マタイによる福音書 16:1-4
パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、 また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。 邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう」。そして、イエスは彼らをあとに残して立ち去られた。
パリサイ人は律法厳守の超伝統派、サドカイ人は世俗的な現実主義者の富裕層で、両者はいつも対立していました。しかし主イエスを敵対視することでは利害関係が一致して、イエス様を試みて天からのしるし、証明を求めました。しかしイエス様がメシヤであることのしるしは、すでに数々の奇跡と癒しによって彼らも目の当たりにしていたはずです。にもかかわらず天からのしるしを求めたとしたら、残されているのは最終手段、すなわち十字架と復活の他にありません。ヨナが3日3晩、魚の腹の中にいたように、主イエスも十字架に死んで陰府に降り、世人の罪を清算して栄光の体によみがえることを、ヨナのしるしと言われました。私たちにはその奥義が明かされていますから感謝いたします。
http://bible.com/81/mat.16.1-4.ja1955
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マタイによる福音書 16:5-12
弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。 そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。 弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互に論じ合った。 イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。 まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。 また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。 そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。
イエス様が弟子たちにパリサイ人とサドカイ人のパン種を警戒せよと言われたとき、弟子たちの心は鈍く、パンの持ち合わせがないことを咎められたのかと誤解しました。イエス様はそんな鈍感な弟子たちに直接、御言葉の奥義を解き明かされました。たといパンの持ち合わせがなくても、五千人の給食、四千人の給食の奇跡を行われたイエス様の教えに堅く信頼し、誤った教えに惑わされることなく真理を悟る私たちでありますように。
http://bible.com/81/mat.16.5-12.ja1955
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マタイによる福音書 16:13-20
イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
当時のイスラエルの人々は、イエス様のことをバプテスマのヨハネとか、エリヤとか、エレミヤや過去の偉大な預言者だと信じていました。しかしイエス様は弟子たちに、あなたはどう思うかと問われました。するとシモン・ペテロが、生ける神の子キリストと答えました。イエス様は彼の信仰告白を誉めると共に、この真理を悟ることができるのは人の考えによるのではなく、私たちの心の中に住んで天の父なる神様の御心を解き明かしてくださる聖霊なる神の働きによるのだと説明されました。イエス様は私たちにも、あなたは私を誰だと信じるか?と問われます。そのとき世間の噂や人々の言うことに左右されず、心の内なる御霊に聞き従って、あなたこそ生ける神の子キリストですと信仰告白させていただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/mat.16.13-20.ja1955
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マタイによる福音書 16:21-23
この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。 すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
つい先ほどはイエス様に誉められたペテロですが、この後に起こるべき十字架の道を説き始めたイエス様をいさめて、かえってサタンよ引き下がれと叱られてしまいました。人間的な理想、合理的な思想による頭で神様を信じる信仰は、本当の信仰ではありません。神様の御心を求めて聞き従う霊による信仰こそが、尊いまことの信仰です。
http://bible.com/81/mat.16.21-23.ja1955
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マタイによる福音書 16:24-28
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。 よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
永遠のいのちを求めるならば、自分を捨て、自らに課せられた使命を果たす者となるべきことを、イエス様は弟子たちに教えられました。いのちは代価をつけることのできない、まさにプライスレスな神の恵みです。
http://bible.com/81/mat.16.24-28.ja1955
パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、 また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。 邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう」。そして、イエスは彼らをあとに残して立ち去られた。
パリサイ人は律法厳守の超伝統派、サドカイ人は世俗的な現実主義者の富裕層で、両者はいつも対立していました。しかし主イエスを敵対視することでは利害関係が一致して、イエス様を試みて天からのしるし、証明を求めました。しかしイエス様がメシヤであることのしるしは、すでに数々の奇跡と癒しによって彼らも目の当たりにしていたはずです。にもかかわらず天からのしるしを求めたとしたら、残されているのは最終手段、すなわち十字架と復活の他にありません。ヨナが3日3晩、魚の腹の中にいたように、主イエスも十字架に死んで陰府に降り、世人の罪を清算して栄光の体によみがえることを、ヨナのしるしと言われました。私たちにはその奥義が明かされていますから感謝いたします。
http://bible.com/81/mat.16.1-4.ja1955
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マタイによる福音書 16:5-12
弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。 そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。 弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互に論じ合った。 イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。 まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。 また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。 そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。
イエス様が弟子たちにパリサイ人とサドカイ人のパン種を警戒せよと言われたとき、弟子たちの心は鈍く、パンの持ち合わせがないことを咎められたのかと誤解しました。イエス様はそんな鈍感な弟子たちに直接、御言葉の奥義を解き明かされました。たといパンの持ち合わせがなくても、五千人の給食、四千人の給食の奇跡を行われたイエス様の教えに堅く信頼し、誤った教えに惑わされることなく真理を悟る私たちでありますように。
http://bible.com/81/mat.16.5-12.ja1955
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マタイによる福音書 16:13-20
イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
当時のイスラエルの人々は、イエス様のことをバプテスマのヨハネとか、エリヤとか、エレミヤや過去の偉大な預言者だと信じていました。しかしイエス様は弟子たちに、あなたはどう思うかと問われました。するとシモン・ペテロが、生ける神の子キリストと答えました。イエス様は彼の信仰告白を誉めると共に、この真理を悟ることができるのは人の考えによるのではなく、私たちの心の中に住んで天の父なる神様の御心を解き明かしてくださる聖霊なる神の働きによるのだと説明されました。イエス様は私たちにも、あなたは私を誰だと信じるか?と問われます。そのとき世間の噂や人々の言うことに左右されず、心の内なる御霊に聞き従って、あなたこそ生ける神の子キリストですと信仰告白させていただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/mat.16.13-20.ja1955
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マタイによる福音書 16:21-23
この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。 すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
つい先ほどはイエス様に誉められたペテロですが、この後に起こるべき十字架の道を説き始めたイエス様をいさめて、かえってサタンよ引き下がれと叱られてしまいました。人間的な理想、合理的な思想による頭で神様を信じる信仰は、本当の信仰ではありません。神様の御心を求めて聞き従う霊による信仰こそが、尊いまことの信仰です。
http://bible.com/81/mat.16.21-23.ja1955
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マタイによる福音書 16:24-28
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。 よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
永遠のいのちを求めるならば、自分を捨て、自らに課せられた使命を果たす者となるべきことを、イエス様は弟子たちに教えられました。いのちは代価をつけることのできない、まさにプライスレスな神の恵みです。
http://bible.com/81/mat.16.24-28.ja1955