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【COGHCC聖書通読】 2016/10/04

2016-10-04 07:50:41 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 6:1-4
「イスラエルの人々はまた主の前に悪をおこなったので、主は彼らを七年の間ミデアンびとの手にわたされた。 ミデアンびとの手はイスラエルに勝った。イスラエルの人々はミデアンびとのゆえに、山にある岩屋と、ほら穴と要害とを自分たちのために造った。 イスラエルびとが種をまいた時には、いつもミデアンびと、アマレクびとおよび東方の民が上ってきてイスラエルびとを襲い、 イスラエルびとに向かって陣を取り、地の産物を荒してガザの附近にまで及び、イスラエルのうちに命をつなぐべき物を残さず、羊も牛もろばも残さなかった。」

女預言者デボラの働きにより主に立ち帰ったかのように見えたイスラエル人たちは、再び悪を行い、主に聞き従わなくなったため、主は7年間、ミデアン人の略奪によってイスラエルを懲らしめられました。ミデアン人とアマレク人は収穫の時期になるとイスラエルを襲い、せっかくイスラエルの民が育てた作物も家畜も全部横取りしてゆくという、極めて狡猾な略奪でした。

しかしイスラエルが苦しめられた7年間という期間には意味があります。この7年とは、モーセの定めた律法による安息の年です。イスラエルが罪を犯したためにただ働きさせられたことを、土地の安息年に照らして、主はまことの安息をイスラエルにもたらそうとされたのではないでしょうか。様々な視点から聖書を学ぶことは私たちにとって大切なことです。

http://bible.com/81/jdg.6.1-4.ja1955

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士師記 6:6, 11-12
『こうしてイスラエルはミデアンびとのために非常に衰え、イスラエルの人々は主に呼ばわった。

さて主の使がきて、アビエゼルびとヨアシに属するオフラにあるテレビンの木の下に座した。時にヨアシの子ギデオンはミデアンびとの目を避けるために酒ぶねの中で麦を打っていたが、 主の使は彼に現れて言った、「大勇士よ、主はあなたと共におられます」。』

ミデアン人に苦しめられたイスラエル人は、再び主に呼ばわり助けを求めます。そこで主は、ミデアン人の目を避けて酒ぶねの中で脱穀をしていたギデオンを選び、「大勇士よ、主はあなたと共におられます」と声をかけられました。

人目を恐れてコソコソと作業をしていたギデオンを大勇士と呼ぶのはおかしなことです。しかし、こんな臆病者のギデオンであっても、主が共におられるならば誰でも大勇士となるのだという、神様からの強い召しの声に、私たちもまた信仰をもって応答しようではありませんか。

http://bible.com/81/jdg.6.6,11-12.ja1955

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士師記 6:14-16
『主はふり向いて彼に言われた、「あなたはこのあなたの力をもって行って、ミデアンびとの手からイスラエルを救い出しなさい。わたしがあなたをつかわすのではありませんか」。 ギデオンは主に言った、「ああ主よ、わたしはどうしてイスラエルを救うことができましょうか。わたしの氏族はマナセのうちで最も弱いものです。わたしはまたわたしの父の家族のうちで最も小さいものです」。 主は言われた、「しかし、わたしがあなたと共におるから、ひとりを撃つようにミデアンびとを撃つことができるでしょう」。』

神様が共におられるという約束を受けたギデオンでしたが、それでも自分にはそんな力がないこと、小さな氏族の中でも最も小さな者だと、自分を過小評価して主の召しを断ろうとしました。しかし主はそんなギデオンに、私があなたを遣わすのだ、神様の力をもってミデアン人を撃つことができるようにするとギデオンを励ましました。

主はギデオンと同じ召しの声を、私たちにも掛けておられます。たとい自分には相応の力も才能もなくても、主が私を必要としているのだという召しの声に素直に聞き従い立ち上がる私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.6.14-16.ja1955

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士師記 6:20-24
『神の使は彼に言った、「肉と種入れぬパンをとって、この岩の上に置き、それにあつものを注ぎなさい」。彼はそのようにした。 すると主の使が手にもっていたつえの先を出して、肉と種入れぬパンに触れると、岩から火が燃えあがって、肉と種入れぬパンとを焼きつくした。そして主の使は去って見えなくなった。 ギデオンはその人が主の使であったことをさとって言った、「ああ主なる神よ、どうなることでしょう。わたしは顔をあわせて主の使を見たのですから」。 主は彼に言われた、「安心せよ、恐れるな。あなたは死ぬことはない」。 そこでギデオンは主のために祭壇をそこに築いて、それを「主は平安」と名づけた。これは今日までアビエゼルびとのオフラにある。』

主の召しの声に尻込みするギデオンに、主はギデオンの目の前で、祭壇に捧げた犠牲を焼き尽くす奇跡を行い、ギデオンを遣わす主の御力を見せました。するとギデオンは主の使いを見たことに畏れを感じます。しかし主は、恐れるなと声を掛けられ、ギデオンに平安を授けました。主が共にいてくださるという約束こそ、私たちのまことの平安の源です。

http://bible.com/81/jdg.6.20-24.ja1955

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士師記 6:25-27, 30-31
『その夜、主はギデオンに言われた、「あなたの父の雄牛と七歳の第二の雄牛とを取り、あなたの父のもっているバアルの祭壇を打ちこわし、そのかたわらにあるアシラ像を切り倒し、 あなたの神、主のために、このとりでの頂に、石を並べて祭壇を築き、第二の雄牛を取り、あなたが切り倒したアシラの木をもって燔祭をささげなさい」。 ギデオンはしもべ十人を連れて、主が言われたとおりにおこなった。ただし彼は父の家族のもの、および町の人々を恐れたので、昼それを行うことができず、夜それを行った。

町の人々はヨアシに言った、「あなたのむすこを引き出して殺しなさい。彼はバアルの祭壇を打ちこわしそのかたわらにあったアシラ像を切り倒したのです」。 しかしヨアシは自分に向かって立っているすべての者に言った、「あなたがたはバアルのために言い争うのですか。あるいは彼を弁護しようとなさるのですか。バアルのために言い争う者は、あすの朝までに殺されるでしょう。バアルがもし神であるならば、自分の祭壇が打ちこわされたのだから、彼みずから言い争うべきです」。』

主を信じ召命を受けたギデオンに、主は家の中にある偶像を打ち倒して主に犠牲を捧げる新たな祭壇を築くようにと命じました。主に従うときにまず最初に行うべきことは、まことの礼拝の回復と刷新です。しかしこれはギデオンにとって、町中の人々に反逆する行為であったため、人目につかない夜のうちに行いました。まだ主に信頼しきれないギデオンの弱さでしょうか。

それでも朝が来れば真実は明らかになります。偶像が倒されていることに怒った町の人々に対し、ギデオンの父ヨアシは、もしバアルが本当の神であるならばバアル自身が報復できるだろうと、本当の神とは何かを町の人々に問いかけ、ギデオンを弁護しました。もし自分の信仰に自信がなくても、必ず背後で支え、助け、励ましてくれる家族や教会の仲間たちがいます。私たちは自分一人に頼るのではなく、神様と、同じ神様を信じる神の家族が共にいてくれることを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/jdg.6.25-27,30-31.ja1955

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士師記 6:36-40
『ギデオンは神に言った、「あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルを救おうとされるならば、 わたしは羊の毛一頭分を打ち場に置きますから、露がその羊の毛の上にだけあって、地がすべてかわいているようにしてください。これによってわたしは、あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルをお救いになることを知るでしょう」。 すなわちそのようになった。彼が翌朝早く起きて、羊の毛をかき寄せ、その毛から露を絞ると、鉢に満ちるほどの水が出た。 ギデオンは神に言った、「わたしをお怒りにならないように願います。わたしにもう一度だけ言わせてください。どうぞ、もう一度だけ羊の毛をもってためさせてください。どうぞ、羊の毛だけをかわかして、地にはことごとく露があるようにしてください」。 神はその夜、そうされた。すなわち羊の毛だけかわいて、地にはすべて露があった。』

家族の支えに励まされたギデオンがラッパを吹き鳴らすと、イスラエルの町々からギデオンに従う者が続々と押し寄せてきました。それでもまだ確信を得ることのできないギデオンに、再び主は自然現象では到底説明のできない真逆の奇跡を2度も見せて、主こそまことの神であることを示されました。主の御心を尋ねることに慎重な姿勢を見せたギデオンの信仰には、私たちも学ぶべきところがあります。しかし確信を得たならば、私たちは何者をも恐れずに、主に従い通すことが大切です。

http://bible.com/81/jdg.6.36-40.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/04

2016-10-04 06:48:15 | 今日の聖句
マタイによる福音書 24:35
「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」

神様を信じない人でも、いつかこの世は滅びると信じています。それなのにこの世の財産や地位、栄誉を追い求めるのは何と愚かなことでしょうか。世の終わりがいつ来ても慌てることのないように、やがて滅びるこの世のものにではなく、決して滅びることのない神様の御言葉に信頼する私たちでありますように。

http://bible.com/81/mat.24.35.ja1955
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