士師記 10:1-5
「アビメレクの後、イッサカルの人で、ドドの子であるプワの子トラが起ってイスラエルを救った。彼はエフライムの山地のシャミルに住み、 二十三年の間イスラエルをさばいたが、ついに死んでシャミルに葬られた。 彼の後にギレアデびとヤイルが起って二十二年の間イスラエルをさばいた。 彼に三十人の子があった。彼らは三十頭のろばに乗り、また三十の町をもっていた。ギレアデの地で今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれているものがそれである。 ヤイルは死んで、カモンに葬られた。」
アビメレクの反乱の後、トラとヤイルという2人の士師が起こされイスラエルをさばきました。彼らの功績は聖書には何も記録されていませんが、アビメレクの世がたった3年しか続かなかったのに対し、彼らがイスラエルを治めた期間はそれぞれ22年、23年と、比較的長く続きました。
ドラマティックな出来事や、特筆すべきことが何もなくても、まことの神様だけを信じ、平安のうちに御心に適う日々を送ることができるならば、それは私たちにとってこの上ないさいわいです。
http://bible.com/81/jdg.10.1-5.ja1955
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士師記 10:6-9
「イスラエルの人々は再び主の前に悪を行い、バアルとアシタロテおよびスリヤの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンびとの神々、ペリシテびとの神々に仕え、主を捨ててこれに仕えなかった。 主はイスラエルに対して怒りを発し、彼らをペリシテびとの手およびアンモンびとの手に売りわたされたので、 彼らはその年イスラエルの人々をしえたげ悩ました。すなわち彼らはヨルダンの向こうのギレアデにあるアモリびとの地にいたすべてのイスラエルびとを十八年のあいだ悩ました。 またアンモンの人々がユダとベニヤミンとエフライムの氏族を攻めるためにヨルダンを渡ってきたので、イスラエルは非常に悩まされた。」
士師ヤイルの死後、イスラエルは再び主に背き、バアル、アシタロテだけでなく、近隣諸国の異教の神々を拝んでこれに仕え、主の怒りを引き起こしました。かえってイスラエルの人々が信じた異国の神々が仇となり、ペリシテ人やアンモン人に領土を侵略されて、18年もの間苦しめられました。
目先の御利益を求め、自分の願望を満たすために、これは○○の神、これは△△の神と、八百万の神々を信じる日本の霊的状況にも似ています。私たちが信じ仕えるべきお方は、人の欲望が作り出した神々ではなく、天地万物の造り主なるまことの神様、ただお一人です。
http://bible.com/81/jdg.10.6-9.ja1955
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士師記 10:10-14
『そこでイスラエルの人々は主に呼ばわって言った、「わたしたちはわたしたちの神を捨ててバアルに仕え、あなたに罪を犯しました」。 主はイスラエルの人々に言われた、「わたしはかつてエジプトびと、アモリびと、アンモンびと、ペリシテびとからあなたがたを救い出したではないか。 またシドンびと、アマレクびとおよびマオンびとがあなたがたをしえたげた時、わたしに呼ばわったので、あなたがたを彼らの手から救い出した。 しかしあなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。それゆえ、わたしはかさねてあなたがたを救わないであろう。 あなたがたが選んだ神々に行って呼ばわり、あなたがたの悩みの時、彼らにあなたがたを救わせるがよい」。』
ペリシテ人とアンモン人に苦しめられたイスラエルの民は、主に呼ばわって助けを求めましたが、主は「自分たちの選んだ神々に助けを求めなさい」と、彼らの叫びに耳を傾けられませんでした。
いかに愛と憐れみに富む神様であっても、苦しいときの神頼み的な悔い改めのない祈りに、主が答えてくださるはずがありません。まず自らの過ちを素直に認めて心から悔い改め、信仰を一新して生活態度も改め、真摯に主の救いを求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/jdg.10.10-14.ja1955
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士師記 10:15-16
「イスラエルの人々は主に言った、「わたしたちは罪を犯しました。なんでもあなたが良いと思われることをしてください。ただどうぞ、きょう、わたしたちを救ってください」。 そうして彼らは自分たちのうちから異なる神々を取り除いて、主に仕えた。それで主の心はイスラエルの悩みを見るに忍びなくなった。」
主を捨て、他の神々を拝み、さんざん好き勝手な生活を送ってきた挙げ句、苦しみに遭ってようやく主に呼ばわっても、私は今更あなた方を助けない、との主の答えに、イスラエルの人々は初めて自分たちの犯してきた過ちの大きさに気付きました。そこで彼らは今まで拝んできた異教の神々を捨て、主に立ち帰って仕えました。まことの悔い改めは、生活態度に表れます。そしてイスラエルの人々が本心から悔い改めたことを見た主は、彼らが異教の民に苦しめられる状況を見るに忍びなくなりました。
神様の本質は、やはり愛と憐れみです。真心から主に仕える者が苦難の中に置かれる状況を、主は見るに忍びなくなり、救いの御手を伸べてくださいます。主に呼ばわる前に、日々の信仰生活が主に喜ばれるものか、御言葉を守り心から主に仕えているか、まず自らの信仰状態を見直して、その上で主に苦しみを訴える私たちでありますように。
http://bible.com/81/jdg.10.15-16.ja1955
「アビメレクの後、イッサカルの人で、ドドの子であるプワの子トラが起ってイスラエルを救った。彼はエフライムの山地のシャミルに住み、 二十三年の間イスラエルをさばいたが、ついに死んでシャミルに葬られた。 彼の後にギレアデびとヤイルが起って二十二年の間イスラエルをさばいた。 彼に三十人の子があった。彼らは三十頭のろばに乗り、また三十の町をもっていた。ギレアデの地で今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれているものがそれである。 ヤイルは死んで、カモンに葬られた。」
アビメレクの反乱の後、トラとヤイルという2人の士師が起こされイスラエルをさばきました。彼らの功績は聖書には何も記録されていませんが、アビメレクの世がたった3年しか続かなかったのに対し、彼らがイスラエルを治めた期間はそれぞれ22年、23年と、比較的長く続きました。
ドラマティックな出来事や、特筆すべきことが何もなくても、まことの神様だけを信じ、平安のうちに御心に適う日々を送ることができるならば、それは私たちにとってこの上ないさいわいです。
http://bible.com/81/jdg.10.1-5.ja1955
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士師記 10:6-9
「イスラエルの人々は再び主の前に悪を行い、バアルとアシタロテおよびスリヤの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンびとの神々、ペリシテびとの神々に仕え、主を捨ててこれに仕えなかった。 主はイスラエルに対して怒りを発し、彼らをペリシテびとの手およびアンモンびとの手に売りわたされたので、 彼らはその年イスラエルの人々をしえたげ悩ました。すなわち彼らはヨルダンの向こうのギレアデにあるアモリびとの地にいたすべてのイスラエルびとを十八年のあいだ悩ました。 またアンモンの人々がユダとベニヤミンとエフライムの氏族を攻めるためにヨルダンを渡ってきたので、イスラエルは非常に悩まされた。」
士師ヤイルの死後、イスラエルは再び主に背き、バアル、アシタロテだけでなく、近隣諸国の異教の神々を拝んでこれに仕え、主の怒りを引き起こしました。かえってイスラエルの人々が信じた異国の神々が仇となり、ペリシテ人やアンモン人に領土を侵略されて、18年もの間苦しめられました。
目先の御利益を求め、自分の願望を満たすために、これは○○の神、これは△△の神と、八百万の神々を信じる日本の霊的状況にも似ています。私たちが信じ仕えるべきお方は、人の欲望が作り出した神々ではなく、天地万物の造り主なるまことの神様、ただお一人です。
http://bible.com/81/jdg.10.6-9.ja1955
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士師記 10:10-14
『そこでイスラエルの人々は主に呼ばわって言った、「わたしたちはわたしたちの神を捨ててバアルに仕え、あなたに罪を犯しました」。 主はイスラエルの人々に言われた、「わたしはかつてエジプトびと、アモリびと、アンモンびと、ペリシテびとからあなたがたを救い出したではないか。 またシドンびと、アマレクびとおよびマオンびとがあなたがたをしえたげた時、わたしに呼ばわったので、あなたがたを彼らの手から救い出した。 しかしあなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。それゆえ、わたしはかさねてあなたがたを救わないであろう。 あなたがたが選んだ神々に行って呼ばわり、あなたがたの悩みの時、彼らにあなたがたを救わせるがよい」。』
ペリシテ人とアンモン人に苦しめられたイスラエルの民は、主に呼ばわって助けを求めましたが、主は「自分たちの選んだ神々に助けを求めなさい」と、彼らの叫びに耳を傾けられませんでした。
いかに愛と憐れみに富む神様であっても、苦しいときの神頼み的な悔い改めのない祈りに、主が答えてくださるはずがありません。まず自らの過ちを素直に認めて心から悔い改め、信仰を一新して生活態度も改め、真摯に主の救いを求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/jdg.10.10-14.ja1955
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士師記 10:15-16
「イスラエルの人々は主に言った、「わたしたちは罪を犯しました。なんでもあなたが良いと思われることをしてください。ただどうぞ、きょう、わたしたちを救ってください」。 そうして彼らは自分たちのうちから異なる神々を取り除いて、主に仕えた。それで主の心はイスラエルの悩みを見るに忍びなくなった。」
主を捨て、他の神々を拝み、さんざん好き勝手な生活を送ってきた挙げ句、苦しみに遭ってようやく主に呼ばわっても、私は今更あなた方を助けない、との主の答えに、イスラエルの人々は初めて自分たちの犯してきた過ちの大きさに気付きました。そこで彼らは今まで拝んできた異教の神々を捨て、主に立ち帰って仕えました。まことの悔い改めは、生活態度に表れます。そしてイスラエルの人々が本心から悔い改めたことを見た主は、彼らが異教の民に苦しめられる状況を見るに忍びなくなりました。
神様の本質は、やはり愛と憐れみです。真心から主に仕える者が苦難の中に置かれる状況を、主は見るに忍びなくなり、救いの御手を伸べてくださいます。主に呼ばわる前に、日々の信仰生活が主に喜ばれるものか、御言葉を守り心から主に仕えているか、まず自らの信仰状態を見直して、その上で主に苦しみを訴える私たちでありますように。
http://bible.com/81/jdg.10.15-16.ja1955