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【COGHCC聖書通読】 2018/10/29

2018-10-29 07:50:09 | 一日一章・聖書通読日記
マルコによる福音書 5:1-10

こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。

イエス様と弟子たちが嵐のガリラヤ湖を渡った先は、異邦人ゲラサ人の住む地でした。イエス様が船から陸に上がると、悪霊に憑かれた一人の人が墓場から出てきて、自分とは関わらないでくださいと懇願しました。しかし、現地の人々が鎖でさえもつなぎ止めておくことのできなかった狂人が、この地に到着したばかりのイエス様の元に出てきたのは、心の底にある正気の自分がイエス様を求めていたのではないかとも思えます。そして何よりも、イエス様がガリラヤ湖を渡られた目的は、この人を何とか救おうとされたからではないかと思います。たとい今は本来の自分を見失い、自分で自分を傷つける状況に陥っていたとしても、イエス様は心の奥底に潜む魂の叫びを聞き、その人を罪と悪しき者の束縛から解放するために出向いてくださるお方です。

http://bible.com/81/mrk.5.1-10.ja1955

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マルコによる福音書 5:11-17

さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。 豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。 そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。 また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。 そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。

レギオンとは古代ローマの軍隊の一個師団を指す言葉で、おおよそ4,000〜5,000人の部隊でした。それほど多くその人に取り憑いていた悪霊は、追い出されるならばせめて山の中腹で飼育されていた豚に移らせてくださいと懇願し、イエス様が許可すると、2,000匹ほどの豚は一斉に湖に自ら飛び込んで溺れ死んでしまいました。動物には生存本能があり、自死するのは人類だけと言われていますから、豚の集団自殺など本来あり得ないことです。豚を飼っていた人々はこの有様を見て町へ出て行って報告すると、人々はレギオンに憑かれた人が正気に戻ってイエス様の元に座っているのを見て恐れ、この地から立ち去ってほしいと懇願しました。イスラエルの食物規程コーシャで禁じられていた豚を飼育していたことから、ゲラサ人はまことの神を信じていない人々であったとわかります。そして彼らは、一人の人が悪霊から解放された喜ばしい出来事よりも、自分たちの収入源である豚が失われたことの方が大事だったのです。私たちは目先の利益と、救いの喜びと、どちらを大切にしているでしょうか?

http://bible.com/81/mrk.5.11-17.ja1955

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マルコによる福音書 5:18-20

イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。 しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。 そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。

レギオンを追い出していただいた人はイエス様について行きたいと献身の意志を訴えましたが、イエス様は彼の申し出を断り、むしろこの地に残って自分の身に起こったことを語り継ぎなさいと命じられました。主イエスに従う道は、直接献身だけではありません。むしろ一般信徒として証を立て、周囲の人々に福音を宣べ伝えるようにと、イエス様は救われた私たち一人一人に求めておられます。

http://bible.com/81/mrk.5.18-20.ja1955

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マルコによる福音書 5:25-34

さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。 この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。 それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。 すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。 しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。 その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。

会堂司ヤイロの娘を癒すために彼の家に出向く途中で、一人の長血を患っていた女性が、せめてイエス様の御衣にでも触れば癒されると信じて、イエス様に触れました。大勢の群衆が押し寄せる中、ご自身の中から力が出て行くことを感じたイエス様は足を止めて、癒しの力を引き出した人を捜しました。女性がおそるおそる進み出て事の始終を申し上げると、イエス様はあなたの信仰があなたを救ったのですと優しく声を掛けられました。私たちもまたイエス様から力を引き出すほどの信仰をもって、御側に近付く者でありたいと願います。

http://bible.com/81/mrk.5.25-34.ja1955

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マルコによる福音書 5:35-43

イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。 イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。 そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。 彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、 内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」。 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。 そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。 すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。 イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。

12年間苦しめられた長血を癒していただいた女性との対話の最中、会堂司ヤイロの娘が息を引き取ったとの報告が届きました。このときヤイロはどれほど落胆し、悔やんだことでしょう。しかしイエス様はこの悪い知らせを聞き流し、恐れることなくただ信じなさいとヤイロを励まして彼の家に向かわれました。そして泣き叫んでいる人々に、娘は眠っているだけだと言い渡し、群衆を家から追い出してヤイロ夫妻とペテロ、ヤコブ、ヨハネの最も信頼していた3人の弟子の他は中に入れずに、「タリタ、クミ」少女よ起きなさいと言って、12歳にもなっていた娘を立ち上がらせました。ユダヤの女性は12歳でバト・ミツヴァーと呼ばれる成人式を迎えます。イエス様は少女をよみがえらせただけでなく、そして12年間の長血の女性をも癒されただけでなく、一人の成人女性として立ち上がらせたのです。私たちもまたイエス様の御言葉によって、一人の成人として神の御前に立つ者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/mrk.5.35-43.ja1955
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【今日の聖句】 2018/10/29

2018-10-29 06:35:12 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙二 5:7‬ 新共同訳‬‬

目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。

今、私たちの目に見えるこの世のすべては一時的なものに過ぎません。やがて消え失せるこの世の富や繁栄、権力、地位などに頼る愚かさを捨て、永遠に続く天の御国を目指す信仰に人生を委ねて生きる私たちでありますように。

http://bible.com/1819/2co.5.7.新共同訳
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