士師記 15:1-5
『日がたって後、麦刈の時にサムソンは子やぎを携えて妻をおとずれ、「へやにはいって、妻に会いましょう」と言ったが、妻の父ははいることを許さなかった。 そして父は言った、「あなたが確かに彼女をきらったに相違ないと思ったので、わたしは彼女をあなたの客であった者にやりました。彼女の妹は彼女よりもきれいではありませんか。どうぞ、彼女の代りに妹をめとってください」。 サムソンは彼らに言った、「今度はわたしがペリシテびとに害を加えても、彼らのことでは、わたしに罪がない」。 そこでサムソンは行って、きつね三百匹を捕え、たいまつをとり、尾と尾をあわせて、その二つの尾の間に一つのたいまつを結びつけ、 たいまつに火をつけて、そのきつねをペリシテびとのまだ刈らない麦の中に放し入れ、そのたばね積んだものと、まだ刈らないものとを焼き、オリブ畑をも焼いた。』
婚宴のときに起こした騒動を反省したサムソンは、子やぎを手みやげにして花嫁の家に行き、和解を申し出ました。しかし時すでに遅し、サムソンと結婚するはずだった花嫁は他人の元に嫁いでいました。怒ったサムソンはキツネを用いて刈り入れ直前の麦畑とオリーブ畑を焼き、ペリシテ人に報復しました。
サムソンは「今度は私には罪がない」と言っていますが、元々は自分の蒔いた種であることに変わりありません。人の考えることは主観的で、自分の都合の良いように解釈しがちです。事ある毎に、公正な裁きをなされる神様の御心を求めることこそ、私たちが平安のうちに正しく生きるために必要なことです。
http://bible.com/81/jdg.15.1-5.ja1955
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士師記 15:6-8
『ペリシテびとは言った、「これはだれのしわざか」。人々は言った、「テムナびとの婿サムソンだ。そのしゅうとがサムソンの妻を取り返して、その客であった者に与えたからだ」。そこでペリシテびとは上ってきて彼女とその父の家を火で焼き払った。 サムソンは彼らに言った、「あなたがたがそんなことをするならば、わたしはあなたがたに仕返しせずにはおかない」。 そしてサムソンは彼らを、さんざんに撃って大ぜい殺した。こうしてサムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んでいた。』
その年の収穫をすべて失ったペリシテ人たちは、犯人が怪力サムソンであることを知って直接対決することを避け、彼が結婚するはずだった花嫁の家を焼き払いました。そのことを知ったサムソンは、またも「仕返しせずにはおかない」と自分勝手な理由をつけて、大勢のペリシテ人を撃ち殺しました。
原因を知っても根本から解決しようとせず、誰かをスケープゴートに仕立てて腹いせをするやり方は、被害を拡大するだけで何一つ解決できません。私たちの失敗や過ちの根本原因である罪を、臭いものに蓋をするように目をそらせ続けて解決しないまま放置するならば、幸せな生涯は決して訪れません。自らの罪深さを素直に認め、心から悔い改めて主イエス・キリストの十字架により赦していただき、罪を根本から解決してまことの祝福に満ちた生涯を送る私たちでありますように。
http://bible.com/81/jdg.15.6-8.ja1955
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士師記 15:9-13
『そこでペリシテびとは上ってきて、ユダに陣を取り、レヒを攻めたので、 ユダの人々は言った、「あなたがたはどうしてわれわれのところに攻めのぼってきたのですか」。彼らは言った、「われわれはサムソンを縛り、彼がわれわれにしたように、彼にするために上ってきたのです」。 そこでユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った、「ペリシテびとはわれわれの支配者であることをあなたは知らないのですか。あなたはどうしてわれわれにこんな事をしたのですか」。サムソンは彼らに言った、「彼らがわたしにしたように、わたしは彼らにしたのです」。 彼らはまたサムソンに言った、「われわれはあなたを縛って、ペリシテびとの手にわたすために下ってきたのです」。サムソンは彼らに言った、「あなたがた自身はわたしを撃たないということを誓いなさい」。 彼らはサムソンに言った、「いや、われわれはただ、あなたを縛って、ペリシテびとの手にわたすだけです。決してあなたを殺しません」。彼らは二本の新しい綱をもって彼を縛って、岩からひきあげた。』
サムソンの仕業に業を煮やしたペリシテ人たちは、ユダに対して戦争を仕掛けました。ペリシテ人に支配されていたユダの人々は、自分よりも強いペリシテ人との争いを避けるために、自分たちの同族であるサムソンを縛って敵に差し出しました。しかしサムソンはユダの人々に対して抵抗することなく、ただ自分を撃たないように約束させただけで、たった一人で敵の前に進み出ました。
私たちは、信仰の仲間たちや共同体を裏切り、魂を売り渡すような真似をしてはなりません。しかしもし自分が裏切られたときは、自ら報復するようなことはせず、現実をそのまま受け止めて、結果を主の御手に委ねることが必要です。
http://bible.com/81/jdg.15.9-13.ja1955
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士師記 15:14-15
「サムソンがレヒにきたとき、ペリシテびとは声をあげて、彼に近づいた。その時、主の霊が激しく彼に臨んだので、彼の腕にかかっていた綱は火に焼けた亜麻のようになって、そのなわめが手から解けて落ちた。 彼はろばの新しいあご骨一つを見つけたので、手を伸べて取り、それをもって一千人を打ち殺した。」
縛り上げられたサムソンを見たペリシテ人たちは、彼に報復しようと一斉に攻めてきましたが、主はこのときとばかりにサムソンに激しく霊を注ぎ、力を与えて縄目を解き、たった一人でペリシテ人の軍勢を撃ち破らせました。主は、私たちの必要なときに、必要十分な力を与えてくださいます。
http://bible.com/81/jdg.15.14-15.ja1955
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士師記 15:18-20
『時に彼はひどくかわきを覚えたので、主に呼ばわって言った、「あなたはしもべの手をもって、この大きな救を施されたのに、わたしは今、かわいて死に、割礼をうけないものの手に陥ろうとしています」。 そこで神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれたので、そこから水が流れ出た。サムソンがそれを飲むと彼の霊はもとにかえって元気づいた。それでその名を「呼ばわった者の泉」と呼んだ。これは今日までレヒにある。 サムソンはペリシテびとの時代に二十年の間イスラエルをさばいた。』
たった一人でペリシテ人の軍勢を撃ち破ったサムソンでしたが、戦い終えるとひどくかわきを覚え、主に呼ばわりました。そこで主はサムソンの呼ばわる声を聞き、レヒの窪地を割いて泉を湧き上がらせて、彼の渇きを癒しました。彼は水を飲むと「霊がもとにかえって元気づいた」とあることから、サムソンの渇きは単なるのどの渇きだけでなく、魂の渇きであることがわかります。
霊的にも力を得たサムソンは、その後20年間、イスラエルを救う士師として働くことができました。主のためにたった一人で身を粉にして働くとき、私たちもまた心の渇き、魂の渇きを覚えます。その状態をそのまま放置すると、霊的に燃え尽きてしまいます。私たちは常に神様から御言葉の泉を湧き上がらせていただき、魂が潤った状態を保たなければなりません。
http://bible.com/81/jdg.15.18-20.ja1955
『日がたって後、麦刈の時にサムソンは子やぎを携えて妻をおとずれ、「へやにはいって、妻に会いましょう」と言ったが、妻の父ははいることを許さなかった。 そして父は言った、「あなたが確かに彼女をきらったに相違ないと思ったので、わたしは彼女をあなたの客であった者にやりました。彼女の妹は彼女よりもきれいではありませんか。どうぞ、彼女の代りに妹をめとってください」。 サムソンは彼らに言った、「今度はわたしがペリシテびとに害を加えても、彼らのことでは、わたしに罪がない」。 そこでサムソンは行って、きつね三百匹を捕え、たいまつをとり、尾と尾をあわせて、その二つの尾の間に一つのたいまつを結びつけ、 たいまつに火をつけて、そのきつねをペリシテびとのまだ刈らない麦の中に放し入れ、そのたばね積んだものと、まだ刈らないものとを焼き、オリブ畑をも焼いた。』
婚宴のときに起こした騒動を反省したサムソンは、子やぎを手みやげにして花嫁の家に行き、和解を申し出ました。しかし時すでに遅し、サムソンと結婚するはずだった花嫁は他人の元に嫁いでいました。怒ったサムソンはキツネを用いて刈り入れ直前の麦畑とオリーブ畑を焼き、ペリシテ人に報復しました。
サムソンは「今度は私には罪がない」と言っていますが、元々は自分の蒔いた種であることに変わりありません。人の考えることは主観的で、自分の都合の良いように解釈しがちです。事ある毎に、公正な裁きをなされる神様の御心を求めることこそ、私たちが平安のうちに正しく生きるために必要なことです。
http://bible.com/81/jdg.15.1-5.ja1955
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士師記 15:6-8
『ペリシテびとは言った、「これはだれのしわざか」。人々は言った、「テムナびとの婿サムソンだ。そのしゅうとがサムソンの妻を取り返して、その客であった者に与えたからだ」。そこでペリシテびとは上ってきて彼女とその父の家を火で焼き払った。 サムソンは彼らに言った、「あなたがたがそんなことをするならば、わたしはあなたがたに仕返しせずにはおかない」。 そしてサムソンは彼らを、さんざんに撃って大ぜい殺した。こうしてサムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んでいた。』
その年の収穫をすべて失ったペリシテ人たちは、犯人が怪力サムソンであることを知って直接対決することを避け、彼が結婚するはずだった花嫁の家を焼き払いました。そのことを知ったサムソンは、またも「仕返しせずにはおかない」と自分勝手な理由をつけて、大勢のペリシテ人を撃ち殺しました。
原因を知っても根本から解決しようとせず、誰かをスケープゴートに仕立てて腹いせをするやり方は、被害を拡大するだけで何一つ解決できません。私たちの失敗や過ちの根本原因である罪を、臭いものに蓋をするように目をそらせ続けて解決しないまま放置するならば、幸せな生涯は決して訪れません。自らの罪深さを素直に認め、心から悔い改めて主イエス・キリストの十字架により赦していただき、罪を根本から解決してまことの祝福に満ちた生涯を送る私たちでありますように。
http://bible.com/81/jdg.15.6-8.ja1955
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士師記 15:9-13
『そこでペリシテびとは上ってきて、ユダに陣を取り、レヒを攻めたので、 ユダの人々は言った、「あなたがたはどうしてわれわれのところに攻めのぼってきたのですか」。彼らは言った、「われわれはサムソンを縛り、彼がわれわれにしたように、彼にするために上ってきたのです」。 そこでユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った、「ペリシテびとはわれわれの支配者であることをあなたは知らないのですか。あなたはどうしてわれわれにこんな事をしたのですか」。サムソンは彼らに言った、「彼らがわたしにしたように、わたしは彼らにしたのです」。 彼らはまたサムソンに言った、「われわれはあなたを縛って、ペリシテびとの手にわたすために下ってきたのです」。サムソンは彼らに言った、「あなたがた自身はわたしを撃たないということを誓いなさい」。 彼らはサムソンに言った、「いや、われわれはただ、あなたを縛って、ペリシテびとの手にわたすだけです。決してあなたを殺しません」。彼らは二本の新しい綱をもって彼を縛って、岩からひきあげた。』
サムソンの仕業に業を煮やしたペリシテ人たちは、ユダに対して戦争を仕掛けました。ペリシテ人に支配されていたユダの人々は、自分よりも強いペリシテ人との争いを避けるために、自分たちの同族であるサムソンを縛って敵に差し出しました。しかしサムソンはユダの人々に対して抵抗することなく、ただ自分を撃たないように約束させただけで、たった一人で敵の前に進み出ました。
私たちは、信仰の仲間たちや共同体を裏切り、魂を売り渡すような真似をしてはなりません。しかしもし自分が裏切られたときは、自ら報復するようなことはせず、現実をそのまま受け止めて、結果を主の御手に委ねることが必要です。
http://bible.com/81/jdg.15.9-13.ja1955
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士師記 15:14-15
「サムソンがレヒにきたとき、ペリシテびとは声をあげて、彼に近づいた。その時、主の霊が激しく彼に臨んだので、彼の腕にかかっていた綱は火に焼けた亜麻のようになって、そのなわめが手から解けて落ちた。 彼はろばの新しいあご骨一つを見つけたので、手を伸べて取り、それをもって一千人を打ち殺した。」
縛り上げられたサムソンを見たペリシテ人たちは、彼に報復しようと一斉に攻めてきましたが、主はこのときとばかりにサムソンに激しく霊を注ぎ、力を与えて縄目を解き、たった一人でペリシテ人の軍勢を撃ち破らせました。主は、私たちの必要なときに、必要十分な力を与えてくださいます。
http://bible.com/81/jdg.15.14-15.ja1955
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士師記 15:18-20
『時に彼はひどくかわきを覚えたので、主に呼ばわって言った、「あなたはしもべの手をもって、この大きな救を施されたのに、わたしは今、かわいて死に、割礼をうけないものの手に陥ろうとしています」。 そこで神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれたので、そこから水が流れ出た。サムソンがそれを飲むと彼の霊はもとにかえって元気づいた。それでその名を「呼ばわった者の泉」と呼んだ。これは今日までレヒにある。 サムソンはペリシテびとの時代に二十年の間イスラエルをさばいた。』
たった一人でペリシテ人の軍勢を撃ち破ったサムソンでしたが、戦い終えるとひどくかわきを覚え、主に呼ばわりました。そこで主はサムソンの呼ばわる声を聞き、レヒの窪地を割いて泉を湧き上がらせて、彼の渇きを癒しました。彼は水を飲むと「霊がもとにかえって元気づいた」とあることから、サムソンの渇きは単なるのどの渇きだけでなく、魂の渇きであることがわかります。
霊的にも力を得たサムソンは、その後20年間、イスラエルを救う士師として働くことができました。主のためにたった一人で身を粉にして働くとき、私たちもまた心の渇き、魂の渇きを覚えます。その状態をそのまま放置すると、霊的に燃え尽きてしまいます。私たちは常に神様から御言葉の泉を湧き上がらせていただき、魂が潤った状態を保たなければなりません。
http://bible.com/81/jdg.15.18-20.ja1955