伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/10/18

2018-10-18 07:45:20 | 一日一章・聖書通読日記
マタイによる福音書 22:1-7

イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、 「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。 王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。 そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。 しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、 またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。 そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。

このイエス様の譬は、天国に招かれた者の資質にかかわる問題提起です。あらかじめ招かれていた人たちとは神の民イスラエルのうち、預言者たちの教えに耳を傾けず、悔い改めもしなかった人々を指します。彼らは天の御国の約束を受けてながら神様の呼びかけを無視し、自分たちの都合やこの世の祝福を優先し、一部の者は遣わされた預言者を殺すことまでして、みすみす永遠のいのちを受け損ねてしまいました。神様の約束は真実ですが、受ける私たちの側が不真実で約束を反故にしてしまったならば、残された道は永遠の滅びしかありません。

http://bible.com/81/mat.22.1-7.ja1955

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マタイによる福音書 22:8-14

それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。 だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。 そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。 王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、 彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。 そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。

天の祝福を受け損ねた神の民イスラエルの多数派に代わり、神様は元々は招かれていなかった客、すなわち罪人や私たち異邦人を無理矢理にでも連れて来るように天使に命じ、婚宴の席に招いてくださいました。ところがある者は、婚宴の席にもかかわらず礼服を着てこなかったがために、宴席から閉め出されてしまいました。別の福音書では、王は後から招かれた人々に礼服を与えたのにこの人は着てこなかったとあります。これは、天の御国に相応しい信仰、きよめられた心を備えていない者は、たとえ招かれても天の御国に入ることができないことを意味しています。私たちはこの愚かな人のようにではなく、御国に相応しい信仰、きよめられた心、御霊の実としての品性を身に付けて、神様の招きに応じる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/mat.22.8-14.ja1955

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マタイによる福音書 22:15-22

そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。 そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。 それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。 税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。 そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。 彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。 彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。

主イエスの教えにやりこめられる一方であったパリサイ人たちは、なんとかして群衆の心をイエスから引き離そうと悪巧みを働き、超保守派のヘロデ党と結託して、イスラエルを支配していたローマに税金を納めるべきかという難問を持ち掛けました。もしイエスがローマに税金を納めよと答えればローマの圧制に不満を抱いていた群衆は暴動を起こし、納めなくてよいと答えればローマに反逆罪で訴えるという算段でした。イエス様は彼らの悪意を見抜き、貨幣を持ってこさせ、そこに刻まれている肖像と文字が誰のものであるか答えさせて、ローマ皇帝のものはローマ皇帝に、神のものは神に返すようにと答えられました。なぜ税に納める貨幣を持ってこさせたかというと、当時日常生活で用いられていた貨幣はローマ通貨、神殿に納める貨幣はユダヤ通貨であったからです。宮きよめの際に神殿の庭に両替商がいたのも、ローマ通貨からユダヤ通貨に両替する必要があったからです。当時の時代背景を知ると、イエス様の教えも非常に現実味を帯びた、味わい深いものとして学ぶことができますから感謝です。

http://bible.com/81/mat.22.15-22.ja1955

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マタイによる福音書 22:23-33

復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、その日、イエスのもとにきて質問した、 「先生、モーセはこう言っています、『もし、ある人が子がなくて死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。 さて、わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男は妻をめとったが死んでしまい、そして子がなかったので、その妻を弟に残しました。 次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。 最後に、その女も死にました。 すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんながこの女を妻にしたのですが」。 イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。 復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。 また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。 群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。

サドカイ人とは当時のイスラエル社会では支配者階層、富裕層にあたる人々で、現世での祝福を追い求める世俗的な考え方を持つ人々でした。ですから死人の復活はないと主張し、この世に生きている間を楽しく暮らせばよいと考えていたのです。彼らの信条に反する死人の復活を説いたイエス様に対し、モーセの律法の教えを持ち出して、死後の天国の教えを否定しようとしましたが、元々モーセの律法はこの世で神様に喜ばれる生き方を送るにはどうしたらよいかを教えるものであり、それを天の御国に適用しようとしていたこと自体、思い違いも甚だしいものです。イエス様は彼らの信奉していたモーセ5書の中から引用して、彼らの教えの間違いを指摘されました。私たちは神様の教えを聖書全体から正しく学ぶ必要があります。

http://bible.com/81/mat.22.23-33.ja1955

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マタイによる福音書 22:34-46

さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。 そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。 パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった、 「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。 イエスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。 すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。 このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。 イエスにひと言でも答えうる者は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。

サドカイ人までがイエス様の教えに反論できなかったと聞いたパリサイ人は、一人の律法学者を送って、律法の中で最も重要な戒めは何かと問いました。するとイエス様は、誠心誠意神を愛すること、自分と同様に隣人を愛せよとの聖書の教えの根幹を示されたので、もはや誰もイエス様に議論しても勝ち目はないことを悟りました。幾千万の言葉を駆使して自分の主張を通そうとしても、神の一人子であられるイエス様よりも神様の御心を正しく知る者はありません。私たちは御言葉の権威の前に、ひれ伏して教えを請う従順と素直な心を持ち合わせなければなりません。

http://bible.com/81/mat.22.34-46.ja1955
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【今日の聖句】 2018/10/18

2018-10-18 06:35:16 | 今日の聖句
詩編 119:11 新共同訳

わたしは仰せを心に納めています
あなたに対して過ちを犯すことのないように。

心に蓄えたいのちの御言葉が生きて働くとき、私たちを罪の過ちから守ります。常日頃から聖書に親しみ、御言葉というかけがえのない財産を蓄えて、罪の誘惑からわが身と心を守る備えを行う私たちでありますように。

http://bible.com/1819/psa.119.11.新共同訳
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