伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/10/25

2016-10-25 07:55:01 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記上 2:1
『ハンナは祈って言った、「わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救によってわたしは楽しむからである。」』

長年祈り求めた待望のわが子サムエルを主に生涯を捧げる者として祭司エリの元に連れてきたとき、ハンナは感謝の祈りを捧げました。彼女は自分の願望が満たされたことよりも、主が祈りを聞かれたことへの感謝の方が大きかったのです。私たちもまたハンナのように、自分の思いが叶うことよりも、祈りに答えてくださる神様の御名をほめたたえる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/1sa.2.1.ja1955

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サムエル記上 2:11-12, 17
「エルカナはラマにある家に帰ったが、幼な子は祭司エリの前にいて主に仕えた。 さて、エリの子らは、よこしまな人々で、主を恐れなかった。

このように、その若者たちの罪は、主の前に非常に大きかった。この人々が主の供え物を軽んじたからである。」

神様に生涯を捧げ主の御前に仕えた幼な子サムエルとは対照的に、祭司エリの実の子は主を恐れぬ悪い者でした。彼らは主に捧げられた供え物を、人々の制止を振り切って自分の好きなように横取りするほど、俗悪で罪深い息子たちでした。

今日でも、いかに父親が主に忠実に仕える素晴らしい牧師あるいは信徒であっても、その子たちは神をも畏れぬ極悪非道な者となり、我が物顔で教会を食い物にしている事例が、残念ながら少なからずあります。私たちはそのような罪深く悪しき行為を決して真似てはなりません。

http://bible.com/81/1sa.2.11-12,17.ja1955

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サムエル記上 2:18-21
『サムエルはまだ幼く、身に亜麻布のエポデを着けて、主の前に仕えていた。 母は彼のために小さい上着を作り、年ごとに、夫と共にその年の犠牲をささげるために上る時、それを持ってきた。 エリはいつもエルカナとその妻を祝福して言った、「この女が主にささげた者のかわりに、主がこの女によってあなたに子を与えられるように」。そして彼らはその家に帰るのを常とした。 こうして主がハンナを顧みられたので、ハンナはみごもって、三人の男の子とふたりの女の子を産んだ。わらべサムエルは主の前で育った。』

エリの息子たちとは対照的に、幼子サムエルは主の御前に忠実に仕える者としてすくすくと成長しました。その背後には母ハンナの献身的な愛と祈りによる支えがあったことは間違いありません。そのハンナの信仰と献身にエリは祝福の祈りを捧げ、主がハンナを顧みてくださったので、彼女は更に子宝に恵まれました。

主の前に喜んですべてを捧げる献身的な信仰の持ち主こそ、主の祝福が豊かに注がれる受ける者となることを、ハンナの生涯の歩みから学ばせていただき、その信仰に倣う者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/1sa.2.18-21.ja1955

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サムエル記上 2:22-25
『エリはひじょうに年をとった。そしてその子らがイスラエルの人々にしたいろいろのことを聞き、また会見の幕屋の入口で勤めていた女たちと寝たことを聞いて、 彼らに言った、「なにゆえ、そのようなことをするのか。わたしはこのすべての民から、あなたがたの悪いおこないのことを聞く。 わが子らよ、それはいけない。わたしの聞く、主の民の言いふらしている風説は良くない。 もし人が人に対して罪を犯すならば、神が仲裁されるであろう。しかし人が主に対して罪を犯すならば、だれが、そのとりなしをすることができようか」。しかし彼らは父の言うことに耳を傾けようともしなかった。主が彼らを殺そうとされたからである。』

主の前に正しく健全に育つサムエルとは対照的に、エリの息子たちの罪は更に増し、神殿で仕える女性との肉体関係にまで達してしまいました。エリもこの事態に非情に心を痛め、息子たちを戒めますが、息子たちは聞く耳を持ちませんでした。それは主が自ら彼らの罪に報いることを定められてしまったからです。

私たちの心に、人の忠告に耳を貸さない傲慢で頑なな心はないでしょうか。これくらいの罪ならば赦されるだろうとタカをくくっているならば、どんな小さな罪をも決して見逃されない主ご自身が自ら裁かれます。私たちは決してこのような滅びの道を歩んではなりません。

http://bible.com/81/1sa.2.22-25.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/25

2016-10-25 07:00:47 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 6:35
「イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」

人々がイエス様に求めたパンは、やがて尽きる肉体の生命を維持することしかできません。しかし魂にいのちが豊かに宿るとき、人ははじめて生き生きと、真にさいわいな生涯を送ることができます。心の飢え渇きを満たすいのちのパンなる主イエス様ご自身を切に求める私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.6.35.ja1955
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