伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/10/27

2016-10-27 07:57:10 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記上 4:1-3
『イスラエルびとは出てペリシテびとと戦おうとして、エベネゼルのほとりに陣をしき、ペリシテびとはアペクに陣をしいた。 ペリシテびとはイスラエルびとにむかって陣備えをしたが、戦うに及んで、イスラエルびとはペリシテびとの前に敗れ、ペリシテびとは戦場において、おおよそ四千人を殺した。 民が陣営に退いた時、イスラエルの長老たちは言った、「なにゆえ、主はきょう、ペリシテびとの前にわれわれを敗られたのか。シロへ行って主の契約の箱をここへ携えてくることにしよう。そして主をわれわれのうちに迎えて、敵の手から救っていただこう」。』

イスラエル人はペリシテ人に戦いを挑みましたが、逆に打ち負かされてしまいました。そこでイスラエルは神の箱を持ってくれば主が助けてくださるだろうと考えました。主の御心を求めずに勝手に戦いを始めて、失敗しても反省することも悔い改めることもなく、一方的に主の助けを求める、こんな無責任で自己中心な信仰が許されるでしょうか? 私たちもまた同じようなことをしていないか自ら顧み、何事にもまず主の御心を求めること、自分の都合の良いように神様を動かそうとしないこと、もし失敗したならば悔い改めて正しい信仰に立ち返ることを学ばせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/1sa.4.1-3.ja1955

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サムエル記上 4:4-5
「そこで民は人をシロにつかわし、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を、そこから携えてこさせた。その時エリのふたりの子、ホフニとピネハスは神の契約の箱と共に、その所にいた。 主の契約の箱が陣営についた時、イスラエルびとはみな大声で叫んだので、地は鳴り響いた。」

主の契約の箱は、ケルビムの上すなわち最も聖なる場所にあるべきものですが、イスラエルの人々は勝手に戦場の最前線に持ち出しました。そのとき神の箱と共にいたのが、エリの二人の息子、ホフニとピネハスでした。彼らは祭司に相応しくない悪行の数々を働いておきながら、人々の前ではまるでスター気取りで前に立つ、表面上のにせ祭司です。

私たちの信仰は、彼らのように見せかけだけで中身を伴わない虚しい信仰ではないでしょうか。いくら私たちが表面を取り繕い、素晴らしい信仰の持ち主のように装っても、主は心の中をすべてご存じであることを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/1sa.4.4-5.ja1955

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サムエル記上 4:8-11
『ああ、われわれはわざわいである。だれがわれわれをこれらの強い神々の手から救い出すことができようか。これらの神々は、もろもろの災をもってエジプトびとを荒野で撃ったのだ。 ペリシテびとよ、勇気を出して男らしくせよ。ヘブルびとがあなたがたに仕えたように、あなたがたが彼らに仕えることのないために、男らしく戦え」。 こうしてペリシテびとが戦ったので、イスラエルびとは敗れて、おのおのその家に逃げて帰った。戦死者はひじょうに多く、イスラエルの歩兵で倒れたものは三万であった。 また神の箱は奪われ、エリのふたりの子、ホフニとピネハスは殺された。』

ペリシテ人たちは、神の箱がイスラエルの陣営に到着したことを知り、かつて主がエジプトを撃ち破ってイスラエルに勝利をもたらした歴史を振り返り、むしろ奮起して戦ったため、イスラエルは惨敗し、ホフニとピネハスも殺されてしまいました。これはペリシテ人が強かったのではなく、主がそのようにしてイスラエルの罪に報いたのです。御心を求めず自分の思い通りに神様を動かそうとする自分勝手で他力本願な信仰、悔い改めもせず外見ばかり装って中身の伴わない信仰の持ち主は、主の裁きと懲らしめを免れることはできません。

http://bible.com/81/1sa.4.8-11.ja1955

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サムエル記上 4:17-18
『しらせをもたらしたその人は答えて言った、「イスラエルびとは、ペリシテびとの前から逃げ、民のうちにはまた多くの戦死者があり、あなたのふたりの子、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました」。 彼が神の箱のことを言ったとき、エリはその座から、あおむけに門のかたわらに落ち、首を折って死んだ。老いて身が重かったからである。彼のイスラエルをさばいたのは四十年であった。』

エリはイスラエルが惨敗し、神の箱が奪われたことを聞いてその場に崩れ落ち、首の骨を折って死んでしまいました。前の節には、エリは2人の子どものことよりも、神の箱のことを気遣っていたとあります。ホフニとピネハスの裁きについては、すでにサムエルから神様の御告げを聞いていたからでしょう。こんな不幸せな死に方はないでしょう。いくら自分は神様に正しく仕えていたつもりでも、子どもたちの罪を正すこともせず放置した報いです。私たちは決してこのような最期は迎えたくないものです。自分だけ神様を信じて救われていればよいという信仰ではなく、人を義に導き、福音を宣べ伝えることを怠ってはなりません。

http://bible.com/81/1sa.4.17-18.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/27

2016-10-27 06:55:04 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 16:33
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

人には皆まだ見ぬ未来への悩みがあり、この世に生きる限り死の不安がつきまといます。しかしこの世にも、死にさえも勝利された主イエスと共にある確信があるならば、すべての恐れと不安から解放されます。先の見えない現代社会にあって、すべての悩みを主に委ねてまことの平安を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.16.33.ja1955
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