

http://bible.com/81/jdg.18.9-10.ja1955

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士師記 18:17-20
「かの土地をうかがいに行った五人の者は上って行って、そこにはいり、刻んだ像とエポデとテラピムと鋳た像とを取ったが、祭司は武器を帯びた六百人の者と共に門の入口に立っていた。 彼らがミカの家にはいって刻んだ像とエポデとテラピムと鋳た像とを取った時、祭司は彼らに言った、「あなたがたは何をなさいますか」。 彼らは言った、「黙りなさい。あなたの手を口にあてて、われわれと一緒にきて、われわれのために父とも祭司ともなりなさい。ひとりの家の祭司であるのと、イスラエルの一部族、一氏族の祭司であるのと、どちらがよいですか」。 祭司は喜んで、エポデとテラピムと刻んだ像とを取り、民のなかに加わった。」

ミカの家の雇われ祭司は、偶像とエポデを奪って行こうとするダンの人々の誘いに乗り、喜んでダンの祭司に鞍替えしました。彼の祭司としての召しは神様からではなく、金銭欲と名誉欲から来るものでした。彼は結局神様に仕えたのではなく、自分の欲望に仕えたに過ぎなかったのです。私たちが神様に仕える動機は、神様のためにお役に立ちたいという純粋な信仰、神様の御言葉に忠実に従う従順と謙遜から来るものでなければなりません。

http://bible.com/81/jdg.18.17-20.ja1955

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士師記 18:27-31
「さて彼らはミカが造った物と、ミカと共にいた祭司とを奪ってライシにおもむき、穏やかで、安らかな民のところへ行って、つるぎをもって彼らを撃ち、火をつけてその町を焼いたが、 シドンを遠く離れており、ほかの民との交わりがなかったので、それを救うものがなかった。その町はベテレホブに属する谷にあった。彼らは町を建てなおしてそこに住み、 イスラエルに生れた先祖ダンの名にしたがって、その町の名をダンと名づけた。その町の名はもとはライシであった。 そしてダンの人々は刻んだ像を自分たちのために安置し、モーセの孫すなわちゲルショムの子ヨナタンとその子孫がダンびとの部族の祭司となって、国が捕囚となる日にまで及んだ。 神の家がシロにあったあいだ、常に彼らはミカが造ったその刻んだ像を飾って置いた。」

誤った信仰、誤った召命、誤った御言葉の解釈は、悲劇と混乱をもたらします。偽祭司を擁し、誤った御心に従って自分たちの好き勝手に振る舞ったダンの人々は、ライシの人々を虐殺してその町をダンと改名し、ミカが造った偶像を置いた偽の神殿と、偽の祭司を任命して、偶像礼拝を始めました。この偶像礼拝は、北イスラエル王国が滅亡するまで続きました。私たちはダンの人々が行ったような過ちを決して犯してはなりません。

http://bible.com/81/jdg.18.27-31.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/16

2016-10-16 06:40:24 | 今日の聖句
詩篇 18:30
「この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実です。主はすべて寄り頼む者の盾です。」

天地の造り主なる神様は、私たちの信仰ときよさに応じて、真実に、そして完全に報いられるお方です。たとい四面楚歌、絶体絶命の状況に陥っても、主に寄り頼み義に生きる者の盾となって守り、救い出してくださる神様の御言葉と道とを守り行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.18.30.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/10/15

2016-10-15 22:20:13 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 17:6
「そのころイスラエルには王がなかったので、人々はおのおの自分たちの目に正しいと思うことを行った。」

この一節が士師記の時代を象徴する言葉です。神様の祝福を受け継ぐ民とされたイスラエルは、神の義の基準に従うべきなのに、自分の正しいと思うことを行い好き勝手に振る舞いました。17章に出てくるミカという人はその最たる者で、母親の金を盗み、返したお金で偶像を作り、アロンの子孫のみが代々受け継ぐべき祭司を勝手に任命して、神様を私物化しました。

私たちはどうでしょうか。神様や教会を私物化していないでしょうか。あるいは神様を信じていると言いながら、自分の都合を最優先とし、自分の欲望を満たすために好きなことをやりたい放題の人生を送っていないでしょうか。神様を脇に置いて自分を中心に据える心、神様の御心に適う生き方よりも自分を喜ばせる生き方は、神の民に相応しくありません。もしそのような不従順な心に気がついたならば直ちに悔い改め、自分の目に正しいことではなく神様の目に正しいことを率先して行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.17.6.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/15

2016-10-15 06:55:29 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 7:38
「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。

この世の楽しみや肉の欲望を満たす快楽は一時的なものに過ぎず、再び心の渇きを覚えて次の快楽を求める悪循環に陥ります。イエス・キリストを主と信じ、聖霊の満たしを受けて、喜びと感謝が川の如くあふれ流れて心を潤し続ける、恵み豊かな生涯を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.7.38.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/10/14

2016-10-14 08:24:21 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 16:4-5
『この後、サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛した。 ペリシテびとの君たちはその女のところにきて言った、「あなたはサムソンを説きすすめて、彼の大力はどこにあるのか、またわれわれはどうすれば彼に勝って、彼を縛り苦しめることができるかを見つけなさい。そうすればわれわれはおのおの銀千百枚ずつをあなたにさしあげましょう」。』

戦いには無敵のサムソンでしたが、異性の誘惑には打ち勝つことができませんでした。結婚の失敗から学び悔い改めることをしなかった彼はますます深みにはまり、まずはガザの遊女のところに入り、ついに人よりも金を愛する悪女デリラに心を奪われてしまいました。彼女は合計5,500枚の銀貨と引き替えに、サムソンの怪力の秘密を聞き出す約束をペリシテ人の君たちと交わしました。

いかに神様を信じ正しく歩んでいたとしても、サタンは私たちの弱点を集中攻撃して心を支配しようと、常に隙を狙っています。私たちは自分の弱点が何であるか正しく認識し、罪を根源から絶ち切らなければなりません。

http://bible.com/81/jdg.16.4-5.ja1955

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士師記 16:15-17
『そこで女はサムソンに言った、「あなたの心がわたしを離れているのに、どうして『おまえを愛する』と言うことができますか。あなたはすでに三度もわたしを欺き、あなたの大力がどこにあるかをわたしに告げませんでした」。 女は毎日その言葉をもって彼に迫り促したので、彼の魂は死ぬばかりに苦しんだ。 彼はついにその心をことごとく打ち明けて女に言った、「わたしの頭にはかみそりを当てたことがありません。わたしは生れた時から神にささげられたナジルびとだからです。もし髪をそり落されたなら、わたしの力は去って弱くなり、ほかの人のようになるでしょう」。』

怪力の秘密を聞き出そうとするデリラの言葉を最初は軽く受け流していたサムソンでしたが、デリラの巧みな誘惑に負けてしまい、ついに最大の秘密を打ち明けてしまいました。いかに神様の力が宿り怪力を誇っていたとしても、心をサタンに奪われた者は、実に弱いものです。私たちは何よりもまず心を守る必要があります。

またサムソンは以前にも、結婚相手の泣き落としに負けて秘密を明かしてしまうという、全く同じ過ちを犯していましたが、過去の失敗は生かされず、ついに人生最大の危機に陥る羽目になりました。心から悔い改めない者は、同じ過ちを何度も繰り返します。悔い改めは、悔い+改めです。ただ単に失敗を悔いるだけで終わらせず、生き方を改めることが肝要です。

http://bible.com/81/jdg.16.15-17.ja1955

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士師記 16:18-19
『デリラはサムソンがその心をことごとく打ち明けたのを見、人をつかわしてペリシテびとの君たちを呼んで言った、「サムソンはその心をことごとくわたしに打ち明けましたから、今度こそ上っておいでなさい」。そこでペリシテびとの君たちは、銀を携えて女のもとに上ってきた。 女は自分のひざの上にサムソンを眠らせ、人を呼んで髪の毛、七ふさをそり落させ、彼を苦しめ始めたが、その力は彼を去っていた。』

サムソンの秘密を知ったデリラは、彼を誘惑して寝かしつけ、ナジル人の象徴であり怪力の源である髪の毛をすべてそり落としました。何も知らずに眠るサムソンは、神の力が離れ去ったことさえも気付きませんでした。私たちは神様の御臨在に敏感でなければなりません。

http://bible.com/81/jdg.16.18-19.ja1955

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士師記 16:20-22
『そして女が「サムソンよ、ペリシテびとがあなたに迫っています」と言ったので、彼は目をさまして言った、「わたしはいつものように出て行って、からだをゆすろう」。彼は主が自分を去られたことを知らなかった。 そこでペリシテびとは彼を捕えて、両眼をえぐり、ガザに引いて行って、青銅の足かせをかけて彼をつないだ。こうしてサムソンは獄屋の中で、うすをひいていたが、 その髪の毛はそり落された後、ふたたび伸び始めた。』

神様の御臨在が去ったことに気が付かなかったサムソンは、敵の襲来に「いつものように」戦おうとしましたが、神の力が去った今、もはや勝ち目はなく、いとも簡単に取り押さえられ、両目をえぐられて投獄されてしまいました。しかし神様の憐れみはサムソンに注がれ、剃り落とされた髪の毛は再び伸び始めます。これはサムソンの心からの悔い改めと霊的な成長を意味します。

神様の恵みと、共にいてくださる御臨在を「当たり前」と思う心こそ、私たちの最大の敵です。常に共にいてくださる神様を心で感じ取り、神様の憐れみが今日も注がれていることに心から感謝する私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.16.20-22.ja1955

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士師記 16:28-30
『サムソンは主に呼ばわって言った、「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」。 そしてサムソンは、その家をささえている二つの中柱の一つを右の手に、一つを左の手にかかえて、身をそれに寄せ、 「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すべての民の上に倒れた。こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かった。』

一度は神様の御臨在と力を失ったサムソンでしたが、心から悔い改め、再び神様のために用いられたいという祈りが、ペリシテ人からイスラエルを救うために一生を捧げたサムソン最大のチャンスを生み出しました。結果的にサムソンはペリシテ人と差し違えて命を落としてしまいましたが、このとき倒したペリシテ人の数は、生涯最大の戦果を上げました。

神様は、たとえ罪を犯してしまったとしても、過去の失敗に固執することなく、真摯に神様に従おうとする者の祈りを聞き届けて、尊く用いてくださいます。罪深く弱い私たちですが、心からの悔い改めと服従をもって、神様のためにお役に立ちたいと願い求める者でありたいと願います。

http://bible.com/81/jdg.16.28-30.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/14

2016-10-14 07:00:02 | 今日の聖句
詩篇 73:26
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」

悪しき者の成功や繁栄をねたましく思うのは、この世のものを愛しているからです。やがて滅び行くこの世の現実に心を煩わせることなく、永遠の平安が約束された天の御国を受け継ぐ者とされた喜びを心に抱き、今日も一日、御心に適うきよい信仰生活を送る力の源とする私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.73.26.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/10/13

2016-10-13 08:00:06 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 15:1-5
『日がたって後、麦刈の時にサムソンは子やぎを携えて妻をおとずれ、「へやにはいって、妻に会いましょう」と言ったが、妻の父ははいることを許さなかった。 そして父は言った、「あなたが確かに彼女をきらったに相違ないと思ったので、わたしは彼女をあなたの客であった者にやりました。彼女の妹は彼女よりもきれいではありませんか。どうぞ、彼女の代りに妹をめとってください」。 サムソンは彼らに言った、「今度はわたしがペリシテびとに害を加えても、彼らのことでは、わたしに罪がない」。 そこでサムソンは行って、きつね三百匹を捕え、たいまつをとり、尾と尾をあわせて、その二つの尾の間に一つのたいまつを結びつけ、 たいまつに火をつけて、そのきつねをペリシテびとのまだ刈らない麦の中に放し入れ、そのたばね積んだものと、まだ刈らないものとを焼き、オリブ畑をも焼いた。』

婚宴のときに起こした騒動を反省したサムソンは、子やぎを手みやげにして花嫁の家に行き、和解を申し出ました。しかし時すでに遅し、サムソンと結婚するはずだった花嫁は他人の元に嫁いでいました。怒ったサムソンはキツネを用いて刈り入れ直前の麦畑とオリーブ畑を焼き、ペリシテ人に報復しました。

サムソンは「今度は私には罪がない」と言っていますが、元々は自分の蒔いた種であることに変わりありません。人の考えることは主観的で、自分の都合の良いように解釈しがちです。事ある毎に、公正な裁きをなされる神様の御心を求めることこそ、私たちが平安のうちに正しく生きるために必要なことです。

http://bible.com/81/jdg.15.1-5.ja1955

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士師記 15:6-8
『ペリシテびとは言った、「これはだれのしわざか」。人々は言った、「テムナびとの婿サムソンだ。そのしゅうとがサムソンの妻を取り返して、その客であった者に与えたからだ」。そこでペリシテびとは上ってきて彼女とその父の家を火で焼き払った。 サムソンは彼らに言った、「あなたがたがそんなことをするならば、わたしはあなたがたに仕返しせずにはおかない」。 そしてサムソンは彼らを、さんざんに撃って大ぜい殺した。こうしてサムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んでいた。』

その年の収穫をすべて失ったペリシテ人たちは、犯人が怪力サムソンであることを知って直接対決することを避け、彼が結婚するはずだった花嫁の家を焼き払いました。そのことを知ったサムソンは、またも「仕返しせずにはおかない」と自分勝手な理由をつけて、大勢のペリシテ人を撃ち殺しました。

原因を知っても根本から解決しようとせず、誰かをスケープゴートに仕立てて腹いせをするやり方は、被害を拡大するだけで何一つ解決できません。私たちの失敗や過ちの根本原因である罪を、臭いものに蓋をするように目をそらせ続けて解決しないまま放置するならば、幸せな生涯は決して訪れません。自らの罪深さを素直に認め、心から悔い改めて主イエス・キリストの十字架により赦していただき、罪を根本から解決してまことの祝福に満ちた生涯を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.15.6-8.ja1955

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士師記 15:9-13
『そこでペリシテびとは上ってきて、ユダに陣を取り、レヒを攻めたので、 ユダの人々は言った、「あなたがたはどうしてわれわれのところに攻めのぼってきたのですか」。彼らは言った、「われわれはサムソンを縛り、彼がわれわれにしたように、彼にするために上ってきたのです」。 そこでユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った、「ペリシテびとはわれわれの支配者であることをあなたは知らないのですか。あなたはどうしてわれわれにこんな事をしたのですか」。サムソンは彼らに言った、「彼らがわたしにしたように、わたしは彼らにしたのです」。 彼らはまたサムソンに言った、「われわれはあなたを縛って、ペリシテびとの手にわたすために下ってきたのです」。サムソンは彼らに言った、「あなたがた自身はわたしを撃たないということを誓いなさい」。 彼らはサムソンに言った、「いや、われわれはただ、あなたを縛って、ペリシテびとの手にわたすだけです。決してあなたを殺しません」。彼らは二本の新しい綱をもって彼を縛って、岩からひきあげた。』

サムソンの仕業に業を煮やしたペリシテ人たちは、ユダに対して戦争を仕掛けました。ペリシテ人に支配されていたユダの人々は、自分よりも強いペリシテ人との争いを避けるために、自分たちの同族であるサムソンを縛って敵に差し出しました。しかしサムソンはユダの人々に対して抵抗することなく、ただ自分を撃たないように約束させただけで、たった一人で敵の前に進み出ました。

私たちは、信仰の仲間たちや共同体を裏切り、魂を売り渡すような真似をしてはなりません。しかしもし自分が裏切られたときは、自ら報復するようなことはせず、現実をそのまま受け止めて、結果を主の御手に委ねることが必要です。

http://bible.com/81/jdg.15.9-13.ja1955

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士師記 15:14-15
「サムソンがレヒにきたとき、ペリシテびとは声をあげて、彼に近づいた。その時、主の霊が激しく彼に臨んだので、彼の腕にかかっていた綱は火に焼けた亜麻のようになって、そのなわめが手から解けて落ちた。 彼はろばの新しいあご骨一つを見つけたので、手を伸べて取り、それをもって一千人を打ち殺した。」

縛り上げられたサムソンを見たペリシテ人たちは、彼に報復しようと一斉に攻めてきましたが、主はこのときとばかりにサムソンに激しく霊を注ぎ、力を与えて縄目を解き、たった一人でペリシテ人の軍勢を撃ち破らせました。主は、私たちの必要なときに、必要十分な力を与えてくださいます。

http://bible.com/81/jdg.15.14-15.ja1955

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士師記 15:18-20
『時に彼はひどくかわきを覚えたので、主に呼ばわって言った、「あなたはしもべの手をもって、この大きな救を施されたのに、わたしは今、かわいて死に、割礼をうけないものの手に陥ろうとしています」。 そこで神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれたので、そこから水が流れ出た。サムソンがそれを飲むと彼の霊はもとにかえって元気づいた。それでその名を「呼ばわった者の泉」と呼んだ。これは今日までレヒにある。 サムソンはペリシテびとの時代に二十年の間イスラエルをさばいた。』

たった一人でペリシテ人の軍勢を撃ち破ったサムソンでしたが、戦い終えるとひどくかわきを覚え、主に呼ばわりました。そこで主はサムソンの呼ばわる声を聞き、レヒの窪地を割いて泉を湧き上がらせて、彼の渇きを癒しました。彼は水を飲むと「霊がもとにかえって元気づいた」とあることから、サムソンの渇きは単なるのどの渇きだけでなく、魂の渇きであることがわかります。

霊的にも力を得たサムソンは、その後20年間、イスラエルを救う士師として働くことができました。主のためにたった一人で身を粉にして働くとき、私たちもまた心の渇き、魂の渇きを覚えます。その状態をそのまま放置すると、霊的に燃え尽きてしまいます。私たちは常に神様から御言葉の泉を湧き上がらせていただき、魂が潤った状態を保たなければなりません。

http://bible.com/81/jdg.15.18-20.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/13

2016-10-13 06:55:31 | 今日の聖句
ヤコブの手紙 3:16
「ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。」

心から神を畏れ主の御前にへりくだる人は、人に対しても悪しき思いを抱かず、人を立て、人を生かす言動を常日頃から心掛けます。人と自分を比較して相手の欠点や弱さを指摘し合い人をおとしめることなく、お互いの良い点を認めて尊重し合い、平和的に神の義を世に証する私たちでありますように。

http://bible.com/81/jas.3.16.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/10/12

2016-10-12 08:00:16 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 14:1-2
『サムソンはテムナに下って行き、ペリシテびとの娘で、テムナに住むひとりの女を見た。彼は帰ってきて父母に言った、「わたしはペリシテびとの娘で、テムナに住むひとりの女を見ました。彼女をめとってわたしの妻にしてください」。』

ナジル人として生まれたサムソンでしたが、その生活態度は生涯を神様に捧げるきよい者には相応しくない、実に世俗的なものでした。そして彼は敵であるペリシテ人の女性に一目惚れして、父と母に彼女と結婚したいと申し出るほどに堕落していました。私たちも神様を信じていると自認しながら、神様を信じていない人々と変わらず、神の民に相応しくない世俗的な生活をしていないでしょうか。信仰を一番とすることができず、誘惑に打ち勝つことのできなかったサムソンの生き方を決して真似することのないように心掛ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.14.1-2.ja1955

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士師記 14:3-4
『父母は言った、「あなたが行って、割礼をうけないペリシテびとのうちから妻を迎えようとするのは、身内の娘たちのうちに、あるいはわたしたちのすべての民のうちに女がないためなのですか」。しかしサムソンは父に言った、「彼女をわたしにめとってください。彼女はわたしの心にかないますから」。 父母はこの事が主から出たものであることを知らなかった。サムソンはペリシテびとを攻めようと、おりをうかがっていたからである。そのころペリシテびとはイスラエルを治めていた。』

サムソンの両親は、同じ神様を信じるイスラエル人の中にも結婚するに相応しい女性がいるはずだとサムソンを問いつめましたが、サムソンは聞く耳を持たず、結局は自分の身勝手をごり押しして、ペリシテの女性と結婚しようとしました。恋は盲目といいますが、異性の誘惑には私たちは最も気をつけなければなりません。

しかしそんなサムソンの欠点をも神様は用いられ、ペリシテ人に対して反撃を始める機会とされました。私たちの失敗をも良きに変えてきよめられる主の御業の不思議さを思い、いつまでも失敗にくよくよせず、主の御手に委ねることができますように。

http://bible.com/81/jdg.14.3-4.ja1955

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士師記 14:5-6
「かくてサムソンは父母と共にテムナに下って行った。彼がテムナのぶどう畑に着くと、一頭の若いししがほえたけって彼に向かってきた。 時に主の霊が激しく彼に臨んだので、彼はあたかも子やぎを裂くようにそのししを裂いたが、手にはなんの武器も持っていなかった。しかしサムソンはそのしたことを父にも母にも告げなかった。」

サムソンは「下っていった」とありますが、これは地理的な説明だけではなく、サムソンの霊的状態をも表しています。神様の戒めを破って異教の女性と結婚しようとし、ぶどうを口にしてはならないナジル人でありながらぶどう畑に入ったサムソンが、いかに堕落した生活に浸っていたかがわかります。

しかし神様はそんなサムソンにも御霊を激しく下し、獅子に襲われても素手で裂き殺すほどの力を発揮しました。神様は尊い者も、尊くない者も、意のままに用いられるお方であることを覚えます。

http://bible.com/81/jdg.14.5-6.ja1955

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士師記 14:8-9
「日がたって後、サムソンは彼女をめとろうとして帰ったが、道を転じて、かのししのしかばねを見ると、ししのからだに、はちの群れと、蜜があった。 彼はそれをかきあつめ、手にとって歩きながら食べ、父母のもとに帰って、彼らに与えたので、彼らもそれを食べた。しかし、ししのからだからその蜜をかきあつめたことは彼らに告げなかった。」

サムソンは帰り道に裂き殺した獅子を見ると、そこに蜂が巣を作り蜜を滴らせていたため、それらをかき集めて食べながら家に帰りました。ここでも彼は、死体にふれてはならないもいうナジル人の掟を破ってさえ、食欲を満たそうとする愚かな行動に出ました。情欲も、食欲も、度が過ぎると己の身を滅ぼす罪となることを、私たちは決して忘れてはなりません。

http://bible.com/81/jdg.14.8-9.ja1955

*****

士師記 14:17-20
『彼女は七日のふるまいの間、彼の前に泣いていたが、七日目になって、サムソンはついに彼女に解き明かした。ひどく彼に迫ったからである。そこで彼女はなぞを自分の国の人々にあかした。七日目になって、日の没する前に町の人々はサムソンに言った、「蜜より甘いものに何があろう。ししより強いものに何があろう」。サムソンは彼らに言った、「わたしの若い雌牛で耕さなかったなら、わたしのなぞは解けなかった」。 この時、主の霊が激しくサムソンに臨んだので、サムソンはアシケロンに下って行って、その町の者三十人を殺し、彼らからはぎ取って、かのなぞを解いた人々に、その晴れ着を与え、激しく怒って父の家に帰った。 サムソンの妻は花婿付添人であった客の妻となった。』

ペリシテの女性との婚宴で謎かけをしたサムソンは、結婚相手の色仕掛けに負けて、その答えを教えてしまいました。私たちの結婚すべき相手は、自分の利益のためになら夫または妻を平気で騙すような偽り者であって良いでしょうか。結婚相手は慎重に選ばなければなりません。

いずれにせよ賭に負けたサムソンは怒りを発し、その地域に住む何の関係のない人を殺して掛けの商品を奪うという暴挙に出ます。そのためあれほど結婚したいと願った女性は、他人の妻となってしまいました。

私たちの行動が信仰によらず、神様の御心に適わないことを無理矢理押し通そうとしても、結局は願い通りにはならないことを、私たちは心に刻まなければなりません。

http://bible.com/81/jdg.14.17-20.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/12

2016-10-12 06:54:14 | 今日の聖句
エペソ人への手紙 6:10
「最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。」

人に対して争うならば己の力と頑張りで勝利できるかもしれませんが、私たちが対決する真の相手は、人ではなく、諸々の悪しき霊です。人の力では到底太刀打ちできない闇の力に対抗するために、天地万物の主権者であられる主の御力により強められ、罪の支配に屈せず神の義を高く掲げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/eph.6.10.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/10/11

2016-10-11 08:00:09 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 13:1
「イスラエルの人々がまた主の前に悪を行ったので、主は彼らを四十年の間ペリシテびとの手にわたされた。」

何人かの士師の後、イスラエルの民は再び主の教えを捨てて悪を行ったため、主はペリシテ人を用いてイスラエルを懲らしめられました。主の御前に悪を行うとは、道徳的に悪いことを行ったというだけではなく、主の御言葉に聞き従わず、自分の思い通りに生きようとすること、神様よりも自分を最優先する生き方、すなわち自分を神とすることです。

神様はそのような堕落したイスラエル人を正すために、道徳的にも悪いペリシテ人さえも用いて懲らしめられるのです。神様を最優先としているかどうか、今一度、自分のライフスタイルを見直して、自分を神とする生き方から、主をわが神として聖書の御言葉に聞き従う生き方に改める私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.13.1.ja1955

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士師記 13:2
「ここにダンびとの氏族の者で、名をマノアというゾラの人があった。その妻はうまずめで、子を産んだことがなかった。」

神様はただイスラエルを懲らしめられるだけでなく、神様に立ち帰ることができるように必要な導き手をも用意されるお方です。このとき用いられたのはダン族のマノアという一夫婦でした。

彼らの長年の祈りは子どもを授かることでした。しかし神様は彼らの祈り願いをずっと聞かれませんでした。それは自分の思い通りに生きるイスラエルの人々の中で、思い通りにならない生き方をしてきた者を通して神様の奇跡を行い、イスラエルを神様に立ち帰らせて救い出すために他ならなかったのです。

自分の思い通りの生き方ができないとき、それは神様に近づく絶好の機会、神様に用いられるチャンスです。

http://bible.com/81/jdg.13.2.ja1955

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士師記 13:3-5
『主の使がその女に現れて言った、「あなたはうまずめで、子を産んだことがありません。しかし、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。 それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。 あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。』

主はマノアの妻に、これから授かる子は生まれながら生涯を主に捧げるべきナジル人で、酒も、あらゆる汚れたものも、いっさい口にしてはならず、また髪の毛を剃ってはならないと告げました。

ようやく授かる待望の我が子が、自分のものではなく神様に一生を捧げる者となるとは、何という皮肉でしょうか。しかし我が子が神様のために用いられる器となることは、マノア夫妻にとってこの上ない喜びだったのです。

自分の願望通りに生きることよりも、神様に用いられることを最高の喜びとする私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.13.3-5.ja1955

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士師記 13:7-8
そこでマノアは主に願い求めて言った、「ああ、主よ、どうぞ、あなたがさきにつかわされた神の人をもう一度わたしたちに臨ませて、わたしたちがその生れる子になすべきことを教えさせてください」。』

マノアは主の御使が妻に告げた不思議な御告げを聞いて、再び御使を遣わして、自分は何をなすべきかを教えてくださいと祈りました。自分の願望が叶う喜びよりも、神様の与えられた使命を願い求める心こそ、私たちが取るべき信仰の姿勢です。

http://bible.com/81/jdg.13.7-8.ja1955

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士師記 13:24-25
「やがて女は男の子を産んで、その名をサムソンと呼んだ。その子は成長し、主は彼を恵まれた。 主の霊はゾラとエシタオルの間のマハネダンにおいて初めて彼を感動させた。」

御使の告げた通り、マノア夫妻に待望の男の子が産まれました。これが怪力の士師サムソンです。マノア夫妻は御使から告げられた通り、生まれながらに神様に捧げられたナジル人の規定に従い、酒も、きよくないものもいっさい口にせず、髪の毛も剃らずに成長しました。そこで彼が成人したとき、聖霊なる神様が激しく彼に臨まれ、心を新たに自分の意志で神様に従う信仰を持つに至りました。

生まれながらのナジル人であっても、神様と直接出会う経験がなければ、神様を信じることはできません。同時に、きよくない生き方を送らない人は、神様のために用いられることはできません。私たちは、主を私の神とする信仰告白と、きよい生き方を同時に満たす者でありたいと願います。

http://bible.com/81/jdg.13.24-25.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/11

2016-10-11 06:48:34 | 今日の聖句
ヨハネの第一の手紙 4:15
「もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。」

聖霊なる神様が私たちの心の内にいて御言葉の真理を解き明かしてくださらなければ、イエス様を神の子、わが救い主と告白することはできません。イエス様を単に偉大な人物、良き教師と理解する知識を越えて、まことの神、私の主と信じさせてくださる内なる御霊の声に素直に聞き従う私たちでありますように。

http://bible.com/81/1jn.4.15.ja1955
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最近のお気に入りCD「Evergreen」by 竹下静さん

2016-10-10 19:53:37 | クリスチャン
TV番組ライフラインの先月のエンディングテーマ曲を歌っていた竹下静さんの最新CD「Evergreen〜永遠に〜」を買いました。

このアルバム、期待した以上で、かなりオススメです。ここ一週間、会社帰りにほぼ毎日聞いています。

私はあまり知らないアーティストのCDは滅多なことでは買わないのですが、テレビから流れてきた彼女の歌声にはなぜか心のアンテナがピンときて、買ってみて大正解でした。

http://holyhope.net/shiz/



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【COGHCC聖書通読】 2016/10/10

2016-10-10 11:15:15 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 12:1
『エフライムの人々は集まってザポンに行き、エフタに言った、「なぜあなたは進んで行ってアンモンの人々と戦いながら、われわれを招いて一緒に行かせませんでしたか。われわれはあなたの家に火をつけてあなたを一緒に焼いてしまいます」。』

エフライム部族はギデオンが士師であったときにも、自らは率先して戦いに参加しなかったくせに、後からしゃしゃり出て来て難癖をつける、いわば「おいしいところだけ横取りする」不誠実な態度が見受けられました。更にエフタに対しては、家に火をつけて焼いてしまうとまで言い放つほど高慢になりました。

それはエフライム族がイスラエル12部族の中でも人数の多い有力な民であり、神様から祝福された民であると自認する気位の高さと、妾の子であったエフタに対する侮辱や対抗心が含まれていると思われます。

高慢は神様の最も忌み嫌われる心です。私たちは皆、罪赦された罪人に過ぎないことを認めるならば、人を見下すような真似など決してできないはずです。このエフライムの取った高慢な態度を、私たちは決して真似てはなりません。

http://bible.com/81/jdg.12.1.ja1955

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士師記 12:2-3
『エフタは彼らに言った、「かつてわたしとわたしの民がアンモンの人々と大いに争ったとき、あなたがたを呼んだが、あなたがたはわたしを彼らの手から救ってくれませんでした。 あなたがたが救ってくれないのを見たから、わたしは命がけでアンモンの人々のところへ攻めて行きますと、主は彼らをわたしの手にわたされたのです。どうしてあなたがたは、きょう、わたしのところに上ってきて、わたしと戦おうとするのですか」。』

不条理な難癖をつけてきたエフライムに対し、エフタは自分の取った行動を順序立てて説明し、自らの潔白とエフライムの不遜を指摘しました。このときエフライムの取った態度は正しいように見えますが、同じようにエフライムに難癖をつけられたギデオンの場合はエフライムの功績を認めて和解の道を開いたのに対し、エフタは自分の正しさを主張するのみで、憐れみと公正な心を持ち合わせていませんでした。これは真の士師の姿とはほど遠いものです。私たちは自分の正しさを主張するだけで相手の長所を認めなかったり、平和的な解決の道を閉ざすような、心の狭い者になってはなりません。

http://bible.com/81/jdg.12.2-3.ja1955

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士師記 12:4-6
「そこでエフタはギレアデの人々をことごとく集めてエフライムと戦い、ギレアデの人々はエフライムを撃ち破った。これはエフライムが「ギレアデびとよ、あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの落人だ」と言ったからである。 そしてギレアデびとはエフライムに渡るヨルダンの渡し場を押えたので、エフライムの落人が「渡らせてください」と言うとき、ギレアデの人々は「あなたはエフライムびとですか」と問い、その人がもし「そうではありません」と言うならば、 またその人に「では『シボレテ』と言ってごらんなさい」と言い、その人がそれを正しく発音することができないで「セボレテ」と言うときは、その人を捕えて、ヨルダンの渡し場で殺した。その時エフライムびとの倒れたものは四万二千人であった。」

エフタを「落人」と見下してその功績を認めず、手柄だけを独り占めしようとしたエフライムは、ついにイスラエル民族の間で同士討ちをするという、本末転倒な行動に出ます。そして馬鹿にされた屈辱に怒りを燃やしたエフタはエフライムとの戦いに勝利しただけでは満足せず、ヨルダンの渡し場を制圧し、方言を利用してエフライムの落人を一人残らず見つけ出し、皆殺しにするような、復讐の鬼と化してしまいました。その結果エフライム族は42,000人も命を落とし、一族滅亡の危機に瀕するほどに弱体化されてしまいました。

私たちは誤った自尊心から人を侮辱する高慢や、逆に自己認識の低さに起因するコンプレックス、あるいは不当な仕打ちに対する怒りなどの、マイナスの感情に心を支配されてはなりません。右の頬を打たれたならば左の頬をも差し出しなさいと教えられ、自らの潔白を主張せず十字架の死に至るまで柔和で謙遜であられたイエス様に倣い、自己主張やマイナスの感情に勝利して、神様の愛を自らの言動で示す私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.12.4-6.ja1955

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士師記 12:7-8, 11, 13
「エフタは六年の間イスラエルをさばいた。ギレアデびとエフタはついに死んで、ギレアデの自分の町に葬られた。 彼の後にベツレヘムのイブザンがイスラエルをさばいた。

彼の後にゼブルンびとエロンがイスラエルをさばいた。彼は十年の間イスラエルをさばいた。

彼の後にピラトンびとヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。」

エフタの治世は6年間でした。その後、イザブン、エロン、アブドンがイスラエルをさばく士師となりましたが、彼らの治世もそれぞれ7年、10年、8年と、短命政権で終わりました。これらの士師の共通点は、確かにイスラエルの窮状を救うためには用いられたものの、その言動は神様への従順と信仰に基づいたものではなく、人間的な考えに基づく了見の狭い正義感や処世術による治世を行ったことでした。これは今日の多くの教会が陥っている状況にも似ています。

神様そっちのけで、自分の考えや世の成功事例に従って何とか人生を渡り歩こうとする者は、本当の祝福を得ることができません。何事に対してもまず神様の御心を求め、愚直に神様に従い通す日々の歩みを通して、自分のみならず後の世代まで永遠に続く、まことの祝福に満ちた人生を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.12.7-8,11,13.ja1955
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