伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/10/17

2016-10-17 08:00:01 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 19:1-3
「そのころ、イスラエルに王がなかった時、エフライムの山地の奥にひとりのレビびとが寄留していた。彼はユダのベツレヘムからひとりの女を迎えて、めかけとしていたが、 そのめかけは怒って、彼のところを去り、ユダのベツレヘムの父の家に帰って、そこに四か月ばかり過ごした。 そこで夫は彼女をなだめて連れ帰ろうと、しもべと二頭のろばを従え、立って彼女のあとを追って行った。彼が女の父の家に着いた時、娘の父は彼を見て、喜んで迎えた。」

イスラエルに王がなかったとき、という時代背景は、目に見える王だけを指したのではなく、神様こそが目には見えないまことのイスラエルの王であるとの信仰が衰退していることも意味しているようにも思います。

ある人が妾を迎えたことは、一夫多妻性であった当時としては別に悪いことではありませんでした。しかし何らかの理由でその妾が実家に帰ってしまったため、その人は和解しようと妾の実家に赴いたため、彼女の父は彼を喜んで迎えます。ここまでは何のやましいことはなく、むしろホームドラマでも見るような、ごくありふれた微笑ましい日常かもしれません。しかし、人にとって何の問題もないことが、イスラエル全体が罪に陥るような大問題となる引き金を引くことになることを、この聖書の箇所は私たちに戒めているように感じました。私たちは何をするにも、自分が正しいと考えることに頼らず、まず神様の御心を尋ね求めることが肝要です。

http://bible.com/81/jdg.19.1-3.ja1955

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士師記 19:9-10
「その人がついにめかけおよびしもべと共に去ろうとして立ちあがったとき、娘の父であるしゅうとは彼に言った、「日も暮れようとしている。どうぞもう一晩泊まりなさい。日は傾いた。ここに宿って楽しく過ごしなさい。そしてあしたの朝はやく起きて出立し、家に帰りなさい」。 しかし、その人は泊まることを好まないので、立って去り、エブスすなわちエルサレムの向かいに着いた。くらをおいた二頭のろばと彼のめかけも一緒であった。」

妾の実家に5日間も滞在したこの人は一日でも早く帰宅したいと思ったのでしょうか、義父の冷静な勧めを聞き入れず、日暮れも近いというのに帰路に旅立とうとしました。この性急な判断が、その後イスラエルに大きな過ちを犯させるきっかけとなりました。自分の考えや計画にこだわって人の勧めに耳を貸さない頑なな心は、私たちを罪に陥れる結果を招くことを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/jdg.19.9-10.ja1955

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士師記 19:11-15
『彼らがエブスに近づいたとき、日はすでに没したので、しもべは主人に言った、「さあ、われわれは道を転じてエブスびとのこの町にはいって、そこに宿りましょう」。 主人は彼に言った、「われわれは道を転じて、イスラエルの人々の町でない外国人の町に、はいってはならない。ギベアまで行こう」。 彼はまたしもべに言った、「さあ、われわれはギベアかラマか、そのうちの一つに着いてそこに宿ろう」。 彼らは進んで行ったが、ベニヤミンに属するギベアの近くで日が暮れたので、 ギベアへ行って宿ろうと、そこに道を転じ、町にはいって、その広場に座した。だれも彼らを家に迎えて泊めてくれる者がなかったからである。』

帰路の途中で日が暮れてしまったため、この人は急いで宿を探します。このときも近くの異邦人の町に行かず、同じ神様を信じるイスラエルの部族の町まで行く正しい判断をしました。しかしこの人にとっては正しい判断も、結果的には間違いの元だったのです。彼らがたどり着いたギベアの町は、同族の旅人が来て困っていても誰一人もてなすことのない、愛の冷えた、当時の人々の習わしにも反した罪の町でした。クリスチャンだからと言って、誰もが正しい信仰を持っているわけではありません。この世には多くの自称クリスチャン、表面的なクリスチャンがいる悲しい現実があります。

http://bible.com/81/jdg.19.11-15.ja1955

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士師記 19:16-21
『時にひとりの老人が夕暮に畑の仕事から帰ってきた。この人はエフライムの山地の者で、ギベアに寄留していたのである。ただしこの所の人々はベニヤミンびとであった。 彼は目をあげて、町の広場に旅人のおるのを見た。老人は言った、「あなたはどこへ行かれるのですか。どこからおいでになりましたか」。 その人は言った、「われわれはユダのベツレヘムから、エフライムの山地の奥へ行くものです。わたしはあそこの者で、ユダのベツレヘムへ行き、今わたしの家に帰るところですが、だれもわたしを家に泊めてくれる者がありません。 われわれには、ろばのわらも飼葉もあり、またわたしと、はしためと、しもべと共にいる若者との食物も酒もあって、何も欠けているものはありません」。 老人は言った、「安心しなさい。あなたの必要なものはなんでも備えましょう。ただ広場で夜を過ごしてはなりません」。 そして彼を家に連れていって、ろばに飼葉を与えた。彼らは足を洗って飲み食いした。』

宿もなく途方に暮れて広場にたたずんでいだ人を家に招いてもてなしたのは、この町の人ではなく寄留者の老人でした。彼らはしばし、楽しく交わりのひとときを持ちました。たとい私たちの周りの状況は悪くとも、置かれた環境によらず、神様の御心を行うことが私たちに平安をもたらします。

http://bible.com/81/jdg.19.16-21.ja1955

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士師記 19:22-23, 25-26
『彼らが楽しく過ごしていた時、町の人々の悪い者どもがその家を取り囲み、戸を打ちたたいて、家のあるじである老人に言った、「あなたの家にきた人を出しなさい。われわれはその者を知るであろう」。 しかし家のあるじは彼らのところに出ていって言った、「いいえ、兄弟たちよ、どうぞ、そんな悪いことをしないでください。この人はすでにわたしの家にはいったのだから、そんなつまらない事をしないでください。

しかし人々が聞きいれなかったので、その人は自分のめかけをとって彼らのところに出した。彼らはその女を犯して朝まで終夜はずかしめ、日ののぼるころになって放し帰らせた。 朝になって女は自分の主人を宿してくれた人の家の戸口にきて倒れ伏し、夜のあけるまでに及んだ。』

ギベアの町の人々は、旅人をもてなさない愛の冷え切った心だけでなく、律法が禁じた忌むべき同性愛をも平気で行い、それを誰も戒めないほどに堕落していました。そして彼らは旅人の妾を夜通しレイプして死に至らしめてしまいました。

これと同じ状況は、天から火が下って滅ぼされた罪の町ゴモラとして聖書の中に出てきます。そして今の日本も、この町と同じ状況ではないでしょうか。罪の世に生きる中でも罪に汚れず、神の愛ときよさを保ち、主の御言葉を守り行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.19.22-23,25-26.ja1955
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【今日の聖句】 2016/10/17

2016-10-17 06:55:22 | 今日の聖句
箴言 12:15
「愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。」

自分の考えにこだわって人の意見に聞く耳を持たない者は愚かな人です。自分が正しいと思うことが本当に正しいことか客観的に見る目を持ち、義なる神様の御言葉に照らして戒めに聞き従う謙虚な心を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.12.15.ja1955
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